旅の思い出「世界遺産 軍艦島上陸ツアー」 軍艦島コンシェルジュで行く世界遺産の旅(長崎市) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

世界遺産 軍艦島

℡)095‐895-9300

 

往訪日:2024年4月30日

所在地:(軍艦島コンシェルジュ)長崎市松が枝町5‐6

クルージング時間:

(午前)出港10:30~帰港13:15

(午後)出港13:40~帰港16:20

乗船料:(Sプレミアム・GW)11,000円

※クルージング船の席・曜日で違います

アクセス:長崎道・長崎ICから約8分

駐車場:なし(県営常盤駐車場他を利用)

■世界文化遺産(2015年)

 

《天気ベリーバッドで魔の要塞》

 

今回の旅の究極の目的、それがこの軍艦島上陸ツアーだった。子供の頃に(これまでも飽きるほど紹介してきた)『新学習図鑑シリーズ⑩地球の図鑑』でその空撮写真を見て、当時6歳の僕はどこかに上陸する手蔓はないかと本気で思った。1973年当時、かろうじて端島炭鉱は操業を続けていた。だが1974年に閉山。以降、軍艦島は人々の記憶から消え去り、一部の廃墟マニアが地元漁師を拝み倒してコッソリ上陸、なんてことで耳目を集める程度だった。

 

しかし、近代化遺産や建築の視点で注目が集まりだし、2000年以降、俄然世界遺産登録の動きが活発化する。そして遂に2015年に「明治日本の産業革命遺産」のひとつとして世界文化遺産に選ばれた。

 

だが安心してはいられない。遺産登録とは無関係に貴重な建築群は荒廃が加速。特に近年の異常気象の影響でいつまでもつか判らない状況に陥っている。ということで、上陸に及んで視察することにした。

 

「ただの旅行でしょうーが」サル

 

 

=ツアーまでの流れ=

 

ツアー会社をどこにするか

 

ツアー会社は複数ある。軍艦島ミュージアム見学もかねて、僕らは軍艦島コンシェルジュにお願いすることにした。次にスケジュールのセレクト。片道45分の船旅なので一日午前・午後の二回しかない。どちらが良いという事もないが、駐車場の確保を考えると午前の方がいいだろう。

 

乗船席のプランも複数ある

 

更に乗船プランによってお値段が違う。(大人料金&GW特別日を基準に比較すると)

 

スタンダード(一階自由席)  5,500円

プレミアム(二階中央席)   9,000円

スーパープレミアム(二階窓側)11,000円

 

 

プレミアムおよびスーパープレミアム事前予約制。ネットで申し込むことになる。最初で最後だろうから二階窓側から絶景を堪能することにした(デッキからの洋上観察も優先案内される)。

 

当日のスケジュール

 

9:00受付開始ミュージアム見学(約1時間)10:10乗船→10:30出港→11:15着岸(島内見学/約1時間)12:30離岸→13:15帰港

 

ざっとこんな感じだった。

 

 

旅行五日目。長崎は曇りだった。当初雨の予報だったので良しとするべきか(雨天の場合は出航しても上陸できないし、最悪の場合は欠航する)。まずはミュージアム見学。VRに映像、パネル、資料展示と盛りだくさん。30ブースもあるので、興味ある対象から観るのが得策。

 

 

炭鉱マンの写真。みな眼光が鋭い。

 

 

黒いダイヤと言われた三菱高島炭鉱の石炭塊。三菱財閥汽船事業がスタートだが、弟・彌之助が社長になると鉱山業、造船業に転進する。いずれも“大陸進出”という時局に乗ったことは変わらない。

 

「戦争で儲けたのね」サル

 

ありていに言えば。新興財閥は大抵、軍需産業か株式相場で成長しているからね。

 

その高島から南西2.5㌔地点に浮かぶ小さな無人島・端島に石炭が見つかったのは江戸時代まで遡る。当初佐賀藩の事業だったが、1890年に三菱が経営権を握り、海底炭鉱として大躍進する。

 

(出典)軍艦島パンフレット

 

ご覧のように軍艦島は端島炭鉱の“氷山の一角”だったことが判る。

 

「地層も斜めに傾いているにゃ」サル

 

 

狭い島内での生活のために考案されたのが日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅(30号棟)だった。完成時は4階建てだったが、その後増築されて7階建てに。完成時期が1916(大正5)年というのがすごい。佐野利器内田祥三が戦後に展開した同潤会アパートに代表されるRC造アパートの先駆が軍艦島にあったとは。

 

「おカネがあれば何でもできるにゃ」サル

 

またまた現実的な(笑)。

 

 

狭い島内に約5300人の人々が暮らした。当時の東京都の人口密度の9倍!

