こうして由比宿観光のメインスポットは押さえたわけですけれど、
ほかに宿場町に残る細かなあれこれを見ておこうかと思う次第であります。
が、その前に由比宿そのものに関して、ちと解説板からの引用を元に整理しておきますと、
関ヶ原の戦いの翌年と言いますから、1601年(慶長6年)には
早くも江戸 を中心とする基礎固めなのか、「東海道に宿駅伝馬制」が設けられ
「由比宿はこの年に宿場として指定され」たということです。
とはいえ、当初は東海道の宿場は五十三次ではなかったそうで、
これが「確定したのは三代将軍家光のころ」、
それだけに由比宿は由緒正しき?宿場町てなことになりましょうか。
1843年(天保14年)に幕府が編集した「東海道宿村大概帳」とやらによりますと、
「由比宿の街並みは東西五町半(約600m)、宿高は340石、人口は707人、戸数は160軒あり、
このうち本陣1、脇本陣1、旅籠32」と記されているそうですが、
これは宿場としては小規模だったようですね。
と、先に本陣跡 を見ましたけれど、その斜向かいの板塀には
脇本陣の解説板が付けられておりました。
何でも「由比宿には脇本陣を交代でつとめた家が三軒」あったそうで、
「そのうち江戸時代後期から幕末にいたるまでつとめた」のが、
この塀の向こう側にあったということです。
そのお隣は「正雪紺屋」と書かれた暖簾を下げた商家、
慶安の変で幕府転覆を謀ったとして斬首された由比正雪(由井正雪とも)が
由比の紺屋の生まれとされることから、どうやら本物の生家ではないものの、
江戸初期から400年続くと言われるこの紺屋が「正雪紺屋」の屋号をつけているのだとか。
もひとつ江戸の名残を今に伝える史跡としては「御七里役所之跡」というのがありました。
西国大名の中には「江戸屋敷と領国の居城との連絡に七里飛脚という直属の通信機関を持つ」
ケースがあって、この跡地は紀州徳川家の七里飛脚の役所だったところであるそうな。
ただ、「御七里役所之跡」の解説板はお隣の塀のところにありましたので、
この見た目、街道筋にも馴染むふうなレトロモダンな建物は何ら関係ないのかも…ですが。
さてさて飛脚がどれほど速かったのかということですが、江戸と紀州和歌山の距離が584kmで、
この間を普通便で8日間、特急便では4日足らずで走破したとなると、
先に触れましたように江戸から京までの東海道が492kmで
一般的には14日かけて旅したことに比べて、格段に速い。
もちろん七里飛脚の名の通り約28㎞ごとに置かれた中継ぎ役所でのリレー方式ですから、
マラソンではなく駅伝タイプではありますが、なるほど飛脚は速かった!ということですなぁ。
さて、七里飛脚が大名お抱えだったのに対して、いわゆる普通の飛脚屋というものもありまして、
文書や手紙を送ったり受けたりするのに利用されていたようですが、
由比宿にはその手の飛脚屋稼業の人たちもいたようです。
これが明治になると全国的な郵便制度が創設(1871年・明治四年)されますけれど、
飛脚屋は商売あがったり…というわけではなくって、
飛脚屋が「郵便取扱役所」(後の郵便局)となったそうでありますよ。
名前は変わっても当初は飛脚そのものだったのでしょう。
ちなみにこちらは明治期に建てられた洋風建築による由比郵便局で、
1927年(昭和2年)まで使われていたそうです(今も局長だった方の一族がお住まいのようで)。
そしてレトロな建物をもう一つ。
1925年(大正14年)に竣工した洋風建築で、
現在に至るも清水銀行由比支店本町特別出張所として普通に利用されているようですね。
「正面には4本のイオニア式の柱頭を飾る柱を据え」た建物は、
由比の街道筋でなかなかに異彩を放っておりましたですよ。
と、建物の話にばかりなってしまいましたので、最後にこんな変わったものを。
ここは本陣前にある馬の水飲み場を再現したところですけれど、
どうやら亀が集団になって首を延ばし、日向ぼっこしているようす。
最初は「妙にリアルな色つやしてんな、この亀の像は…」と思いましたですが、
よおく見ると、しっかりと泳いでいるではありませんか。
とまあ、あれやこれやと興味深くも面白い由比宿をぶらりとしながら、
その足でJR由比駅まで抜け、時間的にはまだ大丈夫と薩埵峠への登りに掛かる…
つもりが、空を見上げればやはり雲が多いなぁと。
(本陣公園
の写真をご覧いただきますと想像に難くないと思います)
えっちらおっちら登った薩埵峠で富士のお山を拝めないとすれば、
出向いた甲斐もないものですから、「薩埵峠は、明日に賭けよう」と方針転換を決断、
由比駅からJRでひとつ先の興津駅へ向かうことにしたわけです。
駅のホームから眺めやる方向に薩埵峠はあるはずで、
電車に乗るとその脇をすり抜けて行ってしまうというのが、
「なんだかな」感を弥増すところではありますが、致し方なしでありますね。
(峠の辺りは晴れてるように見えますが、後方、つまり富士の方角には白雲もくもくで…)