そういえば…
「悪夢のサイクル」(内橋克人著)の何がおもしろかったかということを書いていませんでした。
- 内橋 克人
- 悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環
著書の内容を極めて簡単に要約すると、「自由主義経済における規制撤廃は個人生活に良い影響を与えるものではない」「規制による保護主義的な政策こそ均衡の取れた経済成長が実現できるのであり、個人生活にとって望ましい」といった内容です。
「自由主義推進をベースとした小泉-竹中ラインの失政によって、間もなく日本経済は立ち直れないほどの打撃を受ける」という見通しでした。なかなか悲観的な内容です。
どちらかと言うと、規制緩和を推進すべしと考えている私としては、山の反対側からの風景を見た印象。
確かに、規制撤廃・自由主義の推進が生み出す影の部分は否定できないなぁと思った次第です。
※ニューキャラクターの挿絵画像が使えるようになりました。
袋綴じと収入印紙…
実は意外なところにこだわりを持っています。
契約書などに広く用いられている「袋綴じ」というものに対してです。
契約書の類は日常的に手にするわけで、捺印するたびに、「これは、本物の袋綴じじゃない!」と思うことが度々です。
それほどに、私が教わった袋綴じとは別種の「エセ袋綴じ」がたくさん出回っております。
勿論、こんなモノに正解などないのでしょうが…
私が新入社員として入社した某デベロッパーで、直接先輩から伝授された袋綴じの作成方法が「正規のものなのだ」と教わりました。
まず、本来、袋綴じは、市販の製本テープを使うのは「イカン」と。
ちなみに市販の製本テープというのは、こういったものですね。↓
でもって、袋綴じ部分の端っこと端っこ(つまり、上端と下端といえばいいのでしょうか)の部分ががっちりと綴じられていて、解体できないようになっていてこそ「袋綴じなのだ」と教わりました。
つまり、製本テープの裏側に書かれている製本テープの使い方(↓)に表されている方法は間違っていると(こんなモノに正解などないことを改めて強調します、少なくとも私はそう教わりました)。
このやり方では、簡単に契約書を解体して内容を差し替えることができてしまうと…そう教わりました。
当時、先輩からの「製本テープを使うのは邪道」という指導のもと、紙を使ってがっちりと糊付けして契約書を仕上げていたことを思い出します。
まず、契約書の厚みに応じて背表紙部分を作成します。背表紙の糊しろとなる部分と同じサイズの上端と下端を綴じ込むための小片を2つ作成し、それらを背表紙となる上端と下端に差し込んでがっちりと糊付けをします。
基本的に、紙は二重にして、かつ、糊付けによって固さを出しますから、製本テープと比較すると重厚なつくりになります。
当然ながら、上端と下端が一体となって契約書を綴じこみますから、もし、契約書を解体しようものなら復元は絶望的です。
更に、袋綴じ部分の割り印ですが、私が教わったのは、裏面だけでよいのだと。
というのは、袋綴じが完璧なので、裏面だけ割り印があれば、解体したかどうかは一目瞭然で、それ以上必要ないという考え方でした。
ところが、会社によって習慣が違うようで、契約書への捺印で、「表も裏も両方とも割り印をせよ」という要求が意外に多い。
常々、不合理だなぁと思いつつも、文句を言わず従っております。
また、別のパターンとしては、表面にだけ割印というケース。
これはこれで合理性はあります。
表か裏かは、もはや好みの問題ということでしょうか。
同じような話で言うと、収入印紙への割印の仕方というのがあります。
契約書を2通作成し、双方で保管という場合、通常、印紙税の負担は双方折半となりますね。
でもって、契約書の捺印が双方持ち回りの場合、最初に捺印する側は自分負担の収入印紙しか貼付していませんから、先方負担分の収入印紙が後に貼付され、再度割印のためだけに再送されてくることがあります。
私が教わったことで言えば、収入印紙の割印は何でも構わないんだということ。
収入印紙が使用済みであることを証明するために割印を押すのであって、契約者双方が割印を押す必要はないのです。
もっというと、割印は何でも良いので(つまり、消印に過ぎないので)、契約当事者の印でなくても、たとえば契約を担当した個人の印でも構わないと教わりました。
合理的に考えて、恐らくこれは正しいものと思います。
ところが、収入印紙の割印だけのために、もう一度、契約書がやり取りされたりします。
ちょっとした社会コストですね。
読書会?
