木花咲耶姫と磐長姫の伝言-87「五十音図は田んぼ」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。



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木花咲耶姫と磐長姫の伝言-86「穴守スピンオフ・固定観念」より続いております。



私のチーム三五太郎が伝えてきているのは、

日本の原点を見直せ。



日本の神様の名前は、稲穂と米と田んぼは外せません。







クシナダヒメ・奇稲田姫・櫛稲田姫もそうですし、

ニニギノミコト・瓊瓊杵尊・邇邇芸命は、

ホノニニギノミコトとも呼び、「ホ」は稲穂、

ニニギは賑やか、賑わうの「ニギ」を重ねた語で、

「稲穂」が豊かに「実る」ことを予祝してつけた名称。







また、日本人の苗字にも「田」の付く名前は、

たくさんあって切り離すことはできません。

例えば、私の旧姓の「前田」は、

何の前を指しているのかというと、

恐らく、神様(神社)の前の田んぼのことです。

そして、五十音図とは、田んぼを表しています。







一音一音は稲穂であり、稲(イネ)とは、五音(イネ)です。

磐長姫(イワナガヒメ)の「イワ」また、石・岩の「イワ」は、

「五葉・イワ」=五つの母音、「五十葉・イワ」=五十音を表しています。

音の一つ一つの働きが、神のごとき働きです。

だって、


あ い う え お 

それぞれ一音一音発してみてください。

意味するところが違うでしょう?

一つ一つに意志があります。

周波数が違うということです。



はじめに言葉ありき。

宇宙は音からできている。

一つ一つの音が神の働きであるということ。

そして、私たちは、音の周波数で動いています。



モヤモヤしている時に、言葉にして人に話したり、

文章にして紙に書き出してみたりすると、

スッキリと整理されるでしょう。

音で方向性をハッキリさせたからです。

音が意識を明確にさせています。

何かの、誰かの言葉で救われたことがあったのなら、

その音が意識の方向性を導いたということです。



五つの母音が基本形となって話される日本語は、

他国にはない穏やかな和の周波数を持っています。

外国人が日本語を覚えて自国へ帰ると、

性格が穏やかになったと言われる、という話を耳にします。

これは、嘘ではないと思います。



天皇が即位する時の一代一回限りの儀式である大嘗祭は、

東の悠紀殿(田)・ゆきでん

西の主基殿(田)・すきでん 

を分けて建て、五穀豊穣と国民の安寧を祈ります。







それも、五十音図の田んぼの世界です。

五十音図を二つにした真ん中のそれぞれの文字を中心に、

ユ=東 ス=西 に分かれています。



ちなみに、

2019年11月14日の令和天皇が行った大嘗祭では、

悠紀地方(東日本)の栃木県の「とちぎの星」

主基地方(西日本)では京都府の「キヌヒカリ」

が、奉納されています。



ア行とワ行の、8行の間が、八間=やま=山です。







国津神のの神、

オオヤマツミノカミ(大山祇神・大山津見神)が、

コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)の富士山が、

ドンと聳え立つ世界が葦原中国(あしはらのなかつくに)です。



オオヤマツミノカミ(大山祇神・大山津見神)の別名は、

和多志大神と言うそうです。

和多志は、「わたし」です。

和を多く志すですよね。

全体と調和する神様ということです。

和を以て貴しと成す精神が、

そういう「和多志」が「わたし」には含まれているのです。

それは、山と大地(田んぼ)が繋がっているように、

分断された世界ではありません。

戦前は、日本語には「和多志」という言葉があったそうです。

今では使われておりませんけどね。

日本のマインドって、吾は、和多志である、んですよね。

真ん中が、和多志







葦原中国(あしはらのなかつくに)は田んぼの世界。

AW日本母音シスターズに、ダブルでフォーメーションを組まれ

ガッチリと両側から支えられている世界が、

葦原中国(あしはらのなかつくに)なのです。







二つは一つ、
一つは二つ。


木花咲耶姫と磐長姫は、ワンセットでした。

「双子・二子・ツインズ・ダブル・相似」でした。



和多志大神である、オオヤマツミノカミ(大山祇神・大山津見神)は、

百の世界の調和の為に、ニニギノミコトへ娘二人を嫁がせようとしましたが、

う ウ 有

ん ム 無

と、ニニギノミコトが言わなかったために、

二つの世界は分断されてしまいました。







現象世界と潜象世界の分離です。



だから私は、木花咲耶姫と磐長姫の伝言-3「力石」で、

芝大神宮にあった力石にしがみつく霊体を観たのに、

観なかったことにしようとしたことをやめて、

在るものは有る。

居るものは要る。

と、認めたのです。



本質が何か見抜く力が無くなっちゃったら、

ニニギノミコトの繰り返しのパターンになっちゃうから。

男子(オノコ)の繰り返しのパターンを、

女人の和多志がやったら本末転倒でしょと。




本質を見抜く力を磨かないと、

肯定する、認める力を磨かないと、

木花咲耶姫と磐長姫の伝言-7「先祖のミタマ」に書いたように、



「人は死んだら終わりだ。

死後の世界なんかない。

だから幽霊なんていない。

何も残らない。

人は死んだらゼロになるのだ。」



生前そう言って亡くなった私の父みたいに、

生前に吐いた自分の言葉の重石(力石)を抱えて、

この世に留まっちゃうよ。

言葉が意識を創っちゃうから。

人は死んだらゼロじゃないんだから。



木花咲耶姫と磐長姫の伝言-88「愛宕神社」に続く。



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