2023年を振り返る(三尸と易経の話)。 | ぱんちゃんブログ

2023年を振り返る(三尸と易経の話)。

どもー。

2024年になりましたが、2023年を振り返ってみたい。去年書いて下書きに置いてたけどまとまらなかったの改めて書いてみた。

 

<三尸のはなし>

●人類滅亡

わたしの2023年は「終わり」という一言で表せる!そして思い出すのはこの夢

 

完全に醒める直前、男の人の声で

「人類滅亡の日を知った」

という言葉が響いた。

 

人類滅亡の予言は数あれど、人類滅亡がいつまでたっても起きないのはそれを望んでいないから。心の底から「人類滅亡」を望んだことはあるか?

 

ところで何が「終わり」なのかと言うと。2019年くらいから始まった「死」との対決をやっと終えたということ。長かった。

 

「死」との対決の中では「人類滅亡」を心から切に願うことになる。自分の中にある絶対に許せないものが「死」で、憎しみと怒りで全てを終わらせたくなる。

 

●三尸(さんし)と死

人間には「死」が棲みついている。三尸(さんし)という、人間の中にいる3匹の虫がそれだろう。上尸・中尸・下尸の3種類。真ん中の心に住む中尸が「人類滅亡」を願う。最初は腹に住むやつがそれを願ってると思ってたけど。

 

60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。

三尸(wikipedia)

 

三尸が体内から出ると神に悪事を告げ、寿命を縮めるという。とゆーことは体内にいた方がいいんかと思いきや、体内にいても病気を引き起こすという。やっぱり「死」だ。

 

●三点の死の側面

上尸は道士の姿思考によって起きる「死」。下尸は頭が牛で下半身が人間の足一本の姿、たぶん時間の経過による「死」なんじゃないかな。そして中尸は獣の姿感情によって起きる「死」。だと解釈した、わたしは。

 

人間は生きながら「3つの死」を抱えている。それら「死」はネガティブなものに思えるけど理解する(受け入れる)と力になる。

 

三屍は道教の三屍神を指します。道教では人体には上中下の丹田(丹を練る場所)があり、それぞれ神が宿っていると考えられておりこれらの神を総称して三屍と呼びます。

こちらのサイトによると、三尸(三屍)は人体に3つある丹田に対応しているようです。丹田も上・中・下と3つある。東洋医学では丹田は重要で、気が集まるスポット。丹田に棲む虫を如何にコントロールするか、ということなのだろう。

 

やはり「死(虫)」は人間から出て行ってはいけないし、コントロールすることで力を生み出す。人間の3つの点を生かすも殺すもその人次第。虫に乗っ取られず虫使いになれると最強だ。

 

伝統的に、上中下の「三丹田」説である。眉間奥の上丹田、胸の中央にある中丹田、ヘソ下3寸(骨度法)にある下丹田を指す。上丹田は神(しん)を蔵し、中丹田は気を蔵し、下丹田は精を蔵す、とされている。

丹田(wikipedia)

 

上尸・中尸・下尸は、思考と心と身体

上丹田・中丹田・下丹田は、神と気と精

 

思考は神そのもので、心は気を生む。そして身体は精力という生きるための基礎。思考と心は一緒になりがちだけど、それらを分別できるとコントロールしやすくなる。

 

●二つの流れ
1.上尸(思考)→中尸(心)→下尸(身体)こういう流れもあるし、2.下尸(身体)→中尸(心)→上尸(思考)こういう流れもある。1.は考えたことを心で感じ行動に移す。2.は行動から感情が起きそのことについて考える。人間なら誰もが経験しているこのような2つの流れがある。

丹田の中でも、特に「下丹田」は五臓の中心に位置し、五臓は人体の生命活動と密接に関係しているので、実際には最も重視されて正丹田とも呼ばれる。日本の禅や武道、芸道などにおいても丹田、特に「下丹田」を重視している。別名を、腹、肚、と書いて、はら と呼び、身心一如の境地に至るための大切なポイントとなっている。

丹田(wikipedia)

 

「下丹田」が一番重要らしい。そりゃそうだ。思考(上丹田)と心(中丹田)は目に見えない。目に見えるものが身体である下丹田。目に見えないものが目に見えるものに表現されるので、下丹田が成果が見えるところ。

