老子をよんで「道」をしる。 | ぱんちゃんブログ

老子をよんで「道」をしる。

どーもー。毎日インターネットばかりのニートですが、たまには本も読むよ。「老子」を読んだらやはり素晴らしかったのでシェアします。

 

老子(ろうし)は、中国春秋時代における哲学者である。諸子百家のうちの道家は彼の思想を基礎とするものであり、また、後に生まれた道教は彼を始祖に置く。

 

 

「老子」は中国の哲学者。昔の人すぎて実在も疑われているが、彼の思想は中国文化に大きな影響を与えている。

 

老荘思想(ろうそうしそう)は、中国で生まれた思想。諸子百家の道家(どうか)の大家である老子と荘子を合わせてこう呼ぶ。道家の中心思想としてとりわけ魏晋南北朝時代に取りあげられた。

老荘思想が最上の物とするのは「道」である。道は天と同義で使われる場合もあり、また天よりも上位にある物として使われる場合もある。「道」には様々な解釈があり、道家の名は「道」に基づく。

 

 

老子といえば「道」。老子は「道教」の始祖でもあるけれど、「道」と「道教」はあまり関係がないとも言われている!へぇー

 

「老子」が書いた『老子道徳経(老子とも呼ばれる)』は上篇・下篇、全81章からなる。わたしが読んだのは、講談社学術文庫から出ている金谷治さんが訳した「老子」。わかりやすく読みやすいよ。

 

下篇から気にいったやつ3つあげる。そしてわたしなりの解説していきたい。

 

----------

 

<42章> 道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負いて陽を抱き、沖気以て和を為す。(後半省略)

 

「道」とはこの世界の基本になるもの。1→2→3という順番で3から万物が生じる。この順番が何を表すのか?というところは、実はもうUOZAブログの方で説明していることだったりする。

 

2ch発の「よーさん予言」っていうのがあって、それは『3つの世界について』のはなしなのだけど、それは老子の言う「道」のこと。「よーさん予言」については4つも記事を書いてるので読んでみてね。『1→2→3という順番で3から万物が生じる』というのは、こういうこと。

 

結局のところ1と2と3とは、生命とか地球とかの基礎になるもののこと。例えば、「男(1)」と「女(2)」が出会って「新しい命(3)」が生まれる。1と2は種類の違うもので、それらが合わさったものが3ということ。

よーさんの「妄想かいてくよー」の解説をする その4

 

この世界に存在するもの、つまり万物すべては「3」なのです。「1」だけのものとか「2」だけのものとかは無い。「3」の中には相反するものが両方含まれている。これが絶対的真実。

 

1は強い心(陽)、2は受け入れる心(陰)、3はそれらを両方持つ新しい心(陰陽)とも言える。万物の代表は人間(3)である。

 

この順番はとても大事で、絶対に最初は「強い心」。この順番でなければ万物が生まれることはない。古事記の国産み神話にもそう書いてある。

 

それから、万物をミクロにしたもの、素粒子には「4つの力」がある。1は強い力、2は弱い力、3は電磁気力。そして重力が「道」だと思われる。

 

『万物は陰を負いて陽を抱き、沖気以て和を為す。』この意味について。それは1と2と3がわかっていれば自ずと答えが出る。3(陰陽)は2(陰)を負って1(陽)を抱いている。

 

おとといの日記で「人間はとんでもない悪人(陰)」と言ったけれど、心の中には「善の心(陽)」がある。それが万物の代表、人間(陰陽)。人間は陰を負うもの。辛い。

 

「沖気」とは、1と2を中和させる3の力。3は電磁気力でもある。それは電子と原子核を結びつけるし、原子と原子も結びつける。電磁気力(3)があるから、万物が成り立っている。

 

人間は自分自身が3であることを自覚できると、世界が違って見えることになるはず。

 

 

<48章> 学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損ず。これを損じて又た損じ、以って無為に至る。無為にして為さざるは無し。天下を取るは、常に無事を以てす。其の事有るに及んでは、以て天下を取るに足らず。

 

