『新種・負け犬』の私が産んだワケ

結婚5年目、35歳会社員。子供が欲しいと思えるようになるまで

苦しみました。そして、不健康妊婦として入院生活を超えてきました。?

当時は、「子供は欲しくないわけじゃないけれど、
オバサンになりそうで、子供を欲しいと思えない」と葛藤。
でも、そんな新種・負け犬タイプの30代女性って多くないですか?
しかし、世間では、そんな本音を言うのは危険。
だって、巷の30代女性には、バリキャリで才能ありすぎ!の人や、
不妊治療中の方や、子供命のVERYなママ、、、、。
本音をしゃべれば、逆鱗に触れてしまう恐れアリ!。

かなり、カッコ悪い「フツーの会社員女性」の私の
『世間的には非常にウケの悪い本音』を書くことで、
ちょっとは、「子供産んでもいいかもね」と思える人が
増えるといいな…と願っています。一緒に、がんばりましょう!

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妊娠経過~68 出産前夜…神への祈り

27th APR 2005

夕食後、看護士さんから声をかけられて、

「牧師さんをお呼びしても大丈夫ですか?」といわれた。


牧師さん?って一体。。。

およびしても…って言われても。。。

いくつモノ不安が頭をよぎるのですが、ここはひとつ、うなづくしかない。


よく調べていなかったのですが、

敬虔なクリスチャンの考え方に基づいている病院のため、

出産の直前に、神に安全な出産を祈ってくれる…というシステムなのである。

(もちろん、計画出産だからこそ…なのか?

 普通、突然破水したり、陣痛が始まったりするんだし、祈っている暇はあるのか…など

 聞くに聞けない疑問もわくが、そこは、まあ大人になってあきらめた)


「牧師さん」というイメージが、おじいちゃまだったので、

当然、そういう方をイメージしていたのですが…


入室してきたのは、母よりは少し若いかな…という女性。

たたずまいが、精錬で、そこにいるだけで、空気が浄化されるような、

しんとした気がした。

その人の生き方が、

その周りの空気を作る…と実感させられた。


「一緒に、安全で守られた出産を祈らせていただければと思って、今日は参りました…」

と出だし。

クリスチャンでもない私は、一緒に祈ってもらうなど、初めての体験で、軽く緊張する。


話をしながら、

私が妊娠中期に1ヶ月入院していたこと、

生まれてくる子供が男の子か女の子か分からないままであること…なども

(看護婦さんから聞いていたのか)彼女が知ってくれていた、ことに気が付いた。


そして、最後の彼女の言葉…

「これまで、本当に長かったと思います。

あなたにしか分からない大変なことがあったと思います…

本当に、よくがんばりましたね。

 でも、どんなときも神は見守ってくださり、

 今、こうして、明日の出産までたどりつくことができました。

明日の手術も、神は、きっと、

DR伊藤とアリさん、そして生まれてくる赤ちゃんを守ってくれると思います」

というものだった。



気づかないうちに、

私は、どこか、とても遠くへ来てしまったような気持ちだった。


そして、

生まれて初めて、

私は満たされた気持ちになった。


なぜだろう…。

自分自身もおそらく幸せな子供だった。

多感な時期も、何不自由なかったし、社会人になっても、恵まれたスタートだった。

恋人も友達も、振り返れば、みんな色々なことを教えてくれた。

出会えてよかった人たちに、囲まれていた。


でも、ずっと、何かが足りなかった。

生物的には、「女性は妊娠中、満たされる」といわれていたが、

私にとっては、自分が自分でなくなるような分離感を感じただけで、

満たされることはなかった。

むしろ、色々なものを剥ぎ取られて、そして、自由を奪われる経験でもあった、

生まれてくる子供に会いたい、という気持ちは強い。

そして、何か未来を宿した明るさもある。

でも、満たされることとは、少し違っていた。


今まで、ずっと、走り続けてきた。

なんのために?


いつも何かが足りなくて、

いつも何かが、外側にはある。と信じていた。

事実、いつも私が外側へ飛び出すとき、新しいものに出会えた。

でも、また、そこでも、外側へ飛び出したくなる。

いつでも競争し、攻めるために自分を磨き、そして身を守るために磨耗した。

何かが満ち足りることはなかった。


今、初めて満たされた。

この10ヶ月の自分を、生まれて初めていとおしいと思った。

そう、まぎれもなく自分自身を。


「痛みに耐えた自分」

「がんばった自分」

「人に生かされてる自分」

「ちょっとダメな奴だけど、ママになる自分」

それでいいんだ。

とても大切な10ヶ月だった。

いえ、とても大切な35年間だったのだ。




そう気が付いたら、

私は、いままでになく、

急に、私は赤ちゃんが気になりだした。

どんな子なのか。

男でも女でも、それはどっちでもいい。

人間として、どんな人間なのか?どんな使命を背負った子なのか?

