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ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press



遊星出版です。


創作文芸サークル「インドの仕立て屋さん」の藤和(とうわ)さんが、YouTubeにて拙作のオラクル・ブック「空鏡録」を紹介してくださいました。


ご興味のある向きは、以下リンクからご視聴願えればと思います。


「空鏡録」紹介(YouTube)→


「空鏡録」については、以下の遊星出版のリンクからもご覧いただければ幸いです。


 空鏡録(「遊星出版」ホームページ)→


「遊星出版」ページトップ→


藤和さんには、この場を借りて御礼申し上げます。


ありがとうございました。


軽やかな喜び。

   ☆

軽く喜ぶ。
その様子から沢のせせらぎにもたとえられる……いや、これは逆か。兌には対応する自然物として「沢」があり、そこから喜びという意味が出てきたのだろう。せせらぎは軽やかで、心地よさそうだ。

この卦を見るといつも思い出すのは、タロット(ウエイト版)の「カップの3」で、このカードには三人の女性がそれぞれ手にしたカップを高々と掲げながら、軽やかに踊っている様子が描かれている。小アルカナは、風変わりなボヘミアン、パメラ・コールマン・スミスのオリジナルと聞くが、いかにも楽しげだ。

兌の場合は八卦の「兌」がふたつ重なった純卦なので、軽やかに踊るふたりの女性ということになろうか。兌という卦の[象|かたち]自体もカップに関連する。欠けた[杯|カップ]という観方もある。
「兌」という漢字は頭に乗せた箱に高次のなにかが降り、よろこびで恍惚となり、ふらついている人の形だ。「兌」は軽い。経文も六十四卦中で、たぶんもっとも短い。

「カップの3」を眺めていると、その中には「豊(第五十五卦)」や「鼎(第五十卦)」も観える。タロットは易とは異なる言語ではあるが、タロットのような他の「言葉」を使える人は、その言葉のシンボルとクロスオーバーさせつつ、易というコトバも覚えていくのも手かもしれない。

風。
伏入。情報。
命令を下す。
命令に従う。

   ☆

辞書を引いてみたが「伏入」という熟語はなさそうだ。
でも雰囲気はたぶんこんな感じ。

窓は閉めてあるはずなのに風が吹いたような気がして、ドアの下の隙間を見ると、白い封筒が差し入れられている。
風の便り。
微かに聞こえてくる言葉。
風に乗って届けられる情報。
そっと「伏入」される。

風のもうひとつの側面は、上から威圧的に吹き下ろす風である。
津々浦々に響き渡る命令。律。
お上のお達し。税金上げます。よろしくね。
業務命令。お前、明日から支店勤務な。
そういう[風|かぜ]に「伏」する。

重なったふたつの巽卦は風(伏)のそんなふたつの側面ともとれるし、再三にわたる風の便り、または上意下達的な命令ともとれる。
従順というのは、命令に伏するというイメージから持ってきた言葉。
それがいいことなのか悪いことなのかは、何に、どういう[腹|つもり]で従うのかによる。
伏という字もおもしろい。
人べんにイヌ。

「シロっ、伏せ!」

シロだって意志がある。
必ずしも伏せるとは限らない。
伏せたとしても……
面従腹背なんて言葉もありますからね。

遊星出版です。


文学フリマ広島7に出店してきました。

 


【ヒロシマ。川の街。】

長旅になりました。初めて前ノリで移動。

寒いとはいえ、晴天続きでノホホンとしているのは拙宅近辺の地域だけらしく、新幹線も一時間半遅れ(前日土曜日)。
雪です。
事務局からも「明日やばいかもメール」が来ましたが、無事開催されました。


【開店準備完了。よかった!】

まず、お詫びからです。

以前にも二度ほどあったのですが(「うそでしょ」)、持って行った本が、14時前にすべて売れてしまいました。

「極力自分で」(絵も文も運ぶのも売るのも)という、読者様にはカンケーのないこだわりのせいで、あまりたくさん持って行けません。
おまけに、あのガラガラ(ひっぱるやつ)もキライで、背負って持って行ける分だけ……となりますと、ときどきではあるんですが、こんなことになってしまいます。

14時には閉店しました。
大変申し訳ないんですが、売りモノがなければ仕方ない。
もしもその後、遊星出版のブースへお見えになった来場者の方がいらっしゃいましたら、ごめんなさい。

