愛着障害者が親に愛されることを諦めたら? | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

ブログにお越しいただきありがとうございます^^
 
ASD(自閉症スペクトラム)
愛着障害当事者から
"幸せになるための心理セラピスト"
鹿島じゅんです。
 
私の発達障害に関する診断結果
コチラです。
 
私の愛着障害に関する生育歴
コチラです。
 
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私は小学校に上がる前の幼い頃から、
父親に要らないと言われて育った子供でした。

 

 そして兄からは、
「お前さえ居なければうちの家族は上手くいくのに!!」

 と言われ、

 
ASDの私を持て余していた母親からは、
「お前のことは理解できないから、もう、放っておくことにする」

 と言われていました。

 
父、母、兄、私の4人家族の家庭で育った私は、
家に居場所などありませんでした。
 

愛着障害を抱えるには、
十分な家庭環境だったと思います。
 
一時期はこんな家族に嫌気が差して、
行き先を家族には一切伝えず、
所在不明になっていたこともありました。
(捜索願は出されなかったため、警察沙汰にはなっていません。
友人もいなかった私は、終電が行ってしまった駅のベンチで寝たりしていました)
 
でも今、40歳も半ばを超えた私は。
 
「お前が居てくれて本当に良かった」
 
と言われる関係を、
母親と築いています。
(父親は2年前に亡くなりました)
 
なぜ、そんな関係を築けたかというと、、、
 
親に愛されることを諦めたから
 
でした。
 
実は私は過去、
親に愛されるために色々なことを試しました。
 
親との冷え切った関係を改善するために、
自分の誕生日には離れて住む親に電話をして、
 
「産んでくれて、育ててくれてありがとう」
 
という感謝の電話を、
そんな電話をかけるのは、
 
「お前を産んだせいで母さんは死にかけた」
 
かなり勇気のいるものでしたが、
それでも親に愛されたいと願っていた私は、
勇気を振り絞って、
何年もその感謝の電話をかけ続けたのでした。
でも、初めのうちこそ、
私の感謝の言葉を喜んでくれた両親も、
何年も続くうちに、
私の誕生日に私から感謝の言葉を聞くことが、
当たり前になってしまい、
ある年の誕生日に私が両親に電話をかけた時に、
私の電話をとった母親が、
父親からなんの電話かと聞かれた時に、
 
「じゅんの、誕生日のいつもの電話」
 
と言ったのを聞いたこと、
母親から私の電話を渡された父親から、
 
「そうなの、あなた様は今日がお誕生日だったの?
それは、おめでとう。
で、あなた様は今日、いくつになったの?」
 
とバカにしたような口調で言われたことから、
親に愛されるために努力している自分が、
虚しくなってしまった私は、
自分の誕生日に両親に感謝を伝える習慣を、
辞めたのでした。
 
「私は両親との仲を改善するために、
出来るだけのことはした」
 
そのように思えるようになった私は、
両親から愛される努力を諦め、
自分1人でも、
自分が幸せだと感じる生き方をしようと、
思えるようになった私は、
実家を訪ねた時に父親の機嫌を損ねて、
 
「ここは俺の家だ!
俺のやることが気に入らないなら出て行け!!」
 
と言われた時に、
これで本当に親子の縁が切れてもいいという覚悟で、
 
「分かった、じゃあね」
 
と言って、
私を引き止める母親を振り切って、
そんな私の覚悟が、
父親にも伝わったのでしょうか?
 
私が生まれてから35年間、
自分が悪くても一度も私に謝ったことの無い父親が、
この日から3日後、
初めて私に謝罪してきたのでした。
 
この時の私はもう、
両親と仲良くしたいなどという夢は、
抱いてはいませんでした。
 
産んで育ててくれた恩義があるから、
相手に対する礼はする。
 
それくらいの気持ちだったため、
今までだったら両親に愛されたくて、
酷い言動をとられても、
ジッと我慢していたところを、
自分を蔑ろにしたり、
不当に扱う行為をされたりしたら、
サッサと相手(親)を見限って、
離れるスタンスをとっていました。
 
多分、その態度が良かったのだと思います。
 
親に愛されることを諦めて、
お世話になった礼儀を尽くすくらいの、
気持ちになれたお陰で、
 
私は家族の中で他の家族から、
負の感情をぶつけられる、
スケープゴートの役割を、
降りることが出来たのでした。
私は兄の知らないところで父親の性的欲求を満たすために利用されており、
母親は父親のしでかした他者への犯罪行為で精神が参ってしまい、
誰かに聞いてもらってラクになりたかったらしいのですが、
でも父親の行為を兄に話すと兄が怒り出すのが分かっていだので、
親の言葉に怒り出したりせずに受け止める私にだけ、
父親のしでかした犯罪行為の全容を打ち明けていました)
 
親に愛されることを諦めたことで、
親との関係性が改善されるというパラドックス。
 
でも、これが、
1番人間の本質を突いているのかもしれません。
 
愛着障害を抱えていた私は、
親に愛されたい一心で、
親にどんなに酷いことをされても、
親を見放すことをしなかったため、
親にとっては都合の良い子供でした。
(逆に親に大切に育てられた兄は、
サッサと親を見限って、
実家に寄り付きませんでした)
 
どんなことをしても離れていかない子供に対する、
両親の甘えもあったのだと思います。
 
何しろ父は私によくお金を無心してきて、
断ると脅迫してきましたが、
父は愛していた兄には良い顔をして、
お金をせびるどころか、
お金を渡そうとしていたのですから、
その兄妹の扱いの差は歴然としていました。
 
求めても手に入らないものもある。
 
そのことを悟った私は、
親に愛されることを諦めて、
親が酷い扱いをしてきたら、
離れる覚悟をしたことで、
私が離れていくのはマズイと感じた両親、
特に兄に見限られていた父親から、
酷い扱いを受けなくなっていったのでした。
 
そんな覚悟の上に成り立っている関係性なので。

もちろん私にも、
相手が親だからという甘えはありません。
 
むしろ育ててもらった恩に報いるよう、
誰に対するよりも細心の気遣いをもって、
接するようにしています。
 
おかげで今の私と母は、
お互いに相手に対して遠慮と気遣いをしつつ、
親子だからと変に距離を詰めることなく、
適度な距離を保ってお付き合いをしています。
 
昨日は母と2人で、
美術展を観に行ってきましたよ^^


暖かい家族、とは言えないけれど。
 
きっとこれが、私に出来る最善の家族のカタチ。
 
愛着障害者が親に愛されることを諦めたら。
 
親との関係性が、
改善されるという結果が、
待っていたのでした。