名建築シリーズ155
白鶴美術館
往訪日:2024年10月6日
所在地:神戸市東灘区住吉山6-1-1
開館時間:10時~16時30分(月曜休館)
※春季・秋季の年二回公開
アクセス:阪急神戸線・御影駅から15分
■設計:鷲尾九郎、小林三造(竹中工務店)
■施工:竹中工務店
■竣工:1934年
■国登録有形文化財
《勇ましく反り返った屋根》
昨年10月初旬に御影の白鶴美術館を訪ねた。確かにあの白鶴ではあるが酒蔵ミュージアムではない。
7代目・嘉納治兵衛(1862-1951)
白鶴酒造の7代目・嘉納治兵衛の東洋美術コレクションを収めた鉄骨鉄筋コンクリート二階建ての和風建築。モダニズム以前に宮仕事を得意とする竹中工務店のDNAを惜しげもなく発揮した名建築である。
阪急神戸線の御影駅で降りた。高級住宅街だけあって美術館までの道筋には、豪壮な洋館や洒落た現代建築などが溢れて、街を歩く人たちも我々シモジモとは人種が違って見えた。
「卑屈な庶民だしね」 ヒツの場合
伝統と格式に弱いのよ。
まだ閉まっている。暫く待つことにした。開館直前に数名の客が。秋季特別展が始まったばかりだけど、東洋古美術だけにそこまで混まないみたい。(春と秋だけの公開。往訪の際はHPで確認しましょう)
正門から石畳が続く。ちなみに白鶴は菊正宗の蔵元の分家筋にあたる。共に江戸時代創業の老舗で剣菱などとともに灘五郷の一角、御影郷として隆盛を誇った。だからこうした資産家になったわけだけど。
「お酒って儲かるんだ」
江戸時代はにごり酒(今のような旨い酒ではなくて本当に酒質が悪かった)が一般的で、初めて(濾過に成功した)清酒を売り出した灘の酒が関東で流行ったからね。酒造りはひとつの“産業”だったんだ。
今回は酒の話ではない。建築だ。礎石を転用したと思しき飛び石の先に事務所棟が構える。
竣工は1934(昭和9)年。柱も壁も鉄骨鉄筋コンクリート製。縁を擬石で固める。屋根は銅板葺き。戦争の跫が聞こえ始めた時代だけに資材費を押さえて、デザインに工夫したのだろう。神宮建築の要素が垣間見られる。
事務所棟廊下。崩し卍や棕櫚の縁飾りが東洋的というより無国籍的。
輸入品なんだろうね。
設計は竹中工務店の小林三造と鷲尾九郎(1893-1985)。小林自身も茶の湯への造詣が深く、打ってつけの人選だった。後に国立劇場を担当する岩本博行を指導した人物である。他方の鷲尾九郎は新潟生まれで東京帝大卒業後、藤井厚二の薦めで竹中工務店に入社。竹中藤右衛門の右腕として社を牽引した。
燈籠を中心に据えた中庭を間において事務所棟と本館(展示室)を廊下でコの字状に繋ぐ。
渡り廊下も見所のひとつ。
電燈には鶴の意匠が。探すとあちこちに鶴がいる。
反対側からの景観。
展示棟一階のテラス。
テラスから事務所棟を見返す。
庇が深い。
一階展示室のロビー。
そこから二階へ。
手摺のカーブが見事。良質の木材を使っていることが判る。
出目になった電燈。
さすが神宮建築に慣れた竹中工務店の仕事。
「凝ってるにゃー」
二階ロビー。
季節柄、取り立てて特徴はなかったが、春や秋など差し色が入ると見応えある庭になりそうだ。
茶の心得もあった治兵衛翁もまた好みの茶室を拵えた。
ということで建築は以上。なかなか見応えがある。因みに柔道の神様として知られる嘉納治五郎翁は、これら嘉納家の分家筋にあたる。
★ ★ ★
小道を挟んだ向かいに開館60周年事業として1995年に竣工した新館がある。
10代・嘉納秀郎(1934-2010)によるイラン、コーサカス、トルコを中心とした19~20世紀の貴重な絨毯のコレクションが展示されている。退色を考慮して打ちっ放しコンクリートで完全防備された館内は本館の東洋的な佇まいと全く趣きを異にしていて興味深い。
さすがに絨毯は僕の守備範囲に入っていない。それに絨毯には苦い思い出があるのだ。今から34年前。GWを利用してトルコ共和国周回の一人旅に出た。カッパドキアでガイドを雇い投宿。お決まりのように絨毯屋に連れていかれた。もともと小さな祈祷用の絨毯を記念に買うつもりだったのだが、金髪碧眼のオーナーは明らかに胡散臭さげ。「友達価格だ。こっちの好い方を包んでおくから」と言って度の高いラキを勧めてくる。包みのなかを再確認すべきだったが、まあ、ガイドの知り合いの店だし、そこまでワルではないだろうと思ったのが運の尽き。帰国して真っ先に確認してみれば、駄目なほうの絨毯が当然のように収まっていた。僕の疑い深い性格はここに始まっている。
「カモになったのね」
(つづく)
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