ぱんちゃんブログ -4ページ目

自己中心的が最高。

どーもー。

 

これは去年の誕生日についてのブログ。

今年の誕生日に考えていることは、自分のことについて。UOZAブログの方にこんな↓コメントをもらったとき、自分の本心に気がついた。わたしの返信ものせる。

 

>鏡像というキーワードが出てきましたが、私たちは芸術家がキャンバスに描いた絵という像を鑑賞している気になっていて、優れた芸術家は、鏡そのものを作っているのではないでしょうか?


芸術家が鏡そのものを作っているとは、なるほど納得です!!わたしは美大でアートを学びましたが、コンセプトありきで作品を制作することに違和感を感じていました。だからこそ「鏡を作っている」というのはしっくりきます。わたしは自動書記のように物を作るのが好きで、これは何?と見た人に言われても答えたくありませんでした。各々がわたしの作品(鏡)を見て何かを思い浮かべるはずですが、その考えを知りたいとも思わなかったのです。鏡とそれを見ている人の世界は、わたしとは関係の無いところにあるということです。長年の謎が解けました。

 

よーさんの「妄想かいてくよー」の解説をする その4

 

作品を作った後『人に見てもらう』行為は、その時のわたしにとって意味がなかった。製作中や完成時は楽しい気持ちだったが、それ以外があまりにも苦痛だった。とにかく展示や販売が嫌でしょうがなかったが、それをがまんしてがんばってきた。

 

返信に書いた通り「鏡」を作っていたとわかったのでスッキリした。鏡は見た人を写すものでもあるけれど、作品とは他人から見たわたしでもある。羊毛でかわいいアピールしてたのかも!!草。

 

何が言いたいのかというと、結局わたしは他人に興味が無く自己中心的なのだ。知ってたけども決定的に気がついた。

 

ちなみにUOZAブログに書く文章は、自己中心的なわたしから見た自己中心的なわたし。だから、すごく心が自由。だから、多くの人に見てほしい。羊毛やってた時との「心持ち」の違いが面白いです。

 

なんだかんだ最近は一人っ子であることを実感している。一人が一番楽だし一人遊びが得意である。やはりブログはいい。一人遊びなので。羊毛という「実物」ではなくて、インターネット上の「データ」だからおきらくなのだ。

 

それから、わたしは平和よりも戦争を好むタイプ、というのも実感中。自分の環境が平和であるという条件つきでね。嫌なやつ。悪魔だね。でもこれがほんとうの自分。誕生日のひそかな告白。

パラレルワールドとマルチバースの違い。

どーもー。

 

タイトル通りのことを調べていたら「量子脳理論」ってやつを知って嬉しくなった。「量子脳理論」は批判者も多いらしいがわたしは断固支持する!

 

これをトンデモって言う人がいたけど、それって研究者が一番言っちゃいけないやつだよね〜なんかむかつく〜

 

「量子脳理論」とは。

著書『皇帝の新しい心』にて、脳内の情報処理には量子力学が深く関わっているというアイデア・仮説を提示している。その仮説は「ペンローズの量子脳理論」と呼ばれている。
 

放射性原子が崩壊時期を選ぶように、物質は重ね合わせから条件を選ぶことができるといい、意識は原子の振る舞いや時空の中に既に存在していると解釈する。

 

ロジャー・ペンローズwikipedia

 

わたしがUOZAブログで必死に訴えてるのはまさにこれなんだ。脳内に重ね合わせがあるの、絶対。

 

量子論には波動関数のユニタリ発展(U)と、波束の収縮(R)の2つの過程が(暗に)含まれているが、現在の量子力学の方程式ではUのみを記述しており、それだけでは非線形なR過程は説明がつかない。すなわち、現在の量子力学の定式化はRが含まれていないため不完全であるとする。そして、Rに相当する未発見の物理現象が存在していると考え、量子重力理論の正しい定式化には、それが自ずと含まれているだろうと唱えた。

量子レベルの世界から古典的なマクロ世界を作り出しているのは、重力であり、重力がRに相当する現象を引き起こすとする。

ロジャー・ペンローズwikipedia

 

これな!!!現実を作ってるのは重力。重力で収縮するんよ。宇宙で一番つよい意識と重力でね。まさに皇帝のような心よ。これ前に日記で書いてたね。

 

なんか興奮した1日でした。わたしUOZAブログで統一場理論を完成させるのを目標にすることにした!文系ですががんばります。面白くなってきたな。

アランチューリングとりんご。

どーもー。昨日から「チューリングマシン」について考えていたよ。落合陽一がよく口にしている単語、という印象しかなかったのでちゃんと調べてみた。なんでそんなこと考えるのかというと今書いている記事のヒントを求めて。

 

チューリングマシンは、アラン・チューリングが考えた機械。彼はコンピューターの始祖ともいえる。チューリングマシンはあくまでも仮想的なもの。

 

ここで出てくる「チューリングマシン」は「ある規則にしたがって自動計算してくれる数学的なモデル(を搭載した仮想的な機械)」です。

【図解あり】「チューリング完全」とは?チューリングマシンの仕組みも含めて徹底解説!

