ぱんちゃんブログ -6ページ目

1月1日。

今年もがんばるぞい。





1月1日になった瞬間に神社にいるの初めてだったかも。
くじ引きして外れた。


年末は餅つきで忙しく(餅屋だから)余裕がないから
楽するために、今年は初めておせちをネットで購入。
なかなか美味しかった。



1日の富士山。
実家は毎日富士山を拝めるから良い。
今年もよろしくおねがいします。

2021年を振り返る。

今年を振り返ってみると、母の癌のおかげでバタバタしていた。自宅(東京)・山の家(長野)・実家(山梨)をいったりきたり。3つの場所を行き来するのはつかれたけど、それぞれの場所にいる自分を観察してみると面白かった。

 

わたしにとって自宅は精神世界の中のようなもの。ブログ書くのがすごくはかどる。アクセ制作もはかどる。快適でとにかく落ち着く我が家。内の世界。

 

山の家は精神世界と現実世界の割合が同じ。静かな山荘的なイメージで買ったのに、予想外に近所づきあいがあって面倒くさい。だが自然との触れ合いで心穏やかになり、ブログ書きや制作もまあまあはかどる。内と外の世界。

 

実家は現実世界。母の癌や家業のいろいろで地味にストレスが多い。ストレス耐性は高まっているのでなんとか持ちこたえている。外の世界。

 

3つの場所ができる流れはこんなかんじ。

 

結婚してから自宅になった場所で楽しく幸せに生きていたら、反作用で心の中は底に落ちていった。それから悟りというものがやってきた。意識の自由を手に入れた。

長年の夢だった山の別荘が欲しい、となって見つけてすぐ買った。なんか変な場所だった。心静かになれる場所。

それから母の癌が発覚して、実家に戻ることが多くなった。その前から何故か帰ることが多くなっていた気がする。東京に出てからというものあまり実家に帰らなかった。そのまま結婚してしまったし、実家は私の中で遠いところにあった。けれど母の癌によって現実に引き戻された。現実が辛いと心の中には反作用が起きる。辛いことが続いてもぜんぜんへこたれなくなってきて、幸せ感度が高まっている。

 


東京(内):身体は【精神世界】に在り、心は【現実世界】にある。現実が楽⇔精神が苦

 

長野(中):境界線がない感じ。ふしぎ。現実が無記⇔精神が無記

 

山梨(外):身体は【現実世界】に在り、心は【精神世界】にある。現実が苦⇔精神が楽

 

ちゃんと現実で3つの居場所ができた2021年。どの場所も大切なものになった。特に今年は実家(外)で苦の中にも光を見つけられたのが大きな収穫だった。


わたしの人生は順序よく自然に流れている。わたしは流れに乗るのが得意だ。コロナも自分の人生の流れに沿うような出来事だった。友人と連絡をとることは減ったが、会いたいときだけ気楽に静かに会える感じがとても心地良い。

 

人とはなるべく一対一で会いたい。その人のことを深く知りたいから。大人数で会うと上辺だけの会話にしかならないから、ストレスを感じて嫌だ。そしてマスクはこのままずっと定着してほしい。

 

コロナのおかげで自分が望む未来の第一歩がやってきたと感じている。人に会えないことにストレスは感じない。ネットがあればいい。好きなyoutuberを見ていれば人との繋がりを感じることができる。人との繋がりをしっかりと感じていれば現実で人と会う必要なんてないのだ。これはちょっと怖い考え方にも思えるけど、そうでもない。

 

去年とあるカフェでみかけた若い女子2人。そこは映えるケーキセットが出てくる店だった。彼女たちはそれぞれが自分のスマホに目を落とし、そこから目を離すことがない。彼女たちが会話を交わすことは一度もなかった。それを見て、わたしは「怖い」と思った。

 

たぶん彼女たちはネットの中だけで「人との繋がり」を感じている。そんなら一人で店に来ればいいのに!と思ったけど、一応友達と一緒にお店に来る、ということは現実で人との繋がりを完全に断ち切ってしまうことの危険性をちゃんと理解しているのだと思う。

 

「新人類」を目の当たりにして怖かったけど、彼らの生き方の「正しさ」を理解できた今は、置いてかれないようにわたしも引き続き流れに乗っていきたい。

 

流れに乗れないと「新人類(自分とは違う人間)」を理解できなくて狂ってしまうから、「旧人類(自分と同じ人間)」は集団になり結束を固めようとする。仲間探しに必死になっている旧人類たち。残念なことに旧人類は争いが好きだから集まっても最終的に自滅してしまう。

 

新人類は自滅しないために生まれている。新人類と仮想現実は切っても切り離せない。この流れが見えてくると世界の美しさを感じることができる。

 

新人類は個より全を優先している。旧人類は個に固執している。個を表現することが、自分自身を肯定することであるから。全を理解できない時代に生まれてしまった旧人類たちは悲しみを背負っている。ナイフで人を刺す、火をつけて燃やす。心の中を苦でいっぱいにしたら、その先に光があることを知っているから。人を傷つけない方法で光を見つけるのは難しい。

 

新人類の気持ちを理解できる旧人類になるためにUOZAブログを書いている。新人類研究の為にコレコレ見てるんや。その対比として加藤純一見てるんや。ただ見てるんじゃないんや。

 

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年明けすぐに母の三回目の手術が控えているし、父は最近骨折したし。なんと祖母も骨折している。親子でなにやってんだ。現実には厄災が多いが、実家は建て替えたばかりで快適だ。心は満たされている。家は心を現わす。

 

 

