某個別指導塾の
学習支援カウンセラーをしている
ほほ美ちゃんです
受験シーズンですね
東京都立高校の推薦入試が
1月末に行われ
昨日は合格発表でした。
多くの受験生が
「先生!合格しました!」
「面接の練習ありがとうございました!!!」
と、笑顔で声をかけてくれました。
嬉しいですね
推薦で難しかった人たちも
まだまだ一般入試はこれからだから
大丈夫
私の中学受験の時なんかね、
推薦で落ちて、
3日後の一般入試まで
付け焼き刃で3日漬けで
慌てて一般入試用の対策始めて
試験前日に高熱出して
ベッドから落ちて
散々な状態で受けて
やっぱり不合格
そもそも、
この私が推薦で落ちるなんて
思ってもいなかったから
一般受験の勉強を
全くしてなかったんですよ
その1週間後に敗者復活戦の
一般B試験。
そこでようやく
滑り込み合格したんです
どうしても
私立中学目指してた訳ではないから
塾にも行ってないし、
他の中学の併願もなし。
第一志望一本。
こんな適当な受験生でも
合格できるんだから、
気負わず自分を信じてやってれば
何とかなるよって話
ちなみに
私の出身校の公文国際学園、
やっぱり当時はちょっと変わってて
推薦入試の基準がバケモノ。
小学生で英検2級レベルは当たり前。
数学、国語共に
公文式の全国進度上位者の
超上位に君臨し続けて
高校レベルの学力を
中学入学前に持っている人たち。
文武両道の成績表に
個性的なプロフィールを持参し、
将来の国際社会に幅広く貢献できる人材と
自分を売り込むことができる小学生たち。
イケると思ったんだけどなぁ。。。。
上には上がたくさんいたって話
いうても、
小学生までの学力は
自分の努力ではないから。
親の努力だから。
私は元国語教師であった母親の
自慢の作品。
2歳の頃から勉強漬けの生活で、
たくさん歩いたお陰で
体育の成績もトップクラス。
いつも母は私を見ては
「ほほはカモシカの脚だねぇ」
「ほほは最高の作品だねぇ」
みたいな事言って
自分を承認していた。
(当時はめちゃ身長高くて痩せてて
スタイル良かったんだよ私)
私は親の承認欲求を満たすピノキオ。
きっと、
私がそれに気付き始めたのが
小学校高学年。
母に隠れて
甘いものをたくさん食べ始めたのも
この頃。
今思えば、
「そのままのどんな自分でも
お母さんは愛してくれるよね?」
という、
1つの反抗期だった。
せっかく
「最高の作品」
だった私は
小学校高学年の頃は
少し太り始めて
勉強も運動もしなくなっていた。
ちょうどその頃、
母は湯灌代行業を立ち上げて
葬儀社との契約の獲得に奔走していたから
私のことに構ってる余裕はなくて。
「何が何でも
私の作品を全国トップクラスの
学校に入れる!!!」
「うちの子は
こんな田舎の中学に入って
普通の生活を送る子供じゃない!!!」
その意気込みはすごかった。
私の学費と寮費を稼ぐためだけに
1日中働いていた。
その時の私の将来の夢・・・
色々あった気もするけど、
将来のことあんまり考えてなかった。
建築家になりたいとか
科学者になりたいとか
作家になりたいとか
興味の対象がなんかバラバラで。
一番の夢
「普通の主婦になって
優しい旦那さんと一緒に子育てすること。」
とか母に言える雰囲気ではない。
これ、
高校の時に母に一度だけ話したら
それから数ヶ月
口聞いてくれなかったからね
本当の自分は
表に出すと傷つくんだって
心から思った。
私が自分の女性性を否定したきっかけはここ。
本当の私は
ピンクのレースが大好きで
薔薇の花畑が大好きで
キラキラ光るアクセサリーを
さりげなく着けて
ロングスカートにハーブティー
髪の毛はロングパーマで
好きな居場所は陽のあたる図書館。
歴史・哲学・古典・語学の書籍を
読むことが趣味で
お仕事は執筆や家庭教師。
ベルサイユやロンドンに
旅することに憧れる
極々普通の女の子。
その
「本当の自分」
は、
表に出たらいけないんだって、
長い間苦しんでた。
贅沢が好きなんじゃないの。
イヤリングは300円の安物でも
自分が好きなものを身につけていたいの。
今回、
高校受験生の学習支援カウンセラーの
お仕事のご縁を頂いたことで
本当の自分を徐々に思い出すことができた。
中学生と机を並べていることで
中学生の時の感情がどんどん蘇った。
気になる男の子に話しかけるだけで
ものすごい勇気を振り絞ったこととか
人の目が気になって
オシャレも恥ずかしいこととか
いつも一緒に帰る子が
他の子と帰るだけで
嫌われた感があったり
独占欲が芽生えたり。
そういう感情をどんどん思い出して
それを1つずつ肯定していった。
「ほほちゃん、
その感情はそのままでいいんだよ。」
って。
私は女の子でいていいんだよ。
ほほちゃんは可愛い女の子なんだから
もっと自分に自信持って。
本当の自分で生きていいんだよ。
自分で自分を承認していなかったから
私は人を心の底から承認することが出来なかった。
「甘えてんじゃね〜よ。」
と、人を見て思うことが多かった。
