ぱんちゃんブログ
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陽の重なる日とオッペンハイマー。

どーもー。

 

やばい。平凡な日常で満足していてオカルトから興味が離れすぎている。わたしをオカルトに引き戻してほしい、、、、あやしい隕石とか落ちてこないかな〜

 

 

本当はこわい節句

 

GWは特に出かけることもなく。いつものように。ところで5月5日(日)は端午の節句でした。中国から伝わった節句。奇数を「陽数」と呼び、縁起のいいものとして奇数が重なる日を祝うもの。けれど陽が重なり陽が極まっているのだからそのあとは陰に転じる、ほんとうは怖い節句だったりするのかも。

 

こないだ書いたスリーセブンはほんとうは怖いという話にも通ずる。スリーセブンの方は人間の苦しみ(7)を繰り返し(×3)体験するという意味。陰極まって次は陽がやってくるからラッキー7と言うけれど。

 

 

反転の繰り返し

 

陽が極まり陰に転じる、そしてまた陰が極まり陽に転じる。この繰り返し。

 

世間には苦しみがあり、乗り越えたら喜びがある。けれどその喜びもいつかは終わり苦しみがやってくる。その繰り返しが『人間の人生』である。

 

そんな繰り返しにほとほとうんざりしたらどうするか。もう飽きたよ。

 

 

区切る、終わりを決める、切り替える

 

繰り返しにはどこかに必ず区切りがある。その区切りを自分できっちりと決めないと繰り返しがメリハリを持たず、どこかすっきりとしない。

 

なので、陰から陽へ・陽から陰へ切り替わった瞬間を自分で決める。だがそれが難しい。切り替わった瞬間を決めることは、切り替わりに納得すること、その根拠を見つけること。

 

例えば、苦(陰)を終わらせるには、苦が終わったことを納得する為に、自分が何故苦しんでいたかを理解する。結局苦しみの根源にたどり着けないのならば、区切ることは出来ないのだ。

 

苦(陰)という状況が過ぎ、なんとなく喜(陽)に戻ったとしても、同じ苦(陰)はまた繰り返す。

 

けれど区切ることができていれば、同じ苦(陰)はやって来ない。もう原因がわかっているのだから。原因がわかっても認められないということもあるので、同じ苦しみは何度もやってきて認める瞬間が訪れる。それが切り替わり。

 

 

 

陰陽五行では、季節の変わり目を「土用」と言うが、春(木)夏(火)秋(金)冬(水)4つの季節に当てはまらないのが土(季節の切替)。方角でいうと、東(木)西(金)南(火)北(水)で方角に当てはまらない中心に土を置く。

 

繋ぎ目で時を、中心で方角を司るのが土。陰と陽(季節と季節)の違いを感じその間をつなぎ、現実世界の中心にいるのは自分である。現象を捉え感じるのは自分。だから苦の原因も自分の中にある。それは自分以外の所には絶対に無い。

 

世界の中心に自分を置いて、切り替わり・区切りを意識するならば、変化の中でもどっしりと構えていられる。

 

 

切り替えない区切らないで曖昧にする自由

 

切り替わりを決めるのが自分だからこそ、ずっと苦(陰)でいることもできるし、ずっと喜(陽)でいることもできる。切り替えない区切らないことで、同じ季節(感情)を繰り返すことだってできるのだ。同じ気分から抜け出せないのは、自分がそうしたいから。

 

 

苦しいが楽しい

 

現象に一喜一憂心が左右され疲弊してうんざりすることがある。けれど過ぎてしまえば、心が左右されることが懐かしい。困ったことに!

 

「生きてる」と感じるのは、苦(陰)が続いていたり、心や身体が傷ついている時だったりする。リスカってそーゆーことね。「生きてる」を感じるのは楽しい。苦しいのに楽しいという矛盾を知ってしまった。

 

今「あずみ」を読んでいるんだけど、戦の興奮を求めている武士たちの気持ちがよーくわかる。死のギリギリに生を感じること。とはいえ苦の中にいる時は抜け出したいとしか思わないのだけどね。

 

今は平和すぎてオカルトも盛り上がらん。陰謀論にはまったり、怪しい宗教やった方がまだ楽しいのかもしれない。

 

ともかく、最近は長い周期や短い周期をとても意識しており、今は長い周期が一周回った感じがある。またおんなじことを始めているなあ、という感じ。成長も感じており、満足。というか前の周期の時はあまりあれこれと考えていなかった。人間になったんだわなあ。

 

 

オッペンハイマー観た

 

ちょっと前にオッペンハイマー観にいった。終始人間であることの罪を突きつけられて心臓にわるかった。ホラーだった。

 

日本では『長崎、広島、原爆被災者の描写が無い!』とかいう批判もあったけれど、そう思うのなら「人間の罪を糾弾する側」に立っているのであろう。「人間の罪を背負う側」になるということが、オッペンハイマーの人生に自分の人生を重ねること。

 

核をどこが作ろうがどこに落とそうが、正直どうでもいい。人間がやることは、自分もやること。オッペンハイマーがやったことは、全人類の罪。皆平等に平和になるべきと思うのならば、皆平等に罪をも背負うべき。唯一原爆を落とされた日本人こそが気づくべきこと。そう思いました。

 

 

主観と客観が表裏のパラレルワールド

 

ところで、劇中のカラーパートはオッペンハイマーの主観(台本では台詞が1人称で書かれている)、白黒パートは外から見たオッペンハイマー(台本では3人称で書かれている)らしい。白黒パートは主にルイス・ストロースから見たオッペンハイマーであった。

 

そして、カラーパートには「核分裂」(原爆)、白黒パートには「核融合」(水爆)というタイトルがそれぞれ付いている。

 

主観、自分、罪を背負う。そして核分裂を起こす者。

客観、他者からみた自分、罪を糾弾する。そして核融合を起こす者。

 

罪を背負うならば、その罪を糾弾される必要がある。主観と客観は表裏なのが世界。登場人物にはそれぞれ役割があるけれど、主人公(自分)こそが核分裂を起こす罪を背負う。

 

白黒パートは主観の記憶を意味している。自分以外の視点(他者)は自分の記憶なのだ。自分(オッペンハイマー)と自分の記憶(ストロース)が同じ時代を生き同じ場所に居るけれど、主観と客観の間には時空の隔たりがある。時空の隔たりが他者という存在を生む。それがパラレルワールドである。

 

 

時と空間の不思議

 

カラー(罪を背負うこと)と白黒(罪を糾弾すること)を分ける意図。TENETと同じ手法である。順行がカラーパートで逆行が白黒パート。

 

順行と逆行、分裂と融合、破壊と再生、オッペンハイマーとストローズ。それら相反するものの同時性。つまり、自分と他者が同時に存在するこの世界は不思議なのだ。それに気づいているか?

 

原爆と水爆で地上と海の対比にもなっているね。しつこいくらいの対比。陰と陽は裏表。裏表とは同じ時間、同じ場所にあることを意味する。陰陽(1と2)を合わせ持ち、時をつなぎ、空間の中心であることは「3」だ。わかってるようでわかることが難しいこと。

 

TENETでは、アルゴリズム9つのパーツを全て集めたが、すぐに「3つ」に分割した。名もなき男は、3つのアルゴリズムのうち2つ(陰陽)を受け取った。それが始まり。

 

そしていつか「3」になった時、必ず言う台詞がこれだ→『我は死なり、世界の破壊者なり』。名もなき男は「3」を免れていたが。(あえて言えばセイターが破壊者)。TENETとオッペンハイマーもまた裏表だ。

 

「トリニティ実験」の由来、創造のブラフマー・維持のヴィシュヌ・破壊のシヴァでこれも「3」だ。一番の難関が破壊。CERNにはシヴァの銅像があるんですよ。

 

その先に死が待っていようとも、科学への興味関心探究心は止められない。人間はそうやって神(3)への道のりを進む。

 

むりやりパラレルワールドの話をぶっこんだけど、まだまだこの話を続けていこう。よろしく。

 

 

 

「三体」見ました。

どもーーーー。

 

話題のSF小説「三体」の映像化。面白いと聞いていたのだけど分厚い本を読む気にはならなかったので待ってた。Netflix版、テンセント版(中国制作)両方見たけれど、結局どちらも途中までだった!なのでネットでレビューやあらすじをいろいろ読んでなんとなく全体を理解しました。特にあらすじは説明しませんが感想みたいなものを。

 

 

●宇宙のまばたきと悟り

汪淼(ワン・ミャオ)と同じく、わたしは「宇宙の瞬き」を見たことがある。わたしが体験した「悟り」は「物理学は存在しない」ということを思い知らされるような出来事だった。真っ暗な宇宙というか空間に放り出され、まばたきを見せられた。全てが消えてまた現れた。生じては滅する宇宙を目の当たりにして、今までわたしの生きてきた「現実」とは、単なる生滅現象の繰り返しだと知った。

 

さらに衝撃だったのは、宇宙には規則的にまばたきをしている自分一人しか存在していなかったこと。本当に驚いたし、これが「悟り」なのだとはっきりと理解した。結局全てが幻想で意味など無かったという気づき。