新居に三つのライトをプレゼントした。3つの明かりじゃん。いまさら気が付いた。ところで来年、魚座は12年に1度の幸運期らしい。わたしのラッキーナンバーは昔から2と0なのだ。もしかして、この人生プログラムは完璧かもしれない。

 

来年の運勢、天山遯 上爻(てんざんとん じょうこう)と出ました。陰が極まってる状況ではあるが、悠々と流せるって感じ。来年何か悪いことがありそうだけど、わたしには何も問題ないってことだろう。強くなった実感はあるから乗り越える。

 

エターナルズみてきた。

ちょっと前、エターナルズをわざわざ山梨から東京行ってIMAXでみてきたので、毎度おなじみオカルトな感想文。

 

 

エターナルズはこの世界の秘密に切り込んだ感じ。もうフェーズ4でとっくに切り込んでいるんだけども。わたしの中では、MCUフェーズ1から3までが「現実世界の中にじわじわと精神世界が侵食」するはなし。フェーズ4から「精神世界突入後、その中に精神世界と現実世界を創り、それぞれ分かれていく」はなしなイメージ。

 

フェーズ3までは、まだ現実世界を生きている状態なんだけど、ちょっと世界が変になりはじめている。天から神様が落ちてきたり、宇宙から敵がきたり、地球産超人が次々と現れたり。同時にテクノロジーはすごく発展しているから、地球から宇宙にも行き始める。

 

フェーズ4からは、現実世界が精神世界に飲み込まれてしまって、その中に現実世界を創るか、精神世界を創るか、それぞれのキャラが選択を迫られている。

 

精神世界に飲み込まれたロキ。今まで体験していた現実世界は”在り続ける者”が管理している創られた世界(精神世界)だったと知る。しかもその世界は多次元にわたっていて、自分がいっぱいいた。

 

そんな真実を知ったとしてても、今までの人生をあるべきものとして受け入れ始めたロキはそのままの現実世界を生きようとしていた(管理者を殺さないという選択)。

 

一方、シルヴィは管理者を殺して多次元宇宙を開放。それは新たなる世界(精神世界)の創造でもある。ワンダは魔法で自分の思い描く幻想(精神世界)をリアルに創り出していたし。

 

男は精神世界の中であってもそこに現実を探そうとするし、女は精神世界の中にさらに精神世界を構築していく。

 

精神世界はなんでもありな世界観ではあるけれど、結局は意図を持つものに管理されている世界。ということに気が付きはじめているのが私たち現代人。それがわかりやすくフェーズ4に描かれているので面白い。

 

エターナルズにも管理する者としてアリシェムがでてきた。結局ロキと同じ話である。自由意志が存在していなかったと気が付いたとき、私たちは選択しなくてはならないということ。

 

引き続き管理された現実世界を生きる

もしくは

新たに創り出した精神世界の中を生き、管理者のふりをする

 

すごく難しい選択。エターナルズも最後はそれぞれが選んだけれど。選択さえしない人がイカリスという人物だった。自分がロボットだって一番腑に落ちてて、それに一番悲しんでたのがイカリス。あの人間味がない感じ、パワーだけはある感じ。

 

ロボットの自覚が大きすぎて、だからこそ太陽神(アリシェム)に忠実に生きることしかできなくて、太陽に飛び込んでしまった。かわいそすぎる。まんまイカロスだった。

 

イカリスがセルシに惹かれた理由は人間味があるからだろう。感情豊かなロボットになりたいっていう憧れがあったのかも。それは人間になりたいっていう願望。もうちょっとイカリスに焦点を当ててほしかったなー。

 

ギルガメッシュとセナの関係性、このペアリングは妙味だった。セナは頭の中の声に操られちゃうけれど、それって心の声に忠実になってしまうってこと。女とは、肉体は女・心は男なので、心の声に忠実に生きるということは、戦いの神になってしまう。

 

それを抑えるのがギルガメッシュであるけれど、実は彼も心の声に忠実であるから、料理得意だし、優しく面倒見がいい。男とは、肉体は男・心は女なので。

 

セナは記憶消去がうまくいってなかったから、前回の滅びの恐怖が残っていた。心の声が聞こえすぎる人は恐怖を押し込めようと頑張っているのだ。心の声を聴きすぎると偏る。偏ることには良い面もあるし悪い面もある。そして、偏った者の苦しみは、偏った者しか理解できないから、ギルガメッシュはセナを守るのですね。深い。

 

セナの為に死ぬことが「生きる意味」になっていたのだろうけど、それは自分を守るような意味合いもあったのだと思う。自分に似たものを見捨てられないギルガメッシュの優しさというか弱さというか。

 

ロボットであったとしても、自由意志が無かったとしても、エターナルズそれぞれのキャラの中に「生きる意味」が表現されていてよかったと思う。

 

 

エターナルズが世界の秘密に切り込んでいる部分というのは、ひとつの使命を終えると記憶を消されちゃうとこ。まさに私たちのこと。輪廻転生つらい。

 

それから、新たなるセレスティアルズを誕生させるエネルギー源として人間の数を増やしているということ。不都合な真実はこわい。この真実ばかりを追いかけていて沼に落ちそうなオカルト人をたまに見かける。

 

偽の故郷の記憶を植え付けられていたりするエターナルズ。なんと故郷なんてなかった。帰るところなどなく、絶対に逆らえないような存在の意図のままに動かされているという自由意志のない存在がエターナルズであるが、人間も実は同じ。

 

神・創造主・管理者・在り続ける者、これら存在には強い意図があるが、その意図の中には善と悪の側面が存在する。人間は善と悪どちらかしか選べないからそれら存在への感情も、常にどちらかになる。真の目的を知らないときは、与えられた目的のために一生懸命がんばるし(善)、真の目的を知ったら、自分たちが駒だったと知って混乱したり憎んだり(悪)。