これはもう、平にご容赦をお願いするしかございません。

   ☆

広島文フリは、今まで参加した文フリとは、またちがった熱心さが感じられて楽しかったです。

そんな中、「どうやって創作しているのか」とたずねられまして、ウマく答えられなかったな……と、ちょっと反省しています。

今のところ、遊星出版の本にはおおむね二種類あります。

ひとつは小説。
一貫したお話です。

もうひとつは詩集やエッセイ集、オラクル・ブックのような、つながりが比較的希薄な短いセクションの複合体(「トモルオン」、「空鏡録」など)で、サイコロを振って読むセクションを決めるという遊びを取り入れてます。

構造を決めて書くのは後者で、何の構造かといいますと、各小品を入れる箱(ディレクトリ、書棚)を、きちんと作るようなイメージです。
小作品を書き上げるたびに、テーマと構造にしたがって書棚に並べていきます。全部入れ終わったら、改めて推敲します。
この書棚を、後から作る場合もあります(詩集「ニナが奏でる」など)。この場合は、つくった書棚に、書き散らかしたものを取捨選択、推敲して収めていきます。

前者の小説、お話の方なんですが、こちらは、予め、あらすじと登場人物を考えて、プロットを練って……という作り方はしていません。
ていうか、たぶんできないんです。
やったことがない。

遊星出版のホームページなどでは「アクティブ・イマジネーションの手法で」と説明していますが、要は、自由な思いつきの連鎖で、書き始めのころは、ぼく自身にも結末はわかりません。主人公と一緒に旅をしていくようなイメージです(「靑の記録」、「夜の石は天に昇り空ゆく星に会えた」など)。
キャラクターどうしの関係や背景なども、ある程度は考えていますが、ディティールは決まっていないことが多く、あとから連想される(思いつく?)ことがほとんどで、「へえ、そうだったんだ」と、書いている本人がビックリしていることさえありますので、始末におえません。

え、なに? そんなイ~カゲンな書き方てしてるの!

と、ガッカリされるのを避けたかったので、あまりバラしたくはなかったのですが、それが実情です。

執筆期間のお話も出たんですが、そんな書き方をしているので、連想が続かなくなり、途中で止まってしまう話もケッコウあって(多くの場合は、そのまま放棄)期間だけはやたらに長くなっていきます。

たとえば新刊の「靑の記録」は昨年の5月~12月にかけて(8ヶ月間。推敲を含む)書いています。
が……これは、やはり自由連想で書いていって頓挫した別の話が土台になっていまして、土台の話は、書きはじめてから頓挫するまで半年ほどかかっていますから、その期間も「靑の記録」の執筆期間に入れるとすると、一年とちょっと。なんだかんだで結局、一年半近くかかっていると思います。

ファンタジーだから、机の前で想像だけしてればいいかというと、そういうわけにもいきません。

たとえば、「靑の記録」は主人公が徒歩旅行する話ですから、季節も合わせて、同じ時期に炎天下を実際に歩きながら(主人公のように遠くへは行きません。野宿もしませんでしたが)書いていきました。そのように狙ったわけではありませんが、歩き回りながら書いていた時間と、お話の中での時間経過はおおむね一致しています。

今回は持って行きませんでしたが、「テンポウ航海記」という作品には、広大な湖に浮かぶ、半径500メートルほどの円形の町が出てきます。

この話を書いたときには、自宅周辺の国土地理院の地図を印刷して、自宅を中心にコンパスで半径500メートルの円を描き、その中を歩き回ってみて空間的な感覚を確かめたりしました。

架空の話であっても、そこで息をしているキャラクター達にとっては現実ですから、「空気(空間)感」って大事だよね、ってな話です。
同様の理由で、ぼくの書いた話では、あまり派手なこと 、突飛なことは起きません。
居酒屋で一緒に飲んでいた幼なじみが突然、怪物になったりはしません。イマジネーションはそのように働かないようで、ぼくの想像の世界は、あくまでリンゴが木から落ちる、もうひとつの現実のようです。

キャラクターも人間なので、こいつは普段なに食ってて、一日に何回トイレに行くんだろうか、仕事はしてるのか、ちゃんと納税してんのかな……とまあ、そのようなことが気になってしまうのが最近の傾向です。
ただ、キャラクターが、こちらが予想もしなかったことを言ったり行動したりすることはふつうにあります。
だからと言って、一緒に飯食ってたカミさんが箸を置き、思い出したようにベランダから飛びだして、空を飛んで行ったりはしないということです。