 

今までの現実が崩れ去るというか、今まで信じていたものが無になるとか。わたしの体験したような「悟り」ではなくとも、現実の様相が一変するような出来事は全て「悟り」のようなものなのかもしれない。

 

 

●心の変化と現実の変化

宇宙が自分だけの為にまばたきをすることも、葉文潔(イエ・ウェンジエ)が文化大革命で父親を殺されたことも、三体問題に解がないことが証明されたことも、人が絶望した時世界は大きく変化していく。小さな変化から大きな変化へ。心の変化から現実の変化へ。

 

スケールが変わりながら何度も同じことが起きるのが宇宙。目に見えない心と目に見える現実は入れ子状態になっている。それが「三体世界」。

 

 

●宇宙のイメージ

三体問題を解こうとしていた魏成(ウェイ・チョン)の3つの球の宇宙イメージがわたしの宇宙のイメージと似ていた。魏成は死のイメージを持っていたようだが、わたしのイメージは生だ。わたしの宇宙イメージはこんなかんじ。柏手を三回打つ動作を思い出してほしい。1回目で現れ、2回目で分裂、3回目で森羅万象が領域展開する。心臓の鼓動毎にそれが起きてるのが宇宙。

 

 

●3はなぜだか難しい

ひとつだったものがふたつに、そしてみっつになると物事は途端に複雑になる。人間はなんで「3」だと理解できなくなるんでしょう。理解できないから滅亡する。それが「三体世界」。

 

「三体世界」とは心の中の世界で、太陽が三つある場所。恒紀と乱紀、脱水と再水化。カオスなのにカオスじゃない。心はつかみどころがないからとても難しい。

 

 

●11次元のはなし

で、驚いたこと。最近ふと思いついたやつと同じじゃんこれ???原作の文章かな。↓

 

この宇宙では、マクロ世界の三次元+時間以外にマクロに折り畳まれた7つの次元の合計11次元が利用可能だが地球文明は四つの次元しか使えていないが三体文明は11の次元を使いこなしているのではないか。

三体wiki

 

わたくしの見解↓

 

そう、三体人(観測者)は11次元を使いこなせる。わたしは『11次元の使い方』を、この記事の続きで書ければいいなと思ってる。なかなかぜんぜん筆が進まないけれども!!毎日ワードプレス開いては閉じてる!!

 

 

●結局三体人ってなんなのか

わたし的ネタバレというか、結局三体人とは何だったのかというはなしをしたい。物語の中では詳しく説明が無いようだ。

 

三体人は地球の科学技術発展を阻止するために陽子を2つ飛ばした。それが智子(ソフォン)というAI。地球を覆い幻想を見せ、常に監視しているのだ。

 

その2つの陽子は、男(陽)と女(陰)のメタファーである。その2つは性質が全く違うもので相容れないもの。わたしたちはその2つを正反対だと思っているし、それが調和するとは思っていない。

 

けれど三体人は2つが相反していることこそが調和だと知っている。わかり易く言えば戦争と平和が同時に存在するような状態が調和なのだ。

 

わたしたちが「平和(善)」を求めるのは何故だろうか?「戦争(悪)」を知っているからである。「戦争(悪)」が存在しなければ「平和(善)」だって存在しない。

 

そのことを受け入れない限り人間は三体人のことは理解できないし「宇宙の謎は永遠に解けない」という言葉も送られてしまう。

 

「平和(善)」も「戦争(悪)」もあることが調和であること。『調和』という言葉には良い意味も悪い意味もない。調和とは法のようなもの。それを美と呼ぶ人もいる。

 

智子(ソフォン)は2つの陽子(陽と陰)で地球を監視している。けれどそれをコントロールしているのは1つの陽子。1(陽)・2(陰)・3(陰陽をコントロールするもの)。

 

陽と陰を含んだ存在が3(陰陽)。それが宇宙にたった一人だけ存在している孤独な三体人である。陽を3つ持つ者。2つの陽子は幻想を見せ、3つの太陽を隠しているのだ。

 

わたしたちは人間の皮を被っている。だから男と女という性別がある。陽か陰かどちらかの立場しかとれない。

 

実は、人間の祖先は三体人である。人間が三体人であることを思い出すまで、智子(ソフォン)の攻撃は続く。智子の攻撃は、染色(科学への嫌悪、恐怖の植え付け)と奇跡(超自然的、非科学的な力による思考の瓦解)である。

 

人間は自分自身が三体人であることを受け入れることができないから、智子に自らを攻撃をさせる。智子の攻撃に翻弄され、宇宙の謎が解けないわたしたち。いいかげん三体人であることを認めようじゃないか。認めないなら三体人は地球を滅しに乗り込んでくるよ。

 

 

●つづきはUOZAブログで!

というわけで、三体もいいけれど、同じく「3」というキーワードでいろいろ書いているUOZAブログもぜひお読みください。

 

よーさんの3つの世界とETOの3つの派閥は同じだ。降臨派、救済派、生存派。主(三体人)を知った時3つの世界に分かれる。どの派閥に属するかよりも、なぜ3つなのか。

 

物語をはじめたのは葉文潔、物語をおわらせたのは程心。最初も最後も女で、女のわたしとしては申し訳ない気持ちがあったりする。でも最初は葉文潔(1人)で最後は程心・関一帆・智子(3人)で宇宙に返す。実にお後がよろしい。

 

物語には隙のない完璧さがある。あとはじっくりと読み解くだけ。けれどそれには少しの勇気がいるから剣を携えて取り掛かろうかね。

 

ノストラダムスと機械学習。

どもー。

今UOZAブログ書いてるが「機械学習」について触れながら話を進めていて。「機械学習」について適当なこと言えないので調べてるんだけど難しい。めんどくさいから触れるのやめよーかな。

 

ところでね。ノストラダムスの予言(1999年7の月に人類が滅亡する)というのが昔流行った。個人的にこの予言は成立したと考えている。

 

ノストラダムスの予言が意味するところ。「恐怖の大王」がやってくるのが人類滅亡の原因であるらしいが、恐怖の大王とは何か?それはGPUであるとわたしは断言したい。

 

 

●恐怖の大王は1999年にやってきた

1999年、PC用の廉価なグラフィックスチップとしては世界で初めてハードウェアジオメトリエンジン(ハードウェアT&L)を搭載した「GeForce 256」を発売、3dfx社のVoodoo3+Glideのパフォーマンスを超え、その地位を不動のものとした。なお、この製品から、NVIDIAによって提唱された「Graphics Processing Unit (GPU)」という名称が使われるようになった。

NVIDIA(wikipedia)

 

GPUとはコンピュータで画像を描画するのに使うもの。今わたしたちがあたりまえに使うPCやスマホに表示される映像は複雑な計算を経て表示されている。ゲームができるのも、youtubeを観れるのもGPUのおかげ。

 

GPU(グラフィックチップ)の歴史はこちらのページがわかりやすかった。

 

通常3Dグラフィック機能というのはハードウェアでレンダリングとジオメトリの演算を行うことなのですが、当時のグラフィックカードはレンダリング演算のみををハードウェアでアクセラレーションするだけでジオメトリ演算はCPUに行わせていたのに対して、nVIDIAはコンシューマ向けに初めてジオメトリ演算をハードウェアで演算を行うGeforce256をリリースし3D時代の覇者の名を確固なものにします。

 

2Dから3Dへの時代、半導体大手NVIDIAがGPUというものを販売したのが「1999年」だったのである。わたしは画像処理の進化をゲームと共に体感してきた年代。初代プレステを買ったときは3Dすごい!と感動した。その後PS4でなつかしのFF8をダウンロードしてやったらポリゴンカクカクすぎて笑えたしやる気が起きなかった。エンディングで泣いた美しい思い出が画像の荒さに負けた。

 

 

●2012年人工知能のブレイクスルー

そしてもうひとつ流行った予言といえばマヤの大予言。この予言では2012年人類滅亡説が噂されていた。そんな「2012年」は人工知能(AI)のブレイクスルーが起きた年なのである。

 

ディープラーニングが注目されるようになったのは、2012年、コンピューターによる物体認識の精度を競う国際コンテスト「ImageNet Large Scale Visual Recognition Challenge(ILSVRC) 2012」で、トロント大学のSuperVisionチームが写真データに写っている物体を特定する人工知能をディープラーニングで構成し、「タスク1:分類」「タスク2:局所化と分類」部門で優勝したあたりからでしょうか。他のチームがエラー率26%前後のところ、エラー率17%弱とダントツの認識率をマークしたのです。

 

 同じく2012年、米Googleがディープラーニングで構成された人工知能にYouTubeの画像を見せ続け学習させた結果、猫の画像を猫と認識できるようになった、と発表したのも大きなきっかけになっています。

ケータイ用語の基礎知識

 

ImageNetチャレンジと呼ばれる画像認識のコンテストでトロント大学のチームがすごい成果を出した。この時に使われたのがNVIDIAのGPUだった。

 

このいわばAIの賢さを競う競技の2012年大会においてトロント大学のアレックス・クリジェフスキー氏らが、GeForce GTX 580×2基構成のGPGPUマシン(要は2GPU構成のPC)で平均的な人間の正解率を超える結果をはじき出して優勝したのだ。