 

どちらも体験したエターナルズが最後に手にしたものはなんだろうか。それは『自由意志がある!と再び感じることの大切さ』である。

 

実際は「自由意志がない世界」なのに、「自由意志がある」と感じるように創られているのが人間(エターナルズ)である。意図があるからそう創られている。なぜ「自由意志があると感じる」のか。その理由を考えるべきなのだ。

 

自由意志はないのに、自由意志はある、というこの世界の厳しい二面性。二面性を体験したからこそ、ティアマットを眠らせることができたエターナルズ。誰もが不可能だと感じていたのに。やはり自由意志はあったのだ。

 

このはなしはなんだかややこしいが、アリシェムのように目が6こあればわかるようになる。人間3人分の目。ちなみにクロには人間2人分の目がありました。(人間3人分については、この日記でもちょっと触れた。)

 

不可能を可能にする、という経験。その経験について『自分が行動した結果である!』って胸をはって言えること。そんな経験を経たら、神・創造主・管理者・在り続ける者という存在の強い意図にひそむ真実がわかるかもしれない。

 

自由意志はある!と強く感じるための再体験道場が開くのは、人間が増えて十分にエネルギーが蓄えられている時代。いま。テクノロジーが十分に発達した時代。人間の数の力とテクノロジーの力で押し切らないと道場の扉は開かない。

 

恐怖の中にある光。光とは自由意志である。

 

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UOZAブログ更新してます。

よーさんの予言が盛り上がってきました!よーし

 

こちらのサイトからエターナルズ原作より、セレスティアルズについてのはなしを引用。

彼らは地球に住む原住民の遺伝子を操作して、種族を創造する実験を行います。そのときに誕生したのが「人間」、「エターナルズ」、「ディヴィアンツ」の3つの種族です

「人間」「エターナルズ」「ディヴィアンツ」の3種族。よーさんの言う3つの世界と同じものです。

MCUから目が離せませんね。弓おじドラマまだ見てないけど。

変な夢をみた。

やけにちゃんとした?夢をみた。

9月1日の早朝のことである。

いつも短くてとりとめのない夢ばかり見るけど

この夢は長くて映画みたいにストーリーがあった。

断片的にしか覚えていないが

なんかふしぎでせつなくて

衝撃を受けたのでめも。

 

 

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暗めの夕方

行ったことのない街

そこにあるアパートへ父の車で送ってもらう

知らない場所なので

わたしは地図を見て案内した

大学生なのかも?

 

【覚えてないのか、ここで場面は飛ぶ】

 

刃物を持った男が人々を襲っている

人々は切られて死んでいく

わたしは、刃物があまり怖くないので

その男と戦う

振り回している刃物を止めるのに

指が切れ、出血もする

その血をみて少しは恐怖を感じるけれど、

わたしには刃物に対する強さみたいなものがある

 

男から刃物を取り上げても

次々に隠し持った

刃物を取り出してくる

色んな形色んなサイズの刃物

わたしはそれら刃物を掴み

彼から取り上げる

そうしていると、男は諦めたのか

刃物を透明なパッケージの中にしまった

 

周りの皆が男を祝福している

すごく小さな花束のようなものを作って

男の前に置く人々

男は嬉しそうにしている

そこには、男の弟もいた

弟は彼自身のものと思われる、

透明の箱に入った刃物を見つめている

弟はその箱から刃物を取り出して暴れ始めた
また人々を切りつける

 

それを見た兄は、ピストルを取り出して

弟の頭を撃った

弟は死んだ

わたしはそれをみて

「最初に戻った」「また繰り返す」

と思った

 

【覚えていないのか、ここで場面は少しとぶ】

 

エスカレーターのような

ベルトコンベアのようなところにいる

足元が動いていて、上に上がっていく

何人かが一緒に乗っている

 

広いホールについて

ある集団の中に混ざる

そこでリーダーのような人が

持っているリモコンのようなものがある

それが誤作動?を起こした

何故かその後、わたしが集団の中から選ばれ

突然見動きが取れなくなった

まるでロボットが突然スイッチを

切られたかのように

身体が動かない

その場所にあった壁に

もたれかかったようになった

意識はしっかりとあるし目も見えているのに

動けないし話すこともできない

力なくうなだれたままの体勢で

意識だけは存在している不思議な感覚

 

どこかに移動させられている

わたしはこのまま

何かの実験台になってしまうらしい

わたしはこの時初めて

自分がロボットであることに気がついた

恐怖を感じて、その実験を実行しようとしている

男を殺そうと思った

 

動けないのにどうやったのかは分からないが

その男に爆弾を仕掛けることができた

爆発する前に逃げるようとするが

ロボットなのだからそんな心配することもないか‥

と考えていた

 

【場面が変わる】

 

中国っぽい国

どこかの都心部を歩いている

見晴らしのいい場所

 

わたしはとても美人な女性と一緒に歩いている

艶のある黒いロングヘアが美しい女性

彼女が突然、今歩いていた道から方向を変えた

どうやら、もうすぐクリスマスだから

プレゼントを買いにいくことにしたらしい

とても嬉しそうにわたしに話している

わたしはそんな彼女を見て

なんとも言えない幸せな気もちがこみ上げてきた

 

ここで、わたしは泣きながら目を覚ました。

切なくてしょうがなくて

胸の奥から込み上げてくるものがあった。

 

 

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わたしは彼女につかえている

ロボットだった、という夢。

だから刃物が怖くないのね。

夢の中で自分がロボットだと気がつく前は

自分は人間だと思ってた。

 

