「シュヴァルの理想宮」を見て思った。趣味の領域は余暇時間の手慰みで価値を生まない。

しかし、芸術家と呼ばれる人の行動、仕事は他人に形而上哲学的な影響を与えるだけでなく、現実的な価値を生む。

 

   映画はフランスのリヨンとアヴィニヨンの中間点に位置する田舎に住み、

山里を一日32㎞も歩く郵便配達員シュヴァルの昼と夜の「理想宮」建設の記録と蓄積。

その存在が世界にどう映ったのか。

影響を受けたと思われるガウディにしても、芸術家は大きなハッタリを打ち、社会の注目を浴び、

それを目標にして表現することにより、一層の尊敬と地位、金を手に入れてきた。

 

   しかし、シュヴァルの閉じた環境と世界では妻と二人の子供だjけ、

無口で人づきあいのできないシュヴァルは自分の心の中での問答が造形という表現を通して形づくられた。

 

   ガウディの最高傑作というより、20世紀文化の頂点の一つ、

サグラダファミリアの建設に関しての条件はキリスト教会だから、 

ガウディが死んでも営々とクラウドファンドによる100年以上も持続させるシステムによって、

中世のバベルの塔のカタチが変わった、夢の幻想が近代合理主義のなせる業か、

サグラダファミリアの巨大プロジェクトの最終段階がやっと見えてきた。

 

    近代合理主義はアイデアや考え、労働に対して、対価を生む。

芸術も金儲けの材料として企業家は鵜の目鷹の目で労働力とは異なる概念である金儲けを企む。

一攫千金の宝探しはいつの世も横行してきた。

 

    ガウディは近代合理主義に異を唱えるデザイン手法に見えても、

近代合理主義、つまり芸術性も含めたあらゆる意味での整合性の中でサグラダファミリアを築いた。

 

    シュヴァルは建築工学など無縁の、誰の手も借りず「芸術」などということさえ知らない

「究極の自己満足」を実践したのである。

夢の宮殿は建築としては使えず(娘アリスの遊び場であり、実際には使われなかった地下に家族の墓所が用意された)、

拾ってきた石とセメントの造形物であり(映画の中で芯には鉄棒を入れたと発言している)、

見るだけの大きな彫刻と言える。

 

    シュヴァルの造形表現で興味ある人型や建築物のバラバラのスケールや集合体が

アンバランスを生み展開するとき、人は何故か合理性とは異なる、

人の眼を気にしない集中力が芸術の根源を見たような気がするのだろう。

 

   現代の芸術家の創作する芸術の嘘とハッタリとレトリックで丸め込む表現にはほとほと飽きているせいか

 

photos:下記ブログより