名建築に泊る「山の上ホテル」(東京都・神田駿河台)①【宿泊篇】 | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

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名建築シリーズ18

山の上ホテル

℡)03‐3293‐2311

 

往訪日:2023年5月27日

所在地:東京都千代田区神田駿河台1‐1

■滞在時間:(IN)14時(OUT)12時

■料金:39,090円(含朝夕食事・税別)※部屋毎に設定

■客室:35室(全て別レイアウト)

■アクセス:JR御茶ノ水駅から徒歩約5分

 

《最上階から見つけた美しいフラクタル》

 

ひつぞうです。先月末、駿河台の山の上ホテルに宿泊しました。ここは多くの作家に愛された名門ホテル。小振りではあるけれど、建築家ヴォーリズ設計による宝石のような建物でした。以下、滞在記です。

 

★ ★ ★

 

昨年のこと。東京ステーションホテルに投宿した際に、作家が愛顧したクラシックホテルに関する備えつけの書物を読んだ。そのなかに、山の上ホテルのことが記されていた。松本清張や伊集院静など、著名な作家たちが執筆の場所に選んだ。三島由紀夫は(人づてに紹介されたのだろう)このホテルの存在を知らなかったらしい。その快適さに心をよくして、流行らないで欲しいと願ったという。

 

「判る。その気持ち」サル 有名になると俗っぽくなるし

 

五月にしては、やや暑い日だった。涼しいパーラーでお茶して待とう。御茶ノ水駅で降りて、多少時間があったが、脇目も振らず駿河台に向かった。改めて通りを眺めると、ある看板に眼が留まった。

 

おサル。あれ見える?

 

「メンタームって書いてあるけど」サル

 

 

この会社、山の上ホテルと関係あるよ。

 

「メンソレータムの会社じゃね?」サル

 

そうそう。今は大阪の有名目薬会社が商権を握っているけれど、最初は近江兄弟社が日本に広めたんだよ。その会社の経営者こそ、キリスト教伝道のために来日したヴォーリズなんだ。学校経営や医薬品、オルガン販売など、事業にも意欲的だった。今では近代洋風建築の建築家として知られているけどね。

 

「この間観た軽井沢の鳩睡荘もそうだにゃ」サル

 

そうだね。そのヴォーリズの代表作のひとつが山の上ホテルだ。なお一粒社ヴォーリズ設計事務所の東京事務所は、このビルに入居している。ホテルの設計を担当した背景には何か訳があるのかもね。

 

 

明治大学アカデミーコモンの前を過ぎると、まもなく看板が見えてくる。右に折れて神田駿河台の丘に続く坂を登ればホテルはそこだ。

 

 

ついたよ。山の上ホテルだ。

 

「結構たくさん車が止まっているにゃ」サル

 

結婚式やっているみたいね。

 

(翌朝の写真)

 

山の上ホテルは九州の石炭王で明治大学出身だった佐藤慶太郎氏が、1937(昭和12)年に寄付金を投じて建てた佐藤新興生活館が前身だ。戦後、GHQに接収されるが、実業家の吉田俊男氏がホテル業を開業。山の上ホテルの歴史が始まった。

 

 

吉田氏は他の老舗ホテルとの差別化を図るため、ホテルマンのサービス向上に注力したらしい。この日も、早速、いい笑顔で出迎えて頂いた。かつては別館も存在したが、2013年に土地を明大に譲渡。現在は公園になっている(2023年現在改修工事中)。“山の上”の呼称はGHQ時代に米軍関係者がHILLTOPの愛称をつけたことから来ているそうだ。

 

 

建築様式はアメリカで大流行したアール・デコ。縦長の矩形の窓が規則的に並び、メキシコの遺跡のような幾何学的装飾が塔頂部と中央最下段の窓枠に採用されている。明治の新古典主義と、戦後のモダニズムを繋ぎ、大正末期から昭和初期に日本でも流行したそうだ。

 

「新興大国アメリカへの憧れかの」サル サルは摩天楼いった。ヒツはいってない

 

いいよ。そんなこと。

 

 

「ちょいとごめんよ」サル

 

いらっしゃいませ(スタッフ)

 

 

内壁の有孔石材トラバーチンは戦後に流行したので改装後の装飾かもしれない。

 

 

「翡翠?」サル

 

瑪瑙なんじゃないの?