わたしはまだ人間でさえなかった…

と衝撃を受けた。

心の勉強をするプログラムが輪廻システムかぁ

感情が引き起こす様々なできごとを学ぶのね。

学びが終了したらやっと人間になれる。

なんとなくわかっちゃいたけど

改めてびっくりしたし、

人間になりたいと心から思った。

 

恐怖や悲しみよりも

嬉しいとか幸せとか

そっちの感情が尊い。

尊さで泣いた。

 

山の家で眠るとやはり変なもの見るな。

この夢クラウドアトラスっぽさある。

輪廻システムをちゃんと言語化しないとな。

UOZAブログそろそろ更新します。

善だけの世界がやって来る。

久々にイライラした。

 スケボーの試合みて「危ないから保護具つけろ」

って言ってる人にこのように

怒ってるわけなんですが、、、、

 

 

 

自分の感じる恐怖心を

他人にも押し付ける人たちに腹が立つ。

保護具つけるかどうかは

競技やってる人たちが決めればいいわけで。

オリンピックに出場するような選手なんて

怪我は当たり前の世界で生きていて

自分にはどうしようもできない

アクシデントは試合につきものだとわかっている。

女子バレーの古賀選手だって

予想もしていなかった捻挫をしたわけで、、、

着地地点に相手選手の足があったのは運が悪かった。

試合において「運」も重要な要素なんだろう。

 

 

怪我のリスクや運命を認めた上で

行動している人に対して

試合を見てるだけの人が

「怖い、痛そう、怪我してるのを見たくない」

という気持ちからルール変更を求めることは

自己中心的で傲慢だ。

けれど怪我をしないことは誰にとっても

「善」な方向性であるから

「善を含む発言」は肯定的に受け入れられる。

このツイートのリプを見ると

保護具をつけることに同意している人も多数。

 

 

選手たちだって

怪我をしたくないのは当たり前。

勝負事とは肉体や技を鍛え

運も味方にし、勝利という結果を求めるもの。

結果が出せなかったり、

怪我で競技ができなくなってしまえば

引退するのかも。

厳しい世界であるが、彼らは

そんなこと承知でチャレンジしているのである。

 

 

そんな勝負の世界のことを理解しないまま

『選手たちの怪我を防ぎたいから』

『真似する人が出てきて危険だから』

という善に思える意見を利用して、

「自分の見たくないもの」をなくそうとする。

しまいには戦いの場である

オリンピックも無くそうとするのだろうね。

 

 

今世界で起きていることは

「悪(怪我すること)」を見たくない人たちが

「善(怪我しない)」の世界を求めて

世界のルールそのものを変えようとする動き。

それは

潜在的な危険性、未来に起きる危険性を

あらかじめ防ごうとする動き。

リスクや運命を背負うことができない人たちが

絶対的に安心安全な世界を求めて

声を大きくしている。

 

 

でもそれも仕方がないこと。

既に安心安全で便利な世界に生きている日本人。

自分で責任を取らなくてもいい生活に慣れ

少しの困難も耐えることができなくなってしまった。

責任を負うことは恐怖に耐えること。

恐怖に弱くなってしまったからこそ

見えている世界を絶対に安心なものにしたいのだ。

 

 

コロナの感染拡大を恐れ、

オリンピックに反対する人もいる。

コロナが怖い、コロナは危ない、と言いながら

自分だけは今までの生活様式を保ったまま

他人の行動だけを制限したい人たちがいる。

スケボーのやり方に口を出すのもまさにこれ。

競技関係者には変化を求め

口を出す方に変化は必要ない。



自分だけは変化したくないが

周りの環境を変化させて安心したい。

そんな時、善である言葉が利用される。

あなたのためを思って…

大切な人の命を守るために…

みんなのために…

聞こえがいい言葉には悪が潜む。

 

 

コロナが怖いのなら、

先ずは自分の身を守る方が

絶対に正しい行動だ。

人の少ない場所に今すぐ移住すべきだし

外食も旅行も絶対に行ってはいけない。

人と会うなんてもってのほかだ。

そこまで徹底してやってるなら

コロナに対する危機感が伝わってくるけど

大体の人はそこまでやっていないだろう。

マスク、手洗い、ワクチン

これら一個人の中途半端な行動だけでは

感染拡大を防ぐのは無理なのである。

自然(コロナ)をなめたらあかん。

 

 

わたしは「痛みや苦しみや悲しみ」が存在する

世界のままでいいと思っている。

コロナにかかってもしょうがないし

コロナで死んでもしょうがない。

感染症流行時はある程度の人間が死ぬのだ。

「痛みや苦しみ」に恐怖しながら恐怖に抗い

それらを認めることが正しい生き方だと思う。

 

 

今やネットによって小さな声が大きくなる時代だから

『善だけが存在する世界』へと変えようとする

勢力とは地味に戦っていきたい。

 

 

これから人間は進化していく。

「善しか存在しない世界」を求め

「悪(恐怖や死)」を徹底的に抑え込むために。

 

「死」から逃れるために

現実的な永遠の命を求め進化したい人

→ワクチンを打つことに疑問をもたない人

 

「死」から逃れるために

精神的な永遠の命を求め進化したい人

→ワクチンを打たないことに疑問をもたない人

 

 

わたしは「死」を受け入れて

正しく死ぬ人になりたい。

わたしは人間が「死」から逃れることは

不可能だと知ってしまったから

認めることにしたのである。怖いけど。

ワクチンは必要なら打つけど

必要なければ打たない所存。

わたしは欲張りなので

現実的な永遠の命もほしいし

精神的な永遠の命もほしい。

だから運命の通りに死ぬ。

 