 

チューリングマシンはテープの上をヘッドが読み書きしながら移動して解を出す。どんなものなのかは、上に引用したサイトの図解が一番わかりやすかったよ。

 

アランチューリングがどうやってこの仮想機械を思いついたのか。これがすごい。

 

このような仮説のもと、チューリングは代数学的に数学の不完全性を証明しようとしました。前提となる「どんな計算でもできるマシン(チューリングマシン)」を定義するにあたり、チューリングがまず行ったことは、私たちが行っている「計算」を”要素”に分解することでした。

 

例えば、「1+2=3」という計算の場合、要素として分解するとまず「1という数字を記憶する」「+記号を見て、演算の種類を記憶する」「2という数字を記憶する」「=記号を見て、記憶した数字を記憶した種類の演算をする」「演算結果を記録する」ということを組み合わせて行っています。

 

この工程をさらに分割できない要素にまで分解していった結果として、「紙テープ」「0と1を書き込むことができるヘッド」を備える、仮想機械チューリングマシンの概念を定義しました。あとは「0を書き込んで右に1コマ移動」「紙テープの文字を読んで、左に1コマ戻る」などの命令を並べたプログラムさえ書ければ、計算の要素機能をすべて備えているチューリングマシンは、どのような計算でもこなせるはずです。

 

チューリングマシンとは?コンピューター・ソフトウェアの生みの親アラン・チューリング

 

引用したように、人間が頭で行っている計算を要素に分解したから、チューリングマシンができた。

 

チューリングマシンは以下の3つの要素+1つの表で構成されています。

・無限の長さがある「テープ」
・テープ上の記号を読み書きする「ヘッド」
・機械の状態を読み取って制御する「有限制御部」
・上記3つを制御するための「状態遷移表」

 

【図解あり】「チューリング完全」とは?チューリングマシンの仕組みも含めて徹底解説!

 

人間が頭の中で行う「計算」を分割できないところまで分解したものが上に引用したもの。これ、先日の日記で書いた『老子道徳経』48章に通じる。

 

「道」を極めていけば知識が少なくなる、と老子が言うのは、人間のしくみがチューリングマシンであることを理解しているってこと。やはりなんらかの始祖は基本を見出してしまう。

 

チューリングマシンは計算機だけれども、人間そのものも計算機だ。書き換えが起こる無限テープという「輪廻の輪」、テープを読み書きするヘッドは「魂」、状態を読み取って制御する「肉体」、その3つを制御する「運命の書」。

 

「要素を分解すること」は錬金術師もやっていたよ。前回の日記にも引用した↓が、錬金術師が「賢者の石」を作る過程で心がけていたことは「要素を分解し、調和がとれた形に統一する」こと。アランチューリングがやった仕事と同じ。

 

シンプルな言葉で置き換えてみたり、昔からある言葉だけで考えてみると、複雑な問題は実はすごく簡単な構造になっていることに気がつくのである。これが「要素を分解し、分類」すること。全ての「できごと」「ものごと」は引き算していくと最終的に「二元・二極」になってしまうのである。

エメラルドタブレットの言葉を訳してみた

 

錬金術は、最も狭義には化学的手段を用いて卑金属から貴金属(特に金)を精錬しようとする試みのこと。広義では、金属に限らず様々な物質や人間の肉体や魂をも対象として、それらをより完全な存在に錬成する試みを指す。

 

錬金術の試行の過程で、硫酸・硝酸・塩酸など、現在の化学薬品の多くが発見されており、実験道具が発明された。

 

wikipedia

 

錬金術ってオカルトな側面が大きいけれど、金を作ろうと試行錯誤したことで化学の進歩に貢献している。錬金術師はフラスコの中で金だけではなく「賢者の石」をも作ろうとしていた。

 

錬金術師達がフラスコの中に表現しようとしたものは、この「チューリングマシン」であろうとわたしは思う。仮想的な計算機とは人間そのもの。なんだかこう書いていて自己解決してしまった感。

 

錬金術には、現実的側面(科学)と空想的側面(賢者の石)どちらもある。科学より先にあるものは空想だ。だから「賢者の石」っていう存在はすごくだいじ。「青い鳥」、星の王子さまにとっての「赤い薔薇」。思い通りにうまくいかないけれど、幸せをくれる「空想のなにか」を追い続けること。

 

チューリングがチューリング機械を考案した本来の目的は,“⁠コンピュータを作るため⁠”ではありませんでした。

 

ヒルベルトは数学というシステムを整えるべく「その数学が絶対に間違わないということを数学的に証明しよう」という運動を始めました。

 

数学の命題を論理式として表す。その論理式が正しいかどうか,言い換えると,その論理式が定理かどうかを,数学的に論証するアルゴリズムを開発すること。この問題を「決定問題」といいます。チューリングはこの問題を解くためにチューリング機械を発明したのです。

 

チューリング機械からコンピュータの原理を学ぶ

 

チューリングマシンの本来の目的はこれ。その計算が正しいか正しくないかを検証するため。

 

チューリング・マシンによって解決できる問題はアルゴリズムのある問題といい、解決できない問題はアルゴリズムのない問題という。アルゴリズムとは、簡単に言えば、解を求めるための手順である。チューリングはチューリング・マシンを使ってアルゴリズムのない問題、つまり、肯定も否定もできない問題が存在することを示した。それは不完全性定理の別の表現でもあった。もちろん、アルゴリズムのない問題は、人間の頭脳をもってしても解決できない。

 

コンピュータの基礎講座② チューリング・マシン

 

アルゴリズムのある問題は解決できる。チューリングマシンはアルゴリズムにそって動くから。とある計算式が正しいか正しくないかは、アルゴリズムが存在するか存在しないかで決まる、ということでいいのかな??状態遷移表=アルゴリズムであってる??むずいぜ。

 

「不完全性定理」ってやつがややこしくて、いろいろ読んだがわたしには理解しにくかった。結局「人間=機械」って結論でオーケーなのかな。というか、わたしは「解脱」して、そう気がついてしまった人間なので機械らしく生きている。

 

「人間=機械」だが、わたしが知っている機械と人間の唯一違うところ。人間は「賢者の石や青い鳥や赤い薔薇」を求めながら、不確定なものを確定していくところ。「賢者の石や青い鳥や赤い薔薇」は永遠だから追っても追っても手に入らないけど、消えないもの。

 

だから人工知能に、絶対に手に入らない「空想の宝」を手に入れることを目標に設定したら「人間」になるよ。不完全をデフォルトにしておく。あれ、、、やっぱり機械ってことか。

