一本足の父と暮らしている私
  • 26Jul
    • 面談

       先日、今回の入院2回目の、主治医との面談があった。 入院生活一月を過ぎた頃に見られた発熱は、右肺奥の誤嚥性肺炎との事で、直ぐに点滴による抗生剤の投与が始まり、翌日からは平熱に戻ったとの事である。 入院していると、こんな風に即座に適切な医療が受けられる。 これは本当に良い事だ。 もしこれが、在宅中の発熱であったなら、その日、父は介護サービスを受けることが出来ない。 新型コロナウィルスに対する感染予防の一環で、現在発熱症状のある利用者は介護サービスの利用が出来ない事になっている。 そうなると家族は、一日中自身で介護提供する羽目になり、自分の事は何もできなくなってしまう。 コロナの影響は、こんなところにも大きくのしかかってきている。 本当にいつまで続くんだろう。 早く収束して、いつかは終息して欲しいと切に願う。 主治医の話によると、父はほぼ毎回順調に食事して、処方調整の効果もあり、朝の覚醒状態も良好と聞く。 夜間もほぼ毎日よく眠り、リハビリ時の協力動作も見られるとか。 もう、何なんだ。 食べなくなった時には、心底心配して、胃瘻について思い悩んだというのに。 でも良かった。 また退院したら以前の様に一緒に暮らせる。 誤嚥性肺炎には細心の注意を払わなければならないけど。 そこで私は、依然実施してもらった嚥下状態の検査をもう一度して欲しいと主治医に依頼した。 前回の検査では、確実に誤嚥が起こっており、あの状態では夜間に唾液を誤嚥して、肺炎を起こすという事を繰り返しても仕方がないと思う。 しかし今、もし、嚥下機能に何らかの改善が見られていたら、誤嚥性肺炎のリスクは確実に減る。 処方調整が上手くいって、覚醒状態が良く、且つ、認知症の周辺症状、問題行動が適度に抑制されている今、嚥下機能の検査をしない訳にはいかない! 主治医も再検査の意義に理解を示し、検査日時の調整を行ってもらう事となった。 理想は嚥下検査をして、嚥下機能の改善を確認してからの退院だけど、それがなかなかそういう訳にも行かず。 今回の入院は最長2カ月までという決まりなので、退院の日程の方が先に決まってしまった。 入院中に嚥下検査が出来なかった場合は、外来での嚥下検査という事に。 仕方ない。 でも、皆、こんな風に大切な人の事を想ってる。 本当は自分自身でお世話してあげたいと思ってる。 でもいろんな事情でそれが出来ない時、やむを得ず、施設という選択肢を選ぶんだ。 私は創るぞ! 家族のそんな想いを大切に出来る施設。 自由があって、快適で、至れり尽くせりな施設。 終の棲家、華桔梗。 それはそんな遠い未来の話じゃない。 もうすぐだ。 もうあと少しで形が見える。 頑張ろう。 今度こそ、父には間に合いますように!

  • 19Jul
    • 事故

       その電話は休日の朝早くにかかってきた。 まだゆっくりしていたい時間だったけれど、父が入院している病院からの電話だったので、私は瞬時に気が引き締まった。 父が車椅子から転落し、頭部を強打したという。 病院で、急遽CT検査が行われ、新しく脳内の出血が2カ所みられるとの事であった。 電話で看護師は謝罪し、主治医からも詳しい説明が出来るが、電話か面談か、希望を聞かれた。 面談ならばCTの画像も見られるし、父本人にも会えるというので、私はその日予定をキャンセルして、急ぎ病院に向かった。 病室で父は、ベッド上で食事介助を受けていた。 ルート確保もしてある。 普段は車椅子でホールにて食事介助を受ける父だが、転落による頭部強打の為、面会時はまだ安静指示が出ていたのだろう。 父は私の心配をよそに、けろりとした表情で、私を見ていた。 話しかけ、手を握り、父の瞳を見つめる。 大丈夫、今のところ大きな変化はない。 ほっと一安心してから、転倒の状況説明と診察の結果を聞いた。 車椅子に座っていた父が、身を乗り出した時、バランスを崩して車椅子から転落し、床で頭部を打ったとの事であった。 バランスを崩す。 そう、父には左足が無い。 左手も麻痺していて、瞬時に適格に動かすことが出来ない。 だから父が身を乗り出せば、左にふらついた時、踏ん張る足も、支える腕もない訳だから、当然転落するのである。 病院側の失敗は、車椅子に座らせた父を、テーブルに着かせていなかったという事。 テーブルに着かせていれば、父は立ち上がろうとはしないし(立てないけど)、身を乗り出そうともしない。 テーブルが見えているから、動きたい欲求があった時、まずテーブルを叩くなどのアクションを起こす。 今回の転落は、その防御となるはずのテーブルがないところで、車椅子の父が一人になる瞬間があってしまったことが原因。 休日だというのに、わざわざ病院に駆けつけての主治医の懇切丁寧な説明と、担当看護師からの謝罪を受け、私には病院を責める気など微塵もない。 病院側に確かに過失はあったと思うけれど、誰も故意に起こした事ではない。 それにお世話になっておれば、そういう事もあるものです。 残念だったのは、転倒事故を受けて、抑制帯の使用許可の申し出があった事。 いや、許可しましたよ。 また、転落して頭部強打して欲しくなかったので。 でもね、抑制帯、それ自体が人権を無視しているようで、私は本当に嫌いです。 認知症の人を、世間では要介護者とか、要支援者とか、何か支援する側の自分達との対極にある人の様に表現するけれど、認知症の人も、自分と同じだよ。 私はそう思います。 雑に扱われたら、当然起こるし、優しくされたら嬉しいよ。 自分のしたい事を抑制されたらイライラするし、ごまかされても腹が立つ。 縛ったり、策をしたり、取り上げたりしなくても、きっとあるよ、安全な方法が。 個別性を大事にして、きちんと向き合って対話すれば、見えてくるんじゃないかな。その方法。 私はそう思います。

  • 12Jul
    • 判断

       先日、入院後一週間というところで父に面会した。 食事をする広間に車椅子の父を見つけ、声をかけた。父は私を見て、名前は出てこなかったけど、私が私であるとわかっている様子だった。良かった。一度安堵したものの、しかし父の瞳には、自宅に居る時の輝きがない。やはり少し環境の変化に戸惑っているのかな。入院から2週間たったところで、主治医からの状態説明があり、そこで父が入院後はこれまで通り口から食事して、ほぼほぼ全量食べることが出来ていると聞いた。血液検査や脳のCT検査などを経て、主治医は入院前の食べないという父の現象が、もしかしたらコロナワクチンのせいだったかもしれないと語った。ワクチン接種が抗生剤を内服中という、完全に体調を整えた上での接種ではなかったことも、要因であったのではないかとも話した。なるほど。確かに父の食べられないという現象は、コロナワクチン接種翌日の事だ。そして主治医は飲み込み検査の結果についても説明した。約1年前と比較して、父はやはり飲み込む時の誤嚥が起こっていた。造影検査の画像には気管に流れ込む様子がはっきりと映っていた。けど幸いにも父にはまだ吐き出す力が残っており、気管に流れ込んだ瞬間に勢いよく咳き込んでいるとの事であった。ならばここからは主治医の見解を聞きながら、今後どうするかを決めていかねばならない。それが私の役目。まず、時間は多少かかってはいるが、食べることが出来ている現状で、今すぐ胃瘻が必要という訳ではない。しかしながら、一年前に比べて誤嚥は起こしているとなれば、それが認知機能の低下によるものなのか、それとも処方によるものなのかを見極める必要がある。このところ、父が夜間咳き込むことが多いのは、明らかに唾液を誤嚥しているからであり、2回の誤嚥性肺炎もそれが原因だったかもしれない訳だ。だからこそ、何もしないまま退院することは出来ない。まずは処方調整を行って頂き、覚醒を抑制する薬を減量しても、誤嚥が減少しないかという事を検証する必要がある。また更に、今胃瘻造設をしなくても、後に行う事が出来るのかについても主治医に確認しておく必要がある。いよいよ胃瘻が必要になった時、もう造る事が出来ませんと言われてしまっては悲しいからだ。今造っておいて、使わないという選択肢もある訳で。それから胃瘻造設した場合、使用中の対策も必要。父は重度の認知症故に、胃瘻だろうが何だろうが、不快であれば抜去する。胃瘻から流動食を流している間、ミトンという抑制帯を使って、父の右腕の動きを抑制するか、あるいは、ずっと見守りながら手をつないでおく等の対策が必要だろう。家族としては後者を選びたい。現時点では、取りあえず2回目のコロナワクチン接種を無事終えてから、処方調整をもう一度試みて、それから胃瘻造設についてもう一度考えることにしよう。もう少し傍に居られる。良かったぁ。

