お読みいただきありがとうございます。
人生の彩どり師・関みゆ紀です。
一石何鳥が動くー150「神の息吹の米※祭り」の続きです。
「すずめの戸締り」観てきました。
(入口で渡された無料パンフレット)
「戸」に関して「むすんでひらいて」の話でもあるので、
私が今書いていることと重なる部分もあり面白かったです。
一石何鳥が動くー131「スズメバチの戸締り」
分かれている川(水)が、大海へ流れて一つになるように、
また風(空氣)に還り、循環するかのように、
全ては一つに集約し、「ダークマターが動いてる」んだなぁと。
さて、鹿島神宮の話です。
末社・熱田社を観た時に、 むーらんから2018年7月24日に
「後々、名古屋には行くことになるから、今は伊勢ってことだそうです。」
と言われてたことが、ふと頭に過ぎり、
木花咲耶姫と磐長姫の伝言-73「WダブルW」
熱田社⇒名古屋⇒熱田神宮を想起して、近寄ってみたんですね。
祭神 素戔嗚命(すさのおのみこと) 稲田姫(いなだひめのみこと)
古くは七夕社(或は田畑社)と言われ農業守護の社です。
「たなばた」とは。
七夕=棚機⇒織姫
七夕=田畑⇒稲田姫
織姫と稲田姫はニアリーイコール、ほぼ同じ、おおよそ等しい。
ノンノンノンノ~ン( ゚Д゚)ダメ出ししまーす!
稲田姫のATAMAには「クシ」が付いてないと機能が発揮されぬのよ。
クシナダヒメ(奇稲田姫・櫛稲田姫)でないと。
スサノオのATAMA=カミに装着するICチップなんだから。
木花咲耶姫と磐長姫の伝言-54「奇魂・奇稲田姫」
「ミロクの進化」の情報が入ってるんだから。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー111「LADYクシナダは現実化する」
同じく「弟橘媛」も、御祭神が「橘姫」の時があるけど、
橘姫のATAMAにオトが付いてないと機能が発揮されぬのよ。
オトタチバナヒメ(弟橘媛)=音立華(鼻)秘めでないと。
オトがATAMAについてないと、
織姫である「こと座」の「タテコト(ハープ・竪琴)」の音が鳴らない。
音は創造の源なんだから。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー29「音は創造の源」
「お」と「と」がくっ付いたら「おと」になる。
水素「H」が酸素「O」とくっ付いたら水「H2O」になるように、
何かと何かの接触が化学変化を起こし、創造が起きていく。
経糸(タテ)と緯糸(ヨコ)の織り成す「接触」も創造のはじまり。
だって、五十音図はその組み合わせで「音」になってるでしょう?
木花咲耶姫と磐長姫の伝言-13「五十音」
次代の北極星は、織姫。淡々と移行中。
織姫(ベガ・こと座)≒音姫≒乙姫≒玉依姫≒
オトタチバナヒメ≒クシナダヒメなのです。
そして 「田畑(たなばた)」と「棚機(たなばた)」です。
五十音図は田んぼで、音が成(鳴)るもので、
機織(はたおり)も経(タテ)と緯(ヨコ)で編むもので、
ニアリーイコールなのです。
木花咲耶姫と磐長姫の伝言-87「五十音図は田んぼ」
アクエリアスは複数の織姫と手を結んでいる。
2020年5月18に交わしたまきちゃんとのこの会話もニアリーイコールです。
WAW・アフターサービスー12「ヒビ多し」
織姫(ベガ・こと座)≒音姫≒乙姫≒玉依姫≒
オトタチバナヒメ(弟橘媛)≒クシナダヒメ(奇稲田姫・櫛稲田姫)
はい、更に続きます。
≒アラハバキ≒ククリヒメ(菊理媛)≒セオリツ(瀬織津姫)で、
ニアリーイコールで「融合・習合」していきます。
あやちゃんは、瀬織津姫は一柱ではないと言ってましたよね?
