丸の内で働く社長のフロク Powered by アメブロ -23ページ目

新たなる旅立ち

会社以外の会議に出ることがある。



業界の会議とか…色々である。
で、たまに”目をつぶっている”会議参加者がいる。
面白いもので、堂々と目をつぶって、腕を組んだりしていると、「じっくりと話を聞いて熟慮しているのかな?」とも思える。
が、恐らく十中八九は、単に寝ているだけであろう。



いつだったか「なぜ、日本人は、どこでも寝るのか?」と外国人が不思議がるという話を聞いたことがある。
件の会議。そして授業中。
そういう「参加」が求められる場で寝る日本人を不思議がるという。



会議や授業で寝るのが日本人だけということはなかろうが、確かに、私も会議や授業で寝たことは数限りなくある。



「体だけ参加していて、脳みそは参加していない」ことが多い国なんだろうか…




あるいは、そうした意味のないことに参加させられる社会なのだろうか?
それとも、参加意識に乏しい国民性なのだろうか?




考えれば、形式参加・実体不参加の人って、いろんな場所にいる…

新たなる旅路

字が下手…



字が下手である。
以前に比べれば、だいぶましになったと思うのだが、それでも下手だ。



意外なもので、これだけワープロというかPCというか日常的に使用する時代であるのだが、逆に字を書く必然性に迫られることがあります。



というか、自ら進んで字を書こうとしている。

というのは、字を”書く”時代から字を”打つ”時代に変化して(これは、でかい変化だと思う)、逆に自分をアピールする上で、字を書くことを選択している。



たとえば、年賀状に全部コメントを書く、礼状をしたためる、激励のメッセージを贈る…などなど。



が、字が下手である…



ペン習字を習おうか…相当迷ったが、他にもやりたいことは死ぬほどあるので、やめておくことにしました。

明るい悲観論

当社の某監査役とビジネスの問題ではなく激論を交わしました。


某監査役曰く「少子化は大問題だ」と。
確かに問題だとは思います。国を上げて取り組んでいるような状況ですので、そりゃそうなんでしょう。



が、少子化を止める方法などあるのでしょうか?
人々に子供を作ることを強制することはできません。



某監査役曰く「今の時代は先が見えない。将来に対して安心できないから子供を作らないのだ」と。
確かにそうかもしれません。が、いつ先行きが鮮明だった時代があったのか…という疑問はあります。
また、先行きが不鮮明だから子供を作らないという理屈は果たして正しいのかとも思います。
というのも、日本よりもよほど先行きの定まらない地域でたくさんの子供が生まれている事実もある。



やはり成熟した世の中だから、私たちには色々な選択肢があって、「選ぶ」ことができます。
子供を作るかどうかもそうした選択の一部になっているんだろうと認識します。
過去においては、結婚して家族を持つということが必然だった。
でも、今の時代は「選択」する要素になっている。




また、別の角度で言えば、少子化の一体何が問題なのかということ。
私も以前は、漠然と問題だと思っていました。




しかし、問題なのは人口減少で国に活力がなくなるとか、GDPが下がるとか、経済が悪くなるとか…いずれも個人生活の問題というよりもマクロの問題のほうが大きい。
人は経済のために生きているわけじゃないわけで、個人にとってGDPが下がろうが経済力第2位から転落しようが実は関係ないはずです。




悲観するわけではなくて、やがて日本は世界第2位の経済大国というポジションから転落するわけで、だからといって、私たち一人ひとりがひどい目に遭うわけではありません。
年金の問題にせよ、ここから多少出生率が上がったからといって解決するような問題ではないわけで、なんにせよ抜本的に仕組みを変えない限りどうにもなりません。
とするなら、少子化を問題にすることそのものが、「何かを誤魔化している」ともいえる気がします。

時代の躍動感

誰から聞いた話か忘れたんですが、日本人の平均年齢は40歳だそうですね。



私は今40歳で(来月41歳ですが)、年齢分布で見ると日本の真ん中に位置しているということになります。




別の言い方をすれば、私は人生の”折り返し点”にいるわけで、そう考えると複雑であります。




過去と未来のちょうど中間の現在にいる私としまして、過去40年がどんな具合であったのかを見るとちょうど前後半20年で社会の様子がだいぶ違う気がするのです。




前半20年というのは1965年~1985年くらいで、まだまだ日本は上り坂だった。
物質的に豊かになっていく実感がありました。だから、先行きに対しても社会レベルで大きな不安はなかった気がします。
”おおらか”だったんじゃないでしょうか。