  • 05Jul
    • 余談

       以前何となく見ていたテレビ番組で、マツコ・デラックス氏が、自分はテレビによく出るようになってから、ずっと彼氏を作っていないと、話されていた。 つまり仕事の成功と引き換えに個人的な幸せを諦めたという事だろう。 突然だけど、今日はこの考え方について話したい。 完全なる余談であるけれど。 人は弱い生き物だから、何か不幸があった時、自分の行いに関連付けて考える傾向がある。 こんなことになるなんて、私が一体何をした?ってやつだ。 とある心理学者は、不幸は目に見えるけれど、幸福は目に見えないと話していたっけ。 そう、本当にその通り。 だから人はいつも無くした時に気づくのだ。 私はこれまで、自分の身に起きた事を、自分のしている事に関連付けて考えていた。 母が亡くなり、本を書いた。 父が倒れてブログを書いている。 そしてそれら全てが、運命とか定めとか、こうなるような筋書きだったのだというように考えていた。 しかし最近、弊社の従業員にコロナの濃厚接触者が出て、それまでの考え方が間違っていたと、感じるようになった。 私が思うに、自分の人生が、どんな人生であるかは、何も決まっていないのだ。 人生における様々なアクシデントは、確かに自分で起こしたことではないけれど、きっと神様は、アクシデントを起こすまでが仕事で、その先どうなるかまでは決めていない。 人に試練を与え、それに対してどういう行動を取るかを見ているだけに過ぎないのだ。 大きな自然災害や、原発事故、教師による生徒への性暴力や人間による地球破壊、様々な出来事がある中で、それをどのように受け止め、どのように考えて行動するか、それを見ているのだと思う。 私個人の話をすれば、満70歳でこの世を去る母は、あまりにも早すぎだと思うし、父が脳出血で倒れて、一本足、重度の認知症になる事は、不幸極まりないと正直感じる。 しかし、その不幸を、ただ不幸だと感じて嘆き悲しむだけの日々を過ごすという道も、私にはあったように思う。 でも私は、母を早くに亡くした悲しみを書くということで気持ちを整理し、自分の様に大切な人を快適にお世話したいと思う人の為に、会社を作った。 父が倒れて、大変な介護が必要になった時も、事業者でありながら、同時に利用者家族の立場も理解できると、前向きにとらえた。 結局は自分の人生を、どんな人生にするかは、自分次第という事だ。 これまで、諦めていた事があった。 自分に与えられた人生は、ここまでだと、思い込んでいた。 だけどそうじゃない。 限界を決めるのは自分。 挑戦する前から諦めるなんて私らしくない。 これからも様々な災難は幾度となく降りかかってくるだろう。 でも大丈夫。 私は戦う。 自分が求めるものを手に入れる為に。 そしてそれによって、より多くの人が幸せになれる様に。 気付くって、実はとても重要な事。 気付かせてくれた人に心から感謝したいと思う。 

  • 28Jun
    • 葛藤

       父が薬すら飲めなくなった時、私の脳裏に浮かぶものはM(マーゲン)チューブだった。 Mチューブとは、経鼻管栄養時に使用する管の事で、鼻から挿入し、胃にまで届かせて固定しているものである。 固定といっても鼻先と頬の辺りにテープで固定するだけであるから、抜こうと思えば簡単に抜けてしまう。 しかし、父が全く食事をしない時、どうやって薬を飲ませようと思考すれば、看護師経験上即座に浮かんでしまうのだ。 こんな時経鼻管があれば、白湯で溶いた内服薬を注射器で簡単に胃まで届けられるのに。 舌を通過しないから苦みを感じる事もないし、一石二鳥なんだけどな。 けど、この人(父)、絶対速攻抜いちゃうよね。 そして似たようなもので本人抜去できないものとなれば、胃瘻でございます。 以前私は胃瘻はしないと決めていた。 そう、孫の顔もわからない、私の名前も出てこないのに、食べられないからと言って胃瘻なんてと、私は考えていた。 けど・・・ 実際に飲み込みが出来なくなった父を見て、私の葛藤は更に大きく深くなってしまった。 父は飲み込み出来ないというのに、その時手でつまんだお肉を口に運び、咀嚼していた。 咀嚼しても咀嚼しても、一向に飲み込めず、結局は口に含んだまま溜め込み、しゃべった時に口からこぼしてしまう為、例え口に含んだとしても、体内に取り込むことは出来ないというのに。 90分間、あの手この手で試行錯誤しても、結局何一つ食べることが出来ず、薬も飲めず、諦めて父の歯磨きをしていた時の事、父のお腹かぐ―と鳴った。 その瞬間、私は急に悲しくなって、涙が止まらなかった。 父は食べたいと思っているのだ。 お腹がすいている、食べたいのに飲み込めない、何とかしてくれと、自ら伝えることが出来ないだけ。 悲しかった。 悲しい程に哀れだった。 あぁ、こうして人は胃瘻という選択肢を選んでいくのだな、そう感じた。 それでもまだ、素直に即座に胃瘻造設という訳にはいかなかった。 以前にも前述したように、父が胃瘻造設すれば、誤嚥性肺炎のリスクは減り、内服薬の体内取り込みも確実になる。 つまり父にとって延命になる訳だ。 何一つ自分では出来なくて、日常生活の全てに人の手を借りなければならない父が、胃瘻造設して延命して良いのか? その日々の重介護をいったい誰が担うのか? 許されるのか? 命は誰のもの? 私の中で様々な思いが駆け巡り、私は悩みの渦中に身を沈めた。 入院先の連携室相談員さん、一緒に泣いてくれてありがとう。 貴方ならどうしますか?その問いに即座に胃瘻造設と答えてくれた。 自分のエゴかも知れないけれどと。 一緒に居たい、離れたくないから胃瘻造設してでも延命する、それが家族の気持ちだろう。 だけど私は複雑です。 父の介護は毎日本当に大変で、週末は必ずショート利用。 そんな父を延命させて良いのでしょうか? だけど命は誰のもの? 命の終わりを決めるのは誰? 父のようなケース、貴方ならどうしますか?