 

 

照明も美しい。

 

 

チェックインの14時まで時間があるので、パーラーでアイスカフェラテを頂くことに。

 

 

「ケーキも人気なんだよにゃ」サル そのためだけに訪れるお客もいるにゃ

 

そうなの?じゃ頂こうかな。

 

 

季節のタルト(880円)。

 

アメリカンチェリーを惜しげもなく盛りつけ、トッピングにはピスタチオクリーム。基層のタルトはブランデーが染みて旨い。大人の味だ。

 

「甘そー」サル ほんとなんでも食うにゃキミは…

 

チェリーがみずみずしいよ♪

 

 

ということで時間になった。

 

 

床の化粧石もヴォーリズの設計だよ。

 

 

図面も額入りで残っている。

 

 

エレベーターホールの深い赤茶色の大理石も建設当初のもの。それ以外、特に壁と天井は1980(昭和55)年に大改装されたそうだ。

 

 

バーや食事処と繋がるロビー。資料机にはお聖さんこと田辺聖子先生の全集と辞典類。ネットのない時代だったから、缶詰になった先生方々はここで調べ物をした。壁には池波正太郎先生の絵も飾られている。初代社長のご尊父・吉田弥平翁が東京高等師範(現在の筑波大学)の国文の教師だった縁で、多くの作家や文学者が訪れたんだって。

 

 

ここでチェックインの手続きをする。

 

では見学しながら部屋に向かおう。

 

 

手摺の黒大理石と釉薬陶板も当初のもの。

 

 

戦後の東京の喧噪がここもあったんだろうね。

 

 

この日の僕らの部屋は4階。35部屋あるけれど、ひとつとして同じ意匠はないんだ。

 

「何度来ても飽きないにゃ」サル

 

予算的に無理だけどね(笑)。

 

 

ホールから飾り帯が続いている。

 

 

間取りはこんな感じ。406号室と403号室は建物正面のスイートだろうね。

 

 

全てが絵になる。部屋にもバラが活けてある。パーラーに綺麗なバラのシャンデリアがあるから、それをモチーフにしているのかも。

 

「自信あるのち?」サル

 

ただの思いつき。

 

 

この帯に誘われていくと…

 

 

407号室。僕らの部屋だ。丈が高いのは外国人向けの設計といわれる。

 

「ドアノブの位置も高い!」サル

 

届く?

 

「さすがに届く」サル

 

 

扉を開けると天井は網代葺き。

 

 

ホテルだけど和室の部屋を敢えて選んだ。というのは山の上ホテルといえば和室だから。

 

「作家もこっちが好きだったんだよにゃ」サル

 

多くの作家に愛された定評ある部屋だ。松本清張は和室でないと駄目だったそうだよ。

 

 

引き戸を開けると向かいの建物から丸見えだけどね(笑)。

 

 

クッションが四つもあるよ。どう使い分けるんだろ。

 

 

球体のスタンドもおしゃれ。

 

 

昔は憧れたね。ホテルで物書き。今はただの月給取り。

 

 

スタンドは青竹を模したアール・ヌーボー風。大袈裟な装飾を排して、ミニマムな贅を提供する。そんな感じだ。

 

 

エアコンの送風口はアカンサス風。

 

 

バスルームはこんな感じ。白と色つきの装飾タイルでさり気なく。

 

 

タオル掛けの位置も高い。

 

 

クーラーボックスも充実(もちろん撮ったらすぐに閉めました)。

 

以上がお部屋の紹介。参考になったかな。

 

それでは最後に当ホテルのビュースポットへ行ってみよう。

 

 

二階は結婚式会場で大賑わいだったので三階から上っていった。手摺は毎朝フロントマンが綺麗に磨いているんだよ。

 

 

最上階には花模様のステンドグラス。

 

ここから一階を見下ろせるんだ。

 

 

どうです。美しいフラクタル模様でしょ。

 

「なにフラクタルって」サル

 

相似形をくりかえすことでできる幾何学模様だよ。巻貝の形とか、雪の結晶とか、葉脈とか。

 

「ふむふむ」サル あせ

 

ということで夕食まで部屋で飲んだりダラダラしたり。お散歩して地階から夕食会場へ。

 

 

当ホテルは付属の食事処が充実していることでも有名。どの店も最高に味がいいことでも。

 

 

天麩羅に中華。そして鉄板焼にフレンチ。

 

 

さて、僕らが選んだのは。

 

「そりゃもうあれでしょ」サル サルは権現さま

 

(食事篇につづく)

 

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