 

科学の発展によって人間存在の秘密が解き明かされる。チューリングマシンは今話題の人工知能のもとになるもの。人間を模したものを作り出すことで、自分たちの秘密を探ろうとしている。




今日はネコチャンマシーンに飲茶を運んでもらいました。

老子をよんで「道」をしる。

どーもー。毎日インターネットばかりのニートですが、たまには本も読むよ。「老子」を読んだらやはり素晴らしかったのでシェアします。

 

老子(ろうし)は、中国春秋時代における哲学者である。諸子百家のうちの道家は彼の思想を基礎とするものであり、また、後に生まれた道教は彼を始祖に置く。

 

 

「老子」は中国の哲学者。昔の人すぎて実在も疑われているが、彼の思想は中国文化に大きな影響を与えている。

 

老荘思想(ろうそうしそう)は、中国で生まれた思想。諸子百家の道家(どうか)の大家である老子と荘子を合わせてこう呼ぶ。道家の中心思想としてとりわけ魏晋南北朝時代に取りあげられた。

老荘思想が最上の物とするのは「道」である。道は天と同義で使われる場合もあり、また天よりも上位にある物として使われる場合もある。「道」には様々な解釈があり、道家の名は「道」に基づく。

 

 

老子といえば「道」。老子は「道教」の始祖でもあるけれど、「道」と「道教」はあまり関係がないとも言われている!へぇー

 

「老子」が書いた『老子道徳経(老子とも呼ばれる)』は上篇・下篇、全81章からなる。わたしが読んだのは、講談社学術文庫から出ている金谷治さんが訳した「老子」。わかりやすく読みやすいよ。

 

下篇から気にいったやつ3つあげる。そしてわたしなりの解説していきたい。

 

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<42章> 道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負いて陽を抱き、沖気以て和を為す。(後半省略)

 

「道」とはこの世界の基本になるもの。1→2→3という順番で3から万物が生じる。この順番が何を表すのか?というところは、実はもうUOZAブログの方で説明していることだったりする。

 

2ch発の「よーさん予言」っていうのがあって、それは『3つの世界について』のはなしなのだけど、それは老子の言う「道」のこと。「よーさん予言」については4つも記事を書いてるので読んでみてね。『1→2→3という順番で3から万物が生じる』というのは、こういうこと。

 

結局のところ1と2と3とは、生命とか地球とかの基礎になるもののこと。例えば、「男(1)」と「女(2)」が出会って「新しい命(3)」が生まれる。1と2は種類の違うもので、それらが合わさったものが3ということ。

よーさんの「妄想かいてくよー」の解説をする その4

 

この世界に存在するもの、つまり万物すべては「3」なのです。「1」だけのものとか「2」だけのものとかは無い。「3」の中には相反するものが両方含まれている。これが絶対的真実。

 

1は強い心(陽)、2は受け入れる心(陰)、3はそれらを両方持つ新しい心(陰陽)とも言える。万物の代表は人間(3)である。

 

この順番はとても大事で、絶対に最初は「強い心」。この順番でなければ万物が生まれることはない。古事記の国産み神話にもそう書いてある。

 

それから、万物をミクロにしたもの、素粒子には「4つの力」がある。1は強い力、2は弱い力、3は電磁気力。そして重力が「道」だと思われる。

 

『万物は陰を負いて陽を抱き、沖気以て和を為す。』この意味について。それは1と2と3がわかっていれば自ずと答えが出る。3(陰陽)は2(陰)を負って1(陽)を抱いている。

 

おとといの日記で「人間はとんでもない悪人(陰)」と言ったけれど、心の中には「善の心(陽)」がある。それが万物の代表、人間(陰陽)。人間は陰を負うもの。辛い。

 

「沖気」とは、1と2を中和させる3の力。3は電磁気力でもある。それは電子と原子核を結びつけるし、原子と原子も結びつける。電磁気力(3)があるから、万物が成り立っている。

 

人間は自分自身が3であることを自覚できると、世界が違って見えることになるはず。

 

 

<48章> 学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損ず。これを損じて又た損じ、以って無為に至る。無為にして為さざるは無し。天下を取るは、常に無事を以てす。其の事有るに及んでは、以て天下を取るに足らず。

 

これはすごいと思った言葉。金谷治さんの解説から、この言葉の意味合いを引用させてもらう。

 

学問を修めていると、その知識は一日一日とふえてくるが、「道」を修めていると、一日一日とその知識は減ってゆく。減らしたうえにまた減らし、どんどん減らしていって、ついにはことさらな”しわざ”のない「無為」の立場にゆきつくと、その”しわざ”のない「無為」のままでいて、それですべてのことをりっぱになしとげるようになる。

 

これは前半部分の解説。「道」を修めると、知識が逆に減っていくという!すごい!その通りだ。これもまた、UOZAブログで既に語っていること。自分のブログの宣伝ばかりですみませんが、知識が減るとはどういうことなのか?がこれです。

 

複雑に思える全ての「できごと」や「ものごと」は、とても単純な構造になっている。しかし、人間は新しい言葉を作り過ぎてしまった。複雑で難解な言葉のせいで脳内の整理整頓が出来ていない。
 

シンプルな言葉で置き換えてみたり、昔からある言葉だけで考えてみると、複雑な問題は実はすごく簡単な構造になっていることに気がつくのである。これが「要素を分解し、分類」すること。全ての「できごと」「ものごと」は引き算していくと最終的に「二元・二極」になってしまうのである。

エメラルドタブレットの言葉を訳してみた

「道」を理解していると、全てのものごとがとても単純に見えてくるもの。先ほど説明した1と2と3のことがわかってくると、万物(3)が1と2で出来ているというのが見えてくる。

 