先日、珍しく読書会なるモノを設営しました。
きっかけはインテリジェンスのマネジャー研修。
IMBという研修を一昨年から導入していまして、これはEラーニングでの受講が主体で、最後の最後に(つまりEラーニング受講後に)集合研修が2日間パックされています。
その集合研修の1日目の夜に、私が1時間ほど時間をもらいまして、現状の経営課題など主要な認識を受講マネジャーたちと共有するようにしています。
で、その後に、懇親会を行う形が定着しています。
その懇親会の場で、ちょっとした盛り上がりがあり、一部の人々と「読書勉強会」をやろうという”柄にもない”話になりました。
そもそもは、「鎌田さんが今読んでいる本は何ですか?」と言う問い。
たまたまその時は、「悪夢のサイクル」(内橋克人著)を読んでいて、とても面白かったので、その場の皆に届けることを約束。
- 内橋 克人
- 悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環
それだけじゃ面白くないということで、いつか読書会をやろうじゃないかと…そういう話になったわけです。
が、ただ読書会なるモノを開いても、それでアカデミックな議論ができるわけじゃないということがわかりました。
あるいは、集ったメンバーに問題があったのか…
はたまた、何の段取りも考えずに、その場に臨んだ私が悪かったのか…
まぁ、それにしても、日常のビジネスを離れたディスカッションというものは、中身のレベルはともかく、広い意味で有意義ではあると思った次第。
そんなことで、また、新たな読書課題を与えて、次回は「もう少しまともにやろうじゃないか」とまとめて終了しました。
漆塗りのキーボード
たまには、雑誌も読んでみるものです。
なかなかおもしろくて、役に立たない情報を得ることができる。
漆塗りのキーボードが売られているという記事を読みました。
しかも、キーボードに刻印がない。
つまり、完全なるブラインドタッチキーボード。しかも漆塗り。
実に渋い。プロフェッショナルを感じる一品です。
刻印がなく、打ってみないと正しいかどうかもわからないというストイックさがすごい。
ちょっと購買意欲がそそられましたが、すぐにさめました。
もし、私が著述業かなんかとにかく物書きのプロならば、是非とも買うべきかも知れない。
(あくまでイメージに過ぎないが)かつての文豪が大切に使ったビスコンティの万年筆みたいな、そんな感じでもって、現代なら刻印のない漆塗りのキーボードで執筆(執筆というのか…?)みたいな。
100㎡はあろうという広々とした書斎に、静かに佇むデスク。
空間が広すぎて、ちょっと寒々しく感じられるんだけど、「執筆に集中するためには、むしろ広すぎて、ガランとして味気ないくらいがいい」とか言って。
でもって、普通のキーボードなら、モノが少なくて天井も高いもんだから、一打ごとに反響してうるさいところが、「これ(漆塗りのキーボード)のやわらかいタッチは耳障りな反響がない」とかなんとか軽い自慢をしながら使うには良いと思います。
所詮、私はオフィスユース以外にPCを触ることはほとんどないわけで、また、物書きが専門なわけでもなく、衝動で買うには、かさ張るし…ということで、買うのはやめておきました。
因みに、値段は50万円くらいで、注文生産だそうです。
遂にタイムスリップランドがオープン
間もなくタイムスリップランドがオープンする。
「ALWAYS 三丁目の夕日」「メトロに乗って」など昭和30年代を題材とした映画がヒットを飛ばす中で、タイムスリップランド(TSL)が開業の運びとなった。
TSLの敷地面積は200ヘクタール。
ほぼ東京ディズニーリゾートと同規模だ。
大きな違いは、ある町の町並みや地形をそっくりそのまま利用している点と言える。
TSLは昭和40年頃の人口20万人程度の地方都市の駅周辺を再現。
モデルとしては大規模な開発を間近に控えた町田市や相模原市といったところだろう。
