バルセロナまでの遠い、とお〜いみちのり。
エピローグバルセロナに行こうと決めて、出発のおよそ2ヶ月前から書き始めたこのブログ。結局、ほとんど使うことができなかったスペイン語の勉強、楽しみながらの旅行の準備、旅の記録。いろいろ書くことがありました。今、無事、旅もおわり、バルセロナについてのブログはひとまずここで終わりとします。ご覧いただきありがとうございました。さて、今考えると、本当に楽しい旅でした。ですが、あまり「バルセロナまで行った」という実感はないという不思議な感覚でいます。その理由にはいくつかあると思っています。旅立つ前に、たくさんInstagramやYouTubeなどで、バルセロナの美しい風景を見ていました。きっとそれに慣れてしまって、実際にその景色に出会ったときに、「感動」するという感覚が麻痺していたのかもしれません。それから、カメラ中心の旅にしてしまったこと。バルセロナの素晴らしい景色をものにしようと躍起になっていました。そのせいで、本当に見なければならないもの、感じなければならないことを見落としていた気がします。今のところ、今後、海外へ行こうという気持ちはありませんが、国内でも旅をする際にはこれらを反省したいと思っています。引き続き、よろしくお願いいたします。
その他、分類できなかった、いろいろ気付いたこと。①ハトが多い。キリスト教の文化をもつバルセロナだからか、あちこちにハトがいた。ハトは「ノアの箱舟」にも出てくるし、「新約聖書」では聖霊の象徴としても描かれている。それで大事にされているのかもしれない。慣れているのか、時々お店の中にまで入ってくることも。東洋人二人がそんなハトを珍しそうに見ているのを、現地の人たちは珍しそうに見ていたかもしれない。②東洋人=英語バルやお店、飛行機の中などで、向こうから話しかけられるケースがある。東洋人だからか、ほぼ100%英語で話しかけられる。当然と言えば当然なのだが、なまりが入っているので、それが英語だと気付くまでに時間がかかる。こちらはスペイン語で話しかけられることを想定して聞いているので、余計そう。そこで彼女がスペイン語で「Que?」(何?)と答えると、やっとスペイン語で返してくれる。③ペットボトルのキャップが合理的スーパーでペットボトルの飲み物を何本か買った。キャップをあけてみると、一か所くっついてうまく取れない。「こういう加工はやっぱり日本だよな」と、くっついているところを引きちぎったが、次にあけるボトル、その次にあけるボトル、みんな一か所くっついて取れない。あえて、こういう風にしているのだろうかと考えながら見てみると、キャップが取れて落ちないようにしているのだと気が付いた。なるほど、そういうことなんだと脱帽した。④落書き(ペイント)が多い。壁やビルのシャッターなど至る所に落書きがある。これ自体は、町の雰囲気を壊すので好ましいとは思わなかった。しかし、綺麗に書かれているものもあり、別のところでその芸術性を発揮すればいいのにと思った。⑤ヤマバトが多いモンジュイックの丘を登るときに、バルセロナ入りして初めてヤマバトの鳴き声を聞いた。クークーッホホゥ、クークーッホホゥ…。そういや宗像にも居るなぁと懐かしく思ったが、そのあとどこに行っても居るので、その鳴き声が耳から離れなくなった。
各国で文化が異なるものの1つに数えられるトイレ。いろいろなところに違いを感じた。①トイレが少ない日本では、駅やデパート、スーパーなどにいれば、そうトイレには困らない。街中であれば、コンビニもたくさんあり、すぐに借りることが出来る。ところが、バルセロナはコンビニはないし、また駅にも大きなところにしかトイレがなかった。また、あっても行列ができているケースが多く、急ぎの時は困りそうだった。お腹があまり強い方ではないので、大丈夫かな?と心配になった。彼女曰く、カフェやバルで貸してくれるよとの事だったが、それでも心配。幸いお世話になることはなかった。ちなみに、マクドナルドではレシートに書いてある暗証番号がないと鍵が開かない仕組みだった。緊急事態を想定するとそれは恐ろしい。②便器の位置が高いバルセロナの空港に降りて初めてトイレに行った時のこと。何だ?この取り付け位置の高さは!私も背が低い方ではないが、なんか窮屈さを感じる高さだった。スペインにも小柄の人はいるだろうし、そもそも子供はどうするのだろうと思った。空港だけかもと思っていたが、他もほぼそんな感じだった。③蛇口の扱い方が分からない手を洗おうと、洗面台へ行った。蛇口の上にボタンが1つあるだけ。押すのか引くのかはたまた回してみるのか分からない。いろいろやって、押してみたら、水が出た。でも、今度はそれが止まらない。ボタンを引いたり回したり。なんだか、引っ張ったら止まったので、そういうものだと思って、彼女に話したら、「待ってたら止まらない?」だって。確かに、日本にもそんな蛇口あったなぁ。④便座のないトイレがある幸い使わなくてすんだが、トイレに入ったついでにドアの中も見てみたら、なんだか違和感が。あら?便座がない?どうやってするの?彼女にきいたら、「あぁ、そういうところもあるよ」って。どうやってするのかは聞けずじまいだった。
バルセロナでは街歩きもした。時々、土産店や飲食店などにも入ったが、そこにもいくつかあるあるがあった。①休日はお休み日本は、休日だろうが元旦だろうがデパートもスーパーもコンビニも開いている。昔は日本もそうだったはずだが、バルセロナは休日は市場もデパートも閉まっている。よく考えると当たり前のことの様な気がする。不便ではあるが、分かっていたことなのでそれなりに対応できた。②ソフトドリンクの代わりにビールファストフードやカフェにも入ったが、セットでついてくる飲み物がある。日本だと、コーヒーやソフトドリンクなどだが、バルセロナではそれらはもちろんのこと、代わりにビールを頼むことが出来る。恐らく酒税が違うなどの要因があるのだろう。本当はコーラが飲みたかったのに、思わずビールを頼んでしまった。③おしぼりがない最近、日本でもファミレスなどでは出してくれることが少なくなったおしぼり。バルセロナでも出ない。コロナ禍以降、気にしているのだが、アルコールティッシュなどを持ち歩くしかない。