 

連日オリンピックみてるけど

日本に金が多くてうれしい。

オリンピック反対の声がある中

オリンピックに向けて調整してきた

選手たちの戦いに感動している。

戦うことの大切さ。

精神を制したものが勝つこと、

負けを認めること、

負けてもまた次の勝利を目指すこと。

生きることは戦いの連続だ。

負けた選手が悔しがっているのを見ると

ついつい感情移入してしまう。

 

 

北にあるもの。

アマプラで配信されてる作品

「トゥモローウォー」みますた。

シンエヴァのわかりやすい版だった。

以下感想的なもの。

 

 

簡単にあらすじ。

主人公が未来に起きる人類滅亡を止めるために

未来に行ってエイリアンと戦って

成長した娘と会ってエイリアンを殺す薬もらうけど

娘は死んで未来の世界は結局滅亡。

主人公は現代に帰ってきて、家族の大切さを再確認する。

というはなし。

後半かなりはしょった。

 

 

最初に主人公と主人公父との確執があった。

母と自分を捨てた父を恨む主人公。

未来(29年後)に行くことになった主人公は

成長した娘と出会うのだけど、

娘から冷たくされるのですね。

ここに親子間の因果応報が現れていた。

なんで冷たくされるかって

娘の話によると、主人公は娘と母を捨てたとのこと。

なんと7年後の未来で(現代の主人公の7年後)、

主人公は父と同じ過ちを犯していたのである。

アホか、と言いたいとこだけど「血」とはそういうもの。

同じ行動して、また子供に負の遺産を残す。

この連鎖を断ち切ろうというのがテーマな物語。

 

 

連鎖を断ち切るために重要なことは

最悪の状態を経験しておくこと。

今回の物語の中では

娘からの信頼を失った上に、娘の死が重なること。

シンエヴァでいうとシンジくんが、

カヲルくんや黒アヤナミが

死んでしまうのを体験すること。

 

 

未来から現代に帰ってきた主人公が、

娘の死をどう捉えるか?が

この先の未来を左右する。

 

 

1つの捉え方は

未来に対して希望を失くすこと。

未来における娘の死や滅亡を知ってしまったら

全てのやる気を無くすかも。

希望を失くした末に家族を捨てたのが

未来で会った娘の父親だったのである。

希望を失った自分の未来を見てきた、ということになる。

 

もう1つの捉え方は

未来を変えようと考えること。

未来を変更することは娘を救うこと。

見てきた未来と違う未来を求めること。

その未来はまだ見ていないので未知数。

 

 

最悪な状態を経験した後

日常の見え方がガラッと変わることがある。

死に直面したり、命を脅かすような出来事に遭遇したとき

生きていることの尊さを初めて知る。

そこから、大切な日常を守る!自分を変える!

という強い意志が生まれる。

人間は徹底的にどん底に落ちないと、

当たり前のことが分からない。

 

 

未来をより良いものに変更する、と決めたら

わたしたちは「北」に向かうことになる。

この物語の中の「北」とはロシアの氷河。

未来で滅亡の原因となっていたエイリアン襲来。

氷河に眠るエイリアンを見つけ出し一掃することで

未来を変更すると心に決めた主人公。そして

「北」で父と和解しエイリアンを倒してめでたしめでたし。

 

 

「北」が表すものは精神世界においての戦場。

シンエヴァでいうと、マイナス宇宙(南極の裏側)

TENETでいうと、スタルスク12(シベリア)

ロキでいうと、3体のタイムキーパーがいたところ

(なんか寒そうだった)

 

 

 と

「北」について書いていこうとおもったけど

UOZAブログにとっとこ、、、

五神名神塔の天照大神が「北」を向いている

ことと合わせて考察してゆきたいと思っている。

北は己との最終決戦場。

北には3つ(人)が揃ってないと行けない。

 

 

北と3というキーワード。

トゥモローウォーでは、エイリアンを倒した後

3人で雪の上にバタンと倒れる画があった。

TENETにも3人の男が象徴的な場面が何回かあった。

シンエヴァでいうと、3つの槍で表されている。

 

 

3とは何か

こちらの記事にちょこっと書いてます。

最近この記事にアクセス多いのはなんでだろ。

 

 

マルチバースの善と悪。

ロキ最終回見終わった〜!

めちゃ面白いんだが??

 

 

黒い雲の中に隠されていたのは

創造主であった。在り続ける者。

時間軸をひとつにまとめていた

創造主は殺されてしまった。

やはり、殺すのはレディロキ。

破壊は女の役割ですね。

まとめられていたマルチバースが

ついに解き放たれてしまったぞ。

 

 

マルチバースとは悪が蔓延ること。

そしてマルチバースとは可能性が拡がること。

この後はじまる「What If...?」は

可能性の無限大さを

そんで、ロキシーズン2は

マルチバースという悪をテーマに描くのかしら?