TSL開業までの道のりは決して平坦ではなかった。
昭和40年代の町並みを陳腐でないスケールで再現するために、TSL運営準備会社は現有の町並みや自然背景を基調としたアミューズメントパーク作りを企図した。
パーク建設地の選定は難航を極めた。
第一の条件としては、単に陳腐化した町並みの「村おこし」的開発ではタイムスリップというコンセプトのダイナミズムに合致しない。
つまり、一定規模で成立している町をそっくりそのままパークに作り変えなければならない。
また、東京ディズニーリゾートなどの大規模開発事業との競争を前提として、都市型ではなく自然と共生する地方都市的な「風情」を大事にしなければならない。
更に、町そのものの大改造であり、町全体を巻き込んだ事業となるために、行政との連携や住民たちの協力が不可欠であるという条件も加わった。
そうした難易度の高い選定作業が、最大の生みの苦しみであったという。
今回、報道関係者向けに先行的に公開されたTSLは、現段階でも具体的な開業場所を公表しないこととしている。
理由は、TSLが最大の売り物とする”リアリズム”を実現するためだ。
すでに、パーク内には”駅舎”と”駅前商店街”が完成している。しかし、それらの箱モノはあくまで箱モノにすぎない。
それらの箱モノにいかにリアリティーのあるコンテンツを乗せていくことができるかが重要となる。
映画館では昭和40年代に流されたニュース映画を鮮やかに再現。「若大将シリーズ」など当時ヒットしたロードショー映画を月替わり3本立てで上映する。
また、量販店進出前の駅前商店街には鮮魚店、青果店、衣料店、電気店、雑貨屋などが軒を連ねるが、置かれる製品は全て昭和40年代を色鮮やかに再現する。
最大の難問は、昭和40年当時の世相・環境を理解して対応するキャストの教育だ。
服装やファッション、ヘアスタイルなどにも気を配る。
キャスト養成にはまだ3ヶ月程度はかかる見られる。
そして、TSLが提供する”リアリズム”の極致が「家族キャスティングサービス」である。
タイムスリップを存分に楽しみたいゲストに対して、アテンダントとして”家族”を提供する。
待ち合わせ場所はパークの中心地”駅前”。
あなたの”家族”が駅まで迎えに来てくれるのだ。
駅前商店街をゆっくり散策しながら、夕飯の材料を整え、アパートの一室に”帰る”。
昭和40年代をそっくり再現した2DKのアパートで家族の団欒が展開される。
キャストが作る料理の味は保証されていないが、それもまた一興。
もちろん、ゲスト自らが腕をふるう自由もあるが、旧式のガスコンロにマッチで火をつけるなどちょっと苦労が伴うだろう。
運営会社は「ゲストはカレーライスを希望するケースが一番多いはず」と見ている。
また、「料理に失敗して、店屋物を頼む」「料理中にやけどをして、近くの薬屋さんに駆け込む」といった偶発的な演出も準備されているという。
ゲストにとっての密かな楽しみになりそうなのは、ご近所とのトラブルや人情味あふれた交流だ。
「テレビの音がうるさい」などといって突然怒鳴り込んでくる隣りのハゲ親父。
家賃の滞納を取り立てにくる強欲な大家さんなど…
殺伐とした現代では考えられない”やわらかいトラブル”を再現していく。
家賃の取立てなどに対しては「ごめんなさい。来月まで待ってください。」などといえば、許してもらえる設計だ。
「お隣りから回ってくる回覧板」、「おしょうゆを借りにくる近所のおばさん」などは常設のアトラクションとなる予定。
一方、「ケンカの仲裁」など複雑な人間模様の展開については別途オプション料金がかかるという。
久しぶりの作り話でした…
当たり前ですけど、信じないでください。
昔はテレビがあんなに好きだったのに…
今更ながらあけましておめでとうございます。
2007年に入って10日も過ぎてしまいました。
本当に時間が過ぎるのが早い!
そして、有意義に時間を過ごすことは本当に難しい!
