主人が亡くなって、このひと月、私はあちらこちらと連絡したり、連絡が来たり…とにかく普段以上に忙しくて、悲しみに暮れる暇などなかったけど、時々襲ってくる悲哀、それは、主人がもうこの世に存在しないということを突き付けられる瞬間だった。

 

 例えばそれは、主人名義の口座から引き落としになっている、放置しておけないもの。

 

 自宅の電力会社との契約だったり、カードの解約だったり。

 

 主人は亡くなりました、主人は亡くなりましたと、何度も何度もあちらこちらに連絡せざるを得ず、何回私にこの辛い事実を告白させるの?と現代社会の構造を恨んだか知れない。

 

 主人が亡くなって、

 大変だったね…

 と優しい言葉をかけてくれる人。

 

 ありがとう。

 その優しさに感謝します。

 でも、大変なのはこれからです。

 

 そう、心の中でつぶやいた。

 

 夫婦の関係は、様々あると思うが、私達夫婦程、稀有なものはなかったかもしれない。

 

 互いに仕事を持ち、互いに分担しながらもう一つの仕事をこなす関係。

 

 主人からは戦友だと言われていた。

 

 人生を共に戦う戦友だと。

 

 私は大人しく家庭の中で専業主婦が出来るタイプではなかったので、戦友と表現する主人の、私に対する気持ちに満足だったけど、そんな主人が今、私を一人残して、あっさり自分だけ先に旅立ってしまって、正直私は今、道を見失っている。

 

 華桔梗という会社を創って、介護の世界に揺るぎない信頼とブランド力のある会社を生み出したかった。その気持ちは今も変わらない。

 

 しかし、その裏にあった、もう一つの想い。

 

 それは主人が次期宮司になるはずだった神社の為にという想い。

 

 大きな神社は神社だけで生活が成り立つかもしれないが、氏子数の少ない田舎の神社ではとても不可能。

 

 どこも兼業で生活している。

 

 昔、主人の先祖は幼稚園経営をしており、それにより生計を立てていたのだと思う。

 

 現在の宮司は現役世代、県職員との掛け持ちだった為、十分な事が出来ず、総代に頼り過ぎて今があるように思う。

 

 私はこれから先、神社を継いでいく者が、神社の事だけに注力できるよう、今の会社を創った。

 

 それもまた事実である。

 

 それなのに、そんな目標の為に共に戦うはずだった主人を亡くし、私はこの先、何を励みに頑張ればいいのだろう。

 

 何の為に?

 誰の為に?

 

 主人とともに相談して建てた家も、買った車も、神社とともにと誓ったこの会社も、今の私には悲しい思い出でしかない。

 

 数年前、華桔梗のロゴ制作をしていた頃、桔梗の花ことばを調べていて、誠実、優しい愛情と知った。

 

 ロゴに桔梗の花を使うことにして、その花の色を白にしたのは、その花ことばが純愛だったから。

 

 愛の形には様々あるように、人から見てどう思われていようとも、最愛なる母を亡くして華桔梗を創った私が、また最愛なる夫を亡くしたという事実は紛れもない真実なのである。