 

 

マルチバースには善と悪がある。

悪の側面によって、マルチバースは対立して大戦争になった。

だから創造主は神聖時間軸という一本の道にまとめたのであるが

そうすると可能性がなくなってしまう。

マルチバース善の側面は「可能性」である。

可能性とは「自由意志」である。

 

 

昨日の日記では「決定論的世界」のことを書いたけれど

その世界には「自由意志」がないと思われるかもしれない。

「神聖時間軸」とは決定論的世界のことなのだ。

 

 

ロキとシルヴィは2択で争った。

創造主と交代して神聖時間軸の支配者になる道

それは、自由意志のない決められたレールを歩む道。

創造主を殺してマルチバースを解き放つ道

それは、自由(可能性)を求める道。

 

 

人間はいつでもこの2択を迫られている。

というか、この2択しかないから

選ばなきゃいけない。

だけどほんとは

神聖時間軸(善)と

マルチバース(悪)は重なっている。

 

 

人間(神様)は生まれたら

自分の人生しか経験できない。

1つの人生の中で様々な可能性を

体験するのは結構大変。

人間には死があるし人生は短く儚い。

『自由意志がない』とか言っても

ひとつの人生しか経験できないのだから

そもそも「自由意志」とはほど遠い環境なのである。

 

 

けれど、もしもこんな世界があったら?と

頭の中でなら自由な世界を想像できる。

一回の人生の中で、より良い世界や

別の可能性を目指すことだけは許されている人間。

自由意志のない世界だとしても

別の可能性の実現を望むことはできる。

 

 

死が設定されていることで

様々な可能性体験は制限されているが

許されているのは意識の中の遊び。

自分自身を

「不幸な人生だった(シルヴィ)」

「のけものの神(ロキ)」

と考えてしまうことが意識を縛っている。

「自由意志のない人生」から

「制限の中にある自由」を見つけ出そうと

していたのがロキとシルヴィであると思う。

二人が出会ったこと自体が新しい可能性の第一歩。

 

 

自由を求めるのならば、

悪を認めなくてはならない。

どちらか1つというのは無理なのである。

善と悪が重なっている世界の中にある自由

については今後MCUで語られるかもしれない。

重なり合いの表現は難しいから

入れ子状態を使用している感じ。

今までは神聖時間軸で、

これからマルチバースとして拡っていく。

今後の作品も楽しみすぎるなー!

 

 

2択を迫られた場面で

ロキに向かってシルヴィが言った言葉

『なぜ私と見方が違うの?』

男と女が同じ考えになることはないから

マルチバースが解き放たれてしまう。

神聖時間軸には、意識の中に可能性がある。

意識のマルチバースといえる。

マルチバースの中にマルチバースが誕生し

入れ子状態は永遠に続く、、、

それを悪と見るか善と見るか。

意識は自由だ。

 

ことばが思考をつくる。

映画「メッセージ」みますた。

二度目の鑑賞だったけど、案の定

内容はすっかりさっぱり忘れていたので

まるで初見のようだった。

何度見ても忘れるので毎回新鮮!!

 

 

んで、良い映画だった。

最近、UOZAブログを書くにあたって

なんとなくのテーマになってる「決定論」。

「メッセージ」は決定論のことを考えさせられる作品。

前回観たときもきっと面白いと感じたのだろうけど

その時のわたしの思考はまだこの映画に追いついていなかったのだろう。

前回は「非線形」という言葉だけが頭に残ったかんじ。

「メッセージ」に登場する謎の宇宙人ヘプタポッドは

非線形な言語を使うのである。

詳しくは映画をみてね。

さて、つらつらと感想みたいなものを書いてみる。

 

 

言語学者の主人公は宇宙人とコミュニケーションをとる中で

彼らの言語を理解していくのだけど

ヘプタポッドの言語は人間の言語と違って

時間の概念がない。それが非線形な言語。

主人公は最終的に彼らの言語を理解出来るようになるのだけれど

そうすることで思考も変化して

人間特有の時間概念から抜けだすことになった。

そして未来が見えるようになった。

宇宙人語を習得する前から未来は見えていたが。

彼女には宇宙人語を理解する素質があったってことだね。

 

 

人間は「過去から未来に流れる時間を生きている」

と考えているから思考も「人間らしく」なる。

けれど宇宙人は時間の捉え方が独特だから思考も人間とは違う。

そんな宇宙人と人間の思考の大きな違いとは何か?

宇宙人は「死」を当たり前のものとして受け入れている

ということ。

 

 

宇宙人の時間概念とは?

この宇宙で起きる全ての出来事、

それぞれが「点」であると考えてみる。

たとえば「2021/07/14の09:20にわたしがコーヒーを飲んでいる」

という出来事が「ひとつの点」である。

それらが空間に散らばっている状態を見ているのが宇宙人。

宇宙人視点では全ての事象(全ての点)が空間の中に

集団となってまとまっているのを見ているのである。

 

 

けれど人間はそれら点が一本の線の上に並んでいるのを見ている。

それは、過去から未来へ時間が流れている一本線である。

一方向に流れる線に沿って流れるベルトコンベヤーに乗って、

線の上にある点をひとつづつ観察しているという感じ。

だから人間は過去はわかるけど、未来はわからない。

宇宙人視点だとありとあらゆる角度から「あるひとつの点」を

見つけて眺めることができる。

集団の中に存在する点として認識しているから時間とかない。

 

 

空間に散らばっている無数の点の集団。

その集団というのは

過去から未来までの全ての事象(全ての点)であるのだから

起きること全ては決定しているということなのである。

その点の見方の違いが人間と宇宙人の違い。

 

 

宇宙空間には無数の星が存在する。

宇宙という存在は、

私たちに決定論的世界であることを

教えてくれている。

 

 

無数の点には、はじまりの点とおわりの点があって

全ての点は、過去(はじまり)から未来(おわり)へ

流れる線上に乗せることができる。

点は、はじまりからおわりの点まで

きちっと順番通りに流れていて、

その流れに乗っているのが人間。

宇宙人はその順番も理解している。

全ての点が乗った線は、あまりにも長くて入り組んでいるから

人間から見たら、ぐちゃぐちゃの線みたいに見えるが。

 

 