同じ1時間でも、めちゃくちゃに生産性が高いときもあれば、どうにもならない=寝ていたのと変わらないときもある。
できる限り有意義に過ごしたいという思いが強くなっています。
それは時間が有限であるということをなんとなく実感してきているからだと思います。
やはり、2回目の成人式を過ぎてからでしょうか…徐々に実感してきているように思います。
そんなことで時間を有意義に過ごそうと努力すると、おのずとテレビを見る時間がなくなります。
1日のテレビ視聴時間がドンドン短くなっている。
平日の朝10分くらいかなぁ(色々準備しながらをあわせてもせいぜい30分くらい)。
土日は全く見なくなっています。
私がいうのもなんですが、見るべき価値のある番組が減少している。
あるいは、私がテレビから”ずれてきている”のかもしれません。
昔はテレビがあんなに好きだったのに…
というわけで、DODAの新庄さんCFをまだ一度も見ていない状態であります。
(勿論、社内で試写は見ています)
キーワード経営その2
メッシュ戦略
キーワード経営で調子がつくかと思ったら、そうでもありませんでした…
が、思い出すのは「メッシュ戦略」。
恥かしい~。
2000年頃でしょうか。
当時、様々な事情で勢いづくインテリジェンスが次々事業会社を立ち上げていく際に出した方針です。
当時、現在よりも遥かに未成熟だった人材紹介市場では、自社のケイパビリティーを上げていくことが率直に事業拡大につながりました。
(この事情は現在も変化していませんが、ケイパビリティーの拡張方法は大きく変わってきました。)
自社のケイパビリティーを向上する方法として、当時展開したのが、メッシュ戦略でした。
市場を一つの網からすくい上げていくのではなく、複数の網ですくうことで、収穫高を上げていこうと言う考えでした。
市場をすくう網の目を複数同時に展開する(メッシュする)ということでメッシュ戦略と呼んでいました。
これは、経営の教科書に書いてあることからすると非常識です。
というのは、全く同じ性格の事業を同じ対象に対して展開していくわけで、普通はカニバリズム(食い合い)を起こすことや重複による不効率を考えて、実行すべきではありません。
ところが、当時の人材紹介の世界は、とても未成熟で、競争相手も小規模事業者がほとんど。
人材紹介という、これまであまり普及していないモノを広めるためには、複数の事業者が健全かつ熾烈に競争する必要があるわけですが、そういう環境とはいえませんでした。
そうした中で、ある意味で(不遜ではありますが)、自分たち自身で競争相手を作ってしまえばいいという発想が生まれました。
逆に言えば、強い競争相手が育つ前に、自分たちが作った同業者(表面的には同根には見えない)が勢いよく育てばよいという発想でした。
このメッシュ戦略は、仮説通りに動きました。
取り分け人材紹介をご利用になる個人の皆さんには、複数のブランド(事業者)を立てることによって、選択肢を提示することに成功しました。
各ブランドごとにご利用者の重複がほとんど発生しなかった。
つまり、市場をメッシュすることで、全体の収穫高を上げることができました。
では、なぜ、メッシュ戦略を転換したのか?
一言で言えば、規模の経済性による競争段階に突入していったからであり、ゲリラ的なメッシュ戦略での限界が見えたからでした。
競争の質が、あるいは、成長するための方法論が、ものすごく変化していったということです。
※今週からスキンがクリスマスバージョンになるみたいです!