通行帯の左右にすら違いがあるほどだから、道路交通もいろいろ違いがあるだろう。①道路の両端に駐車場がある市街地を除く多くの道路で、道路の両脇が駐車場になっている。もちろん、縦列駐車だが、「これ出せるん?」というくらい間隔が狭いものもある。結構バンパーに傷が入っている車も多く、「やっちゃったのかな?」とも思った。尚、これらの駐車場は契約駐車場としても使われているとのこと。②横断歩道の点滅が短い日本では、横断歩道の点滅が始まってからも、ギリギリ横断歩道を渡れるくらいの長さの点滅時間があるが、バルセロナでは、3,4回点滅したらすぐ赤になる。「点滅だ、早く渡らなきゃ」なんてのんびり考えていたら大変なことになる。③自転車道が充実している歩道の一部が自転車専用通行帯になっている。自転車が気持ちよく走ってゆく。それから、電動キックボードもよく見かけた。日本では、運転免許がないと電動キックボードには乗れなかったが、先の法改正で一定の基準を満たすものであれば、免許がなくても乗れるようになった。だが、法改正からまだ日がたっていないのと、原則、車道しか通行できないことから、まだ目にすることが少ないのだと思われる。④信号機のない横断歩道のマナー横断歩道の近くに歩行者がいると、おどろくほどほとんどの車が停車してくれる。当たり前のことではあるが、日本ではこの率は45%である。(何年か前までは20%程度だったと思う)無意識のうちに横断歩道を「意識」して運転する習慣が身についているのだろう。⑤信号無視の歩行者が多い④の背反なのかもしれないが、車が来ていないとほとんどの歩行者が赤信号の横断歩道を渡ってゆく。日本でも見られなくはない光景だが、多くの歩行者は信号を守っている気がする。⑥環状交差点(ラウンドアバウト)が多い。バルセロナの大型ラウンドアバウト市街地では大型の、郊外でも小型の環状交差点があり、信号機交差点より多いのではないかと思うことも。一時期、日本でも増やしてゆくと言われていた環状交差点だが、あまりその実感はない。通過時に結構なスピードを出しているが、ニアミスが起こることもなく、器用に走っているなぁと感心した。⑦綺麗な車が少ない日本では、車は洗車してピカピカにしておこうという人が多いが、バルセロナの車は傷が入っていてもそのままであったり、鳥の糞がついたままであったり、サイドモールが全て剝がれているという車までも見受けられ、ほぼすべての車が汚れたままであった。車は消耗品と思われているのかなと思った。尚、当然ながら欧州車が多い。トヨタ車もプリウスなどがちらほら。
バルセロナにももちろんエスカレーターやエレベーターがあるが、日本との違いもあった。①エスカレーターが大阪式日本でも、エスカレーターの左右どちらかをあけて、あいた側は歩いて登る人がいるという光景を見かける。(危険なことなのだが)バルセロナでは、右側に寄って乗り、左側をあけている。これは大阪と同じである。だが、あいている左側を歩いていく人はそんなに多くない。ちなみに、東京や福岡は左に寄って乗り、右側を先を急ぐ人が歩いてゆく。尚、名古屋は乗る位置が左右いずれかにかかわらず、止まって乗ることという条例が制定されている。個人的には大賛成である。(歩きたい奴は階段を登れ)②地上階=「0階」日本では地上階はほぼ100%「1階」だが、バルセロナでは「0階」である。従って、エレベーターにも「0階」のボタンがある。うっかり、「1階」を押すと思わぬ階にゆくことになるので要注意。③エレベーターに「閉じる」ボタンがない。エレベーターには「開く」ボタンがあると同時に「閉じる」ボタンがあるのは当然だと思っていた。バルセロナではこの「閉じる」ボタンがない。日本では乗ったらすぐに「閉じる」ボタンを押す癖がついていたので、かなりの違和感があった。尚、「開く」ボタンのすぐ隣に非常ボタンがあったりもしたので、うっかり押してしまうと大変なことになる。せっかちな人には不満を覚えさせるだろう。
バルセロナへ行って、福岡と違うことがいろいろあるなぁと思いました。まずは、その電車編について紹介していきます。①都市の規模に対して地下鉄網が充実。バルセロナの人口は約164万人で福岡市の約160万人とほぼ同規模。しかし地下鉄網は非常に発達しており、総延長123.7kmの距離を誇る。同31.4kmの福岡市営地下鉄のおよそ4倍である。バルセロナ地下鉄路線図引用元:catalunya-kankou.com福岡地下鉄路線図引用元:fukuoka-city-subway.jorudan.biz路線図で表すと、上記のような感じである。②車両につり革がない。日本の電車では、ロングシートのシート上部につり革が設置されているが、スペインの地下鉄にはそれがない。その代わりに、床と天井の間にいわゆる「つかまり棒」が何本か設置されている。③天井が意外に低い。私が手を伸ばすと天井にらくらく手が届くほど。バルセロナにはすごく背が高い人もいたが、どうやって乗るのだろうと思った。④お年寄りに対するマナー駅に停車してお年寄りが乗車されると、誰というのではなく、さっと席を譲る。譲られた方も、有難うの一言で、すっと座られる。日本のように、「いえいえ、いいんですよ」という遠慮とか、下手すれば「まだ、譲られる歳ではない」と逆ギレされるケースを考えると、譲る方も譲りやすいし、譲られる方も快いのではないかと思った。⑤自動ドアは自分で開閉これは地下鉄に限った事ではなく、Renfeでもそうなのだが、ドアに押しボタンが設置されており、そのボタンを押すことでドアが開く。日本にいる時の感覚でいると、「え?ドアがひらかないけど?」という感覚に陥ることがあるので要注意。ドア開き用の緑色のボタン。これを押さないとドアが開かない。⑥列車到着時間の案内地下鉄では、あと何分何秒で電車が来るのかを表示している。福岡の地下鉄でも、今どのあたり(前々駅~直前まで)を知らせる表示はあるが、時間で表記されているので分かりやすい。あと1分55秒で電車がきます。⑦列車が右側通行日本の鉄道は左側通行なので(自分がいるホームにもよるが)多くの場合、右側から電車がやってくる。この感覚が全く逆になるので、方向感覚が少し麻痺しそうになる。鉄道ひとつとってもこれだけ違うのだなぁと感じた。