主人公の娘の名がHANNAH(ハンナ)と回文になっているのは

おわり(未来)の点からはじまり(過去)の点、

という流れもあるから。

映画の冒頭から、まだ生まれていない娘の映像を

たびたび見ている主人公。

未来から過去の流れが映像になっている。

自分の未来を見ながら、

そのあるべき未来に向かって生きているのが主人公である。

だから「死」を受け入れることができる。

未来から流れる時間は「死」からはじまる時間。

 

 

人間の未来にあるものは「死」。

人間が「死」を受け入れられないのは

過去から未来に流れる時間を生きているから。

生まれるところから始まる時間しか知らないため。

 

 

映画「TENET」も回文だった。

「メッセージ」は死の必然性に着目しているけど

「TENET」は生の方に着目している、という違いがある。

これは主人公の性別の違いからきていると思う。

女は死にたいし、男は生きたいもの。

 

 

人間の言葉は基本的に過去から未来に流れることを

前提に作られているから思考もそのようになる。

「死」に恐怖する思考である。

ことばが思考を作る。

思考が社会をつくる。

現代の便利な人間社会は

「死」から逃れるシステムとなっている。

そんな社会はちょっと危険である

ってのを書いた記事はこちらです。

 

 

スピリチュアル界隈で人気の

スターシードということば。

宇宙から地球に来たとか、

過去世が宇宙人だった、とか言うのって

すごく「人間らしい」ことばなのである。

宇宙人的思考だったら

地球でのできごとや他惑星でのできごとは

宇宙の中に含まれる「単なる点」であることを理解しているから

「外から来た」とか「過去世」とか言わないはず。

宇宙と地球を分けるのが人間らしさである。

分けて差をつけるのが好きだから、

「地球人ではないこと」を強調したくなる。

けれど、人間社会がギスギスし始めている昨今、

宇宙だけに目を向けるのはある意味正しい選択である。

「死」から目を背け、楽になるための選択が

スターシードということばなのだろう。

 

 

人間は滅びる可能性があるものだけど、

滅びの原因は「ことば」だということが理解できる

すばらしい映画であった。

バベルの塔のようにならないよう願おう。

そんなわけで、UOZAブログは

ことば使いにはかなり気を使っている!

このブログはノリで書いてるので

あんま気をつかってないが。

 

情報理論は面白い。

ここ何日かエントロピーのことを

考えていて、その流れで

情報理論おもしれー!

となっている。

情報理論とは。

情報理論(じょうほうりろん)は、情報・通信を数学的に論じる学問である。
---
情報理論の基本となる概念は人間のコミュニケーション手段として最も広く使われている「言語」である。
---
情報理論では、メッセージの重要性や意味には立ち入らない。すなわち、データの質は扱わず、確率論的に扱えるデータの量だけを扱う。

wikipedia

なんとも説明が難しいものだが、

言語をデータに置き換えたりするのが情報理論。

そんでもって情報理論においてのエントロピーについて。

情報の数学的理論は確率論と統計学に基づいている。最も重要な情報の定量的尺度はエントロピーと伝達情報量である。エントロピーは確率変数の情報の尺度であり、メッセージの圧縮しやすさの度合いである。伝達情報量は2つの確率変数間に共通する情報の尺度であり、通信路における通信速度を決定するのに使われる。

---

それぞれのできごとの情報量だけでなく、それらのできごとの情報量の平均値も情報量と呼ぶ。両者を区別する場合には、前者を選択情報量(自己エントロピーとも)、後者を平均情報量(エントロピーとも)と呼ぶ。

wikipedia

これもなんと説明していいかわからんけど

とにかく重要なのは「確率」だ、とだけは言える。

私たちが日常で発する「ことば」には

目には見えない「確率(数学的データ)」が

含まれている。

情報理論では、それを目に見えるものにしているのである。

この説明合ってんのかな、、、?

わからんが、わたしのイメージはそんな感じである。

 

このサイトわかりやすかった。

たとえば、

正解がどちらなのか?(2択)は1bitの情報量

正解はどれなのか?(4択)は2bitの情報量

言葉をお借りすると、

より確率が少ない(珍しい)情報を知ることほど情報量は大きくなる

 

裏表あるコインがあるとして

それが表しか出ないコインであったら

0bitの情報量になる。

情報を持たないということ。

表しか出ないとわかっているコインは

初めから答えが決まっているのだから

情報は必要ない。だから0bit。

 

曖昧な事象・珍しい事象・確率が少ない事象

ほど、情報量が多いということ。

宝くじの一等が当たったというニュースと

宝くじのはずれが当たったというニュースだと

一等の方が確率が低いのだから

前者の方が情報量が多い。

 

情報理論では情報の中に質を含んでいない。

個人的な価値観とか、社会的な意味とか。

けれど結局は量が多い方に価値を置くのが人間である。

そこに質が含まれてなくても

量が質を表すような気がするけど。

 

確率が低いものを好む人間。

そこには何かワクワクするものが含まれている。

「人類滅亡」は起きるか?

「宇宙人」は存在するか?

などは情報量が多そう。

 

最近アメリカが公開したUFOらしきものの映像や

UFO報告書などがあるけれど、

それが公開されたことで

「宇宙人は存在するか?」の情報量は

減ってしまった気がする。

ものごとは曖昧にしておいた方がワクワクするのに

存在が明かされ始めると人間は興味を失っていくのだ。

 

私たちの生きている世界は

エントロピーが増え続けている。

最近は、多様性を認めよう!などという

スローガンもよく耳にするけれど

現状は多様過ぎてカオス。

それでもまだ新しいものを生み出そうとする人間。

インスタを見てると特にそう思う。

お洋服、アクセサリーのD2Cサイトなど。

コーヒー屋も多すぎる。

どーでもいいが

なぜシンプルナチュラルっぽい人たちは

コーヒー屋を始めがちなのか??いつも思う。

 

見せ方や中身がちょっと違うだけで

カテゴリが同じもの多すぎ。

同じカテゴリの中で少し違うものを増やす。

私たちはそれらを多様性と言う。

元を辿れば、結局は0か1。

1のコピーを増やしているだけだから

カテゴリを増やせない。

 

データ圧縮形式でおなじみの

ZIPとかLZHとかって

可逆圧縮しているんだと知った!!

