ミッションステートメントを書く件
お恥ずかしい話し(恥ずべきことでもないですが)、私は毎年抱負というかミッションステートメントというか、自分なりの目標や方針を記すようにしています。
その昔、「七つの習慣」を読み、ミッションステートメントを書くことを学んで以来、断続的に自らのミッションステートメントらしきものを更新してきました。
自分の現在地を確認して、先行きについて考えることは(当たり前ですが)とても重要だと思っています。
で、2019年の年初に書いた抱負(ミッションステートメント)を遅まきながらリビューしましたら、今年やりたいと思っていたことは大概やれていることがわかりました。
(オープンハウスは9月決算なので、すっかり体が9月決算ベースになったのか、このタイミングでリビューすることが多くなっています。この時点で、大概の目標が達成しているというのはペース的にもまずまずだったということになります)
これは正直なかなか珍しい。いつも消化不良で終わるはずの目標が大概やれているというのは、もしかしたら生涯初めてかもしれません。
今年54歳になる私ですが、当然ながら自分の先行きについて全く展望が持てないということもありました。あるとき、家族に(いちばん身近な家族に)「今年の抱負は何か?」と問われて「そんなもん、ないよ」と答えて自分で自分がとてもさみしく感じたことがありました。今思えば、めちゃくちゃ残念なのですが、その時は本当に展望を描けなかった。
人生はいい時ばかりではないということはよく承知しているつもりでした。しかし、良い時期を経験して、そこからすごく悪くなることがあるということはあまり予想していなかった。上り坂がきついのは仕方ないですが、ようやく登れたなと思った後に崖から突き落とされる(突き落とされるというか、勝手に崖を転げ落ちるというのが正しい気がします)。すると、また坂を上がっていく気力が奪われるものです。
そういう時に、また一歩ずつ上がっていこうと奮起するというのは、本当にしんどい。結局、一歩一歩どうにかしていくしかないわけで、目の前のことを一つ一つやっていくしかないのですが、それがなかなか受け入れられなくて苦労するものです。
先日、ずいぶんと久しぶりにお会いした大先輩。この方がどん底から這い上がってきたお話しを聞いたら、自分の苦労がいかに大したことではないことかを思い知りました。本当に絶望的な状態から逃げるわけにもいかず(こういう場合、逃げる方法は死ぬくらいしかない)、一つ一つ解決して気付いたら約10年経っていたということでした。すごいことだと思いました。その方が成し遂げた大事業よりも、その事業が失敗して、その後の約10年で全ての負債を返し切ったことのほうが数乗倍すごい。でも、そんなこと誰も知らないわけです。
いま、自分が思うことは、次の崖っぷちの件です。いつまた崖を転げ落ちるかわからないという緊張感です。人生は本当に気が抜けないものだなと、ちょっときついなと、思う今日この頃です。
9がつく年に
突然の投稿再開、誰に読まれるわけでもなかろうとの前提にて。
2019年も残すところ3.5ヶ月となりました。振り返れば、2009年にインテリジェンスを退任(もはや、この社名を知る人も少ないであろうが)。遡って1999年にインテリジェンスの社長に就任。さらに遡ると1989年にインテリジェンスを創業と、なにかと9で終わる年に転機を迎えてきた私です。
さらにさらに遡りますと、1979年(いつですか?という感じですが)、それまで育った神奈川県小田原市を離れて都会のど真ん中に引っ越し。それは、おそらくそうでなければ、今とは全く違う人生だったはずの転機でした。
13歳で東京に来て、23歳で宇野さん、島田さん、前田さんと創業して、33歳で社長に就任して、43歳で退任。そんな人生を過ごしてきて53歳になりましたが、節目であるはずの今年、今日まで転機らしい転機が来ていません。
所詮、今までの10年周期がたまたまなのであって、その通りになるはずもなく。なんなら、インテリジェンスの退任も2008年に決まっていたわけなので、1年ずらして考えているだけとも言えます。したがって、何もないのも当たり前かもしれません。
一方、自分を取り巻く環境は一瞬で変わることもよくわかっています。それまでじっくり積み上げてきたものが突然失われる。あるいは、懸命に取り組んできたら一気に開花する。そういう急速な事態変化(一瞬は大げさ、短期的な変化ぎ本当)が人生には何回かあって、それがたまたま自分の場合、9のつく年の前後に起きているようです。
思い出すと、2008年の年初、手帳に「何かがおかしい」とメモしつつ、5月には呑気に2週間もアメリカに行き、当時経営していた会社のIRを元気にやっていた。高らかに将来を語り投資を呼びかけ、自信満々で人生を謳歌していたら、その秋には上場廃止。とんでもない迷惑をかけたものです(当時は自分のせいは半分くらいと見積もっていました)。
また、一緒に頑張ってきてくれたメンバーたちを置いて自分は辞めたわけで、今思えば、それも随分と無責任であったし(後悔はないですが)、違う方法がなかったかなと時々考えてしまう(後悔してるじゃん?)出来事の1つです。
社会人のスタートでバブル崩壊を経験し、会社が上場した時にはネットバブル崩壊を経験しました。そして、20年間やってきた会社(ある意味で自分自身と同義であった会社)を去る時にリーマンショック。あれからもう10年も経ちましたが、なぜなのか「激変」がない。
いま、オープンハウスという昨今稀に見る成長企業に身を置き、変化には相当敏感になっていますが、表面的な「波」の変化はあっても、大きなうねりというか「潮」の変わり目までに至りません。
いま、一体どうなっているのか、備忘方、誰に読んでもらうでもなく書いておこうと思います。
丸の内
つまり、私を働かせようとすれば、フリーハンドが一番なのです。