  • 21Jun
    • 理由

       父を入院させた訳。 それは、飲み込みが出来なくなったからである。 ショートステイの受け入れ拒否を受けて、今後の安定した在宅介護の為に、入院して処方調整を行った父であったが、退院後、自宅での日常生活の中では覚醒が良くなっていた。 しかし、誤嚥性肺炎で発熱してからは、退院直後のような覚醒状態に戻る事はなく、傾眠傾向が強くなり、食事に時間がかかるようになっていた。 とろみをつけた水分を飲み込み辛くなったことが始まりで、その後にまた2度目の肺炎熱発。 内服の抗生剤ですぐに熱は下がるのだが、発熱ごとに脳の覚醒状態は悪くなっていった。 水分だけでなく、軟飯軟菜の食事まで、なかなか飲み込まなくなり、食事に恐ろしく時間がかかるようになった。 それも初めは、時間がかかっても全量摂取出来ていたのに、次第に食べきる量が減少し、ついには口を開かない、無理やり入れても口の中で溜め込み、いつまでたっても飲み込まないといった状態で、私がこれは入院せざるを得ないと感じた瞬間は、朝食時に僅か少量の食事しか口にできず、その日の夕食でも全く食べることが出来なかった時である。 言っておくが、この時父が眠っている訳ではないという事を強く主張しておく。 眠っていないのに、食べられない。 どういうことか、わかります? 少し前、傾眠傾向が強すぎて食事が出来ない時というのは、声を掛けたり、身体をトントンと刺激したりすることで、父を覚醒させ、食事することが出来ていた。 しかし、起きているのに飲み込めないという状況は、飲み込むという生理的反射的機能を失ってしまったかのようであった。 その方法を忘れてしまったかのよう。 父の食事スイッチを入れる為に、いつもしている声掛け、エプロン装着、箸を持たせるといった行為を、普段通りにやっていたし、リセットさせる為に、一旦全て外して、車椅子移動して、もう一度食事テーブルに着くところからやり直してみてもダメだった。 その日は1度目のコロナワクチンの接種を終えた翌日の事で週の半ば。 1度や2度食事を抜いたからと言って、それがすぐさま命に直結するものではない。 しかし父の場合、週末にはまたショートステイが控えており、私の手を離れることが確定している。 新しいショートステイのスタッフさんも家族支援という視点のもと、自宅での家族介護方法等いろいろ聞いてくれるし、利用中の様子など報告もしてくれる。 だけど、スムーズに介護提供が進まなかった時の些細な判断ミスで、また誤嚥性肺炎を起こしたら? 熱が出て、抗生剤で仮にすぐ解熱したとしても、また何かしら熱による脳へのダメージが起こったら? 何より、飲み込みが出来なくなった父に、いったいどうやって大切な内服薬を体内に届けるというのだ? それを想うと、一刻の猶予もなく入院させるしかないという私の決断に、一縷の迷いもなかった。 入院により、父に本来必要な介護提供量は減少してしまうけど、そんなことを言っていられない現状だと即座に決断した1日だった。 

  • 14Jun
    • 接種

       結論から伝えよう。 インド変異株による感染拡大が危惧される中、新型コロナウィルスワクチン接種の予約日当日、父は無事ワクチン接種を受けることが出来た。 まずはこれに安堵である。 しかしそれもそのはず、予定通りにワクチンを接種するというミッションを成功させる為に、私は予防的に抗生剤の延長投与を希望していたのである。 前回誤嚥性肺炎による熱発で処方された抗生剤は、一週間分。 飲み終えた時、ワクチン接種までまだ一週間あったし、週末のショートステイも控えていた。 このまま何もしなければ、父がまた発熱してワクチン接種できなくなることは容易に想像できた。 三回目となると入院が免れないかも知れない。 入院患者と外来患者ではワクチンの予約枠が違うらしく、せっかく取った予約が白紙になってしまう。 故に、何としても熱のない状態でワクチン接種の日を迎える必要があった。 主治医も抗生剤を内服中であっても、全身状態が落ち着いておれば、ワクチン接種は可能と判断していたので、私は抗生剤の延長を希望したのである。 結果、当日のワクチン接種担当医は、普通は抗生剤内服中であれば接種はしないものだと話したが、電話で父の主治医と話した後、ワクチン接種に踏み切った。 ワクチン接種を担当した医師には本当に気の毒な事だと思う。 このような状態の父にワクチン接種をするのは正直不安であったに違いない。 15分の待機時間を30分に延長し、そして接種を担当した医師自らも、その30分間、父の近くを漂うように歩き、時折、父の脈を取っていた。 医師という仕事は、その国家資格と、知識と技術だけでは務まらない。 そこには誠実さと多大なる責任が伴うものである。 しかしながら、この世界で仕事していると、嫌でも沢山の非人道的な医師に出会ってしまう。 いったいどれくらいの比率だろうか。 全医師中の本物の医師。 私はこの世界で仕事していて常日頃から思う事がある。 それは常に心が大事という事。 医療や介護において、一生懸命やれば必ず結果が伴うというものではない。 癌によって亡くなる人は後を絶たないし、認知症を完全に治癒させた人もいない。 必ずしも結果が伴う世界ではない以上、どんな事が起こっても、常にその時々で、最善の策を取ったか、真摯に向き合う事が出来たか、誠実な対応が出来たか、それが大事だ。 誠実。 優しい愛情。 桔梗の花の花言葉である。 失敗から逃げてはならない、言い訳をしない。 どんな人に出会っても、ありのままを受け入れよう、心に愛を! それが我が華桔梗の合言葉である。 この世界には、嫌、この世界だからこそ、あんまり利益を重視しない馬鹿な企業があってもいい。 スタッフの生活を守る事も私の使命であるから、ボランティアは出来ないけれど、それでも出来るだけの事はして、利用者やその家族が安心して暮らしていけるような支援がしたい。 利用者サイドと事業者サイド。 どちらもわかる私だからこそ出来る事。 今日もその信念を胸にデスクに向かう。 無事にワクチン接種できたというのに、誤嚥性肺炎を抑制し、熱発もしていないというのに、それでも父は入院した。 次回はその事についてお伝えしたい。

  • 07Jun
    • 今年

       今月父は78歳の誕生日を迎える。 あれから3年。 早いものだ。 父の人生において大事件ともいえる独居での脳出血。 三日三晩自宅トイレで倒れていたのに、命があっただけでも本当に奇跡だ。 あの日からちょうど3年になるのか。 その年はそれ以後ずっと入院生活で、左足を切断したり、幻覚幻聴が始まったりで大変だった。 年を明けてから、一本足となった父との同居が始まった訳だが、この年もてんかん発作が度々起こって、入退院を繰り返す生活。 そして昨年は誤嚥性肺炎による年始一カ月の入院後、体調を崩すこともなくコロナ禍の介護生活を平熱で過ごし通すことが出来た。 令和3年、まさかのショートスティ受け入れ拒否事件はあったが、今は別の事業所でお世話になっている。 平日はデイサービスを利用し、週末はショートスティを利用する父の生活は、2年前と何ら変わっていない。 しかし、悲しいかな、父の状態はやはり少しずつ悪くなる。 入院して認知症状をコントロールする為の処方調整を行っても、病院と自宅では生活環境がまるで違うので、入院中整ったとして退院しても、自宅での生活では覚醒状態が良くなりすぎて声が出る。 しかし日によって覚醒状態にも波があり、悪い時には食事中の誤嚥が起こる。 今年一年は、父の覚醒状態と誤嚥との戦いになりそうだ。 処方調整の入院後、自宅生活の中で、まだ2カ月にもならないというのに、父は既に誤嚥性肺炎での発熱を2回起こしている。 幸い入院は免れ、抗生剤の内服処方のみで熱を抑えることは出来ているが、注目すべきはその発熱ごとに父の脳機能が失われていく事だ。 日中の傾眠傾向は増え、食事中の閉眼、噎せ込みも増えている。 そして何より心配なのが、就寝時である。 ベッド上で寝かせた時、父はとても咳をするようになった。 誤嚥性肺炎が完治していないからかも知れないが、もしかしたら自分の唾液を誤嚥しているのかもしれない。 以前は夜間も咳をすることなく、深い眠りを続けていた父だが、ここ連日は夜間いつも咳をしている。 深い眠りにつくのは口の中がしっかり乾いた朝方になっての事。 その頃はもう咳をする事もなく、大きな鼾をかいてぐっすり眠っているのだ。 こうなってくると、就寝前の歯磨きを更にしっかりやらねばならないし、飲み込みの検査もしてもらった方が良いだろう。 世間がコロナワクチンで騒いでいるこの時期に、父は予約したコロナワクチンを予定通り打てないかも知れない。 肺炎による熱発のせいで。 無事にワクチン接種する為に入院希望も出したが、慣れた病棟が満室では、返ってリスクが高くなる。 結局自宅で抱えながら抗生剤のみで対処しているが、ワクチン接種には大きな不安がある。 肺炎が燻ぶっている状態でワクチン接種して本当に大丈夫だろうか? 健康な人でも脳出血を起こして亡くなった事例がある。 父はリスク絶大です。(T⁼T) 次週にはさあどうなったかをお話ししよう。 コロナワクチン、無事に打てますように!

