「テクノパーク委員会」の委員の一人であった]

入交昭廣さんの兄上・入交昭一郎さんは

日本の自動車産業の礎を築いたCIVICをつくった人たちである。

      「テクノパーク委員会」の会議のあった日は

時々帰りの車に同乗させてもらったが、その度にメーカーが変わり、

何故かというとヨーロッパ車のテイストを探るためだと聞いた。

 

      そして、世界中を席巻してきたホンダのバイクが

ハーレイダビッドソンの荒馬を乗りこなす重量級の迫力から

モータースポーツやレジャーの多岐に亘るバリエーションの

ライフスタイルに対応する必要に迫られていたのだから。

 

      ホンダはフランス、コートダジュールや

アメリカの西海岸ベニスビーチなどにデザイナーを派遣し

3ケ月から半年ほど生活させ、

ヨーロッパ人やアメリカ人に、生来とは言えなくても

皮膚から沁み込んだライフスタイルをR&Dし、

バイクのデザインをするという

創造力や思い付きでは不可能な領域の開拓は大会社のなせる技と学んだ。

 

      強烈な印象を受けながら、

その後お付き合いのなかった入交昭廣さんの活動の一端を、

岡崎宏司氏の下記の記事にて紹介する

 

        CARS/2025.11.23  https://www.leon.jp/cars/316473  

岡崎宏司の「クルマ備忘録」CARS

    BY岡崎宏司(自動車ジャーナリスト)岡崎宏司 - Wikipedia

 

   「知る人ぞ知る、日本産のライトウェイトスポーツカー

「VEMAC RD200」に乗った!」

   1981年に設立されたエンジニアリング企業「東京R&D」が

手がけるスポーツカーVEMACをご存知だろうか? 

著者(岡崎宏司)も初試乗となった、国産ライトウェイトスポーツカーの魅力とは!?

   「東京R&D」は、1981年に設立されたエンジニアリング企業。

本社は千代田区内幸町にあるが、今回は開発拠点の神奈川県厚木市の厚木事業所を訪ねた。

   創立者は入交昭廣。60年代半ばからおおよそ10年間近く、

埼玉県和光市の本田技術研究所で車体強度関係と操縦性安定性の基礎研究に取り組み、

加えて、F1活動にも力を注いだ。

   その後、レースファンなら誰もがその名を知る著名なレーシングカー設計者、

小野昌朗にバトンは渡され、念願のスポーツカーのプロジェクトが始まることになる…