SS 農学博士の偉大な研究◇その8 | 有限実践組-skipbeat-

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 前話こちら⇒【その1その2その3その4番外1その5その6番外2その7】


農学博士の偉大な研究

■ その8 ◇越冬形態 ■





 後日、夏までには返事を、と言われていたらしいユキちゃんは、私からの後押しを受けて早々に受諾の意向を伝え、半年後には日本を離脱することになった。


 以降も私はキャンパスに足を踏み入れる気にはならず、ずっと大人しくしていた。

 行けばきっとユキちゃんの旅立ちを実感してしまうに違いなかった。



 その代わり、というべきなのだろうか。ユキちゃんは大学がお休みとなる土曜や日曜は欠かさずウチに顔を出し、私の相手をしてくれた。

 なぜかいつも敦賀さんを従えて・・・。



「 やっほー、キョーコちゃん。梅雨時期の晴れ間は気持ちがいいね! 」


「 そう?ジメジメして気分が滅入る頃合いだと私は思うけど 」


「 そういうのは気の持ちようだ。ところで朝顔の種はどうしてる?少し遅くなっちゃったけど今年も蒔こう! 」


「 わあ、いいの?今年はやらないかと思ってた。もちろん保管してある!待ってて、いま種を持ってくるから 」



 その朝顔はユキちゃん曰く、ユキちゃんが最初に育てた植物で、以来その種を蒔いては花を咲かせて種を取り、採取した種を翌年蒔いて花を咲かせて種を取り…を繰り返していたものだ。


 私が子供の頃、ユキちゃんが綺麗にしてくれたネコの額ほどのウチの庭。その翌年からずっとこの庭でそれを繰り返していた。



 乾燥剤と一緒に茶封筒に入れ、冷蔵庫の野菜室で保管していた種とともに、新聞紙とカッターと爪切りを手にした私は急いで縁側に戻った。

 その間にユキちゃんは敦賀さんと一緒にいつもの場所を耕していた。庭のちょうど真ん中が日当たりのよい一等地なのだ。


 そうだ。大きめのコップにお水を入れて来なくちゃ。



「 ユキちゃん、持って来た! 」


「 最上さん、俺にも種、見せて。へー、これがそうなんだ。あれ?なんか冷たい? 」


「 冷蔵庫の野菜室で保管していましたからね 」


「 冷蔵庫?なんで 」


「 冬を経験させるために決まっているだろ。その方が種も暖かくなったーって実感しやすいんだよ。じゃ、まず芽切りから 」


「 芽切りって? 」


「 種に傷をつけることを芽切りって言うんですよ、敦賀さん 」


「 え、種に傷をつけるの? 」


「 なんだよ、さっきから。そんなことも知らんの、お前は 」


「 すみません、初めて聞きました。大丈夫なんですか、そんなことして 」


「 ・・・・ 」


「 あはははは。私も初めて聞いたときはびっくりしちゃって、種が可哀想、ユキちゃんやめてあげてぇぇって、泣き叫んだんですよ 」


「 あのときのキョーコちゃんはなかなか頑固だった 」


「 それでユキちゃんが、じゃあ傷つけた種と傷つけない種で実験しようかって言い出して、それぞれを分けて種を蒔いたんです。するとどうでしょう。傷をつけた種の方が早く芽が出てきたじゃありませんか。あれ、素直に感動したなぁ。もしかしたら私、あれがユキちゃんを凄いと思った最初だったかも 」



 本来、朝顔の種は5月中旬から下旬に種まきをするのが関東地方での適期だと言われている。その理由は、朝顔の発芽適温が20~25℃と高温だからだ。

 でも大丈夫。6月だって遅いと言うほどじゃない。


 朝顔の種は皮が硬いので、蒔く前には芽切りをする。さっきも言ったけれど芽切りとは、種に傷をつけて発芽しやすくしてやることだ。

 種の丸くなっている方に、白い中身が少し見える程度にカッターや爪切りで剥いでやるのだ。



「 教授、こんな感じで良いんですか 」


「 傷がついてりゃ大丈夫だ 」


「 なんか、適当な指導だな 」


「 敦賀さん、傷を付けたら種をこのコップに入れてください 」


「 え。でもこれ、水が入っているけど 」


「 一晩しっかり水に漬けてあげるとさらに芽が出やすくなるんですよ 」


「 ・・そうなんだ。知らなかったな。小学生の時、確か朝顔を育てたような記憶があるけど、そのときにはそんなこと習わなかった気がするけど 」


「 だろうな。そもそも小学生に配られる種は全て処理が終わったあとの物だからな 」


「 ああ、やっぱり 」


「 土も肥料も完璧に配合されていて、失敗せず育てることが出来るパーフェクトキット。それにどれほどの意味があると思っているのかね、文科省は。誰でも手軽に育てられる分、植物に興味を持ちにくいかもって思わないのかね 」


