ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバーの感想。 | ぱんちゃんブログ

ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバーの感想。

観てからちょっと時間経っちゃったけど、ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバーの感想を下書きに放置していたのをアップしておく。今年中に。ネタバレ注意!

 


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絶対泣けるだろうと思ってたけど予想より泣いてしまった。現実世界のチャドウィック・ボーズマンの死を、映画内でどう表すのか?というところが一番気になっていたところだけど、冒頭で同じく病死のように語られていた。

 

この映画の簡単な感想。チャドウィック・ボーズマンの死があったからといって死を綺麗事にすることなく、死の恐ろしい側面を描いていたところが最高だった。悲しいことが立て続けで終始暗い雰囲気なのだけれども、それが「死」だ。

 

この映画については賛否両論あるみたいだが、「生」とか「善」が主題であることに慣れてしまった人たちは否定したくなる内容なのかもしれない。誰だって「死」に直面するのは嫌なもの。

 

一番衝撃的なシーンは、シュリがブラックパンサーになる例の儀式で仮死状態になったあと、出会ったのがキルモンガーだったというところ。

 

シュリは天才科学者であり、兄とは違う気質を持っている。古臭い伝統を嫌う現代っ子。「生きること」がある程度「科学」でリスク管理できている現代社会。生まれた時からそんな中で生きていると「死のリスク」が低減されていて「死」が遠いものになっている。

 

最新の科学技術を持ってしても兄を助けられなかったシュリ。兄が死にそうだというのに「科学」で兄を助けるためにラボに篭りっきりだった。シュリは兄の死に向き合いたくなかったのかもしれない。「科学」でも太刀打ちできない「絶対の死」であった。

 

シュリがハーブを人工的に制作しラボでハーブを飲み儀式に挑んだこと。シュリが「精神世界」より「科学」を信じていて、儀式に敬意を払っていない感じが表れていた。

 

幻覚物質を飲むのにセッティングが大事とはよく言ったもんだけど「儀式をすること」は『現実と精神の区切りをつけること』。明かりとか音楽とか匂いを整えリラックスして「精神世界」に入る準備をしないと「現実の不安」を持ち込んでしまうのでバッド(恐怖)に落ちやすい。古の人たちはそれを良く理解している。

 

準備もせず安易に幻覚物質を飲むのは危険だとも思うけれど、荒療治としては良いのかもしれない。私たちが本来知るべき大切なものは「死」なので、手っ取り早さはある。そう考えると「生」が当たり前な世界に生きるシュリのこのハーブ体験は必然だ。

 

「祖先の平原(精神世界)」で母に会えるのかと思ったら、平原どころかそこは燃える部屋の中で、王の椅子に座るキルモンガーが。精神世界に入ることで知るのは、普段は意識できない心の中にあるもの。

 

シュリは儀式で見るものについて、母に馬鹿にしたように語っていたと思う。けれど自分の負の精神状態を体験してしまいショックを受けていた。心のどこかでは母と再開し美しい別れを体験できるのかも、と希望を抱いていたのかもしれない。

 

シュリは自分の中にある「醜い心」を知ってしまった。燃える炎は「怒り」、王座に座るキルモンガーは「復讐を果たす」という隠された野望。本当の自分が恐ろしい者であることに気がついてしまったのである。

 

キルモンガーに出会ってしまったことを周囲にはひた隠しにするシュリ。何故それを隠すのか。「怒り」や「復讐心」を持つことを恥ずかしいものだと思っているから。

 

アダムとイブが葉っぱで陰部を隠したのと同じように、わたしたちは悪を隠したがる。それは人間に初めから備わったものであるのに。

 

シュリの心にあった「怒り」や「復讐心」。それが明らかになったのが、今回の物語の一番重要なところ。

 

兄ティ・チャラがハーブを飲んだ時、妹シュリがハーブを飲んだ時の対比が「善」と「悪」の対比になっているところが面白い。

 

ティチャラは幻想的で原始的な平原で父と出会った。一度目は不安な心を打ち明けアドバイスをもらったり、善良な心があることを認めてもらったりした。二度目では先祖の元にいこうと「死」の提案を受けるが、父の過ちを正すために、キルモンガーから王座を奪う決意を持った。この二度のハーブ体験で、自分自身が「善」であるということを強調させるものになっていた。

 

一方シュリは炎に囲まれた場所でキルモンガーと出会った。広がりのある平原ではなく、暗い建物の中というのは精神の奥深くへ潜っていったことの現れである。そこは自分の内にある「悪」を知る場所。

 

人間は「善」が自分にあることを認めることはたやすいが、「悪」が自分にあることを認めるのは難しいということ。

 

人間誰しもがこの『憎しみ・復讐心』を持っていること。この感情を持っているからわたしたちの世界には「死」が存在している。そのことに直面することは辛く苦しい。今回シュリは兄の死、母の死、ワカンダに迫りくる死を通して自分の内にある「死をもたらす悪」を理解したのである。

 