  • 31May
    • 排泄

       父には今はもう、便意尿意すら訴えることはない。 一本足になって、脳出血による前頭葉破壊に伴う認知症であっても、依然はまだ尿意も便意も訴えることが出来ていた。 でもそれは随分初期の頃の話である。 身体機能を維持することの方が、認知機能を維持するよりもはるかに簡単だ。 父の身体機能は平成30年6月の脳出血以後、左足を切断して車椅子生活となった当初から、殆ど状態が変化していない。 それに比べて認知機能は、入院する毎にいつも何かを喪失していった。 出来ていた事が出来なくなって退院する。 医療を受けると自宅同様の介護提供が困難な為、どうしてもこうなってしまう。 だからこそ、私は毎日細やかに気を配り、父の体調が安定するように努めてきた。 以前の父は尿意を訴える時、ちゃんと言葉で伝えることが出来ていた。 自宅に居る時、私一人でのトイレ介助が大変だったけど、父の協力と自分の介護力だけで父をトイレに移乗させていたっけ。 あの頃が懐かしい。 今はもう父が以前の様に尿意を訴えることはなく、いつも知らぬ間に尿取りパットに沢山出ている。 だから今、父を排尿の為にトイレ移乗させることは無くなった。 便意はどうか。 父は以前、便意も上手く伝えることが出来ていた。 トイレに行きたいのだと私に訴えていたっけ。 つまりその頃は、自分が感じている事が便意だと理解でき、その為にトイレに行く必要がある事が理解でき、選択する言葉も発する言葉もトイレと伝えることが出来ていたのだ。 これが出来なくなると、どうなるか。 父は便意を感じると、そわそわし始めるようになった。 食事中でも、車椅子上でも、いつ何時であろうと、便意を感じたならとにかくソワソワする。 車椅子から身体を前に乗り出してみたり、言葉にならない声を発してみたり。 その時の父は、自分が感じている事が、便意だとわかっているのかわからないのかは定かでないが、トイレだとか便意だとか、少なくともその言葉を使うことは出来なくなっている。 しかしこれも少し前の状態で、今の父はそわそわすることもなく、知らぬ間にオムツ内に排便し、周囲が気付かないでいると、不快だからだろうと思うが、手を入れて便を触ってしまうし、その手で周囲を汚してしまう。 父が排便する度にその様な問題行為をされたなら、介護する方もたまったものではない。 だからその場合の対策として、排便をコントロールするという手法を取る。 施設では安易に抑制する(手を縛る等)ことも昔は行われていたが、本人がしたい事を抑制すると大声を出して抵抗する。 当然だけど。 だからこの場合、抑制するのではなく、排便の方をコントロールして、毎日決まった時間に排便するよう仕向けたり、それでも排便できない時はトイレに行って、排便誘発を試みる。 ま、最後は敵便なんですけど。 肛門刺激程度で出せるのが理想なんですけどね。 そうやって、こんな父とも一緒に暮らしているという訳です。

  • 24May
    • 食事

       父は毎日3食食べる。 朝は8時の朝食、昼は12時の昼食、夜は18時30分の夕食である。 朝食と夕食の後には、認知症状をコントロールする為の重要な内服薬があり、定時の内服が大切なので、いつも食事の時間にも気を付けている。 とは言っても、週末利用するショートでは夕食は18時だし、食事介助をする人によっては食事の所要時間も変わってしまう。 だから寸分違わぬ様にという訳にはいかないのが現実である。 食事の時は、父に、「ご飯食べようか」と声をかけ、手洗い、テーブルへの移動から始まり、お食事エプロンを装着。そして食事を父の前へ運ぶのである。 重要なのは、この時、「はい!お箸!」と言って、父にお箸を持たす事。 処方調節の為、2ヵ月程入院した時、もうお箸を持たせても握るように持ってしまうと言われていた。 お箸でつまんで口まで運ぶことは出来ないと言われていた。 でもしかし、私は諦めなかったのだ。 入院前には出来ていた事。 入院してすぐに誤嚥性肺炎になって、一時食事がストップしていた事、その後食事が再開しても、お箸を使えなくなっていた事、全て聞いていたし理解していた。 それでも私は毎食時、必ず父に箸を持たせた。 握るように持つと聞いていたが、箸を握った父に、「持ち方違うよ」と言いながら、正しく持たせた。 すると、そんなに根気がいる程の事もなく、父はあっさり箸の持ち方を数日で再習得したのである。 それだけではない。 調子が良い時は箸でつまんで口まで運ぶことも数回出来た。 これは、失ってからでも日が浅ければ取り戻すことが出来るという事を私が実感した事例である。 父の場合、毎日こんなふうに調子が良い時ばかりではなく、日によってはコンディション最悪な日もあって、そんな時は、閉眼して天を仰ぐように固まっている。 呼びかけに返事はするけど、持たせた箸も全く動かさない。 眠っているというよりは半覚醒状態というべきか。 そういう時、眠っているからと言って食事を遅らせてはいけないのである。 そんなことをしたら、食事の時間、内服の時間、睡眠の時間、全てがずれ込んでしまう。 そもそも、食事の時間は寝る時間ではないし、寝るなら夜しっかり眠るべきである。 だからただひたすら起こすべし! まず温かいと気持ちよく眠ってしまうから、少しくらい寒い方が良い。 ひざ掛けは没収です! そして大きな声で呼びかける。 誤嚥予防の為には、頚椎の伸展位も危険なので、取り上げた膝かけを丸めて、後頭部へ挿入。 鼻の傍に匂いのきつい食事を運んで嗅がせてみたり、温かいお茶などを肌で感じさせたりしながら、食事の時間であることを父に伝える。 そうして食事を唇にあてると、閉眼したままでも口を開けて咀嚼を始めるのである。 言っておくが、勿論お茶などの水分にはとろみをつけて提供している。 食事も大きなものは一口大にしているし、咀嚼と嚥下(飲み込み)のタイミングもよくよく観察して、次の食事を運ぶ際の目安にしている。 本当に世話の焼ける父なのです。笑 