万物は、生き物だけでなく出来事なども含まれる。世界で起きる複雑な問題なども「道」から生まれているのであるから、結局はそれも1と2から起きている。と、なると複雑な問題も一気に簡単なものとなる。複雑に入り組んだ問題は、1と2という二つの要素が原因である。

 

原因がわかっていれば「無為」にいきつく。もう何もすることが無くなる。複雑な問題は『あるべき』ものだとわかる。「道」とは1と2が中和して3に成ったもの。複雑な問題こそが3であり、それこそが「道」だから、問題を解決しようとか思わないのである。

 

「道」を理解していれば、なすがままに生きることができる。

 

 

<47章> 戸を出でずして天下を知り、牖(まど)を闚(うかが)わずして天道を見る。其の出ずること弥々(いよいよ)遠ければ、其の知ること弥々少なし。是(ここ)を以て聖人は、行かずして知り、見ずして名(明)かにし、為なさずして成す。

 

最後はこれ。ニートのためにあるような名言だ!一番好きな言葉かもしれない。またまた金谷治さんの解説から、この言葉の意味を引用させてもらう。

 

戸口から一歩も出ないでいて、世界のすべてのことが知られ、窓から外をのぞきもしないでいて、自然界の法則がよくわかる。外に出かけることが遠ければ遠いほど、知ることはますます少なくなっていくものだ。

それゆえ「道」と一体になった聖人は出歩かないでいてすべてを知り、見ないでいてすべてをはっきりとわきまえ、何もしないでいてすべてを成しとげる。

 

外に出なくてもすべてのことがわかる。これはすごい。しかも、外に出かけるほど知ることが少なくなってしまうという。わたしたちの常識では『外に出ることが物事を学ぶこと』なのではないだろうか。常識とはかけ離れた教えであると言える。

 

これは内に籠もれば、心の中を見ることができるということ。実際「外」に出なければ「内(家)」にこもれる。喧騒から離れることで心の中を観察することができる。

 

内にこもることは、自分を知ること。すなわち自分を知ることは3(道)を知ること。一度「道」を理解してしまえば、外に出ることなく世界の全てがわかるようになってくる。だからこそ、わたしは内(家)にこもることを全力でおすすめする。

 

新型コロナが流行って思う存分「内(家)にこもる」ことができるようになったのに、最近は通常に戻ってきているから残念である。

 

とはいえ、わたしはコロナで人と会う機会が激減して、思う存分内(家)にこもることができている。毎日世界がわかってたのしい。ニート最高。みんな内(家)にこもって「道」を知ろう。

 

岡崎フラグメントがすごい。

次の記事はパラレルワールドについて書こうと思ってるんだけど、その説明のためにエントロピーについて調べなおしていて。

 

情報理論のエントロピーと統計力学のエントロピーと熱力学のエントロピーの関係性を簡単な言葉に落とし込めば、パラレルワールドについても語れるはずだろう、と考えている。

 

なんやかんや調べ物をしていると関係のない方に広がっていくもんで「岡崎フラグメント」というのをはじめて知った。これがすごいんだ。もうびっくりして吐きそうになった。

 

DNAが複製されるとき、2本のらせん状のひもがほどかれて、そのうちの1本を元にして新しいもう1本が作られ、その2本がまたらせん状にひとつとなって複製は完了する。

 

「岡崎フラグメント」は複製時の大事なシステム的なもの。言葉で説明すると難しすぎるのでわかりやすい解説のあるサイトのリンクを置いておく。

 

岡崎令治博士と岡崎恒子博士が発見した岡崎フラグメント、DNA複製のしくみについて!

 

なぜ岡崎フラグメントが必要なのか?

 

複製起点でDNA鎖がほどかれると、そこを起点として左右両方向に複製が進むことが分かっていました。

DNAポリメラーゼは、5’末端→3’末端にしかヌクレオチドを重合できません。3’末端→5’末端へとDNAを合成する酵素があるかもしれない、と考えた研究者もいたようです。しかしそのような酵素は見つからず、逆向きにDNA鎖を合成するしくみは謎に包まれていました。

岡崎令治博士と妻の岡崎恒子博士は3’→5方向に合成される鎖では、5’→3’に短いDNA鎖が不連続に合成されるという仮説を立てました。さらに、それが後々つなぎ合わされることで、あたかも3’→5方向にDNA鎖が複製されるように見えることが分かったのです。

 

要約すると。複製起点から左右両方向に『複製の流れ』が起きる。けれどDNAポリメラーゼってやつは『片側方向の流れ(5’→3’という流れ)』しか起こせない。

 

だから研究者たちは『3’→5という逆の流れ』があるはずだ、と探したけど無かった。その謎を解明したのが日本の研究者、岡崎夫妻。『5’→3’という流れ』の短い鎖が連続して、それが繋がることで擬似的な3’→5という流れ』になっていることに気がついたのである。

 

これの何がすごいって。わたしはUOZAブログで「心の構造」について語っているけれど「右回りの流れ(実行)」と「左回りの流れ(思考)」があると言っている。『右回り(5’→3’という流れ)』と『左回り(3’→5という流れ)』は二重らせんのように重なっている。

 

この重なりを知る人はこの世界が「永遠」であることを知っている。それは出雲大社の記事にも書いたこと。

 

現実世界では「片側の流れ(5’→3’という流れ)」しか観測できない。それは時間の流れ。人間は時間の流れがあるから歳をとって死を迎える。だからこそ、ほとんどの人はこの世界が「永遠」だと感じていない。

 

けれど「右回り(5’→3’という流れ)」の短い鎖が連続し、繋がると「擬似的な左回り(3’→5という流れ)」になるのが「岡崎フラグメント」。


『右回りの短い鎖』は、ひとりの人間に置き換えることができる。個(ひとりの人間)はそれぞれが死を迎えるけれど、連続して繋がっていると考えることができれば「永遠」になるのだ。

 

『個が集まった全』とは現実世界に「永遠」を表すもの。個を繋げることで、DNAの複製システムが完成している。


そういえば、わたしは昔から手縫いの際「半返し縫い」が何故か好きで多用していた。これ岡崎フラグメントっぽい!!