 

「腑に落ちる・落ちない」の腑も下丹田だろう。先ほどの2つの流れがあることを知り、思考と身体の中心にあるものが2つを繋ぐ、ということを意識して初めて『腑に落ちる』のではないか。目に見える行動が現実をつくる。

 

●中尸(心)の「死」

話は戻って、なぜ中尸(心・獣・気)が「人類滅亡」を願うのか。それは心の性質である。獣は厳しい自然の中を生き残っていく生き物。そのような動物的生存本能は敵と味方をきっちりと区別し常に気を張っている。心は環境に機敏に反応する。そのように自分を生かす為に働く。

 

その心(中尸)が大きくなり手がつけられなくなると自分以外全てを排除するようになってしまう。獣が凶暴化するのである。「死」を避ける為に周りに「死」をもたらすのが心(中尸)。心は自分の「死」を絶対に許さないし、心は「死」に抵抗する。やっかいだけど、それが「心」の大事な機能。自分が生き残る為に他は死ぬ必要があることを表現している。

 

●上尸(思考)の「死」

上尸(思考)の「死」について考えてみる。心(中尸)が獣的な死ならば、上尸(思考)は人間的な死である。思考は論理的に死を理解している。思考は神なのであるから、死を既に認めているし死の必要性も知っている。けれど「死」を認めているが故に、「死」を自ら引き寄せる。

 

例えば自殺は上尸(思考)によって起きる。全てを計算し尽くした結果「死」を起こすのが上尸(思考)。自殺は思考による最適解なのだ。その「死」が社会にどのような影響を及ぼし、その結果どうなるのか思考は知っている。神なのだから。

 

●中尸(心)の「生」

もう一つの側面「生」のお話もしておくべきか。中尸(心)の「死」は種を残す為に行われる。動物は自分の種を存続させる為に戦う。種を存続させること、つまり個の為の「生」である。自分の種が存続すれば子に繫る。

 

●上尸(思考)の「生」

上尸(思考)は「死」を受け入れている。中尸(心)が個の為なら、上尸(思考)は全体の為の「生」になる。なんでそうなるかっていうかの説明はまあいいや。めんどくさくなってきたから雑考察。思考は神であるのだから世界全体を守っている。

 

●下尸(身体)の「死と生」

下尸(身体)についての死と生について触れていなかったけど、目に見えるものとしての死と生。生から死という時間の流れの中にある生と死。個でも全でもない、決まり事のようなもの。

 

●まとめ

結局何が言いたかったのかというと、心が全てを左右する。心(中尸)は流れの真ん中にあるから上尸(思考)と下尸(身体)を繋ぐ。獣の心が中心であるから、人間は死から必死に逃れようとしている。それをコントロールするのも上尸(思考)と下尸(身体)。心が中心であることを意識しながら三位一体であるべし。

 

↑ここまで2023年に書いたもの

↓ここから2024年

 

<易経のはなし>

●2022年から2024年の易占い

2022年から易でその年の占いをするようにしている。今年はちゃんと勉強したいと思い、さっそく易教の本を購入し勉強しているのだが、すごく面白い。

 

ちなみにこれが占い結果。

2022年 天山遯 上爻(33てんざんとん じょうこう)

2023年 坤為地 五爻(2こんいち ごこう)

2024年 水雷屯 五爻(3すいらんちゅん ごこう)

 

2022年はかなり苦しかったけどなんとか乗り越えられた。2023年は乗り越えたつもりでいたらまだ来るのかよ、という『終わらない繰り返し』を突きつけられたけど全てを受け入れた。その年と占い結果を思い返すとやはり当たっている。

 

●64卦には順番がある

坤為地って万物の元で、水雷屯が『陽気と陰気が始めて交わって、生みの困難が生じた状態』ならすごく流れ通りだ。地があって陰陽交わり生まれ始め。落ち着くのは2025年か?