「 それはつまり、いまの俺のようにってことですか 」


「 本当に教科書ってやつはつまらないよ。なぜつまらないかと言うと、事後的に知識や知見を整理し、そこに定義や意味を付与しているからだ。

 ○○は××である。□□は△△となっている。これを◆◆と言う…で頭に入るか、ボケ!大切なのは、何故そのときその知識が求められたか、だ!その切実さが記述されていないから面白く感じないんだよ。誰がどのようにしてその発見に到達したかという物語が漂白されているからこれっぽっちも面白くないんだ 」


「 ぷっ!どうしたの、ユキちゃん。今日はいつになく熱いよ(笑) 」


「 でも、それが分かっているなら教授は大丈夫じゃないですか 」


「 ・・・・どういう意味だ 」


「 教授の到着を待ちわびている現地の人は、きっと教授の行いを目の当たりにして植物に多大な興味を持つことになりますよ 」



 敦賀さんの言葉でユキちゃんは一瞬驚いた表情を浮かべたけど、特に返答をすることもなく。

 ただ、何とも言えない笑顔になってから、敦賀さんの背中をそれなりの力加減で、バン!と強く叩いた。



 芽切りを3人でやっていたせいもあって、作業はすぐに終わってしまった。

 種まきは明日だ。

 それで、何となく3人で庭を眺めた。



「 今年の夏も暑くなるでしょうから、朝顔がグリーンカーテンになってくれたら涼しくていいでしょうね 」


「 でも敦賀さん。残念ながら朝顔って、実際にはそれほど張り切ったグリーンカーテンにはならないんですよ 」


「 ん。そうなんだ? 」


「 だよ。そもそも庭から家に向かってツタを這わせるのもあまりお勧めできないしな 」


「 え、そうなんですか。どうしてですか? 」


「「 ツタを登ったアリが家の中に大量に移動してくるから 」」


「 え、そんなことが?? 」


「 あるんですよ。それだからユキちゃんが止めとけって言ったのに、私はどうしてもそれをやってみたくて実行したことがあるんですけど。結果、お母さんからだいぶ怒られることになりました。それ以来、私はユキちゃんの言葉をかなり信じるようになりました 」


「 ぶふっ! 」


「 でも、いい勉強になったかな。やってみないと判らないことってありますよね 」


「 あるよね、確かに 」


「 それな。やめとけって言った俺がこういうのもなんだけど、実はそれが大事なことなんだよ、キョーコちゃん。疑問に思ったらまずやってみる。実行してみる。そして調べる、行ってみる、確かめる。また調べる、可能性を考える、実験してみる。失われてしまったものに思いを馳せ、耳を澄ませ、目を凝らし、時に風に吹かれる。そうしているうちに気付きが生まれ、やがてその一つ一つが世界の記述の仕方を教えてくれるんだ 」


「 わあ、すごい。ユキちゃんってばもしかしたら詩人だったの? 」


「 ユッキー・ヤシーロと呼んでいいぞ 」


「 誰ですか、それ 」


「 俺 」



 日中に花が咲いていると、太陽が昇ったからだと人は理由付けをするけれど、本当はそうじゃない。

 植物たちは知っているのだ。葉や茎で光合成を行えるのが昼間の時間のみだということを。だから彼らは紫外線の当たり方で時間を知覚し、昼と夜を正確に区別して昼に花を咲かせているのだ。