夢では、そういうことは比較的よく起きます。
そして夢は、もう一つの、物語のソースです。
瞑想も。

   ☆

文フリ会場では、一所懸命に声を張って、説明やお話をさせていただくのですが、いったん手放した話し言葉は推敲できませんので、要領を得ない説明になってしまって、すいません。精進したいと思います。

14時に上がっても、新幹線は17時。

旅慣れた方なら、空いた時間を有効に使って、効率よく見知らぬ土地を観てまわったりするのでしょうが、そんなスキルは皆無。
なんせ普段は、住んでる町からほとんど出ません。



【初めて飲みました。甘い……】

結局、駅地下の飲み屋で一杯やるくらいしか能がないのでした。
でもまた、たまには遠くへ行ってみたいです。

「でも」は理屈じゃないですからね。
 

遊星出版です。

 

文フリ広島7参加します。
広島は初めての出店です。
よろしくお願いします。


 出店名:遊星出版
 ブース:D-10 (東展示館)
 イベント詳細:下記
 Webカタログ:→こちら


文学フリマ広島7
2025/2/9(日) 11:00〜16:00
・会場: 広島県立広島産業会館 東展示館 第2・第3展示場
・詳細: https://bunfree.net/event/hiroshima07/

 当日ラインナップ(ていうほどでもありませんが)


 ・青の記録(新刊)    5冊
 ・夏がはじまりおわるころ 2冊
 ・ニナが奏でる      2冊
 ・トモルオン       2冊


「アンドリュー」を初めて観た。

日本では2000年に公開された映画で、原作はアシモフ。昨今の[映画|ハリウッド]のテンポからすると、冗長にも感じられるかもしれない。

けど、よかった。

2000年というと、ぼくは40手前だった。オンタイムで観ても、ピンとこなかったんじゃなかろうか。よかったと感じたのは、この歳だからという理由もあったと思う。

   ☆


占術には命卜相がある。

このブログで主に話題にしているのは易で、易は卜占である。どういうわけか、命占、相占には、まるで関心がない。

たまには知らない占術の話でも……と思って、鏡リュウジさんの「占星術夜話」を読んだ。内容は軽いエッセイ集である。60ある話の中に「人生の節目」の話(第11話)があり、木星・土星・天王星・海王星が「節目の位置」に来る年齢の表があった。

これがちょっと目を引いた。



【「占星術夜話(鏡リュウジ 説話社 2016、78ページ)」より転載】

単純に☆印が多いということで、目立つのは、21、42、63、84歳。
気になったのは63だ。「アンドリュー」で主演したロビン・ウイリアムズさんは63で亡くなった。そしてこれは現在の自分の歳でもあるからだ。

実際いろいろあるもので、後厄も終わってやれやれと思っていたが、厄年が60以降ないのは、たぶん昔はそこまで生きる人が少なかったからだと思う。その常識でいってみれば、ぼくは「おまけの人生」を歩んでいるともいえる。「おまけ」にもまだまだ節目はありそうだ。

とはいえ、この世のものに「永遠」はない。

陽電子脳だって決して「永遠」じゃない。人間の寿命とは比較にならないほど長いというのは「永遠」ではない。

長い短いはあるにしても、無理にヒトに合わせることもなかったんじゃないか。


けど、そうしたかったんだよな、アンドリュー。

「けど」は理屈じゃないからね。
 

苦難の旅路。
故なく、ただ歩み続ける者。

   ☆

念のため「苦難の」を付けた。
ただの「旅路」だと、近所のバス停から行く気楽な物見遊山と混同されてしまう。

最初は意気揚々と(あるいは止むなく)[家|ホーム]を出たのかもしれない。路銀を抱き、宿に着いたのもつかの間、宿を焼け出され、共の者は逃げ出す。
河を渡り、どうにか次の宿に着くが、落ち着かない。少しは良いこともあるが、結局得たものは失われる。

旅行なんて興味ないや、という人も決して[他人事|ひとごと]ではない。

すべて人は、生まれ落ちてからこの方、時間あるいは人生という旅路を旅させられているようなものだからだ。
好むと好まざるとにかかわらず、である。

目的はわからない。
理由もわからない。

ひょっとしたらそんなもの、最初からないのかもしれない。

お話を書きました。
「靑の記録」というタイトルです。
いちおう「ファンタジー」なのですが、冒険や戦はありません。
淡々とした話です。

書き始めた頃から同時に地図も描いてきました。
主人公が自分の住んでいる架空の土地を旅する話なので、記述の整合を取るために、その土地の地図が必要だったからです。
それが以前の記事「地図をください」に掲載した地図です。

この地図の古地図バージョンをつくってみました。

以前に掲載した地図はカラーですが、これはオリジナルの線画にデジタルペイントをほどこしたものです。

オリジナルはケント紙にミリペンで描いたモノクロの絵地図で、スキャンした画像はすでにありました。

別途、モノクロ絵地図を印刷して……

その紙をコーヒーに浸す!



