分別したいし、はっきりしたいし、理解したい。
どもー。
久々にブログでも書くかー!
ネタがないので最近見た夢について。
●最近見たこんな夢
誰かの葬式から始まった夢。家族や親戚がまわりにいるけれど、わたしは喪服が無くて焦っている。とりあえず普通の服を着ていたら、次のシーンに変わった気がする。うろおぼえ。
大学っぽいところ。それぞれの教室のドアには名前と顔写真の一覧がある。教室をまわってドアを確認していくが、わたしの顔と名前はどこにも無い。わたしはどのグループに所属したらいいのだ、、、と悩んでいたら、大学から離れたところに洞窟っぽいいいかんじの個室を見つける。これがわたしの研究室だー!と喜んだ。
その部屋の真下には地底湖みたいな、セノーテみたいな水場があった。何人かが泳いでいたいたけれど、夜になると誰もいなくなるので、そこで泳げるやったー!とまた喜んだ。
●右脳は所属が好き?
なんでこんな夢を見たかというと、たぶんこの動画を見たからだろう。
この動画に出てくるおばちゃんは悟った人で「右脳を開放して思考から自由になろう」ということを伝えている人。この動画の中で「右脳は所属が好き」って言ってるのである。
おばちゃんが言う右脳のキーワードは
・ひとつにする
・直感
・所属
だとしたら左脳のキーワードは
・分けて切り離す
・思考、分析
・個(無所属)
という感じになるのでしょうか。
ところで縄文に回帰するには右脳回帰だ、みたいなことを動画で言っている。ほんとうは右も左も同じだけ使っているのが人間だと思うけれど、左脳の働きと言われる「分けて切り離す・分別すること」に疲れちゃったから右脳回帰と言うのだろう。
●右脳と左脳について
さて、実際に右脳と左脳の違いってなんだろうかとしばし調べてみた。右脳は空間把握やイメージを司り、左脳には言語中枢がある、というのはよく耳にする。
ネットで記事をいろいろ読んだが、これらがおもしろかった↓
顔を見る前から脳は活動している -脳波によって人の「予測」の実態を解明-
右脳を損傷したときに起きることがある「半側空間無視」という病態の説明が興味深かった。右脳は右空間と左空間を注意して見ているのに、左脳は右空間しか注意していないとな。だから右脳を損傷すると左側を注意できなくなってしまう。
右脳は「並列情報の倉庫」左脳は「情報をカテゴリ分け」というのも納得だ。この↓研究もおもしろい。
『人がなにかを予測する場合、顔の出現を予測する方が、言葉や記号などの予測よりも素早いことを発見し、顔に関する情報処理は実際に顔を見るよりも前から始まっていることを実証した。』
『右脳の働きは①顔・言葉・記号などの予測される情報の種類②めずらしい物を検出する注意システム③動機づけ(やる気・報酬)―の程度によって影響されることがわかり、右脳と左脳の相対的な働きはこれらの3つの要素によって変化することを明らかにした。』
顔の出現予測!言葉よりも顔(イメージ)のが情報処理早いんだ。②めずらしい物を検出するときは右脳が活発、③動機づけ(やる気・報酬)で左脳が活発になるというのがおもろい。右脳って人間コミュニティの中の危機管理に重要なのか?
となると「右脳は所属が好き」というのも確かに。人間社会というものに所属するため右脳で常に人の顔を伺い危機を回避しているのかもしれない。
●思考を消すこと
動画のおばちゃんは頭の中の声が消えたらしい。それはもう言葉なしで生きていくってことだ。左脳なし。動画最後の方でイラスト使って説明してたけど植物に取り込まれ白目になってたのでちょっとわろてしまった。それヴォイニッチ手稿が怖いって言ってる人たちが避けたいと思ってるやつ。
『右脳回帰で幸せになれる』という考え方は、もう人間は進化する必要がなくなったことを表しているのではないか。AI社会が到来したら、自分自身の思考などいらない。面倒ごとは全て解決してくれるだろうから。
頭の中に声が聞こえなくなったという状態は確かに楽なのです。それは思考に執着しないと決めたということ。仏教が目指すところかもしれない。そのような「悟り」をゴールにしても良いけれど、まだ考えるべきことはあるはずだ。
●はじまりとおわりを理解したい
自分だけの隠れ家を見つけ喜んでいた夢。夜に一人で泳ぎたいという欲望。わたしは所属が嫌いだ。けれども、所属しないと生きていけないことは知っている。だからインターネットで世界とゆるい繋がりを保ちつつ、個人主義で行きたい。
右脳も大切だが、左脳で思考に執着して「世界の始まり」を知りたい。終わりが訪れるとき始まりがわかる。その瞬間、考えることを諦めていたら、言葉でそれを表現できない。縄文のように土器や土偶で表現するのも良いが、言語で残しておきたい。曖昧(右脳)よりも確実(左脳)でありたい。
「悟り」を右脳解放と言うのなら、「解脱」は左脳暴走させ限界を越えていくこと。発狂しそうになるまで思考したら何かが開けるかもしれない。