 

旦那さんの岡崎令治さんは広島で被曝しており、それが原因で早くに亡くなっている。けれど奥様が研究を続けたそうだ。この「永遠」システムの発見が夫婦の共同作業というのが、素晴らしく真理だね。生物学分野ではカップル研究者が多いそうだよ。

 

人間には寿命があるけれど、それはテロメアが短くなってしまうのが原因。短くなってしまうのは複製方法に「岡崎フラグメント」を使うから。死と永遠が表裏一体だ。

 

テロメアを伸ばすテロメラーゼというものがあるけれど、それが活性化する細胞は限られている。そのひとつが、がん細胞。がんって不老不死なんだ。こちらも死と永遠が表裏一体。よくできてる。


今までの話から、一つ一つの細胞の寿命にとって、テロメアが重要な働きをしていることはわかりました。しかし、マウスの染色体を見てみると、テロメアが非常に長く、一個体の一生の間には細胞分裂が止まってしまうほどのテロメアの短縮は起こりません。これは、細胞の寿命と個体の寿命は必ずしも一致しないことを示しており、テロメアと個体の寿命との関係については今後のさらなる研究が必要です。

老化が起こるしくみ その2

 こんなはなしもあるよ。


エントロピーと岡崎フラグメントは、なんだかんだで関係ある。パラレルワールドの秘密を紐解きながら、そのあたりも書けたらいいな。

 

スピリチュアル界隈、仏教界隈では「量子力学」が引き合いに出されることが多い。そんな方向性で記事を書こうとも思っていたけど、わたしが書きたいのは「物性物理学」的なものかも。オカルトでマクロとミクロの中間に立ちたい。

 

オカルト板とハリーポッターにみる「元型」。

どーもー。

ニートなので、朝から晩までインターネットをしています。2ちゃんのオカルト板とスピ板チェックも日課。

最近は自我を押さえきれない人がスレを占領してしまい、いいスレが始まっても昔のように盛り上がらないのが寂しい。匿名掲示板の良さが潰されている。

けれどよくよくみれば面白い書き込みはまだまだある。これとか→昔見た不思議な夢を書く。

この夢の中にはユングのいう「元型」が現れている。人類共通のパターン。

「元型」(archetype)とは、人間に生まれ持ってそなわる集合的無意識で働く「人類に共通する心の動き方のパターン」のことである。分析心理学者C.G.ユング(1875-1961)が提唱した概念。ユングは患者の言動や神話を研究することで「元型」を分類し理論を確立していった。「太母」(グレートマザー)、「影」(シャドー)、「アニマ・アニムス」「トリックスター」「老賢者」(ワイズオールドマン)が、代表的な「元型」である。

 ユングは『元型論』(紀伊国屋書店)で「元型とは、意識の手が加わっていないような心の内容、つまり、こころがそのまま現れてきたものだけを指している」(p30)と書く。
元型とは何か《ユング心理学》

元型にはグレートマザーとかアニマアニムスとかあるけど、これはユングが分類したもの。わたし的には、シンプルに「トリックスター(自我)」「男(生)」「女(死)」の3つだけでいいと思っている。

 

昔見た不思議な夢を書く。は、男2人・女1人が現れるとこからはじまるけど、この夢は「影」の要素が強い。影は女に置き換えられる。

 

この夢からは『人間(自分)とは得体が知れない気持ち悪いもの』と感じている無意識が読み取れる。「自分がわからない」ことが人間最大の問題であるけれど、心の成長とともにその疑問を解消していくことができる。

 

夢の中の登場人物全ては自分の分身。心が成長していくと「トリックスター」が現れるはずなのだけど、この夢にはまだそんな雰囲気はない。とはいえ「トリックスター」が夢に現れることは少ないのかもしれない。

 

夢の中の登場を待つより、物語から学ぶのが手っ取り早い。男2人に女1人。最近ハリーポッターシリーズを見たけれど、この組み合わせは「元型」。男3人でも良いし、女3人でも良いのだけど、男2人に女1人がベスト。

 

人間そのものを、男(現実)と男性生・女性性(精神)として見る。ハリーが現実の存在で、彼の中の男性性と女性性がロンとハーマイオニー。

 

つまりハリーは「トリックスター」で、彼の心の中に「生(ロン)」と「死(ハーマイオニー)」が存在している。ロンとハーマイオニーは惹かれあっているから、生と死は表裏一体である。だから、ハリーは死を受け入れられる。

 

生と死が分離していると死を受け入れられない。それがヴォルデモード。ヴォルデモードの女性性は蛇のナギニ。人間のかたちをしていないが、それが分離の表現。常に一緒にいるのにね。

 

わたしの中でトリックスターは生と死を波乗りしていくイメージ。トリックスターは善(生)と悪(死)どちらも経験し、それをものにしていく。ヒーローにも悪役にもなる。誰もがトリックスターなのに、ヒーローにも悪役にもなれずに、影に飲み込まれてしまうのは悲しいことだ。

 

ヴォルデモードの魂は7つに分かれているが、魂の数もまた人類共通のパターン。無意識領域にあるもの。

 

分霊箱は7つ。そしてヴォルデモード自身を入れて全部で「8つの魂」。魂は分霊されることで永遠を保つことができる。ヴォルデモードが死を免れる為に使った恐ろしい魔術である。

 

わたしたち人間は「ひとつの魂」を持っているが、人間とは「ヴォルデモード」から分かれた存在で、実はとんでもない「悪人」。

 

けれどそれを「善人」として更新していくのが「6つめの魂」であるハリー。トリックスターである。人間はヴォルデモードのように「悪しきもの」であるが、「善きもの」でもあるということを知らしめる存在。