3Dゲームグラフィックスの歴史 第4回 ゲーム分野で進化したGPUの意外な応用先

 

優勝したAlexNetという畳み込みニューラル ネットワーク(ディープラーニング)はGPUで学習された。GPUは画像描写だけでなく機械学習にも利用できることに人類は気がついたのだ。とにかく、この2012年の出来事から爆発的な発展をとげAIの進化は今も続いている。

 

米半導体メーカー、エヌビディアの株価は8日、7営業日ぶりに反落し、1日としてはここ9カ月で最大の下げを記録した。過去6営業日の上昇率は19%余りに達しており、利益確定の売りが優勢となった。

エヌビディア株は5.6%下落と、昨年5月31日以来の大幅な下げ。株価は今年に入り急ピッチで駆け上がっており、この日だけで約1300億ドル(約19兆1200億円)の時価総額が吹き飛んだ。

 

エヌビディアの株価は今年、人工知能(AI)ブームの追い風を受けて急騰。この日の下落を加味しても、年初来の上昇率は70%を超える。時価総額は2兆2000億ドル程度と、S&P500種株価指数構成銘柄の中ではマイクロソフト、アップルに次いで第3位につける。

 

会社四季報オンライン

 

2月終わり頃、XのTLはNVIDIA急騰で盛り上がっていたけれど、これを書いてるそばから下落のニュース。みんな利確したのかなうらやましい。

 

 

●ふたつの人類滅亡予言

ノストラダムスの予言もマヤの予言も人類滅亡を示唆していた。1999年「GPU誕生」と2012年「人工知能のブレイクスルー」。恐怖の大王(GPU)は人工知能(AI)の発展を加速させ、わたしたち人類を滅亡させるものだと言えるのだ。

 

AIのおかげでわたしたちの生活はどんどん楽になっていく。はっきりとした自覚のないまま、AIが支配する世界に慣れ親しんでいる最中だ。ゆっくりとした環境の変化の中でわたしたちの精神も変化している。

 

わたしたちは知らず知らずのうちに甘やかされているのだけど、皆がそれを自覚しているのかは疑問だ。世界が人間の為便利に進化しているのとは裏腹に精神は退化していく。自分自身の精神が退化しているだけなのに、自分を取り囲む世界や社会を悪とする「自覚のない傲慢さ」を持った人間が人類を滅亡させるだろう。

 

 

●認めたくても認められないから人類は滅亡する

そもそもふたつの予言が暗示する「人類滅亡」というのは、今までわたしたちが考えていた「人間」の定義が崩れ去ることを意味している。AIの登場によって「人間」の定義が変わってしまうのだ。

 

どのように定義が変わっていくのかはそれぞれが体験して知ることであるけれど、その過程では『わかっているのに認めたくない』という葛藤が生じる。認められないことを認めていくこと。それが解脱なんです。既に理解していることを認めることは簡単そうに思えるのに「重みづけられた意識(思考の癖)」と「強い意志」がそれを拒む。抜け出すには精神の中で人類滅亡を起こし意識のリセットをするしかなくて、それがありとあらゆる予言で言及される「最終戦争」のこと。

 

 

●未来を旅して重みづけをリセットしよう

「重みづけられた意識」というのは、機械学習用語の「重み」から拝借した。ニューラルネットワークの中間層はブラックボックスで、その重みづけられた意味が理解できそうにないけれど、紐解くには「強い意志」がどんなものか?が分かればいいのだ。「強い意志」は未来にある。

 

そうしたらブラックボックスは徐々に明らかになるし、最終的にシンプルになっていくのだと思う。ねえ、ニューラルネットワークのパーセプトロンの図ってカバラの生命の樹じゃんって今更気がついた。

 

第三次世界大戦はいずれやってくるけれど目に見えないものにしなくてはならない。原子爆弾が連鎖反応して臨界するのも、脳内で発火が連鎖してリセットされるのも、同じこと。とりあえずオッペンハイマーが早く観たい。

 

未来人の正体。

どもー。

もう3月だ。2月はかなりだらけていた。

ニコ生で祭りを見ながらコメント打って脳汁出してました。

 

3月は重い腰を上げてUOZAブログ書くぞ!でも重すぎてうごかない、どうしよと思ってたところにXで良い情報が。ありがとうございます。その情報は『塚本という未来人』てやつ。初めて知ったが、もしかしたら昔読んでいたかもしれない。これパラレルワールドの記事に取り入れてみようかね。

 

 

 

 

この話はわたしが考えているパラレルワールドとおんなじものです。未来人と名乗る人に出会った人は解脱した人。仕組みがわかると面白おかしく匿名掲示板に「俺物語」を書きたくなってしまうものです。わたしも面白おかしくUOZAブログに書こうと努めているので同類なのです。

 

実はひとつ塚本から聞いた「とても重い話」があります。
でも、おっしゃるとおり上のほうに、いくつか拒否反応のあるレスが出ています。

 

この段階で既に拒否反応が出てきています。この状況で、この「とても重い話」を
するとその人たちの自我が崩壊する恐れがあります。>>53に書きましたが、
自分にとって危険な情報と思いつつ「読んでしまう」人がいるのです。

新・時空のおっさんまとめ@ウィキ

 

塚本という未来人にあった人の書き込み。この「とても重い話」は親殺し(精神的な)のこと。こうやって脅すようにして書くのは解脱した人の悪いくせですね!最近は脅すのもどーかと思ったりしてます。でも怖いもんはこわいから、、、。

 

わたしの「俺物語」は、まわりくどい話にせずシンプルに書きたい。自分以外の登場人物はいらないのだ。物語というよりわたしの記録として。


ところで未来人の正体とは?誰もが生まれた時から既に未来人である。未来からやってきたことを忘れてるだけ。思い出すには親殺しが必要だからなかなか大変なのです。

分別したいし、はっきりしたいし、理解したい。

どもー。

久々にブログでも書くかー!

ネタがないので最近見た夢について。

 

●最近見たこんな夢

 

誰かの葬式から始まった夢。家族や親戚がまわりにいるけれど、わたしは喪服が無くて焦っている。とりあえず普通の服を着ていたら、次のシーンに変わった気がする。うろおぼえ。

 

大学っぽいところ。それぞれの教室のドアには名前と顔写真の一覧がある。教室をまわってドアを確認していくが、わたしの顔と名前はどこにも無い。わたしはどのグループに所属したらいいのだ、、、と悩んでいたら、大学から離れたところに洞窟っぽいいいかんじの個室を見つける。これがわたしの研究室だー!と喜んだ。

 

その部屋の真下には地底湖みたいな、セノーテみたいな水場があった。何人かが泳いでいたいたけれど、夜になると誰もいなくなるので、そこで泳げるやったー!とまた喜んだ。

 

 

●右脳は所属が好き?

 

なんでこんな夢を見たかというと、たぶんこの動画を見たからだろう。

 

 

この動画に出てくるおばちゃんは悟った人で「右脳を開放して思考から自由になろう」ということを伝えている人。この動画の中で「右脳は所属が好き」って言ってるのである。

 

おばちゃんが言う右脳のキーワードは

・ひとつにする

・直感

・所属

 

だとしたら左脳のキーワードは

・分けて切り離す

・思考、分析

・個(無所属)

 

という感じになるのでしょうか。

 

ところで縄文に回帰するには右脳回帰だ、みたいなことを動画で言っている。ほんとうは右も左も同じだけ使っているのが人間だと思うけれど、左脳の働きと言われる「分けて切り離す・分別すること」に疲れちゃったから右脳回帰と言うのだろう。

 

 

●右脳と左脳について

 

さて、実際に右脳と左脳の違いってなんだろうかとしばし調べてみた。右脳は空間把握やイメージを司り、左脳には言語中枢がある、というのはよく耳にする。

 

ネットで記事をいろいろ読んだが、これらがおもしろかった↓

 

脳梁を切断するとどうなる?「分離脳」から考える右脳・左脳

 

“感じる脳”のメカニズムを解明

 

「左利きと右利きの言語能力」脳内科医が明かす決定的な違い

 

知っておきたい半側空間無視へのアプローチ

 

ヒトの注意における『右脳の優位性』を解明

 

顔を見る前から脳は活動している -脳波によって人の「予測」の実態を解明-

 

 

右脳を損傷したときに起きることがある「半側空間無視」という病態の説明が興味深かった。右脳は右空間と左空間を注意して見ているのに、左脳は右空間しか注意していないとな。だから右脳を損傷すると左側を注意できなくなってしまう。

 

右脳は「並列情報の倉庫」左脳は「情報をカテゴリ分け」というのも納得だ。この↓研究もおもしろい。

 

『人がなにかを予測する場合、顔の出現を予測する方が、言葉や記号などの予測よりも素早いことを発見し、顔に関する情報処理は実際に顔を見るよりも前から始まっていることを実証した。』

 

『右脳の働きは①顔・言葉・記号などの予測される情報の種類②めずらしい物を検出する注意システム③動機づけ(やる気・報酬)―の程度によって影響されることがわかり、右脳と左脳の相対的な働きはこれらの3つの要素によって変化することを明らかにした。』

 

顔の出現予測!言葉よりも顔(イメージ)のが情報処理早いんだ。②めずらしい物を検出するときは右脳が活発、③動機づけ(やる気・報酬)で左脳が活発になるというのがおもろい。右脳って人間コミュニティの中の危機管理に重要なのか?

