映画を見ていて思い至ったのが、「持てる者」と「持たざる者」についてだった。
第一の条件、ソフィーの美貌と第2は社会状況。そして第3は出会いの中でサバイバルしてゆく。
そこには絶えず既定路線、運命のような現実に対し、
彼女の切り札、逃げ口上と言ってもいいが「ババ」を引かない選択を
苦し紛れか、技術なのかで生き延びる。
ナチとの対応はいつも死しかない中で、
将校らの助平心にうまく乗ずる。
下級将校にとって、自己の小さな権力と一時の心の解放を与えるソフィーは
息子の開放など条件もつける。
ナチ収容所から生き延び、アメリカに辿り着き、ネイサンに出会う。
美しい顔立ちと細く華奢な身体に一目惚れのネイサンを虜にした。
ニューヨーク、ブルックリンに借りているネイサンの部屋に同居し、愛人としての生活が始まる。
統合失調症のほら吹き、当然実体のないネイサンとは愛はあっても嘘で固めた虚構の中に、
南部から作家志望ののステインゴが一階に越してきた。
田舎青年スティンゴにとっても、ソフィーは手を出せない妖しい色気に翻弄される。
スティンゴンは芽の出ない、親からの援助もなくなった段階でバージニアの農場へ帰える準備をする。
一方、ネイサンは狂い方がピストルなど暴力的になり、スティンゴは危険を感じ
ソフィーとともにワシントンに避難しホテルで一泊する。
その後、スティンゴンが計画するソフィーを連れてバージニアでの結婚生活は、
ソフィーにとって10歳ほど年齢差のスティンゴと農場で暮らすことは問題だった。
美貌の衰え、つまり、いつも男が言い寄ってきた、そして美しさによって生き延びてきた人生。
しかし、齢を取れば持っていた切り札がなくなること、
戦乱の不幸な中にも男と女の出会いの中で選択し、生きてきたのとは正反対。
農場の籠の鳥として、惨めな老い見つめなくてはならない。
人生のピーク時に決着を着ける選択をし、ネイサンと服毒自殺する。
「持てる者」はそれにしがみつき、保守化する。
ネイサンとソフィーは「持てるもの」を嘘をつきながら演じ切れなかった。
嘘と罵詈雑言の応酬の行き着く先は、全てを破綻し終える選択しかない。
田舎のボンボン・スティンゴはちょっとだけニューヨークの
「持てる者」を演じたが、「持たざる者」への転落が恐くなって、田舎の「持てる者」へ逆戻り。