前半20年の上り坂の実感は、とにかくわかりやすい変化でみなぎっていた。
私が小学校の頃、アイスは30円でチューチューを買うか、50円で箱型のバニラ系アイスかみぞれ系アイスという選択肢でした。
それが見る見るうちに値段が上がっていく。徐々に品揃えも良くなる。
中学高校の時分には、アイスはだいたい100円するものになっていた。わかりやすく時を経るにつれて、インフレしていたんですね。



1965年の大卒初任給は23,000円だったそうです。それが1975年には83,600円になり、1985年には140,000円になった(14万円??ちょっと統計おかしくないか…とは思いつつも調べたら、そうなってました)。
つまり、20年で6倍になった。



私の人生の前半20年は、アイスクリームの値段が2倍になって、初任給は6倍になった。




ところが、後半20年を見ると、100円のアイスクリームは質が向上して値段は同じ。勿論、ハーゲンダッツみたいな高級ラインは生まれましたけど、100円出せば、十分な質のアイスクリームが買える。
初任給は1985年→2005年の20年間で140,000円→198,300円で統計上で見て、1.4倍にしかなっていない。


実感値で言うと、私が社会人デビューした1988年にもらった初任給と、今年のインテリジェンスの初任給はそんなに変わらない(!)
それだけ聞いた人は、インテリジェンス=ケチとか思うかもしれないけど、世間相場から逸脱なんかしていないし、どちらかというと高いほうです。



何が言いたいかというと、私のこれまでの人生の後半20年は、生活していく上での変化率が非常に小さかったということ。勿論、その前の20年と比較してです。



前半20年間の躍動感と後半20年間の落ち着きぶりというのは、極めて大きな隔たりがあります。
この20年間というもの、日本という国はとてもおとなしい(変化率の小さい)状態であった。
そりゃ、元気もなくなりますよね・・・殺伐ともしますよね・・・

だって、先行きに変化が無いんだもん。希望が感じられない閉塞感があるのも無理ないのですよ。



すいません。悲観論で終わるつもりじゃなかったのですが、徒然なる思いでした…

10月4日




TDRのホテルミラコスタにて来春入社予定の皆さんの内定式を執り行いました。


内定式1



総勢373名。

私が話をしたのは…
残り半年の学生生活で大きく3点を意識してほしいと…
・知恵を磨いてほしい
・感性を磨いてほしい
・今までできなかったことを実現してほしい
ということです。



内定式でどんな話をするかというのは、私なりに色々悩むわけです。
悩んで至ったことは、何といっても対象者は学生さんであって社会人ではないということ。




内定段階の学生諸君に、社会人としてかくあるべし、「ビジネスとは」「会社とは」みたいな話をしても、そんなに実感は与えられないわけです。
だから、話は出来るだけやわらかく、難しいことは抜きに、学生の立場で行動できることにしたいなぁと考えるわけです。




で、私の言いたいことは、知恵がなければ生きていけない時代だから、出来るだけ知恵を出せるように日々意識しながら行動してほしいということが一つ。
どうやれば、知恵が出やすくなるか?
これは簡単じゃないわけですが、人間、いきなり雷に撃たれたようにとてつもないことを思いついたりするわけじゃぁない。
常にアンテナを高くして情報を摂取すること、そして日々何らかの工夫を続けることだと思うわけです。


内定式2



2つ目の感性と言うのは、高度化している世の中で、素晴らしい技術・素晴らしい商品というだけで、受け入れられる時代じゃぁない。
優れたデザイン、他にない雰囲気や空気感…そうした感性的な部分を大事にする時代と思うわけです。
だから、音楽でも絵でも、何でもいいから感性を高める刺激をたくさん受けてほしいと思うわけです。




3つ目の「今までやりたくても出来なかったことをやってほしい」というのは、時間的な問題です。
学生ほどたくさんのフリーな時間を持っている人はいません。
その時間をうまいこと自分に投資してほしいなと思うわけです。
私は、もうヤキが回ってきているから、こんなことを言うのでしょうが…わたしゃ、やりたくても時間がなくて出来ないことが2万5千個くらいあります。
だから、学生という立場のうちに、語学でも、研究でも、旅行でも、集中してやりきってほしいなと思うわけです。