バルセロナから北京に着き、ここから大連経由の福岡行きに乗り継ぐ。行きのトランジットで苦労しているので、係員に聞きまくる。が、聞く人聞く人で言うことが違う。どうも福岡行き(国際線扱い)とだけしか言わなかったのがいけなかったらしく、大連経由(国内線扱い)というと納得してもらえた。とりあえず、テンポラリビザを申請するように言われる。(北京〜大連が国内線扱いだからかな?)必要な書類を揃え申請を待ったが、これが長い。30分はかかったろうか。それが終わったら入国審査である。これも並ばなければならない。ここを越えると今度はターミナルの移動がある。構内電車を使う。続いて保安検査。ここでも、またボディーチェックの餌食になる。それに鞄の底にしまってあるカメラまで出せと言われて、荷物の解体までして大騒ぎ。これを越えてやっと搭乗ゲートに。3〜4時間あった乗り継ぎ時間が結局30分に。以前、どこかで書いてあった手記と同じだと思った。とりあえず、やれやれと北京を離れる。大連で乗り継ぎだが、今度は出国審査だけなので比較的スムーズにすんだ。大連〜福岡間で、今回の最後の機内食。例の手記でもこの便の機内食は酷評されていたが、何となくわかる気がした。それでも、完食。福岡に近づいて。今日はRW34からの着陸ということで、ペイペイドームや天神を見ながらアプローチ。そして福岡空港へ着陸。エンジンが止まる。そして、この旅も終わった。
今日、バルセロナを立って帰国の途についた。飛行機は12時過ぎの出発。3時間前には着いておくべく、ホテルを出る。思えばいろいろあった1週間だった。なじみとなったホテルの景色も寂しく思える。バスに乗り空港へ向かう。エル・プラットの空港は彼女のおなじみの場所なので、お任せする。エル・プラットの出発カウンター。1時間ほど待った。ところが、彼女(←お土産買いすぎ)のスーツケースが重量オーバーしており、荷物を別の鞄へ移動する。少し焦る。ところが、今度は保安検査場で私が引っかってしまい、ボディーチェックをされる羽目に。ボディーチェックをされている間、自分の手荷物が誰かに持ち去られないか気になる。その後、出国審査を済ませて、搭乗ゲートへ。すでにボーディングがはじまっていた。しばらくして機は離陸。バルセロナから地中海に向かって上昇。やがて機首を東に振った。遠くバルセロナの街がみえる。ずっと「来た感覚」が得られなかったくせにこの景色を見て寂しさがこみあげてきた。いつかまた来るのか分からないが、この景色を目に焼き付けようとずっと外を見ていた。機上の人となって1時間。バルセロナ時刻で13時過ぎ。ギャレーからいいにおいがしてきた。お腹も空いてきていたので、ちょうどいい食事。食事をすると少し睡魔に襲われたので1時間ほど眠る。だが、慣れない狭い機内、結局目が覚めてしまった。本を読んだり、文章を書いたりして過ごす。どんどん目が冴える。日本時間では夜中の1時は回っている。このままだと時差ボケになるぞと、睡眠薬を飲んで寝た。4時を過ぎた頃、ギャレーからのにおいで目が覚めた。ちょっと早い朝ご飯だなと思いつつ、待つ。メインはチャーハン。パンが硬かったけど美味しかった。そして、早朝の北京へ到着。これから嵐のトランジットだ。
バルセロナ最後の日。バルセロナの街を回った。まずは、カサ・バトリョ。ガウディが手掛けた高層住宅。ガウディらしい、曲線を駆使した造り。外観。バルコニーの装飾が骸骨を思い起こさせるらしい。シャンデリア周りの天井もガウディらしい。廊下の曲線美も素晴らしい。それから、絶妙なタイルの使い方。全ての部屋に同等の明かりが入るようにとの配慮。また、屋上の煙突にまでタイルが施してあり、どこへも妥協しない姿勢に心を打たれる。続いてカサ・ミラ。こちらは外観からのみ。外観はカサ・バトリョよりこちらのほうが好み。写真を撮るだけでなく、その場に来たのだという気持ちも大切にする。私の希望で凱旋門へも。彼女はパリの凱旋門に比べたら、規模は小さいよとのことだったが、それでも日本にはない凱旋門というものを見ておきたかった。私にとっては十分大きな凱旋門であった。ここも訪ねたかった、サン・ジョセップ市場。いろいろな食材がふんだんに盛られている。ここはお菓子屋さん。子供がいたら大喜びしそうである。魚屋さん。日本では見られない魚も売られていたりする。お肉屋さん、お肉の塊がぶら下げられている。なかなか豪快。最後にフルーツ屋さん。ここをイメージしていたこともあって興味を持って見た。円安の影響もあって、なかなか安いとは言えない。申し訳なかったが、目だけ楽しませてもらった。ただ、とにかくすごい人混みで、過去を知る彼女はすっかり観光地化してしまったと残念がっていた。最後に、カタルーニャ広場を訪れた。たくさんの鳩とそれを追いかける子どもたち。今更ながらヨーロッパさを感じた。この後、カタルーニャ広場そばのデパートでお土産品などの買い物をした。最後の夜は彼女おすすめののバルで。実はバルセロナに来てから、ここには2回訪れていたものの休前日で混み合っていたり、逆にウィークデーで閉まっていたりした。いわゆる3度目の正直であったが、これが叶った。まずはアルコール。サングリアというもの。赤ワインとフルーツが入っているらしい。のみくちがよく、つい、ごくごくいってしまった。それから、コチニージョ。今回、バルには計3回訪れたが3回ともこれを頼んだ。スペイン料理でも好きなものの一つとなった。つづいては、ポケロネス エン ビナグレ小イワシをさばいたものに、お酢とオリーブオイルとパプリカをかけてある。シメサバのような風味。そして、ここのお店の目玉である、パタタ エン オルノ。オーブンで焼いたじゃがいもにガーリックをベースとした特製のソースがかかっている。このソースがなんとも言えずうまい。少し酔っぱらってしまったが、最後の夜ということもあって、しばらく彼女と話し込んでしまった。明日は、いよいよ帰路につく。