前回の日記にこんなこと書いたけど、そもそも順番的に坤為地の次が水雷屯だった!なので流れ通りは当たり前。易占いの結果は全64卦(8卦×8卦)あるけれど、それらには順番がある。

 

ちなみに8卦はこれ↓

乾(天)・兌(沢)・離(火)・震(雷)・巽(風)・坎(水)・艮(山)・坤(地)

占う時は筮竹をじゃらじゃらやって1回目に出た卦と2回目に出た卦を合わせて64組の中から答えが出る。3回目もやって爻というやつも出す。坤為地(こんいち)は1回目も2回目も「坤(地)」が出た組み合わせ。

 

『易経』という書物は、大きく分けると以下の二部構成となっています。

六十四個それぞれの卦の概念を記している「経」と、その解説を集めた「伝」から成り立っています。

ちなみに「伝」は全部で十篇あり、「十翼」とも呼ばれます。

「序卦伝(じょかでん)」はその十翼の一つであり、六十四卦の配列を解説しているものです。

易における「六十四卦」とは何か(六十四卦の一覧表つき)

 

序卦伝(じょかでん)で全64卦の順番の意味が説明されている。この順番は「人間社会の変化」を表しているらしいが、書き出しは『天と地(乾と坤)があって万物が生まれる』という感じ。乾が1番で坤が2番であることがこのように説明されているのだ。

 

1. 有天(乾)地然後萬物生焉。
2. 盈天地(坤)之間者唯萬物。

易經講話2

 

●2022年 天山遯(てんざんとん)…天と山

ところで天山遯(てんざんとん)は33番、坤為地(こんいち)は2番、水雷屯(すいらんちゅん)は3番。これがわたしの2022年から2024年の流れ。2022年の33.天山遯(てんざんとん)は下経の初めの方になる。上経が1から30まで、下経が31から64までなので。

 

33. 物不可以久居其所。故受之以遯。遯者退也。

易經講話2

 

天山遯が33番である意味を本から引用。

 

さて下経のはじめに置かれた咸(かん)の卦に象徴される夫婦の道は末長く続くものでなければならぬ。だから次には恒(こう)の卦がおかれる。恒とは久しいという意味である。しかし物事は久しく同じ所にとどまることはできない。だから次には遯(とん)の卦がおかれる。遯とは退くという意味である。

 

引用したところは、31.咸(沢山咸)32.恒(雷風恒)33.遯(天山遯)という流れの説明であるということになる。で、33.遯(天山遯)は長い時間がたったもの(久しい)はいつか退くという意味。遯は逃れるとか隠れるとかいう意味がある。

 

世界は同じことを何度も繰り返している。わたしが永遠であることの苦しみや尊さを身をもって体感したのが2020年〜2022年。しかし恒久(永遠)からはいつか逃れることができる、という予感もしていた。

 

●2023年 坤為地(こんいち)…地と地

坤は地を意味する。1.乾と2.坤は天と地だから全64卦の中でも特別。全64卦は全宇宙を表現しているが、それら様々なものは陽(乾)と陰(坤)という最初の二つから始まっているから。その二つには「文言伝」という特別な解説がある。

 

その「文言文」から坤についての解説を引用する。

 

さて、坤は六爻皆陰、至って柔かではあるが、その乾に応ずる働きは力強く、また至って静かではあるが、乾の施しを受けて万物を作り成すはたらきは方正である。人の後に従うように心がければ、頼るべき主人を得て、陰たる者の常道にかなう。かくて坤は万物を包容し、その徳化は光大である。坤の道はさても柔順と言うべきではないか。ひたすらに乾の道を受けついで、その時々に従って万物を作り成すのだから。

 

2020年頃から自分の中で心掛けていたというか、信念のようなものがあって、それは『全部自分が悪い』という考え方。いつでも呪文のようにその言葉を心で唱えていた。わたしにとってその言葉は至ってポジティブなもの。

 

『人の後に従うように心がければ、頼るべき主人を得て、陰たる者の常道にかなう。』という言葉は『全部自分が悪い』と通ずる。人の後に従うというのは、自分という存在を最底辺に置くこと。自分以外の者は自分より上にいる。それが陰たる者の常道。

 

そう心掛けていたとしても常に自分を最底辺に置くのは難しい。たまに我が出てしまう。だとしても、陰たる者としての自覚を持ち、我をおさえることを心がけるようにしていた。

 

