今やJRで由比駅からお隣の興津駅まではものの5分で到着してしまう近さですが、
江戸時代に東海道を往来する旅人は峠越えの難儀を乗り切って

ようやっとたどり着いたのですなぁ。
やってきたのは興津宿であります。


興津宿へ到着


第一印象として感じるのは、由比宿 に比べて興津宿の、何とも味気ないようす。
蒲原駅前を走る東海道は由比宿の手前で

車用の今の道と旧道(車も通れますが)とに分かれてましたが、
興津宿のメインストリートはまさに車が普通に通れる拡幅整備された道そのもの。


住民の日常生活が大事なのか、観光資源として保存するのがいいのか、
一概にどちらがよくて、どちらが悪いとは言い切れないものの、
由比と興津では観光へのアプローチが異なっているように思われなくもない。

例えばですが、先に訪ねた由比宿本陣公園 とは打って変わって興津宿公園はこんなふう。


興津宿公園


とても観光要素とはなりえない単なる公園であることはいい(観光客としては仕方がない)としても

特段の工夫もないからか、遊んでいる子どももいない(そも子どもがいないのかも…)。


元々、伝馬所だったところだそうですから、

再現したとしても本陣のようなインパクトには欠けましょう。
では、本陣はどうなっているかと言えば、こうした碑がぽつねんと立っているだけでありました。


興津宿東本陣跡 興津宿西本陣跡


とはいえ、東本陣、西本陣とあるからには、小規模とされた由比宿に比べても
興津宿はもそっと賑わいのあったところかもしれません。


かつての興津宿


解説板に曰く「甲州を結ぶ身延道の起点でもあった」とありますから、
東海道は薩埵峠を挟んで由比宿と繋がるものの、

身延道の方は興津から分かれて北へ向かうわけで、
興津宿にはこのふたつの道の利用者がいたと考えれば、

規模も由比宿よりいささか大きかったのではと。


ところで、東海道といいますとどうしても江戸時代の印象が大きくなるところですけれど、
もそっと昔々にも、いわゆる「東下り」の道として通う人たちはいたわけですね。
そうしたことを示すのが、この万葉歌碑でありましょうか。


万葉歌碑@興津宿


何でも708年(和銅元年)3月、五位上の(位階にあった)田口益人大夫という人が
上野国 の国司に任ぜられて京から下り、駿河国清見﨑に至った際に作った歌とのこと。
写真では読みにくいと思いますので、万葉仮名の原文と今のかな読みを書いおきますね。

廬原乃清見乃﨑乃三保之浦乃寬見乍物念毛奈信
いほはらのきよみのさきのみほのうらのゆたけきみつつものおもいもなし

興津のあたりはかつて庵原郡であったように、これは古くからの地名なんでしょうけれど、
庵原の清見﨑から三保を眺めれば、そのゆったり広々とした景観には
東下りのもの憂さも忘れてしまう…てな意味ですかね。
(ものおもいもなしを勝手に解釈してますが…)


とまれ、興津のあたりは駿河湾を広々と見晴るかす海の景勝地だったことが窺われます。
これは何も古い古い時代のことではなくって、
例えばですが、こんな石碑が堂々と建てられていることからも推測できようかと。


皇太子殿下御海水浴跡


「皇太子殿下御海水浴跡」とは何とも大仰な…ですが、
これは後の大正天皇が皇太子であったころ(つまりは明治時代)に
興津の浜で海水浴をされたと、そういうことなわけですね。


明治時代の皇室は神様でしょうから、その神様一族がわざわざ海水浴に来るからには
興津の海はやはり大した景勝地ではなかったかと思うところです。


このように皇族もやって来るような場所だけに、
明治期には政治家や大企業家の別荘が立ち並ぶようなこともあったそうな。


その内の嚆矢は西園寺公望のようなんですが、その関連は後から訪ねるとして、
ここでは侯爵・井上馨の像の方に触れておこうかと。


井上侯壽像@興津宿


長州藩の下っ端の出ながら、幕末維新の動乱を経て、

1883年(明治16年)には明治政府で外務卿となり、鹿鳴館外交を展開する井上馨ですけれど、

晩年は興津に長者荘という別荘を建て、ここで生涯を閉じたということであります。


長者荘自体は、この像から離れ、その裏の方に登っていった山側に

5万坪とも言われる広さを持って造られていたようですが、

何でも太平洋戦争の時に興津で唯一の戦災に遭い、焼けてしまったのだとか。

(今では静岡市の埋蔵文化財センターとなっているあたりだそうで。行かなかったですが)


とまあ、かように偉い方々に愛された興津ですけれど、

今その景観はどのようなものになっておるのかと、

とあるガイドマップに「展望台」とあったのに釣られて行ってみました。すると…。


清見潟公園展望台から見る東側 清見潟公園展望台から見る北側


今の興津は、やっぱり観光はちょっとおいといて…ということなのかもしれませんですね。

ぶらりひと回りすると、このようなものが目についたというあれこれですが、

それではめぼしい観光資源的なものがないのかというと、必ずしもそうではない。

続いては、そうした興津の「めぼしい」ところの話に向かうといたします。