バルセロナといえば、サグラダ・ファミリアである。バルセロナ入りして、6日になるが、まだ訪れていなかった。天候も回復したし、結果としてちょうどいい日に予約していたことになる。少し早めに出掛ける。宿最寄りの駅から地下鉄で一本。サグラダ・ファミリア駅に着いた。地下鉄の駅から地上に出ようとしていたところ、後ろから誰かにリュックを開けられる感触があった。振り向きざまに、「今あけようとしたやろ!」ととっさに、もちろん日本語で言った。相手は狼狽し、逃げようとしたので、腕をつかんでさらにまくし立てた。何かわけの分からないことを言っていたが、開けられたところには大したものは入っていなかったので、手を離した。後で彼女に聞くと「何もしてないから」と連呼していたようである。海外ではスリに気をつけるよう言われていたが、本当にそうだと思った。このおかげで、せっかく今からサグラダ・ファミリアに行くのだという気分をくじかれた。でも、ふと見上げると、大きい、高い!これがサグラダ・ファミリアか。まだ、観光客が多くないうちに入場しようと列に並ぶ。最初に所持品検査があった。飛行機の保安検査を思わせるほどの厳重さ。世界的な建築物を守るためには必要なことなのだろう。ゲートを抜けるとそこは生誕のファサード。キリストの誕生の様子が表現されている。ファサードの柱の基部には亀がいる。柱の中を通ってきた雨水が彼の口からでてくるとのこと。先日の雨では大変だったろう。聖堂の中へ入る。いろいろな意味が込められているのだろう。ガウディの生涯を、いや、それをさらに超える気持ちが賭けられたものを感じた。今回は、受難のファサード側の塔を登ることになっている。エレベーターで一気に登る。上空からは、碁盤状に整備されたバルセロナの街の様子が見て取れる。受難のキリストがバルセロナの街を見下ろしている。上を見上げると、まだ建築中の様子がよく分かる。2026年の完成予定とのことで、この風景が見られるのもあと数年である。ここからは、一人がやっと通れるくらいの階段を下ってゆく。この階段は途中から螺旋階段となる。この階段は螺旋の中心に柱がなく、更には中心側の壁が、膝くらいまでしかない。中心から下を覗き込むとこんな感じ。正直、あまり高いところは好きでないので足がすくむ。出来うる限り、早く降りてきた。再度、聖堂に入ると聖堂両側のステンドグラスから、光が差し込んでいた。緻密な設計を感じさせる光の入れ方。逆側はまた雰囲気を変えた色合い。今度は、入ってきた生誕のファサードとは逆の受難のファサードを外部から見る。これは、聖書の中でも有名な裏切りのユダの接吻。ユダに裏切られたキリストは十字架に架けられ天へ還ってゆく。キリストの全てをこの壮大な建物に込めたガウディの偉大さを改めて思う。少し離れて、ガウディ公園からサグラダ・ファミリアを望む。まだ、昼前だが一仕事終えた気分になった。サグラダ・ファミリアから、今度はカサ・ビセンスへ向かう。ガウディ最初の邸宅建築。サグラダ・ファミリアとはまた違った建築様式。タイルがふんだんに使われ、エキゾチックな雰囲気を醸し出している。ここは居間天井のある部屋。ビセンス氏の奥様がくつろがれたそう。屋上のモニュメントもユニーク。屋上はガウディらしさが現れるとも聞く。さて、カサ・ビセンスを後にして、ランブラス通りへ。欧州の雰囲気たっぷり。自分がそこに居るのが不思議な感じ。このまま、サン・ジョセップ市場に立ち寄ろうと思ったが、この日はメーデーでスペインは休日。市場もお休みだった。それでも、街を行き交う人々。街は賑わっていた。一休みした市場で。さまざまななチーズの品揃え。彼女もお土産にと手に取っていた。カテドラル(大聖堂)に向かいながら散策。欧州らしい町並みがつづく。途中、ビスべ橋にも立ち寄った。カメラを構えている人も多い。ゴシック地区メインシンボルのカテドラル(大聖堂)。カタルーニャでの教会のレベルはサグラダ・ファミリアをも凌ぐという。そして、夕方になったので、宿へと戻る。戻ったのは19時を過ぎていたが、まだ外は夕方みたいに明るい。このおかげで、毎日生活リズムを崩されている気がする。残すは実質あと1日。最後まで楽しもう。
天気は今日も回復していない。今日は電車に乗ってモンセラットの修道院に行くことにしている。電車、登山鉄道に乗って向かうのであるが、その途中、雨まで降り出した。2時間と少しでモニストル デ モンセラット駅に到着。そこから登山鉄道に乗り換える。登山鉄道はアプト式なので線路の真ん中にもう一本ギア用の「線路」がある。おかげで急な坂も上がれるわけだ。しかし、山を登ってゆくに従って、周りが霧で真っ白くなる。本来なら壮大な景色が見られるはずだが残念。登山鉄道を降りて、モンセラット修道院の前に立つが、霧のためその全貌はつかめない。チケットは事前に購入していたので、入場の手続きをする。手続きを終えて出てくると、少し明るくなっている。奇岩に寄り添う修道院。ゆっくりと姿を現しはじめた。早めに入場したいので再度受付に戻る。聖堂でミサが開かれている間は入場できないとのことで30分ほど待つ。ここで見ておかなければならないのは、黒いマリア像である。右手に持っていらっしゃる玉に手を置き、願掛けをすると叶うそうである。黒いマリア様には次のような言い伝えがある。昔、このあたりの鉱山で働いている人たちがいたが、その労働は辛いものであった。そこへ知らない仲間がいつの間にか一人増えていた。そのことで労働者たちは助けられた。ある日、洞窟の中に黒いマリア様がいらっしゃるのを羊飼いが見つけた。マリア様が黒く汚れていたことから、鉱山で働いていらっしゃたのだと、あの一人はマリア様だと皆は信じた。そのようなことがあって、黒いマリア様のためにモンセラットに教会が建てられたという。さて、つづいて少年団の合唱。聖堂の中へ通され、しばし待つ。聖堂も厳かな雰囲気につつまれ、その時を待っている。しんとした空気の中、少年達が入場してくる。そして、合唱がはじまる。なんと表現したらいいのだろう。その澄んだ歌声に、背筋が伸びる思いがした。合唱が終わって外へ出てみると、青空まで出ていた。この景色を見られて、また感動が新たになった。このあと、ケーブルカーでさらに登る。かなりの勾配である。10分ほどで到着。奇岩と修道院。この景色を見たかった。晴れていれば言うことなかったが、天気のことは仕方ない。モンセラットの「セラット」はノコギリという意味であるが、修道院の裏側はその名の通りである。他にも多くの奇岩があり、そのスケールには圧倒される。そろそろ帰らねばと山を下る。麓のモニストル デ モンセラット駅で。行きは真っ白で何も見えなかったが、モンセラットの山々を望むことができた。彼女の体調も回復したようでよかった。