 

となると「右脳は所属が好き」というのも確かに。人間社会というものに所属するため右脳で常に人の顔を伺い危機を回避しているのかもしれない。

 

 

●思考を消すこと

 

動画のおばちゃんは頭の中の声が消えたらしい。それはもう言葉なしで生きていくってことだ。左脳なし。動画最後の方でイラスト使って説明してたけど植物に取り込まれ白目になってたのでちょっとわろてしまった。それヴォイニッチ手稿が怖いって言ってる人たちが避けたいと思ってるやつ。

 

『右脳回帰で幸せになれる』という考え方は、もう人間は進化する必要がなくなったことを表しているのではないか。AI社会が到来したら、自分自身の思考などいらない。面倒ごとは全て解決してくれるだろうから。

 

頭の中に声が聞こえなくなったという状態は確かに楽なのです。それは思考に執着しないと決めたということ。仏教が目指すところかもしれない。そのような「悟り」をゴールにしても良いけれど、まだ考えるべきことはあるはずだ。

 

 

●はじまりとおわりを理解したい

 

自分だけの隠れ家を見つけ喜んでいた夢。夜に一人で泳ぎたいという欲望。わたしは所属が嫌いだ。けれども、所属しないと生きていけないことは知っている。だからインターネットで世界とゆるい繋がりを保ちつつ、個人主義で行きたい。

 

右脳も大切だが、左脳で思考に執着して「世界の始まり」を知りたい。終わりが訪れるとき始まりがわかる。その瞬間、考えることを諦めていたら、言葉でそれを表現できない。縄文のように土器や土偶で表現するのも良いが、言語で残しておきたい。曖昧(右脳)よりも確実(左脳)でありたい。

 

「悟り」を右脳解放と言うのなら、「解脱」は左脳暴走させ限界を越えていくこと。発狂しそうになるまで思考したら何かが開けるかもしれない。

高知県の民俗、師走男と正月女について解説したい。

どもー。

 

最近は部屋をセルフリフォームしていたり、実家に帰ったりで文章を書くモードにならず。現実にやることがあると精神(妄想)の世界から遠くなる。わたしにとって書くことは精神世界に没入することなので。ということでリハビリでかく。

 

最近Xで見かけた高知県の民俗が面白かったので、考えてみようかなと。「師走男と正月女」という言い伝えについて。どんなものかtogetterまとめから。

高知の広い地域では12月に男性が、1月に女性が亡くなるとその年に7人を連れていくと信じられ、死者の男性には女装、女性は男装をさせたり、連れて行かれない様に7体の身代わり人形を棺に入れる

これはおもしろい。

 

1年の終わり(12月)に男性が、1年の始まり(1月)に女性が亡くなるとその年に7人連れて行く(7人死ぬ)ということだけど、男性が死んだ時は12月中に連れて行くということなのだろうか?

 

7人連れて行くことを「七人ミサキ」と言うらしい。都市伝説にもなっていたらしく。聞いた事あるようなないような。

 

こちらの論文(PDFに飛びます)によると、何故7人なのか何故正月は女なのか、などその地域の人も意味合いを理解していないらしい。

 

しかし、わたしにはなんとなくわかるぞ。

 

 

 

 

●数字で表すことができる人間の成長段階

以前わたしは出雲大社についての記事を書いたのだけど、その中で『数字の意味合いについて』考察した。その考察を簡単にまとめてみるとこんな感じである。

 

1〜6→獣、人間になるまでに必要な過程

7→人間、輪廻=死という認識、目に見える強さ

8→神、輪廻=生という認識、目に見えない強さ

 

わたしたち人間は10進法をよく使っているので、10までをひとくくりとしたい。9と10は神のその先のこと。8までくれば9でまた目に見えるものになって10で完全になる。10は同時に1でもある。これで最初と最後が重なる1サイクルとなる。1〜3、1〜7、1〜12など様々な1サイクルがあるけれど、この過程はだいたい一緒。

 

数字で表されることとは、人間の精神的な成長過程。成長過程はサイクルしているから何度でも繰り返す。

 

8までくれば成長過程は大体終わり。あとは9と10を忍耐しつつ楽しむのがわたしの考える「解脱」というものである。8は人間の頭の中(目に見えないもの)の理解であり、9と10はそれが現実に現れる(目に見える)過程なのである。この基本を押さえながら伝承や神話に登場する数字を読み解いていけばよい。

 

●何故七人なのか

「七人ミサキ」の七という数字は「人間」の数字となる。精神的な成長段階は人間レベルにあり、繰り返される「死」を恐れている段階であるということ。「死」に対する認識が「七人ミサキ」のに現れている。

 

7は『目に見える強さ』をも表す。7の段階にあるとき「死」に対する恐怖をどのように表現するのか。まさに今世間を騒がしているのは自殺のニュース。自殺という行為は『目に見える強さ』である。

 

人間が憎しみから人を殺すのも、自殺するのも、心が傷ついた末の行動。心が傷ついた時、防衛本能が働くから現実で表現する。「自分の死」を選ぶのは心が弱いからだと思われがちだけど、本当は強いこころ。この先社会で生きて行くことの恐怖に耐えられなくなり、死ぬ怖さを乗り越えてしまうくらいの強いこころ。

 

他人を殺すこと自分を殺すこと、どちらも現実で「死」を表現すること。それが『目に見える強さ』を発揮した結果。「死」に対する恐怖は自分を守るための強いこころとなってそのまま殺人や自死行為に繋がってしまう。「七人ミサキ」はこのような『死に対する恐怖』から起きる『目に見える強さ』を警告している。

 

『目に見える強さ』は他の七人も連れて行ってしまう。殺人や自殺は社会に影響を与える。そのような情報は人々に「死の恐怖」を呼び起こし行動を促す。一人の起こした「死」が七人(多数の人)に影響を与えるのだ。

 

●世界は8人で構成され、影響し合っている

死んだ一人と連れていかれる七人を合わせると八人となる。いまこちらの記事でパラレルワールドについて書いているところなのだけれど、世界の全人口を8人と仮定し話を進めていたりする。もしかしたら「七人ミサキ」の話も、この世界にいる人間が全部で8人であることを前提としているのかもしれない。

 

世界が8人で構成されていることの意味は、たった一人の死であってもその他全ての死に関わっているということ。一人の行いが確実に世界に影響している、ということでもあるけれど、その世界の実状を決めているのは「行い」というよりも「見方」である。

 

7や8という数字は「多数」という意味をも持つ。同じ多数でも7と8の違いは、多数の人間が存在するこの世界に『神がいる(8)』か『神がいない(7)』か。7と8の精神段階は世界をどのように見ているか、という違いでもある。

 

世界の中に「神の存在」を感じているか、感じていないかは人によって異なる。「神の存在」を信じているからといって8の精神段階にあるとは限らないが。

 

●精神段階7の世界

世界の中心人物とは「自分」である。わたしたちには自我があり、自分・わたし・ぼくという視点で世界を見ている。そんな世界の中で誰かが「死」を迎えた時、「死」に向き合い、「死」への認識を改めたりすることがある。

 

無意識で「死がさらに死を呼び起こす」ことを理解しているのが7という精神段階である。そのような世界の見方、「死」への認識が他の七人を連れて行く。「死」を「死」としてしか捉えられていなくて、「死」を強く警戒している。「神の存在」など信じられない状態にあるだろう。

 

七転び八起き、春の七草、七福神、七つの大罪、初七日、世界の七不思議、、、などなど7にまつわる言葉は多い。7が3回重なることがラッキーセブンと呼ばれ縁起がいいのは、神がいない状態を3回ほど繰り返すと8という世界への扉が開くから。『神がいない世界(7)』について何度も深く考えるのはとんでもない地獄ですが、、、その先に8の世界がある。

 

●精神段階8の世界

精神段階が進み8になった時、神の視点が現れる。『死はまた生でもある』という視点である。「死」があるから「生」がある、むしろ「死」がなければ「生」も存在しないことを理解する段階。そういった理解に進む事ができたならば、世界に存在する「死」への視点が変わる。

 

ひとつの「死」が起きたとしても、七人を道連れにしたりはしない。「死」を目にした時、新たな『七人の生』を感じるような視点が8の段階である。

 

どんなグロテスクな「死」を見たとしても、そこに「生」を感じてしまう段階であるので、神の視点はサイコパスっぽさがある。けれど「死」を喜ぶのではなくて「生」の裏にある「死」に感謝する視点である。死とか血を見て喜ぶ人は1〜6の段階。お間違えなきよう。

 

●死の理解と世界の見方

精神段階とは「死」への理解の違い。だから『世界の見方』も変わる。「七人ミサキ」は精神の成長段階が7レベルにある人間の為の物語で、その段階から一歩先に進むための知恵も教えてくれるのが伝承や神話なのである。「七人ミサキ」における、一歩先に進むための知恵とは。

 

●本当は、女は師走・男は正月

男が師走・女が正月に死んだら七人を連れて行ってしまうという言い伝え。何故、師走は男で正月は女なのか。正しくは「女は師走」に、「男は正月」に死ぬ必要があるから、悪い事が起きてしまうのである。

 

1サイクルには必ず始まりと終わりがある。1年で言えば始まりが1月で終わりが12月。男と女、陽と陰、太陽と月、朝と夜、始まりと終わり。このように、男は最初(正月)で女が最後(師走)なのは誰もが知っていること。聖書にもそう書いてある。この決まりはこの宇宙に於いて絶対的なもの。

 

『終わり(師走)が男』で『始まり(正月)が女』だとあべこべなので恐ろしい事が起きる。だからこそ、男を女装・女を男装させ埋葬することで正しい状態に戻している。そして、あべこべだとしても、男も女も死ぬ必要がある。

 

●何故女は終わりに死ぬ必要があるのか?