一石何鳥が動くー91「瀬織津姫の正体」
以前、あやちゃんとまきちゃんの名を表わす「記号」の話を書きました。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー38「アヤとマキの暗号と型出し」
あやちゃんは「織物」の経糸(タテ)と緯糸(ヨコ)を表わし、
まきちゃんは「糸巻」という進化、化学変化の螺旋を〇として表し、
南北の「織姫」を合わせると〇と十で地球の惑星記号となり、
「南」と「北」の糸が重なることで、機織りが始まり、
その「タテ琴」が鳴ったら創造(再生)が始まる。
それが「地球の更新」なんだよね。
南と北の「糸」を撚り、「タテ琴」を奏でたので、
「アクシアの森」が創造されたしね。
もう、この地球の、緯度と経度が「織姫」そのものなんですよ。
そして、経線(タテ)と緯線(ヨコ)の組み合わせで言葉を成す
「五十音図の田んぼ」そのものなんです。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー111「LADYクシナダは現実化する」
「織姫」が言葉という糸(意図)を紡がないでどうするの?
「タテ琴」の音が鳴らないと創造は起こりません。
「田んぼ」に穂が実らないと秋祭りに奉納する「米=光」が無い。
「米=光」とはまた「日が立つ=音」です。
言葉(音=光)が方向性を創っています。
宇宙はずっと「イザナミ」がア!と音を鳴らすのを待っている。
それが宇宙の進化に繋がっているから。
キトラ古墳の朱雀の門は、盗掘により開けられたのだけど、
「朱雀の絵」は生き残ったのです。
これがどういう意味を成しているのか。
そして、なぜ、見えないチームが「表現・伝達」に関して匂わせてくるのか。
「アクシアの森」が知っているので調べてみましょう。
2021年4月9日のあやちゃんとの会話です。
宇宙の真ん中で愛智を学ぶー34「日と水のペアペアリペア」
「窓口=朱雀の門」がいっぱいないと、
「和解の選択肢」が増えないではないですか。
私のマニアックなブログが面白いと思う人もいれば、
興味が湧かなくて読まない人もいます。
或る一つの小さな門に過ぎません。
それぞれにあった方法手段表現で認識や理解することが一番なのです。
どこから入ったとしても、真ん中(平常心)であるのなら、
辿り着く本質は一緒だから。
でも、開いている朱雀の門が少ないし、閉じたまんまもある。
よって、選べる選択肢が少ない。
なぜ「表現・伝達」をしないか。
自分は完璧ではないと思っていて、
こんなこと「言っても伝えても書いても描いても表現しても」
仕方ないと決めているから。
ここ2年その思いと葛藤して向き合いながら進んできたのです。
誰誰さんと同じようにとか、設定が他者で自分ではないままだと、
自分ができることをやらない。
自分なりの「表現・伝達」があるはずなのに、制限掛けてる。
天使やいい人、一方に固定された自分のままで
「表現・伝達」しようとする限り、その制限はずっと続く。
だから、吾妻の音姫よ振り子に乗りなさいと言ってくるのです。
「悪魔」の自分がいるから「天使」の自分がいることに、
「天使」の自分がいるから「悪魔」の自分がいることに、
「地獄」があったから「天国」の状態がわかるのに
「天国」があったから「地獄」の状態がわかるのに、
どちらかの世界が分離したまま放置され、
実は同一線上にあって、相互作用で成り立っていることに
氣が付かないままだから、
振り子に乗れないまま物事は進んでいきます。
吾妻の音姫よ振り子に乗りなさい
「吾妻」の音姫は、「関東」の音姫の意味もあるのですが、
音姫とは天空(宇宙)の織姫なので、
関東という地域性に限定されていません。
ア💡自分の事だわ、と自覚した人が音姫であり織姫です。
「吾妻」という表現は、この文章の「東」に掛かっております。
一石何鳥が動くー153「天の川から愛を取り出す」に続く。
大変申し訳ございません。
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