「イフ(if)」の問いかけは、歴史の原因に鋭く切り込んでいく
きっかけを作るのではないかと。

岩波新書 田中克彦『ノモンハン戦争』92ページ

勝者側のモンゴルの研究家のほうがかえって、この戦争に先立つ
マンチューリ会議の重要性を強調し、もしこの会議が成功してい
ればノモンハン戦争は避けられたとする論文を発表したとき、私は、
重大な発見をしたと思った。大佐で戦史の研究家ゴンボスレンは、
「歴史にもしも(if)という仮定はない」などという言いふるされ
た俗論などにこだわらずに、このようなテーマを提出したのである。
だから私はむしろ、「もしも」という仮定を出してみることが、
歴史に新しい発見のきっかけを与えると思わざるを得ない。
(92ページ)


ノモンハン戦争は学校では「ノモンハン事件」と教えているはず
である。この事件が宣戦布告の手続きのないまま始められた国境間
の「小競り合い」と定義されたからである。もちろん国際法上、
また、日本も調印国である「パリ不戦条約」からも、戦争とするわけ
にいかなかったのである。

マンチューリ会議とはノモンハン戦争の前、1935年6月3日に始まり、
戦争を挟んで、1939年末に「国境確定会議」として再開し、双方の
合意を観て終了したのは1941年10月15日である。

ノモンハン戦争は1939年の5月に始まり9月のはじめに実質的には終了
した(停戦調印は9月15日)。戦争の当事者は日本とソ連であるが、
それは事実上そうであり、形式上はモンゴル人民共和国と満洲国の
国境紛争である。

戦争の終了は第二次世界大戦の開始時期と一致し、マンチューリ会議
の終了、つまり国境紛争の解決は太平洋戦争の開始と一致する。

この本はノモンハン戦争の戦闘行為そのものに関する本ではない。
この戦争を戦術や作戦、兵站の分野から文献を探されている方には
あまり直接的な内容ではないと思う。

しかしこの本は主としてモンゴルの立場から当時のモンゴルがいかに
厳しい立場に立たされ、多くの犠牲を伴ったのかを知る貴重な資料と
なっている。モンゴルは当時、日本と満洲国との関係と同様に、ソビ
エト連邦の管理下にあった。

しかし、モンゴルの独立不羈の精神は、隣に突如満洲国が成立した
ことにより、かすかな希望を持つこととなった。満洲国との関係を
構築することによって、モンゴルはソ連からも独立できるのではない
かと。残念ながらそうはならなかった。

第一回マンチューリ会議で、多くのモンゴル人指導者が満州国や日本
の有力者と関係を持つことができたが、これが徒となってモンゴル人
指導者が次々とソ連によって処刑された。スパイ容疑である。

日本人と接触すると、ソ連からスパイ容疑がかけられ凄惨な拷問ののち
に処刑される。多くのモンゴルの人は未だにそんなトラウマを抱えて
いるという。

日本も満洲国の代表・凌陛を同様の理由で処刑している。

辻政信ーーこの人は並でない功名心と自己陶酔的な冒険心を満足させ
るために、せいいっぱい軍隊を利用してきた。そうして戦争が終わって
軍隊がなくなると、日本を利用し、日本を食いものにして生きてきた
のである。

私たちが、占領軍としてではなく、日本人として裁かなければならない
のはこのような人物である。このような人物は、過去の歴史の中で消え
てしまったわけでは決してない。今でもなお日本文化の本質的要素とし
て、政界、経済界のみならず、学会の中にまで巣くっているのである。
(231ページ)


この231ページ引用文がこの本の最後の文である。この戦争の根底にあ
る「邪悪なもの」を辻政信的な人物に負わせている。しかしそうだろうか。

辻政信はこのノモンハン戦争には必ず登場する狂信的で独善的な参謀で
あり、多くの将校を自決に追い込んでおきながら自分は戦後まで生き残り、
自由民主党選出の国会議員を務めることになる。確かに特異な人物では
ある。

しかし、誰が辻政信を生み出したのだろうか。誰が関東軍を暴走させた
のだろうか。私は辻政信という人間が「もし」あの時この世にいなくて
も、別の人間が彼の役割を果たしただろうと思う。

田中氏の最後の指摘は共感を覚えるが、それは特異な人物や辻政信的な
存在だけでは清算できない何かがあるのだと思う。それを突き止めるに
はまだ多くの時間と様々な障害を乗り越える労力が必要な気がするので
ある。

ノモンハン戦争―モンゴルと満洲国 (岩波新書)/田中 克彦

¥819
Amazon.co.jp

ペタしてね

$名言・いい言葉の読書ブログ