 朝顔が朝早くに咲く理由は、前日の日没から約9時間経つと咲く仕組みになっているから。従って、翌日がたとえ雨でも曇りでも、花は必ず開くのである。



 ユキちゃんからそう教わった夏休み。私は実際に日没の時間を書き止め、本当にそうなのかを確かめたことがあった。

 それを実験と言っていいのかどうかは判らないけど、結果、実際には朝顔の開花は8~10時間と誤差があることが分かった。

 どうやら気温の変動や品種によって、開化のタイミングは異なるらしい。


 それに気づいたとき、すごい・・以外に出て来る言葉が無かった。

 ただ改めてユキちゃんをすごいと思っていた。




「 ちなみにアリは分類学上、ハチの中の一種類郡だって知っているか? 」


「 え?そうなの、ユキちゃん 」


「 そう。アリは基本的に肉食だから狩りバチの系統から地上生活へ進んできたと考えられてきたんだけど、最近の研究でミツバチと共通の祖先を持つことが分かったんだ 」


「 ええー、発見した人、すごい 」


「 余談だけど、ハチとキャベツは共生関係にある 」


「「 は? 」」


「 青虫に葉を食べられるとキャベツはある香りを発することが分かっている。その香りは寄生バチを呼び寄せるものだ。寄生バチは体長2ミリほどの小さな虫で、青虫の体に卵を産み付ける習性を持っている。産み付けられた青虫の運命は言わずとも分かるだろ。つまりハチとキャベツは共生関係と言って差し支えない 」


「 教授。素朴な疑問。それってどっちが先だったんですか? 」


「 先とは? 」


「 だから、食べられたキャベツが特定の香りを出すことに寄生バチが気づいたのか、それともその香りを出すと寄生バチが来てくれることにキャベツが気づいたのか。どっちが先かなって 」


「 んなことは知らん。もともと生物学はWhyには答えられない事の方が多いんだ。だがHowを語る事は出来る。なぜそうなっているかが分からなくても、いかにしてそうなっているかを言葉にすることは出来る学問なんだ。海洋生物学もそういうところ、あるだろ 」


「 確かに 」


「 そう考えると、あれだな。蓮はキョーコちゃんに呼び寄せられた寄生バチなのかもしれないな 」


「 なにそれ、ユキちゃん。それ、どういう意味? 」


「 違うと思いますよ、教授。どっちかって言うと俺、社教授に呼び寄せられた気がしますから 」


「 なにそれ、敦賀さん。それってどういう意味? 」


「「 別に 」」


「 青虫と言えば、キョーコちゃんは蝶の数え方を知ってる? 」


「 なに突然。そんなの、一匹、二匹じゃないの? 」


「 残念でした。青虫の時は確かにそれでいいんだけど、チョウの正しい数え方は一頭、二頭です 」


「 ええー、うっそ?昆虫なのになんで??敦賀さん、知ってました? 」


「 うん、実は知ってた 」


「 知らないのは私だけ?どうして一頭、二頭なの? 」


「 ヒントは英語だよ、最上さん 」


「 英語?なにそれ、全然ヒントじゃない! 」


「 くす。仕方ないな。西洋の動物園では、割と以前から珍しい蝶を飼育・展示していることが多かったんだ。動物園では飼育している動物を数えるとき、必ず頭数で管理している。だから便宜上、蝶もそれに倣ったっていうわけ 」


「 へー、そうなんだ、納得!あ、蝶と言えばユキちゃん。あの温室の蝶って、どうなったか知ってる? 」


「 ああ、俺の管轄じゃないけどどうなったかは判ってる。うちの花壇にだいぶ蝶が来ていたからな。今年も無事羽化して、またあの温室に卵を産み付けることになるだろうな。なにしろ餌になる木がたくさん植わっているから。やがて青虫が生まれて、あの温室で越冬して、また来年たくさんの蝶がてふてふすることになるだろう 」


「 あら。もしかしたらそれって毎年のことなの? 」


「 毎年のことだ 」


「 なんだ、そうだったんだ。ウチの近所のことなのに全然知らなかった 」


余談:チョウは空気の動きがないと飛べないので、例えばガラス張りのケージに入れて飼育しようとしても、一翔も出来ずに餓えて死んでしまうのだそう。飼育・繁殖が難しい分、まだ未知な生態部分が多いのだとか。



「 そうだ。蝶って言えば、以前ちょっとしたホラー映画がありましたよね。大きな館に一人で住んでいた蝶の蒐集を趣味にしていた孤独な青年が、やがて女性の蒐集に乗り出すという・・・ 」


