といっても、今回はアニメの話じゃなくて……地図の話。
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「ザ・マップ 」
コレット・バロン・リード
吉田 利子訳
講談社 (2012/9/13)
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この本でテーマになっているのは地図は地図でも「心の地図」だ。
心はカタチがないのでつかみどころがない。この本は、その、ものすごくあやふやなものをああだこうだいっているのだ、ともいえる。
でも、そのアヤフヤな「心」を通じてしかこの現実を認識することができないというのもまた事実ではなかろうか。
地図がなければ現在位置はわからない。
座標軸があって座標は成り立つ。
生まれてこの方、右も左もわからない五里霧中を、あてどもなくいきあたりばったりにさまよいつづけ、結局、死ぬまでなにもわかりませんでした……というのも、あまりぱっとしない。
べつにかまわん。
という人は、それでいいのかもしれないが、ぼくはいやだ。
この本に地図が載っているわけではない。
地図をつくるのはあくまでもあなた。
読者である。
本で提案されるのはその方法と材料だ。
アヤフヤなものにカタチを与え、命を吹き込む。
あなたはいまどこにいる?
どろどろの沼地か?
見晴らしのいい高台か?
活気に満ちた街道の街中か?
だれと一緒だろう?
気心の知れた同僚か?
物静かな老賢者か?
傷ついた戦友か?
それとも……
まったくの一人ということはない。
すぐそばに必ずだれか、あるいはなにかがいる。
一人に思えても、そいつはいつもの木の下で、ちょっとのあいだにうたた寝をしているだけ。
人生というRPGにもさまざまな場所があり、さまざまなアイテムがあり、さまざまなキャラクターがいる。
この本は、それらのカタログなのだ。
キャラクターのなかでもっとも強烈なのは「ゴブリン」で、始終あなたのイニシアチブを奪おうとする、そして、しばしば、まんまと奪ってしまう、あなたのエゴである。
はずかしい気もするが、ぼくのゴブリンを紹介しよう。

日記に描いた絵のコピーだが、iコンシェルというケータイのアプリに出てくるキャラ、「ヒツジ」のパクリであることは一目瞭然だ。
いかにも底意地の悪そうなカオをしている。
外見はともかく、ぼくのゴブリンは、木の下なんかでのんきに眠ってなどいない。
身体は小さく、すばしこいこともあって、50年この方使っているリュックの中に(参考記事、「ぼくはタコじゃない」)ちゃっかり入り込んでいるのである。
こいつがぼくにとって不都合なことが起こると即座に飛び出し、(もちろんその際、他人<ひと>様の都合は度外視)いついかなるときも決して崩れることのないぼくの「絶対的正当性」を声高らかに宣言するのだ。
悪いのはぼくではなくてその、ぼく以外の人または状況・環境・組織であると歌い上げ、ぼくのまわりをぐるぐると踊り狂うのである。
「ichingさまは、偉い!
ichingさまは、エライ!!
ichingさまは、え・ら・い!!!」
もちろん悪いヤツじゃない。
なんといってもこいつはこいつなりに一所懸命、ぼくを守ろうとしている忠実なぼくの執事<ヒツジ>なのだ。
ただ、彼の「自己の境界」は、ぼくの物理的肉体の範囲を決して超えることはなく、異常に視野が狭く、狭量・偏狭なだけなのである。
身体的範囲を超えないどころか、その矛先は場合によっては肉体自身に向かうこともあり、こうなると始末におえない。
「このクソ馬鹿、肝臓野郎めが!
もっと働け!
ichingさまは気分よくもっと飲みたいのだ!」
いったいichingさまってのは、だれで、何様なんだろう。
(いや、ぼくなんですけどね)
他、だれもが持っていそうなアイテムに、アタマの中でのべつまくなしにどうでもいいことをまくしたてる「おしゃべり箱」なんていうのもある。
ぼくの場合はこれは「ぶっこわれジュークボックス」だ。
毎日毎日、リクエストもしていないのに過去に聞いた音楽を無意味に流しつづけている。
「ぶっこわれDVDプレーヤー」というのもあって、ぼうっとしていると過去に観た映画(ブレードランナーとか)のシーンが、勝手に流れ出す。
クルマは運転できないが、運転できなくてほんとうによかったと思う。
運転中にDVDプレーヤーがかかりはじめたら、一巻の終わりである。
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まあこんな具合に、本に載っていないキャラクターや場所を自分なりに創ってもぜんぜんかまわない。
というより、それが奨励されている。
ところで……易システムはそれ自体、地図でもある。
地図であり、その中でのあなたの居場所をあきらかにする……
と始めると、長くなりそうだから、その話はまた別の機会に。
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アニメ「カウボーイビバップ」に出てくる地球のまわりには、位相差空間ゲートの実験で破壊された無数の月のかけらが漂っている。
こいつらが隕石になって、ひっきりなしに地表に落っこちてくる。
そんなわけで、アップルデリーとマッケンタイアは、のべつまくなしに地図をアップデートしつづけなければならない。
いくら地図を描いてもどうせ地形は変わる。
考えようによってはいかにも不毛で、ばかげた仕事にみえるかもしれないが、ふたりは喜々としてしてその仕事に励んでいる。
劇中でアップルデリーは自信満々にこう言い切る。
「幸せは地図にのってやってくるのだ!」
いいなあ。すごくいい。
そうだ。そのとおり。
幸せは地図にのってやってくるのである。
