愛情のない家族の間にあるものは? | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

ブログにお越しいただきありがとうございます^^
 
ASD(自閉症スペクトラム)
愛着障害当事者から
"幸せになるための心理セラピスト"
鹿島じゅんです。
 
私の発達障害に関する診断結果
コチラです。
 
私の愛着障害に関する生育歴
コチラです。
 
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先日の週末に母を連れて、
車で片道4時間ほどの距離にある、
娘夫婦の家に遊びに行ってきました。
 
コロナ禍のために、
もう8ヶ月ほど会えていない孫に、
会いに行くのが目的でした。
 
本当は1人で行くつもりだったのだけど、
今年の3月からコロナ感染を恐れて、
唯一の趣味だったパチスロにいかなくなり、
食糧の買い出しと、
病院にしか出かけていないという母が、
ずっと家に閉じこもっているせいで、
会うたびに弱っていく様子が感じられたため、
生きる楽しみを持って欲しくて、
母も一緒に行かないか、
私から誘ってみたのでした。
 
 
実は母と4時間のドライブをすることは、
私にとってはかなり勇気のいることでした。
 
私は短時間だったら母に優しくすることも出来るし、
何か目的があって母と一緒にいるのなら、
その目的に意識を集中すればいいため、
母と長時間一緒に行動することも可能ですが、
根本的に私は、
母と長時間一緒にいることが苦痛でした。
 
なぜなら私は母に対して、
一生懸命に育ててくれたという思いはあっても、
 
愛されていたという実感は持っていない
 
子供だったからでした。
 
私はASDの特性からか、
小学校低学年の頃に皆んなと同じ行動が取れなくて、
 
「お前のことは理解出来ないから放っておく」

 

と言われた子供でした。
 
母はこのように突き放した言葉を言えば、
私が改心して皆んなと同じ行動を取るようになると、
考えたようですが、
私はワザと皆んなと違う行動をとっていた訳ではなく、
 
皆んなと同じ行動を取ろうとしても出来なかった
 
ため、
母からこの言葉を言われた時に、
哀しさは感じたものの、
これから母が放っておいてくれるなら、
母の期待に応えられなくて母を悲しませることも、
母の期待に応えられない自分が嫌で、
 
「何で私は皆んなと同じことが出来ないんだろう、、、」
 
と小学校のトイレに閉じこもって泣くことも、
なくなるのだと考えたら、
哀しさよりもホッとした気分が勝ってしまい、

「ありがとう」
 
と自然と感謝の言葉を口にしてしまったところ、
私が母の突き放した言葉によって、
人と違う行動を取る自分を反省することを、
期待していた母の逆鱗に触れてしまい、
激しい口調で責め立てられた挙句、
その後延々と嫌味を言われ続けたのでした。

言葉を額面通りに受け取るASDの私には、
その時何で、
母が自分で言った言葉に感謝した私が、
こんなに怒られるのか分かりませんでしたが、
(母のこの時の言葉に込めた気持ちが理解出来たのは、
大人になってからでした)

ただ1つ分かったことは、

私の存在が母を不機嫌にする

という事実だけでした。

私と母の心が断絶する出来事は、
その後も続きました。

私がまだ小学校中学年だった時、
父親からお風呂で性的対象として体を触られ
そのあまりのおぞましさに、
心が我慢出来なくて泣き出した私に、
 
「お前もそれくらいのことで泣くな!!」
 
と母は私にキレてきました。

私が父親から感じていたあのいやらしさは、
母には伝わっておらず、
子供が体を触られたくらいで泣くなんて、
という思いで母はいたのかもしれませんが、
私は父に体を触られる前から、
父が私に何か仕掛けてくるのが、
本能的に分かったくらい、
父から尋常ではない、
いやらしさ(おぞましさ)を感じていたので、
私にとっては決して、

それくらいのこと

ではありませんでした。

でも私のSOSが、
母に届くことはありませんでした。

(家庭の中で守ってくれる親がいない子供はどうすればいい?)

 そして更に、私が20歳の時。

元夫が、
生後1ヶ月の赤ちゃんを育てている私達の家に、
愛人を泊めようとしてから、

 

精神が不安定になった私が自殺未遂を図った後、
何も考えられる状態ではなかった私に、
これからどうするのかを、
盛んに私に問いただしてきた母に対して、
 
「自殺未遂した後なんだから、もう少し気を遣って欲しい」
 
と言った時に、
 (この"自殺未遂"という言葉を、
自分で口にすることもかなり勇気が必要でした)
 
「自殺したやつがそんなに偉いのか!!」
 
怒鳴られたことも、
私の心に激しい絶望をもたらしました。
 
こうやって私にとって母は、
 
私が助けて欲しい時に追い討ちをかける
 
となっていきました。
 
(必死の思いで助けを求めた手を振り払われたら、
あなたならどうしますか?)
 
それ以外でも母と私の間には、
小学校の入学準備の筆箱を、
出来事もあり、

私は母のことが大好きだったけれど、
成長していくにつれて、

母から愛されていると感じることが、
なくなっていきました。
 
それでも自分の不幸な人生を変えるため、
大人になった私は、
母との確執を水に流すことを決めましたが、
それでも母とは、
気兼ねなく話し合える間柄ではないため、
車という密室に2人きりで、
4時間も会話が続くのかという不安を、
私は感じていたのでした。

それでも私が母を誘ったのは、
 
母という存在が子供にとって特別だから

だと思います。

私と母の間に、
愛情と呼べるものはないけれど。

私は母が幸せになってくれればいいと思っていました。

憎んだこともあったし、

「こんな人、私の本当のお母さんじゃない!!」

と考えて、
母よりも布団の温もりに安らぎを感じたこともあったけど。

今、年老いて、
実家の近くに転勤してきた私を、
子供のように頼りにする母を見ていて、

私は子供時代を飛ばして生きてしまったんだなぁ

と感じます。

幼かった私は誰かにこんなに頼ることも、
気に掛けてもらうことも出来なくて。

小学校に上がる前の年齢でありながら、

甘えて守ってもらう時期は無くて、
いつの間にか自分よりも小さくなってしまった、
母を守ってあげる立場になってしまった私は。

自分で自分の中の子供(インナーチャイルド)を、
癒して生きていくしかないけれど。


 私が助けを求めた時には、
あれだけ突き放しておいて、
自分が歳を取って、
弱ってきたら私に頼ってくる母を、
ちょっとズルいな、と感じつつ。

それでも私が母を助けてしまうのは、
やはり"母"だからなのでしょう。
 
(先日は母と一緒にソフトクリームを食べたよ)

母と私はお互いに、
愛情がある間柄ではないけれど。

相手を見放せない程度の絆はある

それで親子関係を維持するには十分なのだと思います。

これが私と母が45年以上かけてたどり着いた、
家族のカタチ。

お互いの幸せのために、
無理に相手に近づくことはせず。

少し遠くの距離から相手を見守る、
そんな家族の関係があってもいいと思いませんか?