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昨日は私の誕生日でした。
何を食べようかと思ったのだけど、
残業続きだったから簡単に、
コンビニのお惣菜を買ってきて、
ちょっとだけお祝いに、
コンビニに売っていたワインを買って、
飲みました。
私の幸せ感は跳ね上がります♡
誕生日に"ぼっち"だけれど、
安心出来る空間で、
自分が食べたいものを食べて、
飲みたいものを飲めることが幸せです^^
でも以前の私はね、
誕生日を人に祝ってもらうことに、
必死になっていました。
そこには多分、
自分の両親からでさえ、
自分の誕生日を忘れ去られていて、
子供の頃でさえ、
影響していたのだと思います。
私は自分が生まれてきたことを、
誰かに祝福して欲しかったのです。
だから、誕生日は、
誰かに祝ってもらおうと、
とても必死でした。
以前は自分の両親との仲を改善しようと、
自分の誕生日には両親に対して、
「生んでくれて、育ててくれてありがとう」
などという電話をかけていましたが、
最初は私の言葉に感動してくれていた母も、
毎年続くと、
「じゅんの、いつもの電話」
といった応対で、
「はいはい、ありがとう。誕生日おめでとう」
といった義務的な言葉を返されるようになり、
父親に至っては、
「そうなの、あなた様は今日がお誕生日だったの?
それは、おめでとう。
で、あなた様は今日、いくつになったの?」
と、
私をバカにするような発言をしたため、
誕生日に両親に感謝を伝える習慣は、
辞めました。
自分は両親との仲の修復のために、
出来るだけのことはした。
自分の心の中で、
そう思えることが出来たから、
辞めることに後悔はありませんでした。
それからは、
自分の誕生日は少しだけ良いご飯を食べて、
自分が幸せだと思う、
"ぼっち"な過ごし方をしています。
今は自分で自分が生まれてきたことを、
肯定することが出来るから、
誰かに祝福されなくても、
寂しくはありません。
むしろね、
自分の両親を含めて、
私が誕生日だと知った人から、
心のこもっていない、
「誕生日おめでとう」
なんて言葉を言われるよりも、
何も言われない方が、
幸せだということに気づきました。
(心がこもっていないお祝いの言葉って、
言われたら悲しいよね?)
私にとって自分の原家族
(自分が生まれ育った家族)は、
自分の誕生日を祝ってくれる人達ではなかった。
ただ、それだけの事実を受け入れるのに、
私は40年ほどの歳月を、
費やしてしまいました。
でも、自分の原家族には、
誕生日を祝ってもらうことは、
無かったけれど。
自分の娘から、
こんなLINEをもらうことが出来ました。
里子に出そうかとさえ考えていた私に、
こんな温かい言葉を送ってくれる娘。
家庭の愛情など分からない私に、
育てられるのが可哀想だと思っていた私の心配を、
「お母さん、そんなこと考えてたの?!ネガティヴ〜」
と笑い飛ばしてくれた娘。
それだけで私はもう、
充分に幸せです^^
以前は自分の誕生日は、
両親に感謝する日だったけれど、
今の私は娘からのLINEを見て、
「生まれてくれてありがとう」
と感謝する日になりました♡