9月30日




東京ビッグサイトにて”創業総会”を実施しました。
総勢3000名のメンバーを一堂に会して、10月以降の新たな体制・方針について共有しました。



総会1




3000名が集まれる会場というのは意外に少ないらしく、ちょっと不便ながら東京ビッグサイトとなった次第です。



会社全体が何を考え、どうしたことを実現しようとしているのか…
会社の掲げる理念・ビジョン・戦略を共有することはとても重要と考えます。



当日、全てのメンバーがそろうことはできませんでしたが、それでも大半のメンバーが一堂に会すことで、新生インテリジェンスの行く末に対して、それぞれが期待を膨らませる機会になったと考えます。



総会2




バカみたいに聞こえるかもしれませんが、インテリジェンスは「10人のような5000人の組織」を目指しています。
10人規模のベンチャー企業が持つ機動力と参加意識を持ち続けながら、インテリジェンスがもつ規模をテコにした組織力を展開していきたいという意欲です。

内輪の話で…

インテリジェンスでは、Ⅰリーグという部門横断的に実施している業績レースがあります。
四半期ごとに、目標を保持している全てのグループを対象として、各月の達成率や達成回数などを指標化して全部門を横断して1位、2位、3位を表彰します。



当初、開始したときには、「名誉」でしかなかったのですが、やがて、1位のチームにはグアム旅行、ボルネオ島旅行…など賞品が贈られるようになりました。



第三四半期のⅠリーグ1位受賞チームには、「東京で過ごすゴージャスな一夜」なるものが進呈されることになりました。
それが先週末に挙行されまして、関西地域でITエンジニアの方々に転職支援をしているグループが「ゴージャスな一夜」なるものを体験。



その中で、「私と食事」というゴージャスとは思えない企画がありまして、病み上がりの中、優秀なチームメンバーたちと中華をおいしくいただいた次第です。




やはり、良い成績を出しているチームだけに大変に元気で、私も相当勇気付けられました。
何といってもハイパフォーマーたちとのコミュニケーションは有益であります。

丸の内がらみ

丸の内にまつわる話。



丸の内に移転する計画が出始めたのは、2001年頃で、当時は2002年問題などといわれていました。
わずか5年ほど前ですが、懐かしい限りです。



当時のインテリジェンスはなかなか業績的にも厳しくて、オフィス移転というだけで色々な方々から「何で?」「どうして?」と指摘されました。
「新しいビルに入りたいだけだろう」といったことも言われました。
懐かしい限りです。




当時から確固たる信念がありました。この移転は絶対に成功すると。
実際、丸の内へのオフィス展開は大成功であったと思っています。
丸の内ビルといって「わからない」という人はいませんから。



ある側面、インテリジェンスという会社は一般の方に集まっていただいて「なんぼ」の仕事をしています。
その意味で、丸の内は本当に好立地です。



かつて、三菱第2代社長の岩崎彌之助さんが明治時代に丸の内を払い下げてもらったそうです。
何もない野原で、世間は笑いものにしたとか。
それで、岩崎彌之助さんは「竹でも植えて虎でも飼うさ」と豪語したそうです。
かっこいい。



そんな逸話のある街に、ちょっと特別な意味みたいなものを感じたりします。



かつて、インテリジェンスに森井さんというスーパーな営業がいて、彼が三菱地所様を営業していました。

で、まだ本当に小さかったインテリジェンスに発注をいただきました。
そのとき、丸の内再開発の話が出て「丸の内というのは、どの時代でも、常に先端の企業が入居する場所じゃないといけない」という考えが三菱地所にあると知りました。


これも、とても良い話と思っています。
森井ちゃん、実名で失礼しました。

カウパレード

今、丸の内でカウパレードというイベントが行われています。



カウ



丸ビルにやってきたとき(約4年前)、丸の内という街がこんなにも姿を変えるとは思いませんでした。




正直、丸ビルが完成した4年前、丸の内の印象は保守的で新しくないというものでした。

ところが、最近、どんどん新しいビルも建ち、来年には新しい新丸ビルもできるそうです。




家賃がどんどん高くなってきているのが気がかりですが…。

39度!

海外から帰国してからが悲惨でした。




帰国後2日目、夜熱っぽさを感じて体温を計測すると38度を超えており、処方薬PLを服用して一度就寝。2時間ほどして再度計測すると37度に下がって安心。


が、それも束の間、その後、グングンと熱が上昇して39度である…
大人にとって39度というのはつらいものがある。



結局、今週も死んでしまった…。
復活はいつの日か…
フロクは危機的状態である。