小指はいつも約束の指なのですね。
文學界2010年11月号 青来有一『小指が重くて』84ページ

青来有一(さいらいゆういち)さんは1958年長崎県生まれ。
1995年に『ジェロニモの十字架』デビューし、2001年には
『聖水』で芥川賞を受賞している。現在も長崎市に勤務し
ながら執筆活動を行っている。

私はこの作品を読んで、伊藤桂一の『静かなノモンハン』
小松真一の『虜人日記』を思いだした。特に私の記憶が確か
なら、『静かなノモンハン』には死んだ戦友の小指を切り取
って本土に持ち帰ろうとする兵士の姿が描かれていた。

21歳の主人公の若者は白濁障という視力が衰える目の病を患
っている。そして恋人の美珠子(みたまこ)さんは、チョモ
ランマに単独登頂に挑戦し、帰らぬ人となった。同行したシ
ェルパは、遺体が収容できないので、美珠子さんの小指を切
り取って持ち帰ってきた。

シェルパはいったいなにを考えたのだろうか。どんなときに
人間は死んだものの指を切り取ろうなんて考えるのだろうか。
せめて美珠子さんの体の一部だけでもつれて帰りたいと思い
つめたのか。
(63ページ)


若者は葬儀の席でそう考える。若者は白濁障の手術を行うた
めに「むかし眼科医院」に入院する。医者からなぜ白濁障に
なるのか説明を受けるのだが・・・

――どうして、そんな病気になるのでしょうか。
――原因はいろいろと言われますが、と先生は前置きをして、
心理的な影響が大きいと説明してくれた。
――要するになにもかもいやになり、もう、なんにも見たく
ないと思うと眼球がそれに応えることがあるのですね。
先生は不意にどこか厳しい感じがする口調に変わり、若者を
問い質した。
――あなた、なにかにゼツボーしたりしませんでしたか?
(63ページ)


美珠子さんを失ったことが絶望につながっているのだろうか。
そう読むのが正しいような気がする。美珠子さんは小指しか
戻ってこなかった。それがあまりに哀れで哀しく、自分の無
力感に絶望したのだろう。

入院の日、若者は隣にいる老人と話をする。戦場の話だ。お
そらく南部戦線での体験である。ジャングル、蛭、蛇、蛆。
小松真一の『虜人日記』はその体験が生々しく記録されてい
る。この作品は後に山本七平氏の『日本はなぜ敗れるのか』
という作品の下敷きとなっている。

おれは友の小指を供養もできないまま隠してきました。もう、
重くて、重くて、どげんもならんようになってしもうて、ド
ロップスのブリキの缶に、ぽとん、ぽとん、ぽとんと三本の
小指を落として・・・・・・ このままにしてはおれん。おれが切
りとった指やけん、きちんと供養をせんとおれの戦争は終わ
りません。
(71ページ)


まさしく『静かなノモンハン』に描かれていた戦友を思う気
持ちが鮮明に言葉となっている。「戦争は終わらない」そう
思っている人がまだたくさんいるのだろう。そう思うと、と
てもつらい思いがする。

小指を連れて帰ると誓ったのは、自分だけは生きて帰りたい
という願いの裏返しであったのかもしれません・・・・・・ 絶望
はいつでも希望の裏返しなのでしょう。
(80ページ)


若い方もこれは知っておられるでしょう。小指はいつも約束
の指なのですね。私はね、これまでに人間が交わした膨大な
数の約束を考えました。私は約束をきれいに忘れて生きてき
た人間なのです。戦後とは、こんな人間ばかりが生き残った
世界なのです。
(84ページ)


久々にずしりと、猛烈にヘビーな言葉が来た。戦後多くの
「生き残った」人たちが罪に意識を抱え込んで生きた。それ
は罪なのか? 私は思う。しかし、戦争を体験した人は、な
ぜ罪ではないのか、と思うのだろう。

私は戦争を体験しないまま中年を迎えた幸せな世代だ。私が
そのような人の心のうちを理解することができるのだろうか。
そう思うとある種の絶望感を感じるのだ。

私の祖父がいっさい戦争の話をしないまま死んだことも、私
を暗くさせる。私は祖父から戦争の話を聞きたかった。伝え
て欲しかった。でも祖父はそれを望まなかったのである。

このような作品はこれから減ってしまうのだろうか、私は思
った。若者が感じた重さは老人の感じた重さとは違うものな
のか、それとも同じものなのか。私にはわからない。しかし、
わからなければ、私の戦争と向き合う仕事は終わることはない。

文学界 2010年 11月号 [雑誌]/著者不明

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