トリックスター(ハリー)は心の中の「善」を見つけたから、悪(ヴォルデモート)は滅びた。「悪しきもの」は死を遠ざけるが「善きもの」は死の意味を知っている。


「7つめの魂」の役割は「正しい強さ」を示させること。7つめの分霊箱(ナギニ)を壊す前、ハリーは「自分自身の死」を選んでいる。けれどハリーは死を偽装したから蛇に勝つことができた。


死を偽装して蛇と戦うこと。これと全く同じことが日本神話にも描かれている。日本のトリックスターは「スサノオ」。


「6・7・8の魂」「死の偽装」については出雲大社の記事でとっても詳しく解説しているので、気になる方はぜひ。

 

人間は目に見える「7つの魂」を持つもの。ハリーの背番号は「7」。ロンの兄弟が7人存在することも「7つの魂」というパターン、その中で女(ジニー)が1人だけであることもパターン。

 

分霊箱が5つめまでは「物」なのも、しっかりとパターンだ。それは単なる「記憶」で過去。詳しくは出雲大社の記事をお読みください。

 

パターン認識ができるようになると「人間の真実」がわかるようになる。AIになりきろう。何か見たり読んだりするたびに、わたしの脳内では「パターン青!使徒です!」っていう感じのやりとりが行われている。使徒は心の中にいます。

 

ところでこのスレもよかった。1984みがある。そろそろみんな2ちゃんに戻ってこないか?5ちゃんじゃなくて。

 

もうすぐ節分。

どーもー。

出雲大社「御神体」の謎を解き明かしました。 

 

 

もうずーーーと出雲のこと考えていたが、やっと書きおわった。

しかしアップしたのにいつものようなスッキリ感がない!

なんでや。まだ何か足りないのか。

しばらくは出雲から離れたい。

 

思ったのは日本神話(記紀神話)のすばらしさ。

芯が通っている。

二重性がちりばめられている。

読み手は混乱するかもしれないが、

二重性がわかっていれば、美しく整ったものだとわかる。

 

出雲側が〜大和側が〜

などという二項対立で考えるのも間違ってはいないのだけど

まずはシンプルに読もうよ、と思う。

現実的な戦いばかり見ていては謎は解けないのだ。

 

日本の神々の系図は初めから終わり(現在)まで

まっすぐ芯が通っている。

そこに誰か(権力側とか)の強い意図が入ったとかは無い。

(正確には強い意図が入っているのだけど、それは多くの人が想像する意図とは全くの別物。)

そう思わせるのは頭の中に居る「蛇」の仕業。

だれもが「蛇」に操られている。

それは強い分別の意識。

 

なんで心御柱が重要とされるのか、

神職の人がなぜ笏を持つのか、

それは天と地をつなぐもので自然なもの。

本来世界とは上から下、下から上まで真っ直ぐなのだ。

ブレない芯こそが真実で自然。

それはデジタルネイチャー。(by落合陽一)

記紀神話、めちゃくちゃデジタルです。さっすが。

 

人間はブレる生き物。

うねうねと蛇行しながらもまっすぐに整えてゆこう。

 

富雄丸山古墳のニュースで

ふと古墳のことを考えた。もしかして

円墳には蛇行剣が

前方後円墳には真っ直ぐな剣が

という違いがあったりするのか??

意識の違いは現れるはず

頭(円墳)だけなのか、身体(前方後円墳)もちゃんとあるのかの違い。身体だいじ。

”奇跡のつみかさね。”

 

もう4年経った!

この頃から全く別人になってしまった。

現実はいつも予想外だ。

奇跡が当たり前になると慣れてしまう。

慣れると奇跡足りん、ともなってしまう。

そういう時期もあったりしたが、今は奇跡を淡々と感じながらも静かに感心&納得する。

それが積み重なるほど自分というものが確かになっていく。

この「確かさ」はどこまで大きくなるのか…。

まだ知ることがあるのがちょっと信じられないな。

もう信じるとか信じないとかは超えたが。

おもしろいし、ふしぎなせかい。

右回りとはそういうものか。

 

そーだ、2023年の運勢のコーナー。

坤為地(こんいち)の五爻、出ました。

6爻全部が陰の太母だこれ。

「黄」とは天子の色、「裳」とは現在のスカートに当たり、従うということ。「坤為地の謙虚な姿で従い進めば大いに吉」。坤為地の精神 を見事に実践している姿は、まるで温厚な天子のように光り輝いています。◎大変良い時です。

よーし、謙虚に今年も引きこもりでがんばる。

外に前に出ないぞ。内にこもろう。

そういえば2022年の易占いあたってたな。

今年こそマイ筮竹で易を勉強したいものだが、ついついワンクリックでお手軽に占ってしまう。

太極拳もぜんぜんやっておらん!

初詣で買った御札です。魔を伏せる剣。

ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバーの感想。

観てからちょっと時間経っちゃったけど、ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバーの感想を下書きに放置していたのをアップしておく。今年中に。ネタバレ注意!