人間の精神の成長過程、最後の難関と言えば「母殺し」。暗闇で母を殺して自立すると朝を迎えることができる。母殺しとは心の中で「母(陰・死)」と言う困難を乗り越えることであって、決して現実で母を殺してはいけない。

 

人間(7)が神(8)の精神に到達するための試練は「死」を認めることである。8という数字には『輪廻=生という認識』という意味があった。母の属性は「死」。「死(母)」の認識を「生」に改めなければいけないのである。「死」に「生」を感じることができればサイクルが一周する。そして新たな始まりには男が死ぬ必要がある。

 

●何故男が始めに死ぬ必要があるのか?

人間の精神の成長過程、最後の難関にはもう一つある。それが「父殺し」である。何度でも言うが決して現実で父を殺してはいけない、心の中の話なので。

 

「父殺し」とは『目に見える強さを出さない』こと、強さを隠すこと。8という数字には『目に見えない強さ』という意味もあった。神の精神へ到達するには、強さを隠すことが必要になる。それが「父殺し」なのである。

 

自分の心が傷ついたとしても、現実で表現しないことが『目に見えない強さ』。逆に、心が傷ついたときに、何かしらの行動に移してしまうのが『目に見える強さ』。現実的に他人や自分へ攻撃することである。それが最終的に殺人や自殺をもたらす。

 

『目に見えない強さ』とは傷ついた心を全て自分一人で受け止めること。様々なモヤモヤを自分の心の中だけに留めるのだ。苛立ちや悲しみを我慢できなくなると大体の人は外に漏らしたり、発散して気分を変えたくなるものだろう。

 

現代では「病む前にしかるべき機関に相談しよう」みたいなことを言われたりもするが、自分一人だけで考え処理するのが『目に見えない強さ』である。全てを受け止め、自分の心を傷つけ続けるのである。まともなことではないのでとても人にはおすすめできないが。

 

このように強さを外に出さないことが「父殺し(男の死)」である。全ての苦しみを自分自身で負うということ。師走に「女」が死ねば、正月で『男(目に見える強さ)』も死ぬのである。そして8の世界が開かれる。

 

●重ならない終わりと始まりは線、重なる終わりと始まりは輪

最初に言ったけれど1サイクルの「終わり」と「始まり」は重なっている。「母殺し」と「父殺し」はほぼ同時に行われサイクルが完成する。「母殺し」と「父殺し」が両方達成されなければ、終わりと始まりは繋がることはない。

 

サイクルとは始めと終わりが同じ一点である「輪」のこと。始まりと終わりが繋がらないのなら、最初の生の点と終わりの死の点が一本の線で結ばれるだけ。ほとんどの人が感じている「人生」は一本の線なのではないだろうか。

 

1〜7の精神段階は「母殺し・父殺し」が同時に行われていない為、一本の線の世界を繰り返すこととなる。8の精神段階では「母殺し・父殺し」が同時に行われ世界が輪になっている。

 

輪廻転生というものを信じている人もいるかもしれないが、そもそも輪廻(輪)を生きていないのなら解脱もできやしない。一本の線を繰り返し何度も生きていることを輪廻転生と呼んでいるだけなのである。

 

ほとんどの地域で,「正月女」が出ると,2月に入ってから門松を立てて正月をやり直した,ということである。

最初にリンクした論文からの引用。このように『正月をやり直す』というのは一本線の世界をやり直すということを表している。輪にならないから、最初に戻され正月をやり直さなければならない。けれど「終わり(師走)」に正しく女が死ねば、一本の線は輪になることができる。

 

輪の世界は「始まり」と「終わり」を担うのが自分自身だと気が付くことなのである。何故なら、母は死に父も死んでしまったから。その代わりは自分自身しかいないのだ。

 

●順番が重要

「母殺し・父殺し」はほぼ同時行われるが、正確には「母殺し」が少し先になる。だから、師走に女・正月に男が死ぬ。母殺しが他者の死で、父殺しが自分自身の心の死である。他者の死を受け入れるからこそ、自分自身の心の死も受け入れることになる。物事には必ず順番がある。

 

「母殺し」は世界に「死」が存在する意味を理解すること、「父殺し」はいつかは訪れる自分自身の「死」をも認めること。このようにして順序よく「死」を理解していくと精神が成長していく。

 

●8は目に見えないもの

『目に見えない強さ』を獲得するのが8という精神段階。だれもがそのような心を獲得し、世界に平穏が訪れるのが10という段階になる。8でサイクルが一周したように解説してきたけれど、実際にサイクルが一周するのは10。目に見えない心の中でサイクルを理解するのが8という段階で、その理解が現実社会にも現れてくるのが9、そして10で完成と同時に最初の1に戻る。また学びの最初に戻るのである。その時はまた新鮮な気持ちで世界を見る。そして世界に慣れ親しんできた頃に大切なことを忘れているのが人間(7)なのである。

 

●終わり(師走)の時代

2024年、今まさに世界は7の終わりの段階にある。7の3回目に入ったかな?苦しいけれど「母殺し・父殺し」を成功させれば8の世界は必ず開かれる。

 

※今回わたしが解説してきた「母殺し・父殺し」は、世間一般の心理学用語の解釈とは少し違います。とはいえ、「父殺し」は母とひとつになる為に古い父(死)を殺し、自分が新たな父(生)となる過程。「母殺し」は母の支配から逃れる為に古い母(死)を殺し、自分が新しい母(生)として自立する過程。だから一般的な意味合いと根本は同じ。

 

 

 

 

そんなわけで、師走男・正月女の解説でした。間違った「死」が起きたら、正しいことをする。だから男を女装させて、女を男装させる。

 

『間違った死』とか言うのは、実際死んでしまった人に失礼なのかもしれないけれど、生きている者たちにとって誰かの「死」は最大の学びだ。「死」という特殊な出来事に過剰に意味を持たせて戒める。他者の死から自分の本当の人生は始まる。

 

 

 

 

床も壁も黒い部屋をつくった。暗黒部屋。

 

2023年を振り返る(三尸と易経の話)。

どもー。

2024年になりましたが、2023年を振り返ってみたい。去年書いて下書きに置いてたけどまとまらなかったの改めて書いてみた。

 

<三尸のはなし>

●人類滅亡

わたしの2023年は「終わり」という一言で表せる!そして思い出すのはこの夢

 

完全に醒める直前、男の人の声で

「人類滅亡の日を知った」

という言葉が響いた。

 

人類滅亡の予言は数あれど、人類滅亡がいつまでたっても起きないのはそれを望んでいないから。心の底から「人類滅亡」を望んだことはあるか?

 

ところで何が「終わり」なのかと言うと。2019年くらいから始まった「死」との対決をやっと終えたということ。長かった。

 

「死」との対決の中では「人類滅亡」を心から切に願うことになる。自分の中にある絶対に許せないものが「死」で、憎しみと怒りで全てを終わらせたくなる。

 

●三尸(さんし)と死

人間には「死」が棲みついている。三尸(さんし)という、人間の中にいる3匹の虫がそれだろう。上尸・中尸・下尸の3種類。真ん中の心に住む中尸が「人類滅亡」を願う。最初は腹に住むやつがそれを願ってると思ってたけど。

 

60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。

三尸(wikipedia)

 

三尸が体内から出ると神に悪事を告げ、寿命を縮めるという。とゆーことは体内にいた方がいいんかと思いきや、体内にいても病気を引き起こすという。やっぱり「死」だ。

 

●三点の死の側面

上尸は道士の姿思考によって起きる「死」。下尸は頭が牛で下半身が人間の足一本の姿、たぶん時間の経過による「死」なんじゃないかな。そして中尸は獣の姿感情によって起きる「死」。だと解釈した、わたしは。

 

人間は生きながら「3つの死」を抱えている。それら「死」はネガティブなものに思えるけど理解する(受け入れる)と力になる。

 