今日は、一番の楽しみにしていたグエル公園、そしてカサ・ビセンス、サン・ジョセップ市場を予定している。が、しかし、夜半からかなりの雨が降っている。朝には小康状態にはなっていたが予報はいい顔を見せてくれない。とりあえず地下鉄、バスを乗り継いでグエル公園へ向かう。雨は強くなる一方で到着したときには本降りになっていた。彼女曰く、この時期にこんなに降るのは稀だそう。決して雨男ではないはずだが…。気を取り直して公園に入る。見たかったグエル公園の「お菓子の家」!青空の下での景色を思い描いていたので、本当に雨が恨めしい。ここは、グエル氏の依頼によりガウディが手掛けた、元は住宅街として計画されていたところ。ただ、60戸の建築予定だった住宅のうち、売却されたのは2戸だけであったため、計画は中断され、バルセロナ市に寄贈された後、公園として整備されたという歴史を持つ。洗濯女の回廊。不思議な空間である。洗濯女の回廊の外側。一体だけ、洗濯女の像がある。先ほど「お菓子の家」を眺めた広場の下。この柱の一本一本には、広場に降った雨が流れるようになっている。この水を床の下の貯水槽に貯め、公園の灌漑用の水として使用するとのこと。天井も破砕タイルで彩られている。この子にも会いたかった!グエル公園の大とかげ。この子の口から流れ出る水も先の貯水槽からのもの。グエル公園を出る頃、彼女の体調が思わしくないとのことで、急遽宿に戻ることにする。雨の中やっとのことで戻ってきたが、大丈夫かなぁ?でも、雨だったがグエル公園を堪能できてよかった。自分へのお土産。大とかげさんのペーパーウェイト。
今日は、バルセロナの西方のタラゴナという街へ出かける。タラゴナの街には彼女のスペイン語の先生が住んでおられ、彼に会いに行くことになっている。先生とは、一度天神でばったりお会いしているが、 ほぼ初対面なので 若干 緊張している。昨日 乗ったのとは 別のレンフェ(特急)でタラゴナへ向かう。所要時間は1時間と少し。この路線からは地中海が美しく見えるはずだったが、この日も天候が曇りで暗い海に見えた。タラゴナに着いて先生とお会いする。「Me alegro de volver a verte.」(またお会いできてうれしいです。)とご挨拶しようと思っていたが、その言葉がさくっと出てこない。結局、先生から先に「Como está?」(元気ですか?)と聞かれ、「Muy bien!」(元気ですよ!)と答えるのが精一杯。また、先生の彼女さんともお会いできた。その後、ドライブに連れていってもらえた。最初に悪魔の橋とも呼ばれるラス・ファレラス水道橋を案内頂いた。この橋は2世紀ころに建造されたとされている。およそ1,800年ほど昔の建造物が残っている自体がすごいと思うが、またその時代に水を運ぶ機能を持った橋があったというのも驚きである。橋を見学したあと、地元の朝市へ連れていってもらえた。新鮮な野菜やくだもの。腸詰めなどが、ふんだんに売られていた。こちらは、昨日、バルで食べたアルカチョファ。先生とは一度ここで別れる。午後から再会することになっている。ここからは彼女と二人でタラゴナの街を歩く。地中海のバルコニー。天気が良かったらとても美しいだろう。ローマ円形競技場。ここも1〜2世紀の建築という。ここから、この周辺をぐるっと一周する考古学の道を歩くことにする。とても欧州的な素敵な回廊である。壁面のくぼみには鳩がたくさん巣を作っていた。回廊を出て、元いたところへ戻る。その間にも欧州を感じさせる街並みが たくさんある。そのあと先生と合流し、食事となる。パエリアの美味しいお店へ連れて行って頂く。待ち時間が長かったので、お土産に持ってきた 有田焼の湯のみをプレゼントした。頑張って即席のスペイン語で思いを伝えた。Esto es un regalo a vosotros.Es Arita-yaki taza.Arita esta en saga,kyusyu,Japon.これはお二人へのプレゼントです。有田焼のカップです。有田は日本の九州の佐賀にあります。Gracias por hoy.Quiero volver a España.quiero ser amigo con vosotros.Por eso estudio epañol más.今日はありがとう。またスペインに来たい。そして、お二人と仲良くなりたい。なので、スペイン語をもっと勉強します。通じた!よかった!そして、待つこと1時間、料理が運ばれて来た。第1弾、海産物の乗ったおじや 風のパエリアである。パエリアも美味しかったが、初めて食べる、ロブスター も とてもうまい!第二弾、 パスタを使ったパエリア。いくつか乗っている白いソースは にんにくマヨネーズである。どちらかというとこちらが好き…いや、さっきのも捨てがたい。先生とはここでお別れ。名残は尽きない、「Me lo pasé bien muchas gracius!」(とても楽しかった、本当にありがとう)とつたえた。(文章は翻訳アプリより。)帰りの列車。行きと同じく特急だが、時刻表を見ると所要時間が全く違う。しかしこれに乗らなければ帰れないので乗ることにする。出発してしばらくして、来た路線と違う路線を走っていることに気づく。昨日行った、サンサドルニダノイア駅の方を通るらしい。少し遠回りである。結局、2時間かけて、ホテルに到着。疲れて一眠りしたら、遅い時間になってしまった。