これはすごいと思った言葉。金谷治さんの解説から、この言葉の意味合いを引用させてもらう。

 

学問を修めていると、その知識は一日一日とふえてくるが、「道」を修めていると、一日一日とその知識は減ってゆく。減らしたうえにまた減らし、どんどん減らしていって、ついにはことさらな”しわざ”のない「無為」の立場にゆきつくと、その”しわざ”のない「無為」のままでいて、それですべてのことをりっぱになしとげるようになる。

 

これは前半部分の解説。「道」を修めると、知識が逆に減っていくという!すごい!その通りだ。これもまた、UOZAブログで既に語っていること。自分のブログの宣伝ばかりですみませんが、知識が減るとはどういうことなのか?がこれです。

 

複雑に思える全ての「できごと」や「ものごと」は、とても単純な構造になっている。しかし、人間は新しい言葉を作り過ぎてしまった。複雑で難解な言葉のせいで脳内の整理整頓が出来ていない。
 

シンプルな言葉で置き換えてみたり、昔からある言葉だけで考えてみると、複雑な問題は実はすごく簡単な構造になっていることに気がつくのである。これが「要素を分解し、分類」すること。全ての「できごと」「ものごと」は引き算していくと最終的に「二元・二極」になってしまうのである。

エメラルドタブレットの言葉を訳してみた

「道」を理解していると、全てのものごとがとても単純に見えてくるもの。先ほど説明した1と2と3のことがわかってくると、万物(3)が1と2で出来ているというのが見えてくる。

 

万物は、生き物だけでなく出来事なども含まれる。世界で起きる複雑な問題なども「道」から生まれているのであるから、結局はそれも1と2から起きている。と、なると複雑な問題も一気に簡単なものとなる。複雑に入り組んだ問題は、1と2という二つの要素が原因である。

 

原因がわかっていれば「無為」にいきつく。もう何もすることが無くなる。複雑な問題は『あるべき』ものだとわかる。「道」とは1と2が中和して3に成ったもの。複雑な問題こそが3であり、それこそが「道」だから、問題を解決しようとか思わないのである。

 

「道」を理解していれば、なすがままに生きることができる。

 

 

<47章> 戸を出でずして天下を知り、牖(まど)を闚(うかが)わずして天道を見る。其の出ずること弥々(いよいよ)遠ければ、其の知ること弥々少なし。是(ここ)を以て聖人は、行かずして知り、見ずして名(明)かにし、為なさずして成す。

 

最後はこれ。ニートのためにあるような名言だ!一番好きな言葉かもしれない。またまた金谷治さんの解説から、この言葉の意味を引用させてもらう。

 

戸口から一歩も出ないでいて、世界のすべてのことが知られ、窓から外をのぞきもしないでいて、自然界の法則がよくわかる。外に出かけることが遠ければ遠いほど、知ることはますます少なくなっていくものだ。

それゆえ「道」と一体になった聖人は出歩かないでいてすべてを知り、見ないでいてすべてをはっきりとわきまえ、何もしないでいてすべてを成しとげる。

 

外に出なくてもすべてのことがわかる。これはすごい。しかも、外に出かけるほど知ることが少なくなってしまうという。わたしたちの常識では『外に出ることが物事を学ぶこと』なのではないだろうか。常識とはかけ離れた教えであると言える。

 

これは内に籠もれば、心の中を見ることができるということ。実際「外」に出なければ「内(家)」にこもれる。喧騒から離れることで心の中を観察することができる。

 

内にこもることは、自分を知ること。すなわち自分を知ることは3(道)を知ること。一度「道」を理解してしまえば、外に出ることなく世界の全てがわかるようになってくる。だからこそ、わたしは内(家)にこもることを全力でおすすめする。

 

新型コロナが流行って思う存分「内(家)にこもる」ことができるようになったのに、最近は通常に戻ってきているから残念である。

 

とはいえ、わたしはコロナで人と会う機会が激減して、思う存分内(家)にこもることができている。毎日世界がわかってたのしい。ニート最高。みんな内(家)にこもって「道」を知ろう。