自分が自分に
甘えを許していなかったから。
同時に、
母と父に対する反抗期も
もうそろそろやめようと思った。
この前、
久しぶりに母を頼った。
「ごめん、
今月、バイト先のお給料が振込ミスで、
まだ支払われてなかったから、
お金貸して欲しい。」
って連絡したら、
「いいよ。」
って一言。
あ、いいんだ。
母に頼っていいんだ。
初めて母に対して安心した。
それを父にも同じこと言って
「いいよ。」
って言ってくれた。
ああ、
私は父母を困らせても
それでも認めて欲しくて
わざとお金に困るような
生活を自分で選択したんだな。
心の底から楽になった瞬間だった。
個別指導塾の教室では、
先生同士で色々世間話をする。
中高一貫校出身の人もいるし、
中学で英検2級レベルの人もいるし、
地方出身者もいるし、
そもそも有名大学の学生が多い。
語学の本を常に読んでいたり、
論文を書くことが日常だったり、
ああ、
これ、普通なんだ、、、
私の本当の自分の生活は
普通の生活で良かったんだ。
私、
読書が趣味でいいんだ。
文学作品を好きでいいんだ。
私、普通でいいんだ。
本当の自分に近い生活を
普通にしている先生たちに囲まれて
私はどんどん本来の自分を思い出した。
正直、
最初は羨ましかったの。
私が諦めた生活を送っている先生たちが。
でもね、
羨ましいってことは
私はそれをしたいってこと。
したいことが
本当の自分のしたいことでしょ?
したいならすればいいんだよ。
憧れるなら
自分が実践すれば良い。
それだけのことでしょ?
母のところで
本当の自分で生きられないからって
家出した私。
一時期は
ホームレスと一緒になって
働いて生活していた。
その時に思ったのが
「今日食べるものを手に入れるのに
人間性を捨てる必要がある世界が普通なんだ。
今までの私は甘ったれだったんだ!」
ということ。
「あなたは頭空っぽのバカ女よ。
あなたの教養とやらは
社会で全く通用しないのよ!!!」
と、怒鳴られて、
過去の自分を全否定した。
でもさ、
塾の先生だったら
教養で食べていけるじゃん
そういう世界もあるんだよ。
社会に出るってことは
巧みな話術で売り上げを上げて
専門的な技術を体力を駆使して
時間で切り売りするってことではない。
自分の経験と能力が
そのまま誰かの役に立つ世界もある。
なんだ、
私、私のままでいいんだ・・・
女性性を肯定した私は
タンスの中に眠っていた
レース付きスカートを引っ張り出した。
「こっちが本当の私でしょ?」
泥だらけのズボンで
男の人に負けじと走り回って
洗濯機や冷蔵庫を担いで
階段を駆け上がっていた日々も
それはそれで私。
でもね、
元々の私の姿は
教養高い深窓のご令嬢。
元国語教師の母に
大切に育てられた
美しいご令嬢なわけなんです。
愛読書は
源氏物語に秘密の花園、
遠藤周作に太宰治に有吉佐和子。
哲学と文学をこよなく愛し
作家と家庭教師の仕事で
家族を支える良妻賢母。
これが本当の私であり、
なりたい自分。
家族のための医師であり薬剤師であり、
食べるものはオーガニックオンリー。
身に着けるものは綿か麻。
これが好きだから。
本当の自分がそういう生活をしたいから。
満たされない日々を
スナック菓子やバイキングで
埋めようとした日々も
それはそれであり。
人生はトライ&エラーの繰り返しだよ。
だから楽しいんじゃない
私にとって介護の仕事は
私の人生の課題
コミュニケーション能力を高めるための布石。
また、
自分の小説やルポ記事を
書くための材料となる経験。
本当の自分は
作家で教師だからねぇ・・・
色々な経験をしてこそなれる職業ですからね
今回、
色々な人の影響と支えがあって
私は本当の自分を思い出して
自分を肯定して
堂々と表に出すことができるようになった。
もし、
今本当の自分で生きていない人がいたら、
まずは自分の身の回りで
「羨ましいな」
「憧れるな」
という人を見つけるといいかもしれない。
人を羨んだり憧れたりするのは
本当の自分で生きていない証。
その憧れの相手が
本来の自分に近い可能性がある。
その対象があったら
「じゃあ、
どうやったら自分がそうなれるのか。」
を考えてみる。
同時に、
「何のためにそうなりたいのか。」
「何のために
そうでない生活を送っていたのか。」
も考えてみる。
全てが今世における
自分の課題を探す道しるべだから。
何のために?
何のために?
自分はどうしたい?
自分は何がしたい?
この質問をストイックに繰り返して
自分の選択にしたがって生きる。
すると、
少しずつ自分に自信が付いてくる。
これが、
自分を大切にするプロセス。
自分を大切にすることは
目の前の人を大切にすることに繋がる。
自分を否定するということは
目の前の人の感情も存在も
否定するということだから。
あなたは本当の自分で生きていんだよ
花野ほほ美でした
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