朝起きてみると、若干の曇り空。今日の予定は、Cava(スパークリングワイン)で有名なサンサドルニダノイアのコドルニウというワイナリー見学である。ホテルの近くからスペイン国鉄のレンフェに乗る。初めての海外の電車。(地下鉄は昨日体験済)道路と同じで鉄道も走る方向が逆(右側通行)。何だか違和感を感じる。軌間は広め(広軌?)車両は日本の在来線より少し大きい。列車のすれ違いの音が静かに感じた。(ドアが密閉式で音が出ないため?)およそ40分で、サンサドルニダノイア駅に到着。ここからはしばらく徒歩での移動である。道路脇にもワインの瓶やコルクの栓の車止めがあったりして、ワインの街であることが分かる。しばらく町並みの景色を楽しみながら歩く。数軒のワイナリーも見られる。しかし、何故こんなところに、大八車が!?コドルニウのワイナリーに近づくにしたがって、ぶどう畑もたくさん見られるようになる。駅から40分ほどでコドルニウに到着。なかなかしゃれた作りの建物。見学まで1時間ほどあるので休憩しながら待つ。スタッフさんよりスパークリングワインの作り方や装置などの説明(もちろんスペイン語)があるが、当然のことながら全く分からない。彼女からあらましを聞いて理解する。ここでは、延長数kmにも達するトンネルの中で、ワインが寝かされている。そのトンネルの中を、トロッコで見学させてもらえた。こんな感じのトロッコ。何本もあるトンネルのそれぞれに、いろいろな名称がつけられていて、その一つにCAVA-TOKYOというものもあった。見学が終わり、スパークリングワインの試飲タイム。口当たりのよいもの、熟成されたものなど3種類のスパークリングワインと数種類のチーズを頂けた。この時、カメラで撮った写真を取り込むためにスマホを取り出した。その際に、邪魔だからとつけていたモバイルバッテリーを取り外したが、おそらく、この時にこのモバイルバッテリーを置き忘れてきたらしく、今手元にない。出発時のクレジットカード忘れにつづき、また「やってしもうた」である。もう自己嫌悪の嵐。※後日見つかった。置き忘れてなかった!さて、お土産にいくつか買っていきたかったが、スーツケースに収める自信がなかったので、大きなの1本とかわいらしげなの3本にした。帰りも駅まで来た道を戻る。途中雨が降り出したりして、少し焦るが何とか持ってくれた。帰りの、サンサドルニダノイア駅で。ちょうどよいカーブがあったので、「鉄」風に収めてみました。ホテルに戻ってきたのは夕方だったが、この後予定していた買い物とバルに食事に行く時間にまでにはまだ早かったので、少し休む。買い物は、少し遠めの、だけど彼女おすすめのスーパーまで。食料やら飲み物、お土産など買い込むと結構な量の荷物に。そのままバルで夕食をと考えていたが、それどころではない荷物となったため、一度ホテルに戻る。一度戻ってきたのもあって、予定の時間を過ぎていたのと、遅い時間になればなるほど、バルが混み合うということで、急いでホテルを出る。当初の予定のバルに行ってみたが、人だかりができている。これではだめだと別のバルを探す。帰り道に雰囲気の良さそうなバルがあったので、ここで食事をすることにする。まずは、乾杯。クララと呼ばれる、ビールを炭酸のレモンジュースを割ったもの。以前、博多駅のバルで飲んだことがあったが、甘くて非常に飲みやすく好印象であったので、今日も頼んでみた。最初に出てきたのは、コラソン デ アルカチョファと呼ばれる料理。日本にはないアルカチョファと言われる野菜の上に小さめの目玉焼きが乗っている。早速食べてみたが、初めて食べる味。でも、美味しい。同時にやってきたのが、パタタ デ ブラバスというじゃがいもの料理。日本人の口には濃すぎるかもしれないと思われるが、私が濃い味が好きなので、進む、進む。クララともとても合う。こちらが、パン コン トマテ。パンにトマトとオリーブオイルと塩をあわせたもの。素直な味で好感が持てた。最後にきたのは、こちら。コチニージョ。豚の角切り肉を焼いて、塩で味付けをしたもの。とても柔らかい。福岡の人間で塩のきいた豚バラ串大好きなので、この料理も大いに口にあう。真ん中にある緑はししとうで、こちらも塩味が効いてて美味い。ここでしばらく楽しく贅沢な時間を過ごしてホテルに戻った。
北京のトランジットラウンジで日を越えて、深夜便でバルセロナへ。バルセロナ行き A330-300日本時間では既に3時を回っているのに、何故か眠気が来ない。離陸後、機内で軽い食事が出る。メニューはサンドイッチとマドレーヌ。サンドイッチが美味しい。若干の空腹を感じていたので、嬉しい。ここからうとうとしながら眠りにつく。だが、目覚めてみるとまだ到着まで7時間もある。機内は照明を落としてあり暗い。外はまだ朝が来ていない時刻なので、真っ暗なはず。だが、窓のシェードの隙間からは光が漏れてきている。なぜ?緯度が高いからであろうか、日が沈まない夜が来ているのかもしれないと思った。暗い中、じっとているのも苦痛なので、音楽を聞いていたところ、彼女が目を覚ました。映画を見ようかということで、あらかじめダウンロードしていた映画を一緒に見る。だが、それが終わってもまだ、到着まで3時間もある。彼女と会話をしながら過ごしたが、少し寝ておかないとと思い、1時間ほど眠る。気がつくと、機は着陸態勢にはいりつつある様子。バルセロナの街を左手に見ながらファイナルアプローチ。着陸後、入国審査。審査官の方へ「Hola」とご挨拶。するとニコニコしながら「お元気ですか?」と日本語で返して頂いた。「Muy bien」とこちらも応戦。ほっこりしながらの入国となった。まずはホテルへチェックイン。郊外のホテルだがすごくよさそうなところ。荷物を整理して早速でかける。この日の予定は、バルセロナの市街からほど近いバルセロネータのビーチでのんびりするコース。それにプラスしてモンジュイックの丘にも行くことにした。お昼も彼女のおすすめのお店ですます計画。地下鉄に乗って、そのお店へ向かう。