 


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絶対泣けるだろうと思ってたけど予想より泣いてしまった。現実世界のチャドウィック・ボーズマンの死を、映画内でどう表すのか?というところが一番気になっていたところだけど、冒頭で同じく病死のように語られていた。

 

この映画の簡単な感想。チャドウィック・ボーズマンの死があったからといって死を綺麗事にすることなく、死の恐ろしい側面を描いていたところが最高だった。悲しいことが立て続けで終始暗い雰囲気なのだけれども、それが「死」だ。

 

この映画については賛否両論あるみたいだが、「生」とか「善」が主題であることに慣れてしまった人たちは否定したくなる内容なのかもしれない。誰だって「死」に直面するのは嫌なもの。

 

一番衝撃的なシーンは、シュリがブラックパンサーになる例の儀式で仮死状態になったあと、出会ったのがキルモンガーだったというところ。

 

シュリは天才科学者であり、兄とは違う気質を持っている。古臭い伝統を嫌う現代っ子。「生きること」がある程度「科学」でリスク管理できている現代社会。生まれた時からそんな中で生きていると「死のリスク」が低減されていて「死」が遠いものになっている。

 

最新の科学技術を持ってしても兄を助けられなかったシュリ。兄が死にそうだというのに「科学」で兄を助けるためにラボに篭りっきりだった。シュリは兄の死に向き合いたくなかったのかもしれない。「科学」でも太刀打ちできない「絶対の死」であった。

 

シュリがハーブを人工的に制作しラボでハーブを飲み儀式に挑んだこと。シュリが「精神世界」より「科学」を信じていて、儀式に敬意を払っていない感じが表れていた。

 

幻覚物質を飲むのにセッティングが大事とはよく言ったもんだけど「儀式をすること」は『現実と精神の区切りをつけること』。明かりとか音楽とか匂いを整えリラックスして「精神世界」に入る準備をしないと「現実の不安」を持ち込んでしまうのでバッド(恐怖)に落ちやすい。古の人たちはそれを良く理解している。

 

準備もせず安易に幻覚物質を飲むのは危険だとも思うけれど、荒療治としては良いのかもしれない。私たちが本来知るべき大切なものは「死」なので、手っ取り早さはある。そう考えると「生」が当たり前な世界に生きるシュリのこのハーブ体験は必然だ。

 

「祖先の平原(精神世界)」で母に会えるのかと思ったら、平原どころかそこは燃える部屋の中で、王の椅子に座るキルモンガーが。精神世界に入ることで知るのは、普段は意識できない心の中にあるもの。

 

シュリは儀式で見るものについて、母に馬鹿にしたように語っていたと思う。けれど自分の負の精神状態を体験してしまいショックを受けていた。心のどこかでは母と再開し美しい別れを体験できるのかも、と希望を抱いていたのかもしれない。

 

シュリは自分の中にある「醜い心」を知ってしまった。燃える炎は「怒り」、王座に座るキルモンガーは「復讐を果たす」という隠された野望。本当の自分が恐ろしい者であることに気がついてしまったのである。

 

キルモンガーに出会ってしまったことを周囲にはひた隠しにするシュリ。何故それを隠すのか。「怒り」や「復讐心」を持つことを恥ずかしいものだと思っているから。

 

アダムとイブが葉っぱで陰部を隠したのと同じように、わたしたちは悪を隠したがる。それは人間に初めから備わったものであるのに。

 

シュリの心にあった「怒り」や「復讐心」。それが明らかになったのが、今回の物語の一番重要なところ。

 

兄ティ・チャラがハーブを飲んだ時、妹シュリがハーブを飲んだ時の対比が「善」と「悪」の対比になっているところが面白い。

 

ティチャラは幻想的で原始的な平原で父と出会った。一度目は不安な心を打ち明けアドバイスをもらったり、善良な心があることを認めてもらったりした。二度目では先祖の元にいこうと「死」の提案を受けるが、父の過ちを正すために、キルモンガーから王座を奪う決意を持った。この二度のハーブ体験で、自分自身が「善」であるということを強調させるものになっていた。

 

一方シュリは炎に囲まれた場所でキルモンガーと出会った。広がりのある平原ではなく、暗い建物の中というのは精神の奥深くへ潜っていったことの現れである。そこは自分の内にある「悪」を知る場所。

 

人間は「善」が自分にあることを認めることはたやすいが、「悪」が自分にあることを認めるのは難しいということ。

 

人間誰しもがこの『憎しみ・復讐心』を持っていること。この感情を持っているからわたしたちの世界には「死」が存在している。そのことに直面することは辛く苦しい。今回シュリは兄の死、母の死、ワカンダに迫りくる死を通して自分の内にある「死をもたらす悪」を理解したのである。

 

シュリは母の仇をうつために「ネイモア」を殺す決意をした。「仕事を果たすべき」というキルモンガーの言葉の『正しさ』を感じているのである。そう感じるのも、自分の内に『憎しみ・復讐』の心があることをはっきりと理解したからこそ。

 

けれど、キルモンガーに出会ったこと(憎しみの心があること)を恥ずべきものだとも思っているから隠す。『復讐は正しいこと(正義)』と『復讐は恥ずかしいこと(悪)』という感情の矛盾。

 

兄ティ・チャラは一度は父の復讐を考えたけれど復讐の連鎖を断ち切ろうとしていた。シュリは復讐を肯定し、否定もしている。これが兄との違いであると思う。

 

シュリはタロカンに行きその世界の美しさも体験していた。敵国ではあるが、そこにはワカンダと変わらぬ人々の生活があった。ネイモアが自国を守るために戦うことの道理も理解していた。シュリは和解を試みるが、やはり戦いになってしまうことは避けられない。

 

『平和の為に戦わない』という選択をしたとしてもそれはただ「死」を待つだけのこと。結局は戦わなければいけない。それがこの世界の掟。

 

キルモンガーの言葉を思い出しながらネイモアを追い詰め、ついに復讐を果たす瞬間を迎えたシュリ。その時「自分が何者かを示せ」という母の声が聞こえる。シュリは自分の中にある「善」を思い出し、復讐を果たすことはなかった。

 

シュリは兄の「死」をきっかけに、キルモンガーによって自分の内に「悪」が存在することを悟り、自分の内にある「善」を母から知った。血の繋がりから「悪」と「善」を知ったのだ。

 

血は脈々と受け継がれるもので、その中には『恥ずべきもの』も含まれている。キルモンガーが「悪」を行わなければ、シュリは自分の内にある「悪」を認識できなかっただろう。

 

