青森には縁のある私だが、残念ながら「ねぶた祭り」には行ったことがない。

青森港の青函連絡船跡地横の「ねぶた」制作アトリエ群には青森大学客員教授時代、

学生と一緒にスクールバスで年に一度は見に行った。

写真webより

               仮設の巨大テントアトリエでの針金を主体に、垂木などで骨組をつくるといった、

いたって単純な構造体に和紙を張り、絵を描く。

写真webより

基本的には、勇壮な武者の戦闘場面が多い。

 

               何と言っても驚かされるのは、巨大な人やモノを立体として、

いわゆる塑像のように粘土をつけたり削ったりはしない,

あるいは木や石などのように中身の詰まった三面図を投影しやすい表現と違って、

空間にホログラフィのように形態を針金の線で表現してゆくのは並大抵の感性では無理だろう。

 

          そして、いわゆる、提灯のような張りぼての中に照明を入れ、

立体の絵画を夜の暗闇の中で、観客の意識を集中させるための造形だ。

黒石市の学生、今井君には五所川原市の「たちねぶた」に案内してもらい、

写真webより

高さが20mもあるという「表現」には日本人にもこんな大きなものをつくれること

にびっくりした。

           昔から日本人は大地とは不即不離の農業国で

ほとんどの造作物が平面に近い表現が多いからだ。

          それに加え、パブリックアートの観点からしても、

祭りが3日という短期間に街中を巡行、練り歩くというのも、

昔ながらの祭りといった捉え方しなかった私の偏見で、

特に気にも留めなかった意識を大きく変革した。

           パブリックアートも、今までのように永久展示などということも考えを直し、

街の景観と同様に変化を目指さなくてはならない。

まさに、古くて新しい表現と方式と認識させられた。

 

         1994年、青森大学の理事長の木村正枝さんと

余暇開発センターの松田義幸さんとの話し合いで、

観光時代の到来に、観光立県をリードするための

観光学科レジャーコースの新設をするための客員教授として、

月一回、2泊3日で6年間通った。

大学には松田先生の弟子、土屋薫(現・江戸川大学教授)さんが助教授で、

青森県の観光文化、特に、自然や温泉には数多く案内してもらい、

青森県がから屈折を踏み台に、様々な天才を生む土壌を肌で感じた。

(これに関しては、またその内、書こうと思っている。)