 

 

アメ横も敵いそうにない…。

 

 

2019年の時点では完全な姿を残していたが、その2年後には側壁の大規模崩壊が始まった。

 

 

「壊れる前と壊れた後をわざわざ模型にしたんだ」サル

 

研究者とは一種の変態であると思っている。しかし、多くのモダニズム建築が辿ったように、この模型でしか鑑賞できない日がいずれ確実にやってくる。

 

(島内平面図)

(赤く着色されているのが30号棟)

 

かつて図鑑で見たのはこの平面図。軍艦島という呼称に少し違和感を覚えた。むしろ菩薩島。

 

 

だが横から見るとまさに軍艦。戦艦《土佐》に似ていると言われたそうだ。

 

 

集合住宅内部を忠実に再現。家具から見てモデルは戦後。実は戦後の軍艦島は(エネルギー革命が進んだとはいえ)操業そのものが漸減傾向という訳ではなかった。

 

(出典)軍艦島パンフレット

 

一番の痛手は1964年の九片治層自然発火事件。これにより出炭量が激減。操業に大きな影響を与え、人口は瞬く間に減っていった。閉山はその10年後だった。

 

 

1918年には更に巨大な日給社宅が完成。当時国内最高層の世界最先端アパートだった。

 

 

屋上では野菜や植物を育てられた。子供たちが自然の姿に触れることができるように。

 

 

孤独に島中央に聳える端島神社はミュージアム内部に再現されている。

 

 

=いざ軍艦島へ=

 

 

クルーザー型の豪華見学船。ピンクのシャツがキュートな方はこの日のガイド・浜口剛氏である。長崎弁を駆使しつつ、45分間の(時には激しく揺れて不安倍増な)船旅を飽きさせない。

 

「たけのこ王かと思っただよ」サル

 

引退したでしょ。

 

 

三菱重工・長崎造船所のドックとゴライアスクレーンを拝見。撮ってない(というよりダメ?)が艤装中のイージス艦が並んでいた。スーパープレミアプランは二階の窓側席。走行中に景色が良く見えることを期待して大枚をはたいたのだが、ご覧の有様よ。(※見える部分だけを切り取ってアップしている)

 

「救命道具が邪魔だにゃ」サル オーララー

 

その後周辺の歴史遺構なども解説してくれたが、あいにくマイクの音量が小さいうえにエンジン音に掻き消されて何を言っているのがさっぱり判らない(笑)。それよりもおサル(だけ)が船酔いに。

 

「死にゅ~」サル

 

三半規管が異常に未発達なのだった。

 

いよいよ島が見えてきたというのでスーパープレミアムプランの客から順にクルーザー後方の展望デッキに向かう。この差別待遇がステキ。

 

 

確かに軍艦だよ。

 

 

増築を繰り返した鉱員住宅群。このあたりにパチンコ店映画館があった。ちなみに三菱の幹部社宅は丘の上中央に聳えるオーシャンビュー。左に小さく尖った祠がある。あれが端島神社だ。

 

 

次に北端の上陸できないエリアへ。左から端島小中学校鉱員社宅65号棟端島病院。ちなみに社宅の番号は必ずしも完成の順番ではない。

 

 

上陸ポイントに回り込む。

 

 

猛烈な湿気と飛来塩分で髪の毛もレゲエ状態。そして猛烈に揺れる。

 

「もうダメえ~💦」サル

 

おサル、あえなく船内に退散。なんのために高い乗船料を払ったのか…。

 

 

無事上陸。

 

右端に見えているのは精炭を運搬船に運ぶベルトコンベアーの脚。

 


見学広場は三箇所。次々に別のツアーも上陸するので、見学は時間厳守。

 

 

最優先で上陸させてもらった船酔いのひと。エチケット袋を握りしめている姿が痛々しい。

 

「昔から船酔いには弱いんだよ」サル

 

カプリ島の青の洞窟も駄目だったもんね(笑)。

 

 

周りには50人くらいの客がいるが、写真で切り取ると無人の廃墟。奥に見えるのが30号棟。

 

 

坑道の跡。

 

 

ブロックで封鎖されている。

 

 

第二見学広場から。

 

左の赤煉瓦は総合事務所跡。洋風建築だったのかも知れない。右の建物は(主力だった)第二竪坑入坑桟橋跡。昇降設備の遺構はこれしか残っていない。

 

 

颱風の大浪に洗われた痕が顕著。颱風といえば…。

 

 

高潮見学がイベントのひとつだったとか。

 

「危険すぎゆ!」サル

 

娯楽が限られていたからね。

 

 

護岸は石灰と赤土を混ぜた天川(あまかわ)を接着剤に石積みされた。

 

 

灯台が見えているね。その横が貯水槽かな。

 

 

手前は鍛冶工場とか会議室とか。鉱山会社の中心部分。

 

 

いよいよ第三見学広場。

 

かなりボロボロ。加速度的に浸蝕されている。もう10年ともたない気がする。

 

 

仕上げ工場の建屋。大口を開けて悶え苦しむ人の顔にも見える。シミュラクラ現象だ。

 

「なに?趣味ラクダ現象って?」サル

 

三つの点を本能的に顔と認識する現象だよ。

 

 

核心部の30号棟住宅(右)と31号棟住宅(左)。

 

「もう来年あたりは全崩壊しそうだの」サル

 

 

惜しいけどね。

 

 

ようやく復活したらしい。

 

 

こちらはプールの跡。海水を利用したそうな。

 

 

ということであっという間の一時間だった。

 

「また揺られるのきゃ~」サル

 

 

コンクリートの廃墟が雑然と並んでいるだけで、往時が髣髴できる要素はかなり失われていた。廃墟というのは未知であることこそが魅力で、判ってしまうと存外詰らないものかもしれない。平板で無機的なコンクリート塊で埋め尽くされた島になる前に望みが叶って良かった。

 

「そりは良かった」サル サルはもうよい

 

(旅はつづく)

 

ご訪問ありがとうございます。