ウィーンの町へ繰り出す 、その詳細は…と言ったわりに何ですが、
実はあんまりよく覚えていないのですね。


行ったと思い出せるところを断片的に挙げてみると、まずは聖シュテファン寺院でしょうか。
ここは塔の上の展望台に上がったことを覚えていますけれど、
ローマ の聖ピエトロ寺院やフィレンツェ のドゥオモのような

大きな円蓋ではないのが何だか新鮮で、
地続きながら文化の違うところに来たんだなと思ったものでありますよ。


そして、シュタットパルク(公園)にも行きましたですね。
同行の友人が、ヨハン・シュトラウス像を前にして、
像と同じにヴァイオリン を弾くしぐさで写真を撮ったりしましたし。
いかにも観光客然としておったわけです。


もうひとつ思い出せるのが、美術史博物館でありますね。
たくさんの絵を見たものの、前にも言いましたように当時はあまり美術に興味がなかったもので、
有名なところだから行ってみたという程度だったのでしょう。


ただ、このときここでブリューゲルの絵を見たことが、
今に繋がる美術館通いを引き起こす元になったのでありますよ。
まさに思いもかけぬ出会いであったというべきかと。


でもって美術に比べると、音楽の方は中学から吹奏楽をやっていた関係もあり、
多分に興味津々であったわけですが、このときに初めてオペラを見に行ったのですね。


同行の友人はそちら方面の興味があったようには思われませんが、

「地球の歩き方」には「音楽の街ウィーンに来たら本場のオペラを聴いてみよう!」みたいな

唆し(?)があるものですから、この際だからということで一緒に出かけたのですね。


そして、何度も言うようですが当時の「地球の歩き方」は

貧乏旅行ガイドブックのようなものですので、
天井桟敷の安い席を当日買うにはどうしたらよいか(国立歌劇場の脇に列を作るのですが)てな

ノウハウが紹介されていますから、その通りの行動に出るわけですね。


だいたいからして卒業旅行で自らの収入が無い時期ですから、
きちんとした座席のチケットを買うなどとてもとても…でありますし。


ところで、当日の天井桟敷席(正確には立見席ですが)の売り出しが始まると、
どんなに列が長蛇になっていても、情け容赦なく(当然ではありますけれど)数の限りで

打ち止め。

何とか数の内に入れてもらえたら、ビルにして4~5階分でしょうか、階段を駆け上がり、
なるべく見やすい位置を確保したら、ハンカチ(セーターでも何でもいいですが)を

目の前の手すりに巻きつける。

これが確保の目印であって、他の人もこうしたしきたりには自ずと従うわけでありますね。


それにしても、文字通りの天井桟敷は

ほとんど舞台の上で何やっているのだか…という遠目で見ることになりますね。
ですから、自ずと音楽に耳を傾けることにもなりましょうが、

このときの演目はヴェルディの「椿姫」。
前奏曲の最初の一音、ヴァイオリンが鳴ったとたんに「感無量!」でありました。


ピットに入るのは、ウィーン国立歌劇場管弦楽団、つまりはウィーン・フィルでして、
これを生で聴くというだけで感動ものですから、そうした思いが増幅されていたでしょうし、
また思い出としては年を経るごとに、この印象がなおのこと増幅されて

今に至っているものとは思いますが。


そうは言ってもその印象が強烈だったからこそと思われますのは、

次の日には友人を放って置いて、一人、

フォルクスオパーでちゃんと座れるチケットを買いに出かけたですから。


フォルクスオパーにしたのは、国立歌劇場よりいささかチケットが安めであろうし、
また敷居もやや低いように思ったからだったのですけれど、
いざ席についてみると周囲との服装に違いに恥ずかしさが募るばかり。

何しろスタジアム・ジャンパーにジーンズですからねえ…。

スタジャンを脱いで裏返し、ジーンズを覆って何とかその場をしのいだのでありましたよ。


ところで、こちらの演目はモーツァルト の「魔笛」。
基本的にオペレッタ公演が主体のフォルクスオパーですけれど、
国立歌劇場にもかかるモーツァルトの演目がかかるというのは…とも思ったりしましたが、
「魔笛」はそもそもがジングシュピール(歌芝居)ですから、

むしろフォルクスオパーに馴染むのでしょうね。

ファンタジーといった感で包まれた演出であったように、おぼろげながら覚えておりますですよ。


とまあ、どこを見て回ったのか、あんまり覚えていないながらも、
音楽を堪能し、美術の方も開眼てな具合になったのもウィーンにやってきたからこそ。

その後、ウィーンには2度行きましたがけれど、何度でも行きたいところのひとつでありましょう。


このウィーンからはまたしても夜行列車で移動し、ドイツに入ることになりますが、
これはまた次の機会に…(つづく)。