  • 17May
    • 心の叫び

       その人に出会った時、もう既に立てなくなっていた。 余命宣告も、半年と医師から告げられていた。 わかっている。 手の施しようがないから、いつかは尽きる命だということは。 だけど、その命尽きる瞬間までの道のりには幾通りものプロセスがあったように思う。 出会った時に、即日区分変更が必要な状況って、どうなんだろう? 出会ってから、2週間も経たぬうちに旅立たれた。 ご本人様は、自ら病院へ電話していた。 この辛い状況を何とかして欲しいと、SOSを発信していた。 家族が介護しても動かすことも出来なくなって、お風呂に入りたいからと、初めて出会った訳だけど、私は家族に早急なる医療の必要性を進言した。 家族も病院に連絡したのだ。 でも、来ても何もする事がないってどういう事? コロナ患者の治療で人手不足で大変だから? ジタクデシネトイウコトデスカ? 死が迫ってくる恐怖を感じていたかはわからない。 そこまで理解できていなかったかも知れない。 けど、ただ、怖かったんだと思う。 不安だったんだと思う。 自分の身体に起こる異変が。 いろんなことが急速に出来なくなっていく状況が。 夜一人で居るのが不安だと話していた。 包括は亡くなる2カ月以上前に基本情報をまとめている。 でも何故それからこちらに繋がるまでに2カ月かかります? 家族も本人も、窓口に駆け込んだのに、なかなか状況が好転しない事にやきもきしていたに違いない。 その人を見れば、支援認定か、介護認定か、ある程度予測は出来る。 病状について、今ある情報を得ていたなら、何らかの支援を急ぐ必要がある事は容易に予測出来たじゃないか。 何故? 何故? 何故? 何故にその人はこんなにも早く旅立たねばならなかったのですか? 例え半年の命であっても、その半年間、十分な医療と、快適な生活が得られておれば、本人も、家族も、随分満たされた気持ちでその日を迎えられただろう。  わかって欲しい。 気付いて欲しい。  私はここに居ます! 困っているなら、問題が解決しないなら、どうぞ頼って連絡を入れてください。 貴方がいるその場所が、例え病院であったとしても、退院が決まって、自宅での生活に不安があるなら、受話器を取って、私に連絡して。 まず出会おう。 それから相談しよう。 貴方の知らない事、私で分かる事、いろいろ沢山教えてあげられる。 知らないという事は不利益。 知った上で選択しない事は個性。  初見から、明らかに介護認定とわかる人に対して、包括が代行申請する意味ある? 私達は、利用者や家族の利益を重視して、暫定ブランで生活の問題を早期に解決しようと策を練る。 3年前から、病院へ理解を求めても、包括に連絡する決まりだからと、余命宣告されている人であっても申請は包括。 包括が担当できるのは支援認定の人だけだから、代行申請した人と担当するケアマネは変更になる。 そこに明らかなる時間のロスがあるのに、何故にこんなシステムになっているの? 答えは簡単。 そこに人間故の私利私欲が渦巻いているからだよ。

  • 10May
    • 口腔

       以前、ケアマネの研修で歯科衛生士から認知症患者の口腔清潔という内容の講義を受けた事がある。 その時の歯科衛生士も言っていた。認知症の方の食事の後は、口腔内が想像以上に汚れていると。 そう、そう、そう、そうなのです! 認知症の人でも普通に会話できる人もいるし、父も、言葉自体は発するし、その発音は至ってまとも。認知症故に、意味不明な返答が殆どではあるが、例えば、舌の動きが悪くて発音が不明瞭という事はない。 なのにである。 父が一度食事をすると、食後にどれだけお茶を飲ませても、その後の口腔内は、食物残渣物で溢れている。 上の歯茎と唇の間とか、下の歯茎と唇の間、歯と歯の間、歯そのものにもしっかりと、今まで食べていたものが詰まっているのである。 何故にここまで詰まるのか、そのメカニズムは分からないけど、とにかく凄い。 だから、父には食事の度に歯磨きが必須なのである。 しかしこの歯磨きが、これまた想像以上に大変で、父の介護行為の中で、最も重要で且つ最も技術を要するものと言えるだろう。 何故なら、父には歯磨きしましょうと言ったところで、今から歯磨きをするというスイッチは入らない。嗽をしてとか、口を開けてと言ったところで、その通りには出来ないからである。 だが、そんな父にも歯磨きをするというスイッチを入れる方法はある! このスイッチさえ入れることが出来れば、介護提供自体が格段にやりやすくなるのである。 具体的には、食後の父に歯磨きを促しながら、洗面所に移動し、コップに水を溜めながら、水の流れる音を聞かし、その映像を視覚でも捉えてもらう。 そして、入歯を外すよ、口を開けてと伝えると、何となく父に伝わったようで、スムーズに口を開けてもらえる。 上の入れ歯、下の入れ歯と順に外したら、その入れ歯は流れる水で溢れているコップの中に投入し、まずは濯ぐ。 先に入れ歯を磨くねと言いながら、父の見ている前で、入歯を歯ブラシで磨く。 歯磨き粉もしっかりつけて、シャカシャカと磨く。 そしてその後、十分な流水とコップ内の水で入歯をしっかり濯ぐのである。 重要なのは、その行為を父に見せる事。 その音を父に聞かせる事。 そうすることで父にも歯を磨くという事が認知できるようになる。 そして入れ歯が綺麗になったら、じゃ、今度は口の中磨くね、と言いながら、歯ブラシを口の中に入れる。 歯を磨きながらではあるけれど、口の中の食物残渣物を歯ブラシでかき出すように磨くのである。 この時、父の下唇にはティッシュを数枚用意しておき、かき出した残渣物と汚れを一緒に拭い取る。 あまり力を入れすぎると、歯茎の痛みの為に声を上げるし、痛みを与えてしまうと、その後は抵抗するようになる。 だから、力加減にも配慮しつつ、上手くかき出す技術が必要になる。 大きな残渣物を取り切れたら、まず嗽である。 流水の音を聞かし、嗽を促す。 嗽と言っても父には伝わらないから、毎回私が使う言葉は、ぐちゅぐちゅぺ~。 ここで重要なのは、洗面台をコンコンとたたきながら、父にここに出してと、何処に吐き出すかを伝える事。 父は音に敏感だった。 だから音を聞かせて場所を特定させるのである。 後は身体を支えて前傾姿勢を保持しながら、数回、ぐちゅぐちゅぺ~と言いながらコップで水を含ませると、声掛けに合わせるかの様に水を吐き出すことが出来る。 だけど悲しいかな、歯ブラシだけでは到底綺麗にすることは不可能で、いつもこの後、歯間ブラシを使って、歯と歯の間や、歯茎のくぼみ、歯にできた穴等に詰まった残渣物を取り切っている。 そして、また嗽。 朝なら、この後入れ歯を装着し、はい、今日も綺麗になりました、気持ちよくなって良かったねと言って、朝の歯磨きを締めくくるのである。 毎朝、毎晩、本当に大変だけど、今以上に介護量が増えない為には重要な行為であり、毎日欠かさず頑張っている。 私って偉いでしょ? 自画自賛万歳! 

