明らかに「看板に偽りあり」となりそうなところを
結果的に回避できたということになりましょうか。
最初は「足利 小紀行」というタイトル付けをしようと思っていたですが、
ここまで来ると全く「小紀行」とは言い難い分量になってしまってますから。
ただし、足利をぐるりとひと回りしてきたお話はようやっとお終いに。
まちなかで見かけたものをぽつぽつと取り上げて、落穂拾いとまいります。
まずはこちら…とやおら線路ですけれど、これはJR両毛線です。
「両毛線と言っても、電車が写ってないでないの?」と思われる方がおいでかもですので、
蛇足ながら…ですけれど、鉄道の「○○線」というのが指しているのは、
実は線路(というか路線というべきか)のことであって、車両のことではないのですよね。
普段は(自分も含めて)「中央線に乗る」てな言い方をしてしまいますけれど、
正確には「中央線の電車に乗る」と言わないと線路に乗っかることになってしまうという。
その点、JR(他の鉄道会社も同様かもですが)ではこだわりがあるのか、
「まもなく○番線に中央線の電車がまいります」とアナウンスしても
「中央線がまいります」とは言わないですよね。
ということで、上の線路はJR両毛線ということになります。
足利のある栃木県の旧称は下野国(しもつけのくに)、
お隣の群馬が上野国(こうずけのくに)ですが、さらに遡ると各々、
下毛野国(しもつけのくに)、上毛野国(かみつけのくに)と「毛」が出てくる。
そこで、下毛、上毛の両方を通る路線が両毛線というわけでありましょう。
ちなみにいずれの国も大和朝廷に取り込まれて律令制度下になりますと、
「国名は三文字にせよ」とのお達しがあったそうで、
結果「毛」を抜いた下野国、上野国と称するようになったそうな。
ですが、上・下に分かれる元の元は「毛野国(けぬくに・けのくに)」であったとなれば、
抜くのが「毛」でよかったのかどうか…(駄洒落めいた話ではありますが)。
とまあ、やおら古い古い話から入りましたが、
お次は足利学校
のところに書きもらした一枚を。
「宥座之器」と言われとりまして、孔子の教えを体験してみようという学習器具と言えましょうか。
ひしゃくでもって水をすくい、宙ぶらりんに釣られた器に入れるのけれど、
水が少なすぎれば器は傾いたまま、入れ過ぎると器はひっくり返ってしまうという仕掛け。
「過ぎたるは及ばざるが如し」とか「覆水盆に返らず」とかいうことを思い出しますですね。
唐突ながら、足利には閻魔さまもおわしました。
鑁阿寺
からほど近い利性院に安置されていまして、
再建された新しいお堂の隙間からお目にかかりましたので、
大きさが判然としませんでしたが、実際には2mもあるそうなんですね。
旧来のお堂が明治期に焼失した際、
近所の人が何とか閻魔さまの頭だけを持ち出して難を逃れたのだとか。
そう聞くと「厄除け」祈願なぞしたくなるところですが、どうも役割は違うような気もしますし、
かといって地蔵菩薩と同一視されるとも言われるとやっぱりお願いしようかとも。
そう言えば…とやおら思い出しましたが、足利尊氏は篤い地蔵信仰の人でありましたですね。
京の尊氏邸に付随して建てられた等持寺(現在の等持院とは同系列ながら別)の本尊も
地蔵菩薩であったそうな。
で、その足利尊氏もやっぱりおわしましたですねえ。
尊氏自身は鎌倉屋敷で生まれ育ったために、
父祖の地・足利には一度も足を踏み入れたことはないんだそうですが。
そして、この源姓足利氏ゆかりのものはあちらにもこちらにも。
片方は足利家家紋(二つ引両紋)を配し、もう片方は尊氏の花押であります。
このように歴史に思いを馳せるものにばかり目を向けているようですが、
そればかりではなくって、もそっと近代のものということで。
渡良瀬橋
のひとつ下流に掛かる中橋も改めて見るとなかなかに乙にレトロでありますし、
最後には足利発祥で現在にも至るというあたりをひとつ。
東武足利市駅の目の前にある「アキレス」の大きな看板。
到着したときには単なる看板と思ったですが、実は「アキレス」のもともとは
足利の織物業であったのだそうですよ。
織姫神社
のところで、徳富猪一郎(蘇峰)による碑文を持つ造営碑のことを書きましたけれど、
この造営碑を建てる際の発起人のひとりとなった殿岡利助が1907年に設立した殿岡織物会社、
これが「アキレス」の始まりなのだとか…と、織物伝承館
の方が教えてくれました。
…と、あれこれ見てきて思いのほか長くなってしまった「足利荘紀行」もこれにて終了。
振り返ってみますと、いろんなことを教えてくれたり世間話も気安くしてくれる「人」もよし、
高台からも川辺からも「眺め」よし、のんびりした雰囲気も仄かな訛りもよし、
なんだかとってもいい感じだったなと思い出されてきます。
観光的めぼしいところはほぼ廻ったと思うものの、
また行ってみたいような気にさせる町でありましたですね、足利は。