シュリは母の仇をうつために「ネイモア」を殺す決意をした。「仕事を果たすべき」というキルモンガーの言葉の『正しさ』を感じているのである。そう感じるのも、自分の内に『憎しみ・復讐』の心があることをはっきりと理解したからこそ。

 

けれど、キルモンガーに出会ったこと(憎しみの心があること)を恥ずべきものだとも思っているから隠す。『復讐は正しいこと(正義)』と『復讐は恥ずかしいこと(悪)』という感情の矛盾。

 

兄ティ・チャラは一度は父の復讐を考えたけれど復讐の連鎖を断ち切ろうとしていた。シュリは復讐を肯定し、否定もしている。これが兄との違いであると思う。

 

シュリはタロカンに行きその世界の美しさも体験していた。敵国ではあるが、そこにはワカンダと変わらぬ人々の生活があった。ネイモアが自国を守るために戦うことの道理も理解していた。シュリは和解を試みるが、やはり戦いになってしまうことは避けられない。

 

『平和の為に戦わない』という選択をしたとしてもそれはただ「死」を待つだけのこと。結局は戦わなければいけない。それがこの世界の掟。

 

キルモンガーの言葉を思い出しながらネイモアを追い詰め、ついに復讐を果たす瞬間を迎えたシュリ。その時「自分が何者かを示せ」という母の声が聞こえる。シュリは自分の中にある「善」を思い出し、復讐を果たすことはなかった。

 

シュリは兄の「死」をきっかけに、キルモンガーによって自分の内に「悪」が存在することを悟り、自分の内にある「善」を母から知った。血の繋がりから「悪」と「善」を知ったのだ。

 

血は脈々と受け継がれるもので、その中には『恥ずべきもの』も含まれている。キルモンガーが「悪」を行わなければ、シュリは自分の内にある「悪」を認識できなかっただろう。

 

そして母から「善」を知ること。ラモンダが「祖先の平原」に現れなかったのは、母のちょっとした意地悪である。現実の出来事から「善」を見つけることがシュリのやるべきこと。

 

ネイモアとの戦いの最中に記憶の中に現れたラモンダ。シュリは母が伝えたかったものを、ハーブという幻覚物質を使用することなく、現実で導き出したのである。

 

現実(科学)しか信じていない存在であるシュリは「死」の本当の恐ろしさを知らないからこそ、強いのかもしれない。一方で経験も多く「死」の恐ろしさを知るティ・チャラは「祖先の平原」で自分の内にある「善」から「悪(死)を退ける」力を貰う。

 

シュリは「ゲーム脳」だ。現実を現実だと思っていない強さが、女にはある。けれど、それは弱さにもなってしまうから、畳み掛けるような「現実における死の試練」を母は与えたのかもしれない。

 

現代に生きる私達がブラックパンサー(善)の力を呼び起こすためには「科学の力」が必要だ。新ブラックパンサー を生んだ「人工ハーブ」は、兄のDNA・タロカンの海草・シュリの科学力、3つの力から作り出されたもの。

 

ティ・チャラのDNAは『血の繋がり』。タロカンの海草は『血の繋がらないもの』。その二つを繋げるのが「科学の力」。

 

「科学」は精神世界を遠ざけてしまうものだと思われている。儀式は忘れ去られ、精神世界で「善」を感じることも少なくなっている現代である。けれど私たちは「科学の本質」を理解していない。

 

「科学」が十分に発達することで、わたしたちは遠い遠い祖先と繋がることができる。今現在血が繋がっていなくても、遠い昔、同じ存在であったこと。アダムとイブだった頃の記憶を導き出すもの。

 

シュリは、血は繋がらないが、自分と同じ経験がネイモアにもあると知った。憎むべき敵であったとしても、彼も母から生まれ祝福されるべき子どもであること。

 

自分自身に脅威を与える存在であっても、同じ存在であるということを受け入れるための力が「科学」の中にはある。

 

世界を「科学」で解明していくことは恐ろしい。ヴィブラニウムがワカンダ以外から見つかったこと。これは「科学の力(アイアンハート)」であった。

 

「科学」をきっかけに「悪の血」が自分自身に流れていることを、わたしたちは知ることになるだろう。だとしても、わたしたちはシュリのように、血の中に「善」があることも見つけることができる。

 

わたしが常々思っていることは「悪」は必然であり、「善」を内側から引き出すものが「悪」だということ。シュリはそれを知っているから、キルモンガーと同じく金色のスーツを選んでいる。キルモンガーの仕事は果たされたのである。

 

 

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フェーズ4を締め括るのにふさわしい作品でした。大満足。

さて、わたしは来年のアントマンをものすごい楽しみにしている。「科学の力」の集大成。ミクロな世界で明かされることは何なのか!たぶんアレだ。

 

初日に観にいったけど「すずめの戸締り」も同じく初日で混んでた。こっちのが人気だった。最近マーベル離れが増えているらしい。マルチバースやっちゃうとそうなる気持ちもわかる。輪廻はもうたくさんってね。