「甘えるんじゃない。自分にできるチマチマしたことだけ
やっていて何になる」

文學界2010年11月号 難波田節子『雨のオクターブ・サンデー』
149ページ


難波田節子さんは1933年東京生まれ。同人誌に作品を発表する
作家である。私は難波田さんの作品を読むのはこれが初めてだ。
この作品は同人誌『河』第155号に掲載されたもので、今回、
文學界の2010年下半期同人雑誌優秀作に選ばれて、掲載されて
いる。

私はこの作品に胸打たれた。激しく揺さぶられた感じである。
もう少しで涙がこぼれそうであった。その理由は後に記そう。

主人公の香織はイギリスのある町の教会でパイプオルガンを演
奏しながら、オルガンを学ぶ留学生である。そして日本で洗礼
を受けた敬虔なクリスチャンである。

彼女のオルガンの恩師であるトマス・ハウエルさんがイースタ
ーの翌日に急死する。話はそこから始まる、というか大きく展
開する。

トマスは香織にとって厳しい先生だった。そして一度もほめら
れたことがない。しかし、彼女を教える厳しさは暑い情熱と愛
情に満ちあふれている。それが、直接的な表現を避けながら、
読んでいてよく分かるだけに、とても感動する。

トマスは町の人から「堅物」で通っている。めったに人と交わ
らず話もしない。トマスが話をする人間は家族を除けば香織ぐ
らいであった。もちろんオルガンを通じてのみの交流である。
だから誤解も生じる。

「下手だったからじゃなくて、巧かったからでしょうよ。トマ
スさんは教え甲斐のない人に手を差し出すような奇特な人じゃ
ないわ。わたし、彼は多分若い時学校で音楽を教えてたんじゃ
ないかと思うの。先生というのは、いつまで経っても先生なの
よ。教え甲斐のある生徒に教えたいものなのよ」
(146ページ)


町の人はこのように話している。なぜトマスが日本から来た小
さなオルガニストに熱心になるのか訝しがりながら。

トマスと香織が知り合ってから間もなくして、香織はパイプオ
ルガンの奏者の認定試験を受ける。トマスはその際に、バッハ
の古い楽譜を香織に与える。全て頭にたたき込めと。香織が見
ても、その楽譜は「骨董的な価値」のあるものであることがわ
かる。このとき、読者はトマスがただ者ではないことを察知する。

受験に向けた練習の際に香織は重いペダルに足が届かずに苦戦
する。イギリスのパイプオルガンはイギリス人の体格に合わせ
て作られている。しかも男性用に。だから香織にははじめから
ハンデがある。失敗する。椅子から落ちそうになる。トマスが
声を荒げる。香織は弱音を吐く。「日本人には向いていない」と。

「甘えるんじゃない。自分にできるチマチマしたことだけやっ
ていて何になる」
甘えが大嫌いなトマスさんは言い訳と愚痴を何より軽蔑した。
香織は唇を噛み締めて、また弾き続けるしかなかった。
それでも、べそをかいている香織がちょっとだけ可哀相になっ
たのか、帰り道でほんの少し慰めてくれた。
「あなたには、確かに手や足にハンディキャップはあるが、そ
れをカバーする運動神経もある。何より手が器用だ。左手と右
手が接近する時は、右手の分も左手で弾いて右手でストップを
押したり引いたりしているじゃないか。イギリス人には難しい
早業をこなしている」
ほんの一泊の間の手の動きを見逃さないでくれたトマスさんに
驚いて、香織はあわてて涙を拭いたのだった。
(149~150ページ)


トマスの娘スーザンは毎週必ず教会にやってくる父とは違い、
滅多にやってこない。彼女の息子は自閉症であり、また夫は重
度の鬱病に苦しんでいる。トマスは娘夫婦と同居している。あ
るとき香織はスーザンと話をする機会を得る。

「カオリさんは毎日神さまにお祈りするんでしょうけど、本当
の自分の気持ちに正直に祈ってます?」
「どういう意味でしょう」
「例えば、自分の嫌いな人のこと、転んで足を折ってしまいま
すようになんて、祈らないでしょ? まして、早く死んでしま
いますようになんて、祈ったりしないわよね」
(151ページ)


もし誰かが願いを叶えてくれるって言うなら、羽を生やしても
らいたい。こんな生活から飛び出したいから」
(152ページ)


香織は当惑する。そして言葉を失ってしまう。さらにスーザン
は父トマスが末期の膵臓癌であったことを知らせる。香織はト
マスがかなりの痛みと闘っていたことを知る。トマスはそれを
家族にさえ言わず、たいした治療を受けぬまま死んだのだった。

この作品のテーマはわたしの感じたところとは違うところにあ
りそうである。しかし私は(私事で恐縮だが)父の「叱咤激励」
をいかに激しく欲していたかを知った。トマスに完全なる父性
を見た気がした。厳しくもあり強くもあり、あるときには優し
く励ましてくれる父の存在。

主人公の香織もまた若くして父を失っている。父はいつも子ど
もの最大の理解者であり、厳しい教師でもある。この物語はそ
んな父を喪失する物語だと私には読めたのである。そして、私
はこの作品がまるで自分のために書かれたかのような錯覚を覚
えた。自分が父の「叱咤激励」を心から欲していたなんて、こ
れっぽっちも気がつかなかったのだ。

私の父は私が高校生になってから何も言わなくなった。私は父
の子の態度を「おれは認められたのだ」と誤解していた。父と
は何も言わずに、その存在だけで何かを語ることができる。そ
んなこともわからなかったのだ。自分がすでに父になっている
にもかかわらず。

この作品には牧師である「ファーザー」という人が登場するの
だが、この人がどちらかといえば利己的な人間に描かれている。
これはトマスとのさを際立たせるための表現であろう。

素晴らしい作品だと思った。失礼かもしれないが、これが同人
誌という、どちらかといえばアマチュアな世界にあったという
のは、驚きでもあった。それだけ日本の文学界のレベルが高い
ということだろう。この作品を紹介してくれた文學界(文藝春
秋)には感謝しなければならない。そして誰よりも難波田さん
に感謝したい。ほかの作品を読みたくなった。

文学界 2010年 11月号 [雑誌]/著者不明

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