三屍は道教の三屍神を指します。道教では人体には上中下の丹田(丹を練る場所)があり、それぞれ神が宿っていると考えられておりこれらの神を総称して三屍と呼びます。

こちらのサイトによると、三尸(三屍)は人体に3つある丹田に対応しているようです。丹田も上・中・下と3つある。東洋医学では丹田は重要で、気が集まるスポット。丹田に棲む虫を如何にコントロールするか、ということなのだろう。

 

やはり「死(虫)」は人間から出て行ってはいけないし、コントロールすることで力を生み出す。人間の3つの点を生かすも殺すもその人次第。虫に乗っ取られず虫使いになれると最強だ。

 

伝統的に、上中下の「三丹田」説である。眉間奥の上丹田、胸の中央にある中丹田、ヘソ下3寸(骨度法)にある下丹田を指す。上丹田は神(しん)を蔵し、中丹田は気を蔵し、下丹田は精を蔵す、とされている。

丹田(wikipedia)

 

上尸・中尸・下尸は、思考と心と身体

上丹田・中丹田・下丹田は、神と気と精

 

思考は神そのもので、心は気を生む。そして身体は精力という生きるための基礎。思考と心は一緒になりがちだけど、それらを分別できるとコントロールしやすくなる。

 

●二つの流れ
1.上尸(思考)→中尸(心)→下尸(身体)こういう流れもあるし、2.下尸(身体)→中尸(心)→上尸(思考)こういう流れもある。1.は考えたことを心で感じ行動に移す。2.は行動から感情が起きそのことについて考える。人間なら誰もが経験しているこのような2つの流れがある。

丹田の中でも、特に「下丹田」は五臓の中心に位置し、五臓は人体の生命活動と密接に関係しているので、実際には最も重視されて正丹田とも呼ばれる。日本の禅や武道、芸道などにおいても丹田、特に「下丹田」を重視している。別名を、腹、肚、と書いて、はら と呼び、身心一如の境地に至るための大切なポイントとなっている。

丹田(wikipedia)

 

「下丹田」が一番重要らしい。そりゃそうだ。思考(上丹田)と心(中丹田)は目に見えない。目に見えるものが身体である下丹田。目に見えないものが目に見えるものに表現されるので、下丹田が成果が見えるところ。

 

「腑に落ちる・落ちない」の腑も下丹田だろう。先ほどの2つの流れがあることを知り、思考と身体の中心にあるものが2つを繋ぐ、ということを意識して初めて『腑に落ちる』のではないか。目に見える行動が現実をつくる。

 

●中尸(心)の「死」

話は戻って、なぜ中尸(心・獣・気)が「人類滅亡」を願うのか。それは心の性質である。獣は厳しい自然の中を生き残っていく生き物。そのような動物的生存本能は敵と味方をきっちりと区別し常に気を張っている。心は環境に機敏に反応する。そのように自分を生かす為に働く。

 

その心(中尸)が大きくなり手がつけられなくなると自分以外全てを排除するようになってしまう。獣が凶暴化するのである。「死」を避ける為に周りに「死」をもたらすのが心(中尸)。心は自分の「死」を絶対に許さないし、心は「死」に抵抗する。やっかいだけど、それが「心」の大事な機能。自分が生き残る為に他は死ぬ必要があることを表現している。

 

●上尸(思考)の「死」

上尸(思考)の「死」について考えてみる。心(中尸)が獣的な死ならば、上尸(思考)は人間的な死である。思考は論理的に死を理解している。思考は神なのであるから、死を既に認めているし死の必要性も知っている。けれど「死」を認めているが故に、「死」を自ら引き寄せる。

 

例えば自殺は上尸(思考)によって起きる。全てを計算し尽くした結果「死」を起こすのが上尸(思考)。自殺は思考による最適解なのだ。その「死」が社会にどのような影響を及ぼし、その結果どうなるのか思考は知っている。神なのだから。

 

●中尸(心)の「生」

もう一つの側面「生」のお話もしておくべきか。中尸(心)の「死」は種を残す為に行われる。動物は自分の種を存続させる為に戦う。種を存続させること、つまり個の為の「生」である。自分の種が存続すれば子に繫る。

 

●上尸(思考)の「生」

上尸(思考)は「死」を受け入れている。中尸(心)が個の為なら、上尸(思考)は全体の為の「生」になる。なんでそうなるかっていうかの説明はまあいいや。めんどくさくなってきたから雑考察。思考は神であるのだから世界全体を守っている。

 

●下尸(身体)の「死と生」

下尸(身体)についての死と生について触れていなかったけど、目に見えるものとしての死と生。生から死という時間の流れの中にある生と死。個でも全でもない、決まり事のようなもの。

 

●まとめ

結局何が言いたかったのかというと、心が全てを左右する。心(中尸)は流れの真ん中にあるから上尸(思考)と下尸(身体)を繋ぐ。獣の心が中心であるから、人間は死から必死に逃れようとしている。それをコントロールするのも上尸(思考)と下尸(身体)。心が中心であることを意識しながら三位一体であるべし。

 

↑ここまで2023年に書いたもの

↓ここから2024年

 

<易経のはなし>

●2022年から2024年の易占い

2022年から易でその年の占いをするようにしている。今年はちゃんと勉強したいと思い、さっそく易教の本を購入し勉強しているのだが、すごく面白い。

 

ちなみにこれが占い結果。

2022年 天山遯 上爻(33てんざんとん じょうこう)

2023年 坤為地 五爻(2こんいち ごこう)

2024年 水雷屯 五爻(3すいらんちゅん ごこう)

 

2022年はかなり苦しかったけどなんとか乗り越えられた。2023年は乗り越えたつもりでいたらまだ来るのかよ、という『終わらない繰り返し』を突きつけられたけど全てを受け入れた。その年と占い結果を思い返すとやはり当たっている。

 

●64卦には順番がある

坤為地って万物の元で、水雷屯が『陽気と陰気が始めて交わって、生みの困難が生じた状態』ならすごく流れ通りだ。地があって陰陽交わり生まれ始め。落ち着くのは2025年か?

前回の日記にこんなこと書いたけど、そもそも順番的に坤為地の次が水雷屯だった!なので流れ通りは当たり前。易占いの結果は全64卦(8卦×8卦)あるけれど、それらには順番がある。

 

ちなみに8卦はこれ↓

乾(天)・兌(沢)・離(火)・震(雷)・巽(風)・坎(水)・艮(山)・坤(地)

占う時は筮竹をじゃらじゃらやって1回目に出た卦と2回目に出た卦を合わせて64組の中から答えが出る。3回目もやって爻というやつも出す。坤為地(こんいち)は1回目も2回目も「坤(地)」が出た組み合わせ。

 

『易経』という書物は、大きく分けると以下の二部構成となっています。

六十四個それぞれの卦の概念を記している「経」と、その解説を集めた「伝」から成り立っています。

ちなみに「伝」は全部で十篇あり、「十翼」とも呼ばれます。

「序卦伝(じょかでん)」はその十翼の一つであり、六十四卦の配列を解説しているものです。

易における「六十四卦」とは何か(六十四卦の一覧表つき)

 

序卦伝(じょかでん)で全64卦の順番の意味が説明されている。この順番は「人間社会の変化」を表しているらしいが、書き出しは『天と地(乾と坤)があって万物が生まれる』という感じ。乾が1番で坤が2番であることがこのように説明されているのだ。

 

1. 有天(乾)地然後萬物生焉。
2. 盈天地(坤)之間者唯萬物。

易經講話2

 

●2022年 天山遯(てんざんとん)…天と山

ところで天山遯(てんざんとん)は33番、坤為地(こんいち)は2番、水雷屯(すいらんちゅん)は3番。これがわたしの2022年から2024年の流れ。2022年の33.天山遯(てんざんとん)は下経の初めの方になる。上経が1から30まで、下経が31から64までなので。

 

33. 物不可以久居其所。故受之以遯。遯者退也。

易經講話2

 

天山遯が33番である意味を本から引用。

 

さて下経のはじめに置かれた咸(かん)の卦に象徴される夫婦の道は末長く続くものでなければならぬ。だから次には恒(こう)の卦がおかれる。恒とは久しいという意味である。しかし物事は久しく同じ所にとどまることはできない。だから次には遯(とん)の卦がおかれる。遯とは退くという意味である。

 

引用したところは、31.咸(沢山咸)32.恒(雷風恒)33.遯(天山遯)という流れの説明であるということになる。で、33.遯(天山遯)は長い時間がたったもの(久しい)はいつか退くという意味。遯は逃れるとか隠れるとかいう意味がある。

 

世界は同じことを何度も繰り返している。わたしが永遠であることの苦しみや尊さを身をもって体感したのが2020年〜2022年。しかし恒久(永遠)からはいつか逃れることができる、という予感もしていた。

 

●2023年 坤為地(こんいち)…地と地

坤は地を意味する。1.乾と2.坤は天と地だから全64卦の中でも特別。全64卦は全宇宙を表現しているが、それら様々なものは陽(乾)と陰(坤)という最初の二つから始まっているから。その二つには「文言伝」という特別な解説がある。

 

その「文言文」から坤についての解説を引用する。

 