2023年はわたしの中で「死の学びを終了」した年であった。陽(乾)が始まりなら陰(坤)は終わりである。陰たる者としての修行は順調に進み、全てを受け入れる感覚が起きたのが2023年。だから坤為地という結果がしっくりくる。坤は六爻全部が陰、全てが受け身。だが力強い。

 

陰の地位に在る者は、たとえわが身に美点があっても、それを含み隠して王者の命ずる仕事に従い、あえてその成功をおのれのものとしてはならない。これが天に対する地の道であり、夫に対する妻の道であり、君に対する臣の道である。つまり地の道というものは、成功をおのれのものとせず、天にかわってその終りを全うすることである。

 

天にかわってその「終わり」を全うした。陽(乾)が生なら陰(坤)は死。死を受け入れたから死の終わりを迎えた。

 

●2024年 水雷屯(すいらんちゅん)…水と雷

2022年は永遠(繰り返し)からの脱出の予感。2023年は死の終わり。2024年はまた始まる。

 

「死」との対決が終わることは、永遠(繰り返し)から逃れること。そしてまた事が始まる。また始まるのだから永遠は終わってないのだけれど、自分の中では区切りがついている。永遠であり永遠ではないことを両立させるには「区切る」ことが大切なのだ。

 

3.水雷屯の解説を引用。

屯は屯難、事のはじめに当たり困難多く行き悩むの意、草の芽がまさに地上に萌え出ようとする象形。時節が到来すれば大いに享通(こうつう)して安寧を得るであろうが、そのためには謹慎して貞正をとり保たねばならぬし、事を急いで軽率に前進しようと試みるのはよろしくない。

 

屯は事のはじめの困難を表す。事のはじめも謹慎して貞正をとり保たねばならぬのか。2023年に引き続き、受け身でいるのが良いようだ。

 

五爻(九五)が出たので、心は良い状態だろう。なんたって本来の夫たるべき人で陽剛の君主。しかし環境は悪い。確かに2024年始まったばかりなのに世間は波乱続きだ。

 

さて、物の生じはじめは必ず蒙である。

蒙とは蒙昧 おろかという意味であり、また物の幼稚な状態である。

 

「落ち着くのは2025年か?」とか言ったけど、始まったばかりなのだからそれは無いか、、、。このまま流れ通りでいけば次は4.蒙。事のはじめの困難の次は、幼稚な状態が現れるのかもしれない。

 

●夢の中で人類滅亡を知った2023年

ということで、2020年に見たこの夢を回収完了。「人類滅亡を知った」のは2023年でした。2017年からずっと夢の中にいるようだったので、やっとここからが本番なのだろう。『子の年(2020)真ん中にして前後10年が正念場』という日月神示の言葉が身に染みるね。1.乾が出るのはいつになるのか。

 

●お気に入りの言葉

さて、易においては、形而上なるものすなわち現象以前の目に見えぬ無形のままなる陰陽の変化を道と謂い、形而上すなわち現象面において把捉し得られる形象を器と謂い、さらに陰陽の変化に即しその変化を適宜に裁ちきって融通性を発揮させることを変と謂い、これを推し進めてその場その場の具体的な処理を講ずることを通と謂い、変通の結果を挙げて天下の人々の手のとどく処に置き実際の効果をおさめさせるようにすることを事業と謂うのである。

最後に気に入った言葉を紹介。「繋辞伝(けいじでん)」の上から引用。この言葉をわたしなりに分かり易くまとめるとこうなる。

 

道(陰陽の変化)

器(現象面を掴むもの)

変(変化を判断し処理すること)

通(処理を実行に移すこと)

事業(誰もがわかり利用すること)

 

これは宇宙のあるべき流れである。道(運命)があってそれを受け取る人間(器)がいる。思考(変)によって行動(通)をし、世界を完成させる(事業)。

 

初め(乾)と終わり(坤)は太極で重なっているのだから、この流れは不変であり可変である。宇宙とは円環でありそのど真ん中に太極である自分がいる。つまりわたしたちは、どの時代にいてもどの局面にいても、既に完成しているし未だ完成していない。それに気がつくかどうかが問題で、気がつかなくても実際問題が無い。