師走ですね。
今年もあっという間の1年でした。
2月下旬に父の介護で頚椎を傷めてから、自宅介護は免れましたが、痛みの為、右手が使えなかったり、排泄できなくなったりと、健康に関する様々なことが起こった1年でした。
父はというと、入院後定期的に面会に行っていますが、やはり認知機能はどんどんと低下していきました。
自分で介護する事が出来ず、人に委ねている以上、あれやこれやと我儘は言えないので、全て甘んじて受け入れていますが、毎日3食だった経口摂取は、どうやら1日1回になっているようです。
車椅子に移乗している時間は、ほぼ無くなっているのではないでしょうか。
いつ行っても、ベッドの上で臥床している父を見てきました。
足はすっかり細くなり、もう残っている右足を軸足に使う筋力もないでしょう。
私が面会した時は、必ず、全関節を動かせて、関節の可動域を確認します。
左の肩関節は、少しずつ可動域が小さくなり始めています。
父に会う度、頚椎を傷めてしまった事が悔やまれるのです。
私が介護できなくなってしまったばっかりに、父を人に委ねなければならなくなった。
もし、あのまま自宅で生活していれば、父は今もあの頃の父のままだったに違いありません。
毎朝起こされて、更衣をして、洗顔をして、朝食を食べる。
デイに行って、運動をして、お風呂に入って、また自宅に帰ってくる。
この当たり前の人としての生活こそが、その人をその人らしく維持する事が出来るのだと、私は思います。
高齢者は特に、ちょっとしたきっかけで、日常生活動作が低下します。
介護は大変ですが、その大変な介護を毎日欠かさず継続するからこそ、その人の今があるのです。
手を抜いたり、楽をしたりすれば、認知症罹患者の高齢者は、すぐに影響が出て、状態が悪くなる。
逆に言えば、手間をかけ、苦労をしてでも先手を打って対処すれば、状態の維持は可能になるのです。
華桔梗自慢をして申し訳ありませんが、スタッフ達は本当に皆、良い子達ばかりです。
大変な介護を、本当に一生懸命してくれます。
通所介護でも訪問介護でも訪問看護でも、相手の為の真の利益を考えて、先を読み、提言をする。
そんな事が出来るのは、華桔梗のスタッフだけだと自負しています。
介護は大変な仕事なのに、それを職として、毎日勤勉に勤務する姿は本当に誇らしい。
だからこそ、提供したサービスの質に見合うだけの報酬を与えてあげたいと思うのです。
介護保険が始まって20年。国は度重なる制度改革において、介護報酬を幾度となく下げてきました。
その結果、介護離れは進み、深刻な労働力不足となっています。
DXだのAIだのと騒いでいますが、生身の人間にしかできない事、それが介護です。
人と同じ柔軟性と知能や感情を持つアンドロイドの開発が進まない限り、介護力不足は補えません。
まだ間に合うなら、次の改正では思い切った報酬改定をして欲しいものです。
処遇改善加算?
そんなものではどうにもなりません!
ご拝読ありがとうございます。
次回は1月8日になります。
宜しくお願い致します。