古典芸能の伝承、送り手たる演者の側では日々たゆまぬ努力が繰り広げられていることと思いますけれど、結局のところをその受け手、見る人がいなくなっては元も子もない。そこで、なんとかかんとか魅力を伝えるようというあたりでも工夫に余念がないわけでして、ちょいと前(2週間くらい前ですか…)のEテレ『新・にっぽんの芸能』で「“名古屋をどり”に新風! 伝統とエンタメの大集結」と題して取り上げられていた「名古屋をどり」のポップな、というかパンクな?公演のようすを見ながら、「仕掛ける側も大変であるなあ…」と。
今風の「受け狙い」とは思いつつも、度が過ぎると批判の的にもなろうところを、古典の魅力を伝える手段としてぎりぎりのところをどう見極めるか、難しいところでもありましょうし。そも昭和20年(1945年)、戦後まもなくに始まった公演から数えて74回になるという「名古屋をどり」。最初の頃は、踊り本来の姿を見せることで観客は集まったのでしょうけれど、その後の歴史はアメリカからの文物の受容を含め、文化の多様化が著しく進んで、その果てにある現在も踊り本来の姿で勝負したいところではあるも、そうは言っていられないのでしょうなあ。
引いた目で見ると、その切迫感にも思い至って、いささか痛々しさを感じなくもないですが、このいささか尖ったイベントでもって日本舞踊の魅力を再発見する方もおられるのかも。単純に見ていて楽しいイベントとして終わってしまう嫌いもないではないですけれどね。個人的には、思った以上に見ていて面白かったですが。
と、そんなところで東京・三宅坂の国立劇場に行ってまいりました。大劇場の11月公演は歌舞伎でありまして、コロナ禍となって以降、いわゆる芝居の類を見に劇場へ出かけるのは初めてになりますが、そのはじめの一歩が国立劇場、それも歌舞伎になろうとは予期せぬ出来事でして。
…と、それはともかく今回の公演は先に触れた「名古屋をどり」ではありませんが、やはり古典の魅力再発見を目した企画ものでありましょう、何しろ「“歌舞伎&落語 コラボ忠臣蔵”」とあっては。ただし、この企画は古典芸能としての歌舞伎(そして落語も)の魅力の一端を伝えんがためとは思われるも、それ以前に「忠臣蔵」自体がすでに知られなくなってきているのでは…という含みもあるようですなあ。
つい先日もBS-TBSの『落語研究会』を見ておりましたときに三遊亭遊馬が「大工調べ」をかけていて、お調べ、お裁きを担当するのが南町奉行の大岡越前守忠相なのですけれど、今では大岡越前と言って「誰、それ?」ということもあるてなことを言っておりましたなあ。でもって、一応説明を言って「大岡越前とは!」と来て(しばしの間)「加藤剛です」と落としてましたっけ。ま、大岡忠相と加藤剛とどちらが有名かはもはや分かりませんけれどね。
と、それはともかく「忠臣蔵」です。国立劇場の参集した方々を見渡す限り、その年齢層から言って「忠臣蔵を知らない」ということはなかろうと思うところながら、まずもって登場した春風亭小朝が落語的トーク『殿中でござる』でもって、忠臣蔵のあらすじをざくっと紹介。その上で、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の上演に絡む『中村仲蔵』の一席を。休憩を挟んだ歌舞伎公演では、中村仲蔵が工夫を凝らした演技を見せたという斧定九郎が登場する忠臣蔵五段目から六段目を上演するという仕掛けでありましたよ。
いかにも理解を促すというか、理解を深めるというか、ちょっとした鑑賞講座のようですけれど、いかんせん、忠臣蔵のメイン・ストーリーからすると、取り上げられた場面がちと地味というか。通し狂言で上演される際には、頃合いよろしく「弁当幕」などと言われてしまっていた五段目ですものねえ。続く六段目では早野勘平(演じたのは中村芝翫)の腹切りという見せ場があるにはありますけれど。とはいえ、「通」には際物とも見える企画かもしれませんが、入門編としては好企画であろうと思ったものでありました。
ところで伝統芸能の継承という点では、国立劇場というところ、箱モノとして興行ばかりを行っているのでなくして、歌舞伎、文楽、鳴り物の方まで含めて後継者育成をも事業としているのですな。そんな中には、太神楽の後継者育成も含まれておるようで。小朝が『殿中でござる』と『中村仲蔵』とを演じる合間、お色直し的時間のつなぎとして、国立劇場の研修修了者2名による太神楽が披露されたのですなあ。
要するに日本伝統の古典的曲芸とでもいうものでしょうけれど、演じられた芸の数々はかつて海老一染之助・染太郎がTVを通じてお茶の間に見せてくれていたものとほぼほぼ同じ。そりゃあ、伝統芸能ですから当然なのですけれど、そういうものであってもやはり見ている側とすれば、口にくわえた撥の上で土瓶がぐるぐる回ると「おお!」とか声を上げたりするのですよね。つまり、唐傘や茶碗、土瓶など使うものは(現代的には)パッとしないものであっても、だからといって「古くさい」「時代遅れ」「流行らない」といってしまえないものがあるように思ったものでありますよ。
観客の多くはおそらく海老一染之助・染太郎の芸に馴染んだ年代と思うものの、それでもやはり目の前で演じられれば「おお!」となる。会場に子どもの姿はほとんど見かけませんでしたが(平日の午後ですから学校に行っているはずですな)、今どきの子どもであっても、もし太神楽の芸を目の当たりしたとしたら大喜びするだろうなあとも。昔と違って、TVで寄席番組(「大正テレビ寄席」とか)が放送されるなくなっていますので、こうした芸能を見たことないでしょうしね。
近ごろでは「昭和レトロ」などというもてはやされ方があるようで、「温故知新」といった、いささか説教臭い言い方をせずとも、「古いが新しい」といいますか、つまりは古いものなんだけれど、現代感覚からすればむしろ新鮮に見えるようなこともあるようで、そうした風潮からすると、自然発生的に古典芸能に目を向ける若い層が出てくるかもしれませんですね。そうは言っても、今回の企画もそうですけれど、何かしらの仕掛けを発信して、バズらせる試みが必要ではありましょうけれど。