映画は1853年発表の、自由黒人であるソロモン・ノーサップの体験記
ーワシントンD.C.で拉致され奴隷として売られた苦難の体験記”12 Years a Slave”ーである。
私のアメリカ体験は1970年ニュヨークに始まる。
能天気で無知な私は、当時、ワシントンスクエア脇の小さなホテルに滞在していた。
「アメリカンドリームとか自由な国」のアメリカの社会問題などまるで知らなかった。
毎晩、若者が気が狂ったようにギターをかき鳴らし、騒ぎが朝まで続くのを見る内に、
ベトナム戦争からの兵役拒否の若者やヒッピーなど、それも白人がほとんどだった。
そして少しづつアメリカの深刻さを感じ取っていた。
その後、当時、アメリカ国内中を走っていたグレーファウンドバスでアメリカをぐるぐる回った。
嵐が丘で知られるアトランタ周辺では、黒人の「ウサギ小屋」の連なりなどを見、
奴隷の存在を実感した。
映画では、アフリカから「輸入する」ことが面倒になったのか、
手っとり早く国内で黒人奴隷の拉致が横行していたのか。主人公・ソロモンは餌食になった。
自由を束縛するのはもってのほかだが、
動物以下のように黒人を扱う人間性無視の横暴三昧や
生殺与奪権を持つなど厳しい現実を映像化していた。
権力機構は今でも、この構造は変わらない。
黒人大統領になったオバマにしても、白人権力機構には良きアンクル・トムでいるしかない。
映画・猿の惑星のように、人間を奴隷にしても、権力は同じ状況を繰り返すのである。
権力はいつまで経っても、支配者と被支配者に色分けされる。自由とは支配者側だけのものだ。