さて、坤は六爻皆陰、至って柔かではあるが、その乾に応ずる働きは力強く、また至って静かではあるが、乾の施しを受けて万物を作り成すはたらきは方正である。人の後に従うように心がければ、頼るべき主人を得て、陰たる者の常道にかなう。かくて坤は万物を包容し、その徳化は光大である。坤の道はさても柔順と言うべきではないか。ひたすらに乾の道を受けついで、その時々に従って万物を作り成すのだから。

 

2020年頃から自分の中で心掛けていたというか、信念のようなものがあって、それは『全部自分が悪い』という考え方。いつでも呪文のようにその言葉を心で唱えていた。わたしにとってその言葉は至ってポジティブなもの。

 

『人の後に従うように心がければ、頼るべき主人を得て、陰たる者の常道にかなう。』という言葉は『全部自分が悪い』と通ずる。人の後に従うというのは、自分という存在を最底辺に置くこと。自分以外の者は自分より上にいる。それが陰たる者の常道。

 

そう心掛けていたとしても常に自分を最底辺に置くのは難しい。たまに我が出てしまう。だとしても、陰たる者としての自覚を持ち、我をおさえることを心がけるようにしていた。

 

2023年はわたしの中で「死の学びを終了」した年であった。陽(乾)が始まりなら陰(坤)は終わりである。陰たる者としての修行は順調に進み、全てを受け入れる感覚が起きたのが2023年。だから坤為地という結果がしっくりくる。坤は六爻全部が陰、全てが受け身。だが力強い。

 

陰の地位に在る者は、たとえわが身に美点があっても、それを含み隠して王者の命ずる仕事に従い、あえてその成功をおのれのものとしてはならない。これが天に対する地の道であり、夫に対する妻の道であり、君に対する臣の道である。つまり地の道というものは、成功をおのれのものとせず、天にかわってその終りを全うすることである。

 

天にかわってその「終わり」を全うした。陽(乾)が生なら陰(坤)は死。死を受け入れたから死の終わりを迎えた。

 

●2024年 水雷屯(すいらんちゅん)…水と雷

2022年は永遠(繰り返し)からの脱出の予感。2023年は死の終わり。2024年はまた始まる。

 

「死」との対決が終わることは、永遠(繰り返し)から逃れること。そしてまた事が始まる。また始まるのだから永遠は終わってないのだけれど、自分の中では区切りがついている。永遠であり永遠ではないことを両立させるには「区切る」ことが大切なのだ。

 

3.水雷屯の解説を引用。

屯は屯難、事のはじめに当たり困難多く行き悩むの意、草の芽がまさに地上に萌え出ようとする象形。時節が到来すれば大いに享通(こうつう)して安寧を得るであろうが、そのためには謹慎して貞正をとり保たねばならぬし、事を急いで軽率に前進しようと試みるのはよろしくない。

 

屯は事のはじめの困難を表す。事のはじめも謹慎して貞正をとり保たねばならぬのか。2023年に引き続き、受け身でいるのが良いようだ。

 

五爻(九五)が出たので、心は良い状態だろう。なんたって本来の夫たるべき人で陽剛の君主。しかし環境は悪い。確かに2024年始まったばかりなのに世間は波乱続きだ。

 

さて、物の生じはじめは必ず蒙である。

蒙とは蒙昧 おろかという意味であり、また物の幼稚な状態である。

 

「落ち着くのは2025年か?」とか言ったけど、始まったばかりなのだからそれは無いか、、、。このまま流れ通りでいけば次は4.蒙。事のはじめの困難の次は、幼稚な状態が現れるのかもしれない。

 

●夢の中で人類滅亡を知った2023年

ということで、2020年に見たこの夢を回収完了。「人類滅亡を知った」のは2023年でした。2017年からずっと夢の中にいるようだったので、やっとここからが本番なのだろう。『子の年(2020)真ん中にして前後10年が正念場』という日月神示の言葉が身に染みるね。1.乾が出るのはいつになるのか。

 

●お気に入りの言葉

さて、易においては、形而上なるものすなわち現象以前の目に見えぬ無形のままなる陰陽の変化を道と謂い、形而上すなわち現象面において把捉し得られる形象を器と謂い、さらに陰陽の変化に即しその変化を適宜に裁ちきって融通性を発揮させることを変と謂い、これを推し進めてその場その場の具体的な処理を講ずることを通と謂い、変通の結果を挙げて天下の人々の手のとどく処に置き実際の効果をおさめさせるようにすることを事業と謂うのである。

最後に気に入った言葉を紹介。「繋辞伝(けいじでん)」の上から引用。この言葉をわたしなりに分かり易くまとめるとこうなる。

 

道(陰陽の変化)

器(現象面を掴むもの)

変(変化を判断し処理すること)

通(処理を実行に移すこと)

事業(誰もがわかり利用すること)

 

これは宇宙のあるべき流れである。道(運命)があってそれを受け取る人間(器)がいる。思考(変)によって行動(通)をし、世界を完成させる(事業)。

 

初め(乾)と終わり(坤)は太極で重なっているのだから、この流れは不変であり可変である。宇宙とは円環でありそのど真ん中に太極である自分がいる。つまりわたしたちは、どの時代にいてもどの局面にいても、既に完成しているし未だ完成していない。それに気がつくかどうかが問題で、気がつかなくても実際問題が無い。

 

初夢は火事。

どもー。

あけましておめでとうございます門松

 

初夢は火事でした、という新年初ブログ。正確には初夢ではないのだけど、元旦明け方に見た夢が印象的だったのでわたしの中で初夢とさせてもらう。ハッとなって目覚めた。

 

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自宅の二階にいたわたし。外から消防車の音が聞こえて、だんだんその音が近づいてくる。窓から外を確認すると自宅の前に消防車が止まっていたので急いで下に降りると、一階のキッチンが焼けている。もう壁がなくて外が丸見え。火はもう消えている。

 

たぶん、姑がまた鍋を火にかけっぱなしにしたのだろうと思う。姑はわたしじゃないよ、という顔をしてとぼけている。自宅が焼けてしまったのを見た旦那もわたわたとしている。一方わたしは「これから大変になるぞ…」と思いながらも「やるっきゃねえ!」と何故か闘志を燃やしてニヤリとしていた。

 

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火事の意味について調べたら自宅が燃えるのは良い意味でもあり悪い意味でもある。自宅は自分自身。台所の家事は幸運らしいので期待。とにかく何か悪いことがあってもめげないのでしょう。やる気が表れているいい夢ですね。

 

年明け早々、地震による火災、飛行機の火災、福岡の火災をライブ配信で見ることになった。不安と恐怖を煽るような情報ばかりで人々が不安定になりそうな2024年がスタート。

 

不安は感情を昂らせます。ひどく悲しくなったり怒りがわいてきたり。感情コントロールを学ぶような一年になるかもしれません。コントロールしきれなくて暴れちゃうのもアリだと思う。ブチギレないとわからないこともあるんだ。

 

ありとあらゆる感情を学んで、やっと一人前になれる。一番難しいのが怒り。今年は心を燃やそう。

2023年おわり。

どもー。

12月は忙しくてブログも書けやしなかったが、なんとか来年の運勢だけでも。

今年は自分の筮竹でやってみた。

 

水雷屯 五爻(すいらんちゅう ごこう)

 

「潤いが全体に行き渡らない。このような時には、日常的な仕事を正しく行うこと。なんとか打開しなくては、と言って大きなことをするのは凶」
この五爻は、水雷屯という悩みの時代にいる王様です(五爻は王様や社長です)。
ですので、国全体を豊かに潤したくても、行き渡らないのです。
これは王様に力がないのではなく、水雷屯という難しい時代にあるがためです。
このような時は、日常的な仕事をきちんとこなすのが良く、打開を焦って大きなことに打って出るのは危険です。

易経独学

 

なんだ来年も我慢の時か。日常を大切に大きなことをしないとな。わかった。地味に生きる。

 

彖伝によると、屯の卦は陽気と陰気が始めて交わって、生みの困難が生じた状態である。危険の中に動く(上卦☵坎は落とし穴、険という意味、下卦☳震は雷で、動くという意味)。「願いごとは大いに通る。正しい道を持続するのが良い。」という判断の文句は、上半分が雲、下半分が雷で、雷と雲の動きが今や満ち満ちているからである。ちょうど宇宙が初めて創造されたような、時の動きがまだあわただしくて暗い状況では、諸侯を立てて自分の補助とするのが良い。安穏と構えていてはいけない。
知恵の森

 

水雷屯は「生みの苦しみ」がキーワードらしい。来年も苦しむか、、、

 

九五は陽剛の爻、「中」を得、「正」であり、最も尊い位にいる。しかし時は屯(=難)の時。下には六二が「応」として応援してくれるが、二は陰柔で、力弱く、何を救うに足りない。初九は最下層にあって民心を得て、民衆がこれについてしまった。九五は穴にはまりこんでいる。ほどこすべき恩沢を所有しながら、下に施すことをようしない。

知恵の森

 

五爻の象伝。どうも時代が困難らしい。どんな2024年になるのやら。

 

というか易の理解が浅すぎるので来年は本を買って勉強します。

 

 

そういえば、今年の運勢は坤為地 五爻(こんいち ごこう)だった。

 

有天地然後萬物生焉。
天地ありて然る後万物生ず。
てんちありて、しかるのちばんぶつしょうず。

天と地、すなわち乾と坤があって、その後初めて天と地の間に万物が生じる。

知恵の森

彖伝によると、大地の根源である坤の徳は最高である。万物はこの坤の卦を元として生じた。しかしながら、坤の卦は乾に当たる天の手柄を素直に受け継ぐものである。坤は大地であって分厚く、あらゆるものをその上に乗せている。

知恵の森

 

坤為地って万物の元で、水雷屯が『陽気と陰気が始めて交わって、生みの困難が生じた状態』ならすごく流れ通りだ。地があって陰陽交わり生まれ始め。落ち着くのは2025年か?