私は、気に入ってもらえるだろうか?

私は、何をしてあげられるだろうか?


現金なくらい、急に、意識をし始めた…初恋みたいに。


人は、まずは、

自分を癒し、

自分を愛せなければ、

人を愛する資格はない。


ということなのかもしれない。

と、

ずっとずっと、後になって気が付いた。


実は、その日は、わけもわからず、

一晩中、

急激に変わる自分に、ただただ付き合うしかなかった。

     

    

     









妊娠経過~67 2人部屋

27th Apr 2005 

いよいよ明日、出産だ…。本日の午後からは、夕食は抜き。

帝王切開なので、水抜きが始まる。

妊娠中に倒れたとき、6人部屋の仲良しさんも次々帝王切開で、同じように

夕食抜きだったから覚悟はしていた。水も飲めないんだよね。辛いけど、朝までの我慢。。。


6人部屋の一人は、翌朝一番で、帝王切開と決まっていたが、

主治医に緊急手術が2件立て続けに入ってしまい、

夕方まで延期。前日の午後から飲まず食わずの悲劇。

そんな事態が起こらないことを祈るのみ。


今回は、なんてたって、GW前なので、私と同じように計画出産(主治医がGW休みだから…という理由)

が多く、6人部屋なんて一杯!

ということで、かろうじて2人部屋に。

お隣さんは、どうも、ひどいツワリで、何も食べられなくなってしまい、

ひたすら点滴入院しているらしい…ということが分かった。

ツワリか~半年前のことなのに、もう、3年くらい前のことみたいに懐かしい。


時々来るだんなさんが、めちゃくちゃ若くて、驚いたりして…

そうです、それはきわめてフツーの有様でしょう。

自分が高齢出産だからって、驚くことなかれ…。

でも、前回入院したときは、ほとんどが高齢で、むしろ、36歳の私なんて若造。

やっぱり、全体の10%しかいない不健康妊婦のうち、高齢出産が8割を占めるのだ。

若いってすばらしいことなんだ…。と実感。


夕方、夫と連れ立って、義父、義母がお見舞いにきてくれた。

当日は朝早くから出産で、それに立ち会うには、遠すぎるし、どうせ、赤ちゃん抱けないし…

という理由で、前日に来ることにした、とのこと。

もう一つは、本日、義母の誕生日で、見舞いがてら、

夫も含め、久しぶりの親子水入らずで外食をするのが目的。


申し訳ないが、変わっている…とえるほど超子供っぽい義母は、

もう、病室に入った瞬間からソワソワし、「夕食にいくもんだから…」とウキウキが隠せない。

う~ん、楽しんでくれ…。そして、そっとしておいてくれ…。

義父は、励ましてくれたし、大人の態度。ありがたいという気持ちが心から沸いたのだが(苦笑)


前日の私は、

これまでの乗り越えるもの、捨ててきたもののことを

静かに考えて出産に望みたいと心から願いつつ、

生まれて初めての「手術」、そして、子供が出てきちゃう…という物理的な不安に

押しつぶされそうな状態…。

なんで、こちらが、6○回目の誕生日にソワソワしている人を盛り上げなければならないのか

全く分からない。

まあ、愚痴です。

嫁と姑だからイライラするのか、

そもそも「子供っぽい大人」超嫌悪症の、私の偏屈な性格が問題なのかは

もう、分からなくなっているが、どっちでもよかった。


帰った後に、ホッとしている自分とともに、

誰もいなくなった病室がちょっぴり心細く、少し、泣いた。


お腹に子供がいると、

「もう一人の体じゃない」とか、

「一人じゃないんだ…」とか、ドラマではいうけれど、

ホント実感ない。

だって、お腹の子供とは、まだ、顔も合わせられないし、

話すこともできないしね。

ホント、私って、妊婦失格だわ…。


隣の若妊婦は、今日も苦しそう。

頑張れ!お腹の子もがんばってるよ。

おそらく世界中の妊婦は、前を向いて生きてるよ!

だから、一緒に頑張ろう!