いい塩梅に古地図風になります。

古ければいいというわけでありませんが、キレイで新しければ、すべてよしというわけでもないでしょう。

実物は文フリにでもお持ちしようかと思っています。

それではよいお年を。

※ Jared Blando氏による「ファンタジー世界の地図を描く」という本を参考にしたことは、以前の記事に書いたとおりですが、「コーヒーに浸す!」というエイジングのやり方も同書からのアイデアです(「ファンタジー世界の街の地図を描く」の方だったかもしれません)。

※ タイトルはアニメ「カウボーイビバップ」の登場人物、アップルデリーの台詞より(「そう、ぼくらは地図をつくってるんだ。」参照)。

ブックオフもいいけど、ふつうの古本やさんというのは、どれぐらい残っているのだろう。

家の近く……でもないけど、かろうじて歩いて行けるところに一軒の古書店があって、ときどき立ち寄ることがある。

この間は、杉浦日向子さんの「東のエデン」を買った。
平成元年の初版だから書齢は36年。
ハードカバーなんだけど、表紙なんか軽く反っちゃったりしている。

杉浦さんといえば「お江戸でござる」の和服姿が記憶に残る。
作品はほとんど読んだことはないが、百日紅のアニメは観たことがある。北斎の娘の話。杏さんの声がよく合ってた。フランスでは受けたけど、日本じゃさっぱりだったらしい。

「東のエデン」は明治の話だけど、漫画を読んでいると確かになんか、そこにあるような気がする。明治が。

明治っていえばさあ……
紀州のばあちゃんが娘(てか、子供)だった時代だ。

いや、話は明治初期だから、もっと前か。


その祖母は100過ぎまで生きた。

赤瀬川原平さんがあとがきを寄せている。
杉浦さんも赤瀬川さんもすでに故人である。

別に友だちでも知り合いでもないけど、知っている人が亡くなっていくのは寂しい。

以前にこのブログで書いた市川春子さんの本も同じ古書店で買った

「東のエデン」の近くには、手塚治虫氏によるバイブル、新書版の「漫画の描き方」がなんとなく並んでたりする。

中学の頃、むさぼるようにして読んだ。
そして自分の画才のなさにあきれた。

こんな店がまあまあ近くにあるぼくは、たぶんしあわせなのだろう。
 

文フリで主催者の方にお声がけいただいたのがきっかけで、毎年お邪魔させてもらっている、大田区のNO WAY MANIACSのイベント。

今年も出店してきました。

NO WAYというと、ぼくの中では「夏の日曜日」のイメージです。
今年は台風の影響で、変則的に12月14日の土曜日に開催されました。

12月1日が有明の文フリで(前回記事→)その印象が残っていたせいかもしれませんが、つい、なんか人が少ないな~ と思ってしまいましたが、それもあたりまえ(失礼)で、そもそも地元のイベントだし、高速から一般道へ入ったような感覚(ん? 逆かな)が抜け切れていなかったわけですね(クルマは運転しませんが)。

まあ、ゆったり。

持って行った本は三分の一程度は売れましたが、そんな数よりも、ぼく自身はコミュニケーション下手ではありますが(聴き取りも悪くなってます、スミマセン)、出店者・来場者、参加された方々と、ゆったりお話ができるところがいいですね。
毎回同じようなこと書いてるかもしれませんが、でも、そうだと思います。

ゆったりといえば、机ひとつという贅沢スペースなので、写真↓のようにずらっと並べられます。

【ちょっとずらっと】

書いたものは広く浅く(ていうほど種類はありませんが→作品紹介はコチラ)持って行った方がいいかもしれませんね。

12月14日は、奇しくもふたご座流星群極大予想日。
「COMET」のタイトルにピッタリじゃなかったんでしょうか。

ご来場の皆様、スタッフの皆様、お買い上げいただいた皆様、ありがとうございました。

またよろしくお願い致します!