列車でローマからフィレンツェへ とやってきたところから、今回は始まります。


何度も言うようですが本当にこの当時は美術に関する興味が湧き起こっておりませんで、
ウフィツィ美術館など、その存在すら知らなかったというのは返す返すも残念なことでありますね。


要するに世界史にも出てくる有名な街だから…くらいの感じで立ち寄ったものと思われます。

ですから、いかにもな観光客が行きそうなアルノ川を見下ろすミケランジェロ広場で
ダヴィデ像を見て「おお!」などと思ったものですが、今

ではこれがレプリカであることを知っている…。


そんな美術オンチでも(だからこそ?)やっぱりドゥオモに行ってしまうのでして、
これを堂上の展望台(?)までえっちらおっちら階段を上っていったことを思い出します。
そして、何とも見晴らしの良いことかと思ったものです。

街中であっても、これに匹敵するビルはないのですから。


こうした観光地巡りの傍らですけれど、当時の「地球の歩き方」には

「こうしたことをやってみよう」「ああしたことをやってみたら」といったあれこれが

載っていたのでして、その中のひとつにここフィレンツェでトライ!ということにしたのですね。


何やら大袈裟な物言いになってしまってますが、要は大学の学食を利用しよう!というもの。
安くてボリュームたっぷりの学食利用というのは、当時の「地球の歩き方」利用者の、
貧乏旅行(本気で貧乏旅行を標榜する人は学食だって高いとなりましょうが)志向に

適うものだったということになりましょうか。


友人と二人、「大学の学食が多くを期待できるものではない」と思いつつも、
まだまだ先が長いことを考えてみれば、初めのうちの節約は必然ということもあって、
フィレンツェ大学の学食を探し歩いたのでありました。


場所の記憶などはすっかりどこへやらでありますけれど、お盆をもって並んで、
皿の上にどっさりとマカロニ状の料理を盛ってもらったということだけはおぼろげに覚えています。
そして、美味かった…という記憶はまるでないなと。


だいたいからして、個人的には極めつけの庶民でありますから、
この旅に出かける以前にイタリア料理なるもので思い浮かぶのはごくごく僅かな状態。


肉屋さんで売ってるマカロニ・サラダとルーミックをかけただけのスパゲッティ・ミートソース、
喫茶店に入ればむしろウィンナ・ソーセージの印象が強いスパゲッティ・ナポリタン…。
こんなものしか浮かばないのですから、そりゃあ多くを期待するわけもない。


先にフィレンツェ大学の学食で盛ってもらったマカロニはケチャップソースのようでしたから、
「おお、マカロニがナポリタンになって出てきた!」と感心しきり…

(というのは読者へのリップ・サービスで、ほんとは驚いてない笑)。


でも、旅の間の朝昼晩、何を食べていたのかに関する記憶がほとんど失われている中では
この学食体験は数少ない記憶のひとつではあります。

やっはり印象度が高いというかなんというか。


まあ、そんなこんなのフィレンツェ立ち寄りでしたけれど、

ある意味、列車までの時間調整でもあったのですね。

フィレンツェを夜中に出発し、車中で寝て起きればスイスであるということに

高まる期待でありますよ。何しろスキーしようとは最初からの目論みでありましたから。


幸いにして、フィレンツェで乗り込んだ列車では、

友人と二人でコンパートメント(6名収容可)を占拠することに成功。
向かい合わせになった両側の座面を手前に引張り出せば、

狭いながらもベッドの状態にできるわけですから、1泊分のホテル代も浮くというもの。


途中で国境を越えるのですから当たり前のように、

車掌がまた「ぱっさぽると!」と回ってきたようですが夢うつつ。


当時としても日本の鉄道からするとおんぼろに思われた夜行列車が

カタタン、カタタンとスイスを目指す中、
下手をすれば何を盗まれても分からないくらいの眠りに落ちていたのでありました。(つづく)