ぽんちゃん、初めての冠婚葬祭

2年前の妊娠日記をぽあーんと書いているうちに、早2年。

子供はすでに2歳半にもなっていて、なんだか、間延びしてしまっていますが…。

今年は、ぽんちゃんは、夏に初結婚式参列を果たし、今日はこれから、初仏事。

週末、私の祖母が急に他界してしまった。


大往生といえば、なんとなく話は丸まりそうなものだが、

縁が深かった祖母なだけに、心の中の穴が埋まりそうにない。

悲しいというより、辛い…。

生きているということと、もう、ここにいない…ということの違いはあまりにも大きい。

純粋に祖母のことだけを考えると、

もう、楽になって、自由になるなら、こんないいことはないし、

本人が10歳の頃に死に別れた両親ともあわせてあげたいし…

などとも考えてみるのだが。。。なんとも、生きていると感情を深く味わってしまうので、

痛みが伴います。



とはいえ、現実は、お通夜、告別式と、迫っており、

子供問題は、やまづみのような気がする(とにかく私だって、子連れ参列は初めてだから)。


結婚式の作法は、そんなに問題なくクリア…。

まあ、可愛い服きて、機嫌さえ保てば、

いっぱいおいしいものを食べさせれば、それでOK。

宴タケナワの頃には、バギーでぐっすり。

「おとなしくて、いいコちゃんですね」とみんなにほめられたけど、

「いやいや、いつもより、食べさせすぎちゃっただけですのよ~ほほほ。」

とはまさか、いえまい。


でも、今回は、仏事。

異様な雰囲気だろうし、お通夜は夜だし。

しかも、着せてくものだって、ないじゃないっ。。。とあわてたのが昨日。

保育園児は、幼稚園児と違って、園服がない。

レンタルとかあるのか?リサイクルショップは連休中お休みだろうし…。

ととぼとぼ出かけた百貨店で、うんざりして、

とりあえず、GAPでシンプルな紺のカーディガンを購入。

本人的には気に入らないらしいが、しかたがない。


あ~どうなることか…。




妊娠経過~66 桜吹雪の中、再び入院

26th Apr 2005

懐かしい…再び東京衛生病院へ入院。

前回、緊急入院となった日は、東京に初雪が降ったクリスマスの日。

あの時は、マネージャーに昇進したばかりで、「仕事」のことばかり考えていた。

入院中も、「早く仕事に戻らなければ…」、「私でないとできないことが…」

などとばかり考えていた。

正直、お腹の子供のことは、ほとんど考えられない状態だった。


今、考えると笑ってしまう。

突然倒れても、仕事は止まることなく、誰かが穴を埋めてくれていたし、

寂しがられることも、惜しまれることも、ほとんどなく…

会社の人間は、いなくなったら、死んだも同然…。

これがビジネスの現場の本音だと知った。


今回は、心も、体も、本当の意味で春を迎えた。

桜が降りしきる中、タクシーで、病院へとむかう。

一時は、諦めかけた命だったが、ここまで大きく育ってくれた。

いろんなことを教えてくれた。

私を静かに変えてくれた。

お腹より、気持ちのほうが一杯に膨れ上がっているようだった。


それでも、全く母親になる実感もないし、

出てきた後のことなど想像すら付かなかった。

タクシーの中で、唯一想像ができたことは、

病院の食事が、薄味で、ベジタリアンであったこと。

土曜日だけは、ケーキなんかが出たりして素敵だったこと(クリスチャンの病院なので)。

なのに、今日は月曜日で、しばらく、ケーキはお預けになること…。


大丈夫なのか?自分。

赤ちゃんよ…本当に申し訳ない、、、。

妊娠経過~65 いよいよ出産入院の前夜

26th Apr 2005

今度の入院は、とてもポジティブな気持ちで一杯。

とはいえ、前回の1ヶ月の強制入院を思うと…「い、行きたくないです」。

全食ベジタリアンの上に、薄味。

全ての自由を奪われ、早寝早起きの生活。

でも、今度は、赤ちゃんと一緒に1wで帰宅!と決められているので、

気は楽だった。


倒れて1ヶ月入院し、母との折り合いも悪かったので、

実家に戻ることだけは拒んだものの、絶対安静の生活自体が営めないということで、

そのまま実家に送られて、早4ヶ月。


子供のときから読んできた本たちが詰まった愛しい本箱との再開、

学生時代の自分との再会、

そして両親との和解、

少し年を重ねた両親の今の生活を理解することと共に、

両親のそれぞれの「人」を理解した…。


生き急ぐように、仕事をし、旅をし、恋をしてきた自分。

選択の余地のない、寝たきりの生活。

(ホリエモンが投獄されたとき、ワガコトのように思って泣けた…)

そして、本を読み、テレビをみた。

OLがワクワクして、月曜夜を迎える…といううわさの?!