キーワード経営
キーワード経営とでもいいましょうか…
その時々、どんな考えで、どんな戦略で、どんなコンセプトでそれに取り組むのかネーミングするわけです。
ふっと思い出したのが、「集中と拡散のスパイラル」なるコンセプト。
今となっては、ちょっと恥かしい感じですが、今から5-6年前は大真面目に謳い上げておりました。
確かインテリジェンスのアニュアルレポートにも書いていた気がします。
ワーディングはともかくとして、いっていることは、我ながらなかなか正しいと思っております。
「集中と拡散のスパイラル」=会社の成長というものは集中と拡散という螺旋階段を上っていくようなイメージだということです。
別の言い方をすると、成長を実現するためには、水ぶくれでも構わないから、とにかく図体をでかくすることが必要です。
でもって、水ぶくれした体を筋肉質に鍛え上げていく。
肥満体でもいいからたくさん食べて太る→ぎゅうぎゅうに鍛え上げて筋肉質にする→太る→筋肉質にする→太る→筋肉質にする……
という具合です。
拡散的に新しいビジネス開発や新規領域への拡張を行うシーンというのは、ベンチャー的開拓精神を持った人材にとって大変に盛り上がります。
しかし、そうした盛り上がりをそのままに放置すると、会社は危険な状態に突入します。
つまり、とっ散らかって、ややもすると、あっちフラフラこっちフラフラで何だかわからなくなったりする。
でもって、収益が出なくなったりするわけです。
そこで、拡散するだけしたら、ある段階で見切りをつけて、駄目なものはやめ、まとまっていないものはまとめ…
つまり、集中の方向に舵を切っていくわけです。
これは、非常に骨の折れる取組ですが、そうした骨折りを惜しんではいけない。
苦しいからと手を緩めると、弱っちい事業になってしまう。
そこで、ぎゅうぎゅうと絞って絞って、太った力士が体重制限のあるボクサーに変身を遂げるような取組をやるわけです。
なかなか最初は効果が出ないけれども、時間をかけて取り組むうちに成果が出始めるので、絶対に諦めちゃいけないのが”集中”の時期の経営と思っています。
でも、筋肉質に置き換わることには、次の拡散を目指していかないといけない。
ところが、筋肉質への変革に慣れていると、新しい取組に躊躇するようになったりする。
面白いものであります。
調子が出てきたので、次回もキーワードで書こうかな…
懐かしき小田原
懐かしき小田原
私、神奈川県小田原市出身で、小学校まで小田原でした。
その時代を知る人がコメントをくれました。
一体誰なのか、わからないものの、小田原人が応援してくれていることをうれしく思った次第です。
どなたかわかりませんが、有難うございます。
小田原というところは、海にも山にも恵まれていて、年間を通して過ごしやすい気候です。
いい意味で、大変に中途半端で、海をイメージさせる湘南の延長上でありながら、湘南と言い切れず。
また、すぐ隣りが観光の街---箱根なのですが、温泉地として全国的に有名な箱根もあくまでもお隣に過ぎない。
洗練されたイメージの湘南からも切り離されていて、全国的に有名な観光地の箱根と一体でもない。
そんな中途半端な町が小田原であり、それがいいところです。
東京からの距離も微妙。
通勤するにはちょっと遠い(最近は東京に通勤する小田原市民も多数いらっしゃるでしょうが、私が小学生の頃は、滅多に東京勤務の方はいませんでした)。
首都圏の西のはずれが小田原であり、たとえば、J-WAVEが聞こえるかどうか微妙なところです。
「出身地は小田原です」と言うと、「静岡県ですか?」と真顔で聞かれることも、しばしば。
つまり、首都圏内でありながら、「それってどこ?」という存在感が小田原であり、それがいいところです。
そんな微妙で中途半端な小田原ですが、海産物は本当にうまい。
取り分け、アジの干物、シラスの釜揚げは最高と思っています。
子供の頃からしょっちゅう食べていたものというのは、愛着があります。
「シラスの釜揚げ」なんていうのは、もうそれだけで、ご飯が何杯も食べられると思うのですが、一般には「生臭い」と敬遠されることが多いようです…
さらに、小田原には城址公園という市民の憩いの場があり、堅固な城として名高かった小田原城が復元されています。
そして、小田原城の足下には入場無料の遊園地(!)があり、また、入場無料の動物園があるのです。
遊園地の乗り物は最近どうなっているか知りませんが、私が小学生の頃から「ぼろいなぁ」と思っていた状態のまま、約30年経った今もほぼ同じく運営されています。
(もしかしたら、最近の安全に対する配慮などから操業が停止されているかもしれません…詳細は不明です)
これぞ!小田原!是非ともこれからも運営し続けてほしいと思っています。
シラス、アジの干物、城址公園…
小田原には東京から1時間半くらいで行けます。