「 お前、ヤなこと言い出すな、蓮。なんでそういう激しいステレオタイプ男の話を持ち出すんだよ 」


「 いえ、これと言って特別な意味はないつもりですけど? 」


「 嘘つけ。これは俺の見解だけどな、虫好きの人たちは概しておとなしくて控えめで、ロマンチストで心優しい奴が多いぞ。それは、生命の尊さとそれを殺めることの痛みを指先で知っているからだと俺は思ってる。言っとくけどな、俺は緒方だって良かったんだからな! 」


「 ええ。実はこの前、ちょっとそれを感じたんで、だから言ってみたんですけど。けど今さらそれを言ったって遅いですからね 」


「 お前に代わりは無理なんだろ 」


「 それは将来的な話であって、いまはまだ平気です 」


「 勝手なやつ 」


「 ・・・・ねぇ、それって何の話? 」


「「 こっちの話 」」


「 なによもう!二人にしか判らない話ばっかり 」


「 気にする必要なし。ところでもうこんな時間だ。昼でも食いに行くか。キョーコちゃん、何がいい? 」


「 え♡ 私が決めて良いの?だったら私、前にユキちゃんと行った回転寿司がいい! 」


「 おー、あそこか。いいね 」


「 最上さん。海洋生物学を専攻している俺を回転寿司店に連れて行く気? 」


「 嫌ならお前は来なくていい 」


「 冗談でしょ。行きますよ 」




 こんな他愛もない会話をしていると、こんな日々がずっと続くものだとつい錯覚しそうになる。

 そうならないことなど私は知っているはずなのに。



 この翌日。

 朝顔の種を蒔きに来てくれたのは敦賀さん一人だった。


 ユキちゃんからは行けなくなったとメールが来ていた。理由は半年後に出発するメンバーの顔合わせが急遽入ったかららしい。

 せっかく今日も晴れたのに。でも、仕方ないんだよね。



「 ユキちゃんがいなくても大丈夫!さぁ、敦賀さん。ぱっぱと種を蒔いちゃいましょう! 」


「 ・・・そうだね 」



 昨日、ユキちゃんが敦賀さんと一緒に整えてくれた庭土に、私は指で穴をあけた。

 深さは1.5センチくらい。15センチ間隔で丁寧に一つずつその穴に種を入れてゆく。その際のポイントは丸みがある方を上にすることだ。

 傷をつけた部分から発芽するから、その方が早く顔を出す。


 入れたら土を被せてあげる。朝顔の種は嫌光性なので、こうしないと芽が出ない。

 土の中で一人ぼっちにされるのに、その方が好きだなんてヘンクツよね。でももしかしたら朝顔は、一人ぼっちにされるからこそ早く芽を出そうとするのかもしれない。



 ふいに私の目から涙が溢れた。




「 ・・・最上さん? 」


「 あうっ、ごめんなさい!何でもないんです。そだ、水をやらなくちゃ。朝顔は発芽するまで水やりを欠かしちゃダメなんですよ 」



 慌てて立ち上がった私の頭を、敦賀さんが引き寄せた。その瞬間に寂しさが決壊して、また涙がこぼれる。


 この時の敦賀さんは、まるで朝顔の種を守ろうとする土のように私を優しく抱き留めていた。その優しさに縋るように私もまた身を任せた。



「 無理して我慢しなくていいよ 」


「 ・・・っっ・・ 」


「 でも頼むから、社教授の前では泣かないで。教授の決心が鈍ったら困るから 」


「 ・・・・・いと思う


「 ん? 」



 分かってないな、と思った。

 一度決めたことだもの。私の涙を見たところでユキちゃんの決意は鈍らない。そりゃ、困ったな、とは思うだろうけど。

 それを私は知っているのだ。


 だから私は寂しいの。置いて行かれるみたいで寂しい。



 でも、乗り越えなければと思った。


 厳しい冬をやり過ごし、翌年また花を咲かせる植物たちを見習って、私もまた成長しなければならない時が来ているのだ。



 そう思っているのに、私はなんて卑怯なの。

 植物だって昆虫だって、たった一人、自分の力だけで冬越えをするというのに。彼らを見習うなら私だってこの寂しさをたった一人で乗り越えるべきなのに。


 敦賀さんの体にしがみついた私は、そこで懸命に悲しみを堪えようとしていた。なんてずるい。



 そんな私の背中を

 優しくなでてくれる敦賀さんの手が

 やけに温かく感じられた。






     E N D


あと2話で完結します。



⇒農学博士の偉大な研究◇その8・拍手

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※続きはこちら⇒農学博士の偉大な研究◇その9



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