月9ドラマの再放送も楽しみにする日々(苦笑)


「何も起こりようのない静かな生活」が

ここまで自分を変え、生き方を変えた…といっても大げさではなかった。


明日から入院…という夜。

眠れなくて、夜中に起きだし、実家のキッチンを磨き続けた。

(両親の寝室とは離れているので大丈夫)

「1宿1飯の恩義」という言葉がうかんで可笑しかった。


そして、書斎の本箱から、「印度放浪 藤原信也」を取り出し、明け方まで読んだ。

ベナレスの朝やけを思い、

失恋して実家に戻って迎えた夏の朝焼けを思い、

仕事に疲れて、本箱に会いに来た春の朝焼けを思い…


人間動けなくなっても、たくさんの思い出があれば、

好きなときに好きなところにいけるものだ。

旅はするものだ。

たくさんの人に会っておくものだ…と思ったりして。


すぐ戻ってくるから…という意味で、

書斎の本立てに、そのまま、そっと印度放浪を開いたまま、部屋を出た。


(産後2年たった今も、実家の書斎はそのまま。誰も使っていないのか…あの書斎。なぞ)





妊娠経過~64 出産日は、GW前と後、どっちがいいですか?

April 10th 2005

「生むのは、GW前と後と、どっちがいいですか?」

耳を疑った。

予定日は5月11日ですが、何か???と、聞き返そうかと思った。


筋腫が思ったよりもどんどん大きくなってきて、子供の頭と同じ大きさになっていた。

まるで、双子がいるみたい。

赤ちゃんは、筋腫を抱きかかえて逆子に写っている。

ちょっと前までは、筋腫を蹴ったり、その周りをぐるぐる回って遊んでいたが、

もう、大きくなってきて、ボールを抱えたまま、寝るしかないようだ。


ということで、医師は、予定日まで待つより、

27週ギリギリすぎたら、スグに出さないと危険…と思っている様子。

「困ったな~GWは休みだし、何かあると何なんで、前の日に出しちゃいましょうか」

ということで、あっけなく、出産日が決まった。

4月28日。

こんなことで、決めてしまったら、星占いとか、何とか占いとかって、意味なし?!とも思ったが、

それも含めて、この子の運命なんでしょう…と思った。

そして、よく考えれば、翌日からGWで、夫も1Wべったりつきそえるわけだし、

なんて、親孝行!

振り返れば、筋腫で倒れて、会社を休むことになったのも、クリスマス休暇の1日前~。

入院中は、基本夫が見回りにこれたのも、そのおかげ。


子供は不思議だ。

自分の人生は、これまで、まがりなりにも自分に選択権があると思ってきたが、

子供ができてからは、

この子が、色々周りとのバランスを考えて(いるのかいないのか…)、

私を動かしているように思える。

「そっか~。ママには分からなかったけど、

 それが一番いいのかもね~」と暢気に構えることができるようになった自分に、

ただただ、驚いていた。

今までなら、もう一度、熟考に熟考を重ねて、結論を出そう…などと思っていただろうから。


直観的に生きる…ことを妊婦は学ぶのだ。


(そして、その後、命名するときには、字画だなんだと、調査や熟考を重ねたにも関わらず、

 全てを無駄にして、そもそも直観で決めた名前にしてしまう…という事態を引き起こし、

 家族に大顰蹙を買うハメになるのであった…それはまた、いつか)



妊娠経過~63桜がいきなり咲く!