  • 03May
    • 洗面

       朝、就寝着から活動着に着替えて車椅子に移乗した後、次は洗面である。 洗面、朝起きて、顔を洗う行為。 当たり前に皆が行う日常生活動作だけれど、父にはこれが出来ない。 少し前までは出来ていたのだが、令和2年1月の誤嚥性肺炎治療の為の入院で、一般病棟に一か月程入院した後からできなくなってしまった。 顔を洗ってと言っても勿論できないし、洗面所で体制を前傾姿勢にしても声を上げて抵抗する。 手で水をすくって顔を洗うという行為を、完全に記憶から消去してしまっているかのよう。 それ以後から父の洗面はタオルで顔を拭くという行為に変わった。 病院でもそうだったのだろう。 タオルで顔を拭くという行為は、父にも理解が出来るらしく、抵抗もなければ受け入れ態勢も万全である。 だから、今では毎日、洗面台まで行って、電動シェーバーで髭を剃った後、顔を拭くねと言ってから、父の顔をお湯で洗ったタオルで拭いている。 父の中ではその行為がもはや洗面行為として認識されているようで、毎日ただお湯で洗ったタオルで顔を拭くだけなのに、父はとても気持ちよさそうにしている。 さて、問題はこの後。 頭をとくのは簡単だけど、なかなか大変なのが、入歯の装着。 毎晩20時前には布団に入り、朝まで何も口にしない父は、起床時の口腔状態としては最悪で、乾燥しているか、汚れた唾液でいっぱいになっているかである。 この唾液の中には一晩中で繁殖した雑菌がウヨウヨ。 万が一誤嚥しようものなら、肺炎発症のリスクは急上昇。 だから必ず入歯装着前には父に嗽をしてもらう。 嗽と言っても、喉でゴロゴロすることは出来ず、水を含んで吐き出すだけであるが、これが出来れば父には合格点なのである。 だって時にはその水を飲んでしまうし、前傾姿勢の保持が甘いと、時に失敗して咳き込んでしまう。 咳が出るのは誤嚥予防の反射だから良いけれど、それでも幾分かは気管に入ってしまうだろう。 上手く汚れた唾液を吐き出し、口の中が適度に潤ったなら、それからいざ、入歯装着である。 父の口の中は今、とても荒れている。 長年、丁寧に歯を磨いてこなかった故、歯槽膿漏は進行しているし、今のような重度の認知症になってからというもの、歯磨き自体ままならないというのが現状だ。 歯茎が下がって、今にも抜けそうな歯に、辛うじて部分入歯の金具をひっかけている。 入歯の装着をしますと言ったところで父には理解できず、きちんと装着できるまで、口を開けて待っていてくれなどしない。 だからここにも技術が必要なのだ。 私の場合は、入歯入れるよ、口開けて、1,2の、3!と声をかけて一瞬大きく開いた隙に下の入歯を入れて装着させる。 下が入ったら、次は上。 同じように、1,2の、3!と掛け声をかけて、父の協力動作を誘発している。 入歯の装着もさることながら、もっと大変なのが父の歯磨きである。 それについてはまた次回、たっぷり愚痴らせて頂きます!

  • 26Apr
    • 起床

       父は毎朝7時に起床する。 起床すると言っても、ベッド上でゴソゴソ動いている時も在れば、往復鼾で爆睡中の時も在る。 どんな場合であっても、毎朝7時におはよう!と声をかけ、おはようと返答の有った時には、よく眠れた?と問う。 そう会話しながら、オムツのチェック。 尿漏れ無しか、尿漏れありか。オムツ内排便ありか、或いは無しか。まずはチェックしてから、それぞれに備えてオムツ交換である。 日中用の紙パンツに尿取りパットをセットして、下半身の更衣を完了したら、そのままそこで、右足のリハビリを始める。 父にはもう足が一本しかない。残っている右足は今後の生活レベルに大きく影響する。膝がしっかり伸びるか伸びないかはベッドから車椅子への移乗時に大きく影響するのである。 膝がしっかり伸びない場合は立位時の筋力により大きな力が必要になる。両足ある人でも、単なる立位と両膝を少し曲げた状態での姿勢保持には大きな筋力の差がある事をお分かり頂けるだろう。 故に父の右膝がしっかり伸びる様に、起床時のベッド上でのこのリハビリは毎日欠かせない。 下半身の準備が整えば、次は上半身。 先に衣服のボタンは外しておいて、声を掛けながらベッドのモーターボタンを押し、電動機能を利用して上半身を起こす。 父の上半身がフラットの状態からでも身体を起こすことは可能だが、その場合は介護者の負担が大きく、腰痛の原因にもなり得る。 在宅患者が自宅での生活において、モーター付きのベッドをレンタルしている事をよく見かけるが、その機能を十分に使いこなせているかは疑問である。 時には不必要な機能を備えたベッドをレンタルしている場合も見受けられ、より安いものでも十分足りると意見させてもらう事もしばしば。 介護保険制度の利用については、本当に奥が深く複雑で、知識や経験、行動力や文章力を兼ね備えた介護支援専門員が欠かせないという事だ。 話を戻すが、父の上半身をモーターを使って起こした後は、もう一度おはようと声をかける。 先にかけたおはようという言葉を父は覚えていないからである。 普通は身体を起こしている状態でおはようと声を発したり、声を掛けられたりするものであるが、父の場合、初めのおはようは、朝が来たからこれから起床する為の準備を始めますよの合図であり、上半身を起こした時に改めておはようとなるのである。 それから上半身の就寝着を全て脱がせて、乾燥した肌にローションを塗布。痒みのあるところに治療用軟膏を塗布。 手間であるが、日中の過ごしやすさの為には必要な処置である。 そして、本日の活動着に着替える。 夜間の間に自分の体温で温まった衣服を脱ぎ、少しひんやり感じる洗濯済みの衣服を着ることで、皮膚刺激にもなり、父は改めて朝、起床したと認知するのである。 認知症の人には如何に認知させるかが、重要。 認知しやすい環境を如何に提供できるかが正に介護技術なのである。 

  • 19Apr
    • 退院

       ついにその時が来た。 父の退院である。 新型コロナウィルスの感染予防の為、家族であっても退院であっても、私は病棟に上がれない。 父の退院に際して、山のような荷物は、全て綺麗にまとめられて、父と共に病棟から降りてきた。 67日ぶりの父との再会! その表情は何だかぼんやり霧がかかっている。声をかけ視線を合わせると、少し瞳に光が差したよう。誰だか答えられなくても、何となく身内のお世話係と気付いたようだ。 良かった!何とか記憶を繋ぎとめれたか。安堵したのもつかの間、父も荷物も車へ運ばなければならないというのに、とてもじゃないけど、一度には無理。元々、退院に際して、姉から支援の声掛けはもらっていたが、病院の規模は総合病院程ではないし、自宅から近所でもある。それに何より、今は普段会わない人とは会わない方が良いだろうし、お気持ちだけ頂くことにした。とりあえず、荷物を先に車に運び、再び戻ると、父の傍には看護師がいて、退院時の処方を、これまた山のように渡された。退院後、次の受診は約一月後。父の場合、その症状に様々な影響を受けるし、環境の変化も大きく影響するので、入院中良しとなった処方調整が、自宅での生活でも上手く作用するかの判断には、一月くらいの時間を要する。故に、約一月分の処方を一度にという事になる訳だが、とは言え、薬にもいろいろあって、また父の薬がかさ張るものばかり。退院時処方だけでも荷物一つ分である。さあ、おうちに帰ろう!そう父に話して車のハンドルを握ると、何処に帰る?と父。ありゃりゃ。状況を説明して、入院していた事、今退院した事、これから自宅へ向かう事等等、運転しながらお話ししました。 ほうか。 父は穏やかに答えた。 入院して、処方調整した甲斐があったかな。そうだといいなと思いながら、私はゆっくりと車を走らせた。 さて、自宅に帰れば帰るで、今度は山のような荷物の整理。 洗濯物も沢山あるし、なんせ、季節も変わってる。 今日から夕食時の食事介助もあるし、早く片付けないと! やらねばならぬことばかりで、私の頭は目まぐるしく回転しまくった。だって急がないと、父には夕食の薬の時間ってものがあるし、就寝時間ってものがある。毎日同じ時間に薬を飲んで、同じ時間に就寝起床。それが父のような重度の認知症患者には必要不可欠なのですよ。 だから私頑張りました! 退院初日もきちんと就寝時間厳守です。 実を言うと、いろいろ久しぶりで、あれ?これどうだったっけ?あれ?これ順番逆か!なんてこともあったけど、直ぐに感覚思い出しました。2カ月程前には毎日習慣的にやっていたのに、やらなくなってたった2ヶ月で、段取り悪さ、手際の悪さ。やっぱり悲しいかな、もう若くない。 躊躇したのは退院後から初めて服用する薬。一包60㏄の水で溶くって、二包だから120㏄。 こりゃお腹タプタプになりますわ。 飲みやすい対策、考えますね~。 父は就寝。何はともあれ、私、お疲れ様です。 