なるほどな。冗長性を利用するんだと。

同じような情報をまとめていけば可逆できる。

「解脱」って思考の中で可逆することなのである。

可逆を妨げているのは感情。

情報は0か1しかない、ということを理解して

可逆していけば人間の始まりがわかる。

精神世界にどっぷりな人は非可逆圧縮しているのね。

非可逆圧縮しても最初の0と1には辿り着けない。

実際、必要のない情報など存在しないし

それらは綺麗にきっちりと仕分けることができる。

とても美しく0と1に戻っていく。

 

私たちはカオスを求めている。

エントロピーを増やすことに価値を置いてる。

苦しんでいるようで、楽しんでる。

苦しみ=楽しみ

質=量

なんか情報理論から話が逸れたけど

これはきっとつながるはなし。

もうちょっと頭の中をまとめたい。

なんか、もうすこしで、「エウレカ!」

となりそうな雰囲気ある最近の頭のなか。

エントロピーは面白い。

UOZAブログ更新してます。

 

次の記事のテーマは「マクスウェルの悪魔」にしよかなと思って

なんとなく書き始めている。

これを書くにはエントロピーについて勉強しなくてはならないが

エントロピーおもしろい。

いろいろ調べては読んでいる。

 

エントロピーて簡単すぎて逆に難しい概念。

エントロピーとひとことにいっても使い方がいろいろある。

こちらのサイトから、エントロピーの3種類について

簡単にまとめてみた。

 

◉統計力学のエントロピー

ある状態における絶対的な値をエントロピーで表す。
統計力学とはミクロな法則からマクロな性質を導くもの。

◉熱力学のエントロピー

2つの状態を比べて、相対的な値をエントロピーで表す。
熱力学とは、マクロな性質からマクロな物理量を導くもの。
 

◉情報理論のエントロピー

ある情報がもつ価値を表す指標に

エントロピーが用いられる。

情報理論とは情報量を定義するもの。

 

統計力学では絶対的な値であり

熱力学では相対的な値であり

情報理論では定義。

絶対的なもの、相対的なもの、定義。

つまり結局全部同じってのを表しているのが

エントロピー

って、ことばなんじゃないか?

 

この記事おもしろかった。

経済学のエネルギーについてのあたりのはなし、

目からウロコだった。

こういうことだと思う。

 

物理学のエネルギーの見方

目に見えるエネルギーから目に見えないエネルギーへの変換

エネルギーは無くならない(エネルギー保存則)

 

経済学のエネルギーの見方

人間にとって価値のあるエネルギーから

価値のないエネルギーへの変換

価値がないエネルギーは無いものとされる

 

人間って、すべてのものに価値をつけているんだなって改めて感じる。

エネルギーは実質無くなっていないのに、

優劣(価値)をつけているから

「無くなっている(消費している)」と感じてしまう。

エネルギー問題に関心を持ち、

エネルギーの使い方を変えようと活動している人たちほど

「ものごとに優劣をつけている」のかもしれない。

 

目に見えない、変換されたエネルギー。

無くなってはいないのだ。

エネルギーは散逸して(エントロピーは増加して)

無駄なものが溢れかえっている、と

近頃の人間は考えているのかもしれない。

無駄なものから生まれた苦しみ。

公害問題とか環境破壊だとか。

けれどそれら無駄だと思われるものが、

わたしたちの進化を促している。

 

生物だけがエントロピー増大に抗っている。

何故かって、生物そのものが永久機関だから。

永久機関の仕組みは既に目の前にあるのに

まだ見つかっていない。

 

こちらの記事もおもろかった。

カルノーサイクルをもうちょっと追求すれば

永久機関できそうだな〜となんとなく思った。

だって火(怒り)と水(悲しみ)が

わたしたち人間を作り出したのだから。

あと重要なのは「情報(土)」だ。

情報が生と死を繋ぐもの。

生と死をつなげて

閉鎖して双方向に回るようにすれば

永久機関だ。

 

ランダウアーの原理ってやつで

情報消去でエネルギーが出ちゃうのって

マイナスのなにか?で相殺すれば

「マクスウェルの悪魔」の存在も

ありえるってことでいいのだろうか?

いろいろ調べたら可逆計算でできそう。

やはり双方向だ。

 

きになるの見つけてしまった。

論文の中で、彼は遠い将来、知的な存在がビッグフリーズを「ごまかす」方法を考え出すかもしれないと提案しました—宇宙の熱的死を生き延びます。インテリジェンスは、たとえば、星間雲内の帯電した塵の粒子のパターンに存在する可能性があります。これは、英国の天文学者フレッドホイル卿による1957年のSF小説「ブラッククラウド」で説明されている状況です。

フリーマンダイソンっていう宇宙物理学者の考えてたこと。

帯電した塵の粒子って今日のロキで見たあれじゃん!

ブラッククラウドは「超知的存在」を隠しているのか。

ブラッククラウドは日本語で言うと暗黒星雲で、

馬頭星雲!あれ馬の頭みたいだったし。

やはりロキの最終話もそーゆーことなのか?

もしかしてTVA作ったの

セレスティアルズじゃねーの?