31th MAR 2005

父が夕方すごい早くに帰宅した。

「桜が満開だ!見に行こう!」

家からずっと出られなかったこともあり、実家のマンションから、桜並木をみていたが、

今年は寒くて、なかなか3分咲から進まなかった。

だけど、今日はいきなりぽかぽか陽気で、本当に春がきたんだな~と思っていた。

おなかの赤ちゃんも、また一段のぐーんと大きくなって、ぶくぶくいってた。


夕方、歩けないので、車で小石川方面に行ってみる。

すでに、すごい花見客が集まっている。

夕暮れの中に、ぼんぼりがついて、桜がひんやり開花していた。

ひさしぶりに、少しだけ歩く。

桜が振ってきて、ひんやりする。


外の空気ってこんなに、頬を包み込むようなものだったんだ。

と長い間、忘れていたことをポンと思い出させてくれた。

包み込まれて初めて、自分が生きていると思う。

外と自分の温度の違い、固体の重さの違い、形の違いが体感できて初めて

自分が生きていると思える。

自由に歩いてみて初めて、自分が意思をもって、これからママになるんだと

思えた。

当たり前に享受していた「生の喜び」「実感」を感じられるのは素晴らしいことだった。

でも、3ヶ月前と比べておなかが格段に大きくなっていて、

歩くバランスや、下が見えにくくなったりしていて、動きが鈍くなっているのが

おかしかった。

全然動かなくて、人生的にはものすごく静かな生活で停滞していたように

あせった日も、落ち込んだ日もあったけれど、

確実に成長しているものもある。


そんな

忘れられない桜になりそうだった。

夜、ちょっとだけ、泣いた。


妊娠経過~62育児休暇申請を提出

22th Mar 2005

子宮筋腫で絶対安静生活を実家で送っていたら、あっという間に、3月も末!

産休とは、産前4週前からしか取れないため、現在は病欠の有給扱い。

会社から届いた給料振込み表をみて、愕然…

120日くらい、たまりにたまっていた有休が、ほとんどなくなっている!

でも、なんとか産休まではもちこたえられそうだ。

あれっ?産休って申請しなくちゃいけなかったんだっけ?と今更のんきに思ったりして。

会社に毎日行っていてれば、上司から「そういえば手続きしとけよ」的なアラームも

もらえそうだが、

わが社では「休んでいると死んだも同然」(怖い…)

なので、自分で人事に直接連絡をとってみた。

さらに愕然

社内LANを自宅に引いて、会社のシステムを使わないと、産休&育休申請を

しなければならないのだ。(しかも、社内システムを移築するにはXPにVUしなくちゃ無理)

その他、給与引き落としだった財形だの株だのも、

社内システムで自分でとめたりしなくてはいけないことが判明!

(そりゃ、出社してればなんでもないことなんだけどさ…)


まずい!この実家生活で、誰が、

自宅のPCを、ウインドウズXPをバージョンアップし、システムを移築するんだ!

そして、その自宅PCに社内システムを移築するためには、

社内の人間からも申請を出してもらわなければならないのだ…。

うなる。

頼むのは、元いたチームの庶務さんなんだけど、

これがくせもので、結局私のPCに残っていたすべてのデータは彼女によって

紛失されたことからも、痛いほどよく分かるが、

面倒なことは、あえて、失敗しちゃいました~とか忘れてました~とかいって

やらない=無視するタイプ。

今は、休んでて死んだも同然のこの立場の私には、なんの義理もないだろうし、

そんな彼女を、メールまたは電話だけで、どう、動かすんだ…?!


悩んだ末に、会社のシステム担当から、

もう、超細かい手続きの指示を聞き出し、メールにしたためる。

どんなサルでも、考えることなしに、そのとおりに申請すればデキル!という

渾身のメールマニュアル(って、本当に無駄な力を妊婦にかけんなよ!)を

「上司」に送った。


数日後の本日、会社のシステム部から「手続きが終わった」と連絡あり。

あとは、ダンナにシステム移築と、XPへのバージョンアップをなんとか

頼み込むしかない…

「サイアク、これやらなくてもいいけど、

 できないと、出産費用一時金とか、育児休暇手当てとかが出ないんだよね…。

 でも、生活できないわけじゃないから、いいか…」と『弱気』作戦に出てみた。


いやはや、すぐにバージョンアップは完了し、

本日、システム貫通!

気持ちがよすぎて、調子にのり、

自分の妊婦姿を鏡で写真に写し、

社内のみなさんに、「休職挨拶」を送った。


でも、即、返事がきたのは2通だけ…(その後、もうちょっとたくさんの方から連絡をもらったが)

結構、つまらないことで、ものすごくへこむんだよね。。。。

やっぱり、会社組織においては「休んでいるのは死んだも同然」なのか…。

ネガティブ思考はまずいので、忘れることにした。

春がくるしね、、、!