  • 12Apr
    • 準備

       父が帰ってくる。 そう覚悟を決めて、私は自宅での父の受け入れ準備にかかった。 まずは段取り。  退院のその日は何時に自宅に戻るか、送迎はどうするか、介護保険のサービス利用は?単位数は? そうして父の退院に向けて頭の中でイメージしていた矢先、入院先の病院から連絡があり、私は主治医と話さなければならなかった。 話の内容は勿論父の様態について。 退院の日取りが決まったというのに、父は夕刻熱を出し、体温38℃を超えたという。 こんな時期だから瞬間的にまさかと思いました。 そう、コロナ。 地元では変異株での感染拡大が続き、毎日30人程度の感染者が続いていた。 ご近所の高齢者施設での感染者も出ており、ついに来たか、父は死ぬのかと、一瞬の内に脳裏を駆け巡った。 しかし主治医は続けて、 念の為、新型コロナウィルスの抗原検査をし、陰性でした と私に告げた。 良かった! 不意に口をついた。 血液検査等の結果から、尿路感染症だろうという話であったが、気になるのは退院できるのかという事。この時の電話ではとりあえず抗生剤を投与して様子を観て、退院前にもう一度連絡をするという事になった。 尿路感染症。 これまでの自宅介護生活では一度もかかった事がない。 毎日デイサービスに行き、毎日入浴させてもらっておれば、例え毎回オムツ内排尿であっても、衛生管理は完璧と言うところか。 入院中、担当看護師の方が頑張ってくれたとは言え、週に2回の入浴では決して十分とは言えない。まして、忙しい業務の中で、どの程度頻繁に尿取りパットの交換が可能であったろうか。 正規職員の病棟看護師となれば、夜勤もあって当然。毎日担当できる訳もなく、今回の感染は止む終えない事と言えるのだろう。 早く退院させなければ、入院によるデメリットの反撃がやってきそう。 この熱による弊害が大きく影響しない事を願いつつ、予定通りの退院日を願うしかなかった。 幸い、退院を目前にした週末、再び連絡があり、熱は下がり経過良好との話であったが、退院については判断を委ねられてしまった。 望むなら、もう少し経過を観察してからでも良いとも思うとの主治医の話。 そう言われてしまいますと私の心も揺れてしまいます~ なんせ介護生活大変なんで。 でも、でも、でも! そんな自分の中の甘えを振り払って、私は主治医に逆質問。 医師としての判断では、退院が可能か?と問うた。 答えはYES。 なら、予定通り、退院します! こうして父は退院前の一波乱を終えたのだった。 2カ月強の間、使用者不在だった父のベッドはすっかり埃をかぶり、布団やシーツも全て剥して、丸洗いが必要。 外を見れば週末のこの日、朝からとても良い天気。 父上、お布団、干しておきました! シーツも部屋も綺麗にしました! まだまだ寒かった入院時だったけど、季節はすっかり春。 衣類の入れ替えもして、退院時の普段着も用意完璧。 後は当日晴れますように! おっと、忘れてた! 必要なオムツの種類も買い揃えておきますね♪ 

  • 05Apr
    • 覚悟

       先日の父の現状報告会で、退院の日程を決める話にもなった。 認知症状のコントロールを行う内服薬の調整が取りあえず完了したので、後はもう病院に居なければならない理由がない訳である。 父が帰ってくる。 正直複雑であることは否めない。 父が入院中だった約2カ月、私の負担は格段に減っていた。自分の事だけ、と言っても家庭内での役割もあるにはあるが、それでも父の介護がすっぽりなくなるというのは、なんて楽な生活なんだろう。朝も夜も、時間のかかる事がすっかり消え去った生活だった。 テレビも気兼ねなく音量調節できるし、録画を見る時間にも配慮がいらない。2階の物音に敏感な父の為、静かに暮らすことを強いられた子供達も、その実感はひしひしと感じていて、おじいちゃんがいないって、超楽やね!と嬉しげに話す。 そんな我が子に父が帰ってくると告げなければならないこの身の辛さ。子供達の反応が気にかかる。 それでも父の介護を誰かはしなければならないし、その介護者が誰であるかで父の余命は左右される。 紛れもなく親子であった私の記憶が、父に再び会える喜びと、離れていた事、会えなかった事での愛しさを感じさせる一方で、父の孫にあたる娘達から煙たがられる父を哀れにも思う。 そしてそれが自分の父で在る事にも切なさを感じる。 父は私の事を覚えているだろうか。 退院して自宅に戻った時、その環境を覚えているだろうか。 再びデイサービスやショートステイを利用しながらの生活に馴染んでくれるだろうか。 不安は尽きない。 入院していた病院では、面会に対する緩和措置が取られ、平日の午後であれば予約制で会える事になっていた。早々にも予約をして父に早く会いたいと思ったが、平日の午後のみを設定されては、時間の都合がつかず、退院も決まった事であるし、面会する事を諦めるしかなかった。 これまで、入院する度に認知機能を低下させて帰った来た父であるが、今回の入院はその認知症状をコントロールする為の入院。日常生活動作についても、入院前とは変わらず、口腔ケアの時にも含んだ水を吐き出すことが出来るとか。 良かった。 今回の入院で担当してくれた看護師さん、頑張ってくれたのだ。 入院生活で、父の日常生活動作を維持できるとは、並々ならぬ努力があってこそと推測する。人は弱い生き物だから、誰しも楽な方へと流れてしまいがち。父のように日常生活の全てに介護が必要であれば、ベッド上で寝かせておくのが一番楽なのである。 しかしそれでは父の認知機能は急速に低下し、嚥下機能も低下。誤嚥性肺炎を起こして命は尽きる。 父のようになってからでもその暮らし方が命を左右する。 健康寿命を延ばしたければ、それこそ暮らし方が鍵である。 入院中は、使命感を持って頑張ってくれた担当看護師さん、病棟スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。 次は私の出番です。 また毎日の介護生活に覚悟を持って挑みたいと思います!