そして母から「善」を知ること。ラモンダが「祖先の平原」に現れなかったのは、母のちょっとした意地悪である。現実の出来事から「善」を見つけることがシュリのやるべきこと。

 

ネイモアとの戦いの最中に記憶の中に現れたラモンダ。シュリは母が伝えたかったものを、ハーブという幻覚物質を使用することなく、現実で導き出したのである。

 

現実(科学)しか信じていない存在であるシュリは「死」の本当の恐ろしさを知らないからこそ、強いのかもしれない。一方で経験も多く「死」の恐ろしさを知るティ・チャラは「祖先の平原」で自分の内にある「善」から「悪(死)を退ける」力を貰う。

 

シュリは「ゲーム脳」だ。現実を現実だと思っていない強さが、女にはある。けれど、それは弱さにもなってしまうから、畳み掛けるような「現実における死の試練」を母は与えたのかもしれない。

 

現代に生きる私達がブラックパンサー(善)の力を呼び起こすためには「科学の力」が必要だ。新ブラックパンサー を生んだ「人工ハーブ」は、兄のDNA・タロカンの海草・シュリの科学力、3つの力から作り出されたもの。

 

ティ・チャラのDNAは『血の繋がり』。タロカンの海草は『血の繋がらないもの』。その二つを繋げるのが「科学の力」。

 

「科学」は精神世界を遠ざけてしまうものだと思われている。儀式は忘れ去られ、精神世界で「善」を感じることも少なくなっている現代である。けれど私たちは「科学の本質」を理解していない。

 

「科学」が十分に発達することで、わたしたちは遠い遠い祖先と繋がることができる。今現在血が繋がっていなくても、遠い昔、同じ存在であったこと。アダムとイブだった頃の記憶を導き出すもの。

 

シュリは、血は繋がらないが、自分と同じ経験がネイモアにもあると知った。憎むべき敵であったとしても、彼も母から生まれ祝福されるべき子どもであること。

 

自分自身に脅威を与える存在であっても、同じ存在であるということを受け入れるための力が「科学」の中にはある。

 

世界を「科学」で解明していくことは恐ろしい。ヴィブラニウムがワカンダ以外から見つかったこと。これは「科学の力(アイアンハート)」であった。

 

「科学」をきっかけに「悪の血」が自分自身に流れていることを、わたしたちは知ることになるだろう。だとしても、わたしたちはシュリのように、血の中に「善」があることも見つけることができる。

 

わたしが常々思っていることは「悪」は必然であり、「善」を内側から引き出すものが「悪」だということ。シュリはそれを知っているから、キルモンガーと同じく金色のスーツを選んでいる。キルモンガーの仕事は果たされたのである。

 

 

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フェーズ4を締め括るのにふさわしい作品でした。大満足。

さて、わたしは来年のアントマンをものすごい楽しみにしている。「科学の力」の集大成。ミクロな世界で明かされることは何なのか!たぶんアレだ。

 

初日に観にいったけど「すずめの戸締り」も同じく初日で混んでた。こっちのが人気だった。最近マーベル離れが増えているらしい。マルチバースやっちゃうとそうなる気持ちもわかる。輪廻はもうたくさんってね。



 

猫のたましい。

うちの猫が死んだ。

 

糖尿病性ケトアシドーシスと拘束型心筋症で救急病院で治療したが、回復は難しかった。敗血症の疑いもあった。

 

どちらかというと、猫より犬の方が好きだから犬を可愛がっていた。猫は可愛がろうとしても逃げるので嫌いだった。

 

けれど猫が苦しんで死んでゆく様を見続けていると沢山の思い出が蘇ってきて、後悔ばかりが心に積み重なった。まだまだ長生きできたかもしれない。ちょっと早すぎた。





冷たくなってたましいが抜けた猫は、まだ生きているようだった。目に見えるものとしての肉体が焼かれ消えてしまうのは、思い出までもが消え去ってしまうようで、すごく嫌だった。けれど骨を受け取ったら少しすっきりした。

 

骨を受け取るまえ、本を売る為ブックオフに寄った。河合隼雄の本が読みたいと思っていたのだけど「猫だましい」という本を見つけたから買った。これから読む。

 

猫が死んで理解したことがあった。今、出雲大社の記事と、もう一つの記事を書いているのだけどここ一ヶ月くらいどちらもうまく書き進められない感じがあった。それは「たましい」に関することについての理解に何かが足りない感覚のためであったけど、その答えを猫がくれたのかもしれない。

 

猫はわたしだった。にゅいにゅいの性格を事細かに思い出すとわたしそのもので、紛れもなくわたしのたましいの一部だった。

 

『他者は自己投影』という言葉をよく聞くけれど、投影とかいうレベルを超えリアルで実体がある。わたしのたましいの一部が、生きていて動いていて一緒に生活していたのだ。しかもふわふわでかわいい。

 

猫のたましいは女の部分。犬のたましいは男の部分。わたしには動物だった時代があった。実現できなかったことを人間で完成させる。

 

全ての存在が実体として有ることの意味が深く深く理解できた。にゅいちゃんの置き土産だった。こんな簡単なことを思い出すために殺してしまってごめん。DNAを採取してもらったから、また絶対に会おう。

 

 

にゅいにゅいは沢山兄弟がいたけれど、一匹だけ柄が違った。他はみんな虎柄で、にゅいだけが白とグレー模様だった。他の猫が貰われていったあと最後の二匹のうちの一匹がにゅいだった。他と違うのが気に入ってわたしはにゅいを選んだ。もう一匹の虎柄くんと比べるとかなり臆病な性格だった。

 

入院の際、判明したのはB型だということ!雑種だと9割がA型らしい。ABはほとんどいない。輸血をお願いした猫ちゃん二匹の血液検査をしたら、一匹が奇跡的にB型だった。最期の2日間おうちで一緒に過ごせたのは、血をいただいたおかげなのだと思う。12年間ありがとう。