(そして、このメール開通の日付けが、私のPCのPWとなる。

 もし、復職して、何年かたっても、PCを開くたび、私はこの春の日を思い出すはず。

 幸せな春の一日にしたいと思った)



妊娠経過~61朝日新聞と日経新聞

15th Mar 2005

実家に戻って安静生活を送っているが、とにかく暇。

活字中毒と情報枯渇症は仕事生活以来相変わらず。

これまで、日経を駅で購入し、ばっと読み飛ばして会社で捨ててた。

今は、隅から隅まで読めるけれど、実家では朝日と付き合うことになった。

実家は日経新聞と朝日新聞を取っているが、日経は朝早く読んでしまわないと、

父が起きるとトイレに持って行き(「愛流刑」をこっそり読んでいるらしい(笑))、

その後、仕事へ持っていってしまうため、日がな一日、朝日新聞を読む羽目になる。

ところがだ、

この朝日新聞を隅から隅まで読んでみることが、人生観を変えることになった。

つまり、いつも日経新聞だけに慣れていた私は、

朝日新聞の「介護」や「DV」などの福祉ネタ、「借金」や「障害者」「地域」ネタの嵐に

言葉が悪いが、気分がめちゃめちゃ暗くなってしまった。

多分今まで、こうした『本当の現実』に目をそむけて

忙しく、仕事をしてきたのだろう。

多分、多くの男性がそうやって、家庭や、生活の現実を女性におしつけて

自分は外に出て仕事をしているのだと思う。

それを証拠に、朝日新聞には、記者が書く記事というより、

個人の「投書」が多く載せられている。そのほとんどが、シニア、主婦、学生、フリーター。

これは、私にとってさらに衝撃だった。


人は、できれば、こういった、「老い」や、「生活苦」といったものを見ずに生活したい。

ビジネスマンでいれば、忙しさに任せて、見ないでもすむことではある。

(もちろん、家族や身近な問題になれば、そうもいかないのだが…)

それらのしわ寄せが、シニア、主婦、フリーターなどに行っている現実。

そして、彼らは、多分、その問題をなんとかできる力は、弱い、だろう。

もちろん、妊娠して動けなくて、仕事も放り出した自分には

なおのこと、なんとかできるはずもないのに、

毎日、こうした現実を眺めさせられては、ちょっとブルーになっている。

矛盾。

「情報の方向性」が間違っている気がしてならない。

連ドラの再放送と朝日新聞に彩られて、今日も何気ない一日が終わる、、、、。

これって、やっぱり

ダメ人間?


小児科でノロウイルスに感染!

18th Dec 2005

ついに、また、熱が出た。おまけにお腹が痛い。

2日前に小児科で、わざわざ風邪の子供たちと一緒にならないように、

予約時間に、ベビーの2回目DPT予防接種に行った。ついでに私もインフルエンザを接種。

でも、この季節、

結局、風邪の子供たちがうじゃうじゃ待ってた。のがいけなかったのか…

いきなり、がつーんと来た。

今日は、なんにもすることがないな~まずいな~

これじゃだめ人間だな…なんて、ちょっとブルーになっていた矢先の高熱。

幸い翌日はダンナさまさまが、仕事を調整してくれて、育児から開放されて

ちょっとばかり眠る時間を与えてくれて、医者にもいけたわけである。

ありがたいーーー。

それにしても、

小児科が悪いというより、やっぱり心持ちの問題だと、なんとなく直感している自分。

そう、おそらく、

先日の友人とのひともんちゃくで、ずいぶん毎日心の澱みたいなものを感じていたし、

何もしないでいよう!人生を味わおう!と決めていたにもかかわらず、

何も予定のない自分が無価値なような気がして落ち込んだり…

そういったストレスが、

シャーリーマクレーン的にいえば、カルマを浄化するために風邪を引きおこす。

正直な気持ち…

何もすることがない自分への言い訳として、病気は最適なのである。

風邪ひいたから何もできなかった…と。


病気するときは、こういった部分ってある気がします。

でも、お腹にくるのは苦しいです…。

こうやって言い訳して、病気を頻繁にする毎日と、

言い訳する間もなく、苦しいけれど、常に毎日新しいものに向けてチャレンジをしている自分

どちらがいいか、また悩んでしまいます。

人生を前向きに味わうことと、

今を否定することを原動力にして、新しいものにチャレンジすること

どうも、うまく、バランスがとれない自分に困っています。


今を否定する原動力ではなく、

毎日を楽しく生きたい!と願うことを原動力にしたい、、、ものですが、

どうも、今が幸せだと甘んじてしまってパワーが出にくいので…。



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