だが、長蛇の列。待とうかと思っていたが、まだ開店までですら40分あるとのこと。この後の予定もあるため、他を探すことに。そのお店の脇に、欧州っぽい通りを見つけたので、写真を一枚。だが、遠く欧州までやっときたという感じがしない。まぁ、次第に分かってくるだろう。さて、問題は食事である。そんなに簡単に代案は出ないし、とりあえず歩いてみることとした。ふと、マクドナルドの看板を見つけた。昔、ニュージーランドで御当地バーガーを食べたことを思い出し、スペインの御当地のものがないかと気になった。簡単にお店が見つかったので、早速入って、メニューを見る。ん〜、これはスペインの!というのはなさそう。それよりびっくりしたのが値段。10€弱だったので今のレートで言うと、1,600円くらい。え〜!マクドナルドで1,600円とおもいつつも、チキン系のバーガーを頼んでみる。パンが美味しい!それから、ドリンクでつけた、ガズパチョ(冷たい野菜のスープ)もなかなか。さて、目的のバルセロネータの海岸に着く。地中海だぁ!たくさんの人が太陽と海の音を聞きにやってきている。我々も、レジャーシートに腰を下ろす。じーっと見ていると、飛行機雲が見える。ふと、彼女が飛行機雲ってどうしてできるんだろう?と呟いた、それを聞いて、ふと空を見上げた。そしてわぁ!と思った。数本の飛行機雲が頭上に直線を描いている。これは既に芸術である。さすがバルセロナ。バルセロネータのビーチからは、Wバルセロナというホテルが望めるが、これをヒルトン福岡シーホークに置きかえてみると、百道浜みたいに見えない?(笑)しばらく、地中海のビーチを見ながらゆっくりしていたが、日が落ちる前にモンジュイックの丘にたどり着いておきたく、ここを後にする。モンジュイックの丘へは、ビーチから出ているゴンドラに乗る。海の上を通る、珍しいゴンドラである。入口につくと、70分待ちとのこと。このゴンドラも是非乗ってみたかったので、待つことにする。ゴンドラの中では何とかバルセロナの街側の席が取れたのでいろいろ撮影する。バルセロナの象徴でもある、サグラダ・ファミリアも、初めて目にする。その中で、写真中央下のようなブイのようなものを見つけたが、なんだか形が変。撮ったものを寄せてみると、何?バルセロナに小便小僧?いけないところに星マークまでしてある。(笑)何だったのかはよく分からないが面白かった。ゴンドラを降りて、モンジュイックの丘を歩く。あちこちにヤマバトが居て、クーククー、クーククーと鳴いている。心なしか宗像のより声が高い気がする。30分ほどで、カタルーニャ美術館に到着。天候も風も心地良い。ここに来たかった理由…この景色を見たかったのである。少し陽が陰っているのが残念だが来れてよかった。連れてきてくれた彼女に感謝である。ここまで歩いて、さすがに喉が乾いた。しかし、日本みたいにコンビニや自動販売機がそこらにあるのは世界的には珍しいのは知っていたので、我慢するしかないと思う。ここから地下鉄でホテルに帰り、そこから近くのスーパーマーケットまで、食料などの買い物に出かけた。結局、飲み物にありつけたのは、ホテルにもどってから。疲れた〜
彼女の家を出たのは11時半。地下鉄で福岡空港へ。地下鉄の中で、あれ?財布にクレジットカード入ってたっけ?と不安になる。記憶の中にあるのは、財布の整理のためカードを抜いた後の映像だけ。はっと財布を出してみると、やはりない。やってもうた!彼女に相談すると、ひとまず代わりに出してくれるとのこと。(感謝)しかし、自分がやらかした痛恨のミスに落ち込む。国内線ターミナルに着くので、国際線ターミナルへの連絡バスに乗る。エアチャイナのカウンターで荷物を預け、出国審査。もう扱いは海外である。搭乗ゲートで待っていると、北京からのCA953便が着陸してきた。(スマホ撮影なので絵がきたない)10日後はこの便に乗って帰ってくるのだ。この折り返しがCA954便北京行きになる。福岡を定刻より30分ほど遅れて出発。福岡の街を左手に見ながら上昇。壱岐や対馬上空を越え、朝鮮半島へ。この頃より、若干のタービュランスの影響で、揺れが強くなる。そのためか、機内サービスも遅れているよう。タービュランスを越え、いよいよ食事のサービス。昼食をとっていなかったためか、空腹気味。メニューはミートボール。不安に思っていた機内食だったが、美味しくてよかった。さて、福岡出発の遅れを引きずったまま、大連へ到着。寄港だけの予定なので、乗り継ぎは1時間。一度大連で飛行機を降りて、ターミナルへ。北京行きのプラカードがあったのでそちらに進むと、入国審査のゲートが。審査があると話には聞いていたので、やっぱりかとは思ったが、飛行機の出発まであと20分しかない。急いで申請書を書き(それも書く場所が少ない)審査官のところへ向かう。審査もなかなか時間がかかり、終わったときには出発時刻を過ぎていた。しかし、飛行機も準備が遅れていたためか、出発が延びており、何とか間に合った。北京に着いて、(これからが大変だった)「Transfer」の案内に従って進む。やがて、国際線乗換え客用の窓口にたどり着く。しかし、窓口には誰もいない。向かい側の国内線乗換え客窓口にはスタッフが何名かいるのだが。結局そのスタッフに道を聞いて歩き出す。たどり着いたところは構内列車の駅。どこのターミナル行きかは書いてあるがそれがバルセロナ行きの飛行機のいるターミナルかどうかは分からない。結局またスタッフに訪ねる。どうやら、この電車に乗らなければならないらしい。その電車で「T3E」駅へ向かう。今度は中国からの出国審査。無事通り過ぎると、やっと目的のターミナル。さぁ、トランジットラウンジへ向かうぞと思うが、見つからない。案内所があったので聞いてみたが怪訝そう。そこで福岡で借りてきていた、Wi-Fiを繋ぎ、検索。場所と予約番号を彼女が見つけてくれた。(帰りもここの空港でのトランジットと思うと、ぞっとする。)そして、トランジットラウンジでこれを書いているが、もう十分疲れた。明日、大丈夫かな?しかし、あと5時間したらバルセロナへ向かう。いよいよだ!