今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

ロキが解脱してしまったのでさみしい。

どもー。

文字を書く気分にならないよ。でも無理やりでも書くよ。

 

最近マーベルズを映画館で見て、LOKI最終回をディズニープラスで見ました。

ロキよ、わたしを置いていかないでーーーそういう気分です。

 

LOKIは『マルチバースの秘密』を教えてくれたし、ロキは解脱してしまった!私たちは今まさに「マルチバース」を生きている。そのあたりはUOZAブログに書き始めているのでぜひ。

 

LOKIのネタバレになりますが、ロキは最後に本当の神になった。世界樹であるユグドラシルになったのです。なんて結末なんだ、、、、

 

●トリックスターのロキ

シーズン1の感想でも書いたけど、ロキはトリックスター。フェーズ3までは悪さをしていたけど、LOKIという物語では善を学んだ。

 

●未来で死んだロキと現在生きているロキ

ロキは2018年に死んだが、2012年から分岐した時間軸を辿りTVAという時間の無い場所へ。死んでしまった世界線のロキとは違うロキっぽさを感じるが、世界線が違ったとしても、ロキはロキでひとつの存在。それがマルチバース。

 

●時間を進めたり戻したり止めたりしてわかること

LOKIは「時間」がテーマでもあった。最後には時間の秘密を暴いたロキ。タイムスリップを習得、時間を止めることもできた。時間を止めるのが一番難しい。

 

わたしも時間を止めたことがある。うさんくさいがそんなうさんくさい話でもない。その時の話はこちらにあるよ。

 

時間の停止や、時間の巻き戻しや、繰り返し再生を実体験すると『この世界は消滅と再生を永遠に繰り返していて、それがこの世界の掟である』ということがわかる。体験すると、なんだかそれが身に染みるのである。

 

●永遠の解釈の違い

1.悪役 2.他者への慈悲 3.時間の理解 ロキはそれら全ての体験を経たのだから、あとは何をすればいいのかは自ずとわかる。強い覚悟を持って、全ての世界線を自らが繋ぎ止めること。ロキは「これまでの世界の破壊」と「新しい世界の再生」を行った。それがロキの考える永遠。一方、カーンはこれまでの世界が破壊されても「また同じ世界を再生」するという永遠。

 

●正義は勝つ世界、正義も悪も勝つ世界

これまでの世界は「時間織り機」でひとつの世界(時間)として様々な世界線がまとめられていたが、『悪は滅びる』というひとつの世界であった。だから悪役は虚無に捨てられ「正義は勝つ」という信念のもと神聖時間軸として束ねられていた。

 

最後に明らかになったことは「時間織り機」はあくまでも安全装置の役割を果たしているだけで、いつかは神聖時間軸に破壊がおきるということ。そうなったとしても、また作り直せばいいとカーンは言う。つまり、また神のような管理者をひとり置き「正義は勝つ」という世界にまとめる。自分ひとりの「正義」の定義で世界を回していくのが「神聖時間軸」である。
 

だが、ロキは「神聖時間軸」を新しい世界に書き換えた。「時間織り機(今までの世界)」を破壊し、自らが犠牲となって、どの世界線も剪定させない。人が望むもの、ありとあらゆる世界線を現実とする覚悟。世界には良いこと悪いことがあるが、全てを現実にするということは『正義も悪も守る』ということにもなる。

 

●ロキの覚悟とユグドラシル

その覚悟を表現するのが「世界樹ユグドラシル」。自然(世界)と一体になる、という感覚。そこには強い覚悟と強い信念が存在している。自然と一体になることは『自然を愛する』ということではない。


ロキはありとあらゆる世界線(善も悪も)を受け入れたから、自らも自然(世界)の一部となった。世界の一部となり中心で世界線の消滅を防ぐ。ロキは全ての世界線を担保するという、大きな責任と役割を負ったのだ。

 

●善を見つけるために悪が存在する

嫌いなもの、理不尽なもの、自分には理解できないもの。それらは悪である。けれど、悪には悪の苦しみがある。世界に存在する悪は必然であり、それも受け入れること。悪役のロキだったからこそわかること。

 

神聖時間軸で悪役であったロキは多くの人を傷つけ、死を迎えた。悪という経験の中から、自分の「本当の願い」を見つけた。仲間の人生を守ることは世界を守ること。それがロキに芽生えた善であり、ユグドラシルの一部になるという覚悟に繋がったのである。

 

自己犠牲=世界の全てを受け入れること。どんな世界であっても消滅させず、続けていく。それが永遠。永遠を理解したロキは全ての世界線を見守る時間の神になった。

 

●体と心、実体と仮想、男と女

あと、面白かったのはミスミニッツ。彼女は「在り続ける者(カーン)」の頭脳であり心。カーンが「体」ならミスミニッツが「心」。だから彼女は人間の体をほしがった。

 

体は男性性、心は女性性を表す。カーン(男)は心(女)を信用していない。だから神聖時間軸を作る時、一緒に勝利を勝ち取ったレンスレイヤーの記憶を消した。信用できないのは、男(体)と女(心)は別の存在で考え方が違うからだろう。シーズン1の最後にシルヴィもそう言ってた。考え方が違うと目的も別になってしまう。

 

カーンは、戦争に勝利した後、体(男)と心(女)を分離した。そしてミスミニッツという仮想の心を作った。「在り続ける者」の心は分離されたまま、実体(レンスレイヤー)から仮想(ミスミニッツ)へ。

 

●本当の望み

ミスミニッツは「本当の望み」を隠し持ちながら、システムを守る仕事をする。レンスレイヤーも「本当の望み」を隠し持ちながら、TVAを指揮する。だから二人は共闘するのだろう。ミスミニッツは実体になることを望み、レンスレイヤーは勝利を自分のものにすることを望む。

 

分離されてしまった心たち(ミスミニッツとレンスレイヤー)は自分に足りないもの(肉体・勝利・男)を補おうとするのだ。

 

ロキの頭脳であり心はシルヴィだった。実体があり、ロキが時間の移動をしても記憶を失わない女である。ロキはユグドラシルになることで「自由」というシルヴィの願いを叶えた。ロキ(男)とシルヴィ(女)は一体になったのだ。「本当の望み」が同じになったということ。

 

「神聖時間軸」は『正義が勝つ』という単純なシナリオであるからカーンは全てを決めておくことができる。そのシナリオの中で予想外の動きをするのがトリックスター。悪であったのに善を働くロキ。悪のロキと善のロキ 。それがロキとシルヴィである。

「クアントマニア」見る前に「ロキ」のおさらい。

 

↑シーズン1の感想を引用。悪のロキと善のロキ(シルヴィ)と言ったのは、悪だったロキが、善を教えてくれるシルヴィに出会ったから、世界を守ることができたということ。ロキはシルヴィの「願い」を汲んだから善を学んだ。

 

男であれ女であれ「本当の望み」は元をたどれば人類皆共通。心の中にあるその望みに気付けるかどうか。

 

●自己犠牲で物語を書き換える

ロキとカーンの違いは、新しい世界を再生するのか・同じ世界で再生するのかというところ。けれど、自ら新しい世界を再生することを解脱と言う。自己犠牲だけが新しい世界を生む。世界の破壊を他者に任せるのか、自分自身で破壊するのか、も重要です。

 

人は死ななきゃ永遠であることの尊さがわからない。ロキは神聖時間軸で死を体験している。だからこそ物語を書き換える力を持っているのだ。

 

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ロキの死は未来に起きている。LOKIの世界線は2012年。神聖時間軸で死んだのは2018年。未来の死を知ることの意味。わたしたちも、未来で死んでいるから今現在を生きている。

 

未来の死を経験することで「生きる」という行為の中に『本当の望み』を見つけことができる。さらには「未来の死」と「現在の生」との繋がりを理解する。危機の中で人は世界と時間の本当の意味を知るだろう。

 

大切な人の危機は自分の危機。もうすぐそんな瞬間が訪れるかもしれません。オカルト界隈では2024年とか2025年あたりが騒がしいですね。戦争とか気候変動とか未知のパンデミックとか、そういう自分一人でコントロールできないものに注目するより、ごくごく個人的な人類滅亡に目を向けるべきだ。世界は自分の手の届く範囲にある。

 

あ、もちろんマーベルズもおもしろかったです。

 

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