  • 29Mar
    • 責任

       先日再び病院での病状報告会議があり、入院7週間経過後の父の様子を聞くことが出来た。 体調は問題なく、熱も無し。食事も全量摂取で排便も良好。夜間も良眠との事であった。興奮状態も落ち着き、今回の入院当初からは見違えるように穏やかになっていると聞いて、早く自分の目で確かめたいとの思いだった。 現在でも意味なく声を機械的に発する時が数分程度見られることもあるそうだが、主治医からは、これ以上処方を強めると、食事が上手くできなくなる可能性があると宣告された。 人が命を繋いでいく為には、食事する事は必要不可欠で、上手く食事できなくなると、つまり、上手く咀嚼できない、上手く飲み込みが出来ない等であるが、そうなると、どうするか。直接胃に食事を送り込む、所謂胃ろうという選択になる。 主治医からは、今後の経過として、加齢に伴うものや、認知機能の低下によって、嚥下機能の低下は免れず、その時どうするかも考えておくほうが良いとの話だった。 考えるまでもない。 胃ろうはしない。 父にもっと認知機能が維持されていて、孫の顔がわかり、私の存在がわかるなら、胃ろうを行う価値もあると思うが、父は、入院前でさえ、孫の顔は分からず、私の存在ですら誤って認識している。自分で出来る事は何一つなく、生きる為に必要な食事排泄睡眠でさえ、全面的な介助が必要である。そのような父が食べられなくなったからと言って、胃ろうをすれば、どうなるのか。今よりさらに高度な介護や看護の提供が必要になり、一体それは誰の為のサービス提供かという事になる。 誤解のないように、声を大にして言っておくが、胃ろうが全て悪い訳ではない。世の中には不幸にして、その方法でしか栄養摂取できなくなった人もいる。そのような人が胃ろうという選択をする事はむしろ必要な事で、それにより救われる命も少なくないだろう。 胃ろうをするかしないかは、常にケースバイケースであり、都度都度考えなければならない事である。 とは言え、胃ろうはしないと宣言するまでに、多少の躊躇はあった。 人が生きるとは何だろう。 命の終わりを決めるのは誰? その命は誰のものか? 父が父らしく生きて、父らしく死んでいく事を考えた時、やはり人らしく食べて、食べられなくなるなら、食べられるものを食べられるだけ食べて、時に誤嚥して、そして肺炎になり、体力を奪われ死んでいくのではないだろうか。 無論そうなる前に、てんかん発作が起こって、嚥下機能を失うかも知れないし、突発的に癌にでもなって急に旅立つかもしれない。 この先何があるかはまさしく神のみぞ知るである。 それにしても、父にとっての命の選択をしなければならない時、胃ろうはしない、点滴はしないと決断した私が、父の命の終わりを決めた事になるのだろうか、とも考えてしまう。 施設に入所させて、人に任せっきりにはしないけれど、最期を見届けるその責任は重大で、少々荷が重い気もする今日この頃である。 

  • 22Mar
    • 報告

       父が入院して、顔を見なくなって、6週間が経過した。 入院して2週間目に、父には会えなかったけど、病棟での様子を聞く機会があった。 便が毎日出ていない事や、入院後数日して発熱があった事を聞かされ、やはり主介護者が変わる事のリスクを感じた。幸い病院であるからこそ、即時対応による悪化はなく、熱も数日で下がったそうで、ほっと胸をなでおろした。 医療による効果はそれだけではなく、父に発生していた皮膚トラブルも大きく改善していたし、歯科受診も進められると聞いて、介護と医療の格差を思い知らされた。 やっぱり医療にはかなわない。 しかし、その医療を支えるのは介護なのだから、これからもこれまで以上に医療との連携を重要視しながら、適切な介護提供に努めなければならないと思う瞬間でもあった。 もう、6週間、父の顔を見ていない。 自宅で空っぽのベッドを見る度に、元気にしているだろうか、物のような扱いをされていないだろうかと心配になる。後に、入院中ああだった、こうだったと伝える術を持たない父だからこそ、家族としては本当に心配でしかない。 世の中の全ての医療従事者、介護従事者が、常に愛を持って仕事に従事している訳ではない。 「愛」と聞かされると、日本人は兎角気恥ずかしいと感じるものであるが、思いやりとか優しさとか、人として良い行いというものは全て、愛から起こる言動である。 そこに愛はあるのか? という問いを投げかけるCMをいつも感慨深く拝見しているが、仕事においても常に愛は必要である。どんな業種であっても。 こんなふうに、愛を説いていると、クリスチャンかと思われるかもしれないが、そうではない。言っておくが、私は神道である。 先日、父が利用していたショートステイから利用を拒否されたことについて話したが、納得のいかない私は、国保連合会に苦情の申し立てをしていた。一月半かかってようやくその報告書が届いたが、その内容を見ると、やはりその事業所が適切な介護提供や必要な情報共有が出来ていなかったことが明らかになった。また、理解を誤っている点も見受けられた。 これは悲しい現実である。 悪意があるなら論外であるが、そこに悪意はなくても、技術や知識、経験や判断力、加えて感情や性格などから、提供するサービスには必ず差があるのは必須。 入浴介助において言葉を交わすやり取りがないなど、華桔梗ではありえない事だ。 その事実を知って、やはり父が物のように扱われたことを悲しく思う。 医療でも介護でも、その仕事を行う対象は人である。 重度の認知症であっても、その事実は変わらない。 感情があるのである。 どのような認知レベルにある人であっても、自分達と同じように感じることを肝に銘じて常に従事せよ、 それが華桔梗の精神である。 そのような対応こそが真に尊厳を守るという事なのだ。 簡単な事なのに、どうしてわからないんだろう。 私にはそれがわからない。

  • 15Mar
    • 追悼

       東日本大震災から10年の節目を迎えた今年、メディアのあちらこちらで震災に絡んだ特集を目にした。 まずもって、多くの命が一瞬で失われてしまったこと、命はあってもこれまでの生活の全てや大切な思い出までも奪われてしまった人々を思い、心から哀悼の意を表したい。 あの震災では多くの子供達もとても恐ろしい思いをしただろう。愛する人を失い、家を失い、打ちひしがれる大人たちを見て、彼らはどんな思いだったろう。そしてそれからどんな人生を歩み、今を生きているだろうか。 あの震災がなければ、もっと違った人生だったに違いない。 願わくば、彼らの人生が、人の優しさに触れ、心豊かなものであって欲しいと思う。 人は皆、生まれた時から死に向かって生きていく。その人生において、事故や病気に合えば、思いもよらぬところで死を迎える事になる。 誰もがいつ命を失う事になるやも知れぬというのに、誰も自分が明日死ぬとは思わず今を生きている。 自分の死を身近に感じて初めて人は、命の尊さ、これまでの日常のありがたさに気づくのだ。 私は母を失った時にそれに気づいた。 自分が結婚して、子供を産んで、共に子の成長を見届けられると信じていた。年老いた母と買い物や旅行に行く事も当たり前に出来ると思っていた。 でも、天の神様はそれを、そんな些細な幸せを私には与えてくれなかった。 そしてまた、今は父の日常も激変し、もはや私の名も孫の顔もわからなくなってしまっている。 その父は、要介護5になって、一本足になって、重度の認知症になった訳だけど、それでも父にはまだ命があるし、美味しいものも食べられる。 味覚がどの程度残っているのか、味覚による感情がどれくらい理解できるのか、正確にはわからないし、確認する術もないけれど、食事介助をしていると、好きだったものを食べる時の目の表情や飲み込む速さで、美味しいと感じていると思われる。 命ある者は、その命ある限り、人生を大いに全うしなければならない。 生きているからこそ、美味しい物を食べて、美味しいねって笑い合えることが出来るのだ。 生きているからこそ、世の中の理不尽な事に何なんだ!と怒る事も出来るのだ。 今生きているから、悲しみも喜びも感じる事が出来るのである。 まだ生きて居たいという思いがありながら、それが叶わなかった人々の為に、命ある者は、その命を大切にするという意味で、今を楽しまなければならない。 やりたいことをして、美味しいものを食べて、人生を楽しまなければならない。 それが亡くなった者への供養でもあり、責任でもあると、私は思う。 華桔梗のコンセプト、「華やかに生きよう」とは、そういう意味である。 私はというと、その人生をかけて、介護の世界に彩を、豊かさを与えたいと思って、この華桔梗を創った。 心豊かなスタッフが集まり、順調に業績も伸びている。 春めいてきた。 外はいいお天気だ。 さあ、お墓参りに行こうかな。