今日は、明日の出発に備え、福岡市内の彼女の家に来ている。準備万端なはずだが、忘れ物はないか、ほかに必要なものはなかったか、不安である。重要なくせに、普段持ち歩かないので忘れてしまいそうなパスポートもちゃんと持っている。航空券や入場券などは一応スマホに入っているが、スマホが壊れた、ネットワークが繋がらない、充電を切らしたなどのアクシデントを想定し、印刷したものも持っている。もひとつ、忘れそうなのが、明日、空港でレンタルのWi-Fiルーターを受取ることである。空港について、やれ出国審査だ、保安検査だとそっちに頭が行ってしまうと、きっと忘れる。出国審査後、「あっ!」と気付いても遅い。一応、今日、ここで書いているくらいだから、空港に着いたときには思い出すだろう。それから、彼女に促されて、明日の飛行機のオンラインチェックインをした。しかし、予約の時点で押さえていたはずの座席が押さえられていない。なんてことだ。まだ、良い席があったのでそちらを確保したが、この様子だと帰りの便も早めにチェックインしなければならないようだ。さて、私はシャワーや風呂に入らないと眠れないたちだ。明日は、夜に北京に着き、そのまま日を越えて深夜の便でバルセロナへ向かう。空港にシャワールームなどあるといいのだが、なかった場合、寝付くのに苦労するかもしれない。と考えていたら、エアチャイナ同士の国際線乗り継ぎでかつ4時間以上のトランジットの場合に限り使えるトランジットラウンジというのが北京空港にあるらしいことが分かった。シャワーも完備しているとのことで早速、予約しておいた。空いていれば個室も使えるらしい。こんな風にいろいろな考えがめぐってくるのに加え、いよいよ明日出発と思うと興奮で寝付けない気がする。夕方15:10発の便なので、出発するのは昼くらい。なので、多少の寝坊は許されると言えば許されるのだが。まぁ、明日はきっといい風が吹く。行ってきます!
さて、一週間の滞在後、今度はきっとバルセロナ時間に順応してしまっているだろう。ここからは帰りの行程である。BCN[19:10] → PEK[06:35]バルセロナ(BCN)の出発は現地時間の12:10。日本時間では19:10である。普段、日本ではだいたい0時頃寝るのだが、それは飛行機が出発しておよそ、5時間後となる。機窓の景色も、もう真っ黒になっていると思われる。希望としてはこのあたりで眠りにつきたいが、そもそもバルセロナ時間では17時頃とまだ眠りにつく時間ではないし、そううまくいくかは自信がない。そこから行きと同じく7時間寝たとすると、日本時間の6:00。北京(PEK)到着が日本時間で6:35なので、ちょうどディセントが始まっている頃かもしれない。PEK[09:55] → DLC[11:20]北京(PEK)では怒涛のようなトランジットが予想されるので、寝るなんてことは考えられないだろう。北京(PEK)を出るのが日本時間で9:55。こっから先は疲れで睡魔に襲われるだろうが、寝たら負けである。DLC[12:20] → FUK[14:40]途中、大連(DLC)のトランジットで目を覚まされるのはラッキーかもしれない。なんとか時差ボケを克服しつつ帰国したい。翌々日からは仕事も始まるし。苦しいかもしれないが、時差ボケ対策も楽しもう。
まずは、現地時間で書かれている飛行機の到着時間や出発時刻を日本標準時に置き換えてみる。(本文中で[ ]で囲った時間は日本時間。)まずは、北京まで。FUK[15:10] →DLC[17:40]DLC[18:40] → PEK[20:00]福岡(FUK)から北京(PEK)までは夕方から夜にかけての便なので、普段通り過ごせると思う。ただ、到着後7時間30分のトランジットがある。それを乗り越えると、いよいよバルセロナへのフライトである。PEK[03:30] → BCN[15:15]北京(PEK)を出発するのは日本時間で午前3:30頃。きっと、睡魔も襲ってきているだろう。機内食を食べたらさっさと眠りにつくことにしよう。7時間眠ったとして起きるのは日本時間で10:30頃になるだろうか。寝るのが遅かったとはいえ、結構な寝坊である。その頃どこを飛んでいるかは分からないが、まだ夜中だと思われる。そこから到着までまたさらに5時間近くある。外が真っ暗な中、何をして過ごそう。しかし、これだと、飛行機の中での起床がバルセロナ時刻で3:30くらいになるので、時差ボケ対策には、機内でもう少し眠っていた方がいいのかもしれない。バルセロナ(BCN)に着くのは現地時間で朝の8:15。日本時間では15:15である。予定では朝日を浴びたバルセロナの街を右に見ながら降りてゆくはず。