さりと12のひみつ「鏡の国」の話その3〜鏡世界の物理学とパリティ対称性 | ひろじの物理ブログ ミオくんとなんでも科学探究隊

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 『さりと12のひみつ』第2話「鏡の国のひみつ」の解説、第3回です。

 

 今回は、鏡の世界の物理学について、少し本格的な解説になります。

 

 そのまえに、矢印記号の説明を少々。

 

 

 物理で扱う矢印記号。矢印に見えませんが、立体図を2次元の紙の上に書くときに利用する矢印記号です。

 

 さて、最近出版された「物理の見方・考え方」江沢洋・上條隆志偏(日本評論社)の「パリティの問題」には、次のような一文があります。

 

***

 

 ここで私は読者に問題をだしたい。パリティ対称性(*1)の破れということは、なにもリーとヤン(*2)に始まったことではないのではないか?

 自然は、直線電流の下でエールステッドの磁針がふれたとき、すでにパリティの対称性をやぶっていたのではないか?

 電流に向きがあり、それを磁力線は右ネジ式にとりまくのであって左ネジ磁力線というものは存在しない。(中略)

 しかし、これまで電磁現象がパリティ対称性を破っているなどと言った人はいない。なぜか?

 

***

【ひろじ註】

(*1)現実の世界と鏡の世界で、どちらも同じ物理法則が成り立つとき、パリティの対称性が成り立つといいます。

(*2)2人はβ崩壊現象が、現実の世界と鏡の世界で、ことなる物理法則に従うことになることを発見しました。パリティの対称性が破れる物理現象として発見された最初の現象です。

 

 

 上の註に書いたように、一般的にパリティの対称性の破れと言えば、β崩壊現象など、特別な物理現象を指します。が、上記の文章の「問題」とは、こんな特別な現象を考えなくても、電流の作る磁力線など、電磁現象のほとんどは、現実世界と鏡の世界で右左が食い違うので、物理法則が異なることになり、パリティの対称性が破れているといえるのではないか、ということです。

 

 すこし、ていねいに見て行きましょう。

 

 高校の物理で学ぶ直線電流のまわりを次のように取り囲む磁力線によって生じます。磁力線の向きは、電流のまわりにおいた磁針の向きでわかります。

 

 

 右ねじの進む向きに電流が流れたとき、右ねじが回る向きに磁場(磁力線)ができる、というのが、その基本的な理解です。

 

 これを鏡に写すと、次の図のようになりますね。鏡に映った磁針も、この磁力線の示す方向に向きますから、この図は順当なものに見えます。

 

 

 磁力線の取り巻く向きは、鏡の世界では現実世界とは逆回り、つまり左ネジになっています。

 

 これを見て「鏡の世界では右ネジの法則が左ネジの法則になっている」と考えるならば、現実の世界と鏡の世界で、物理法則が異なることになり、パリティの対称性は破れているということにならないか、というのがさきほどの江沢先生の本の問題提起です。

 

 電流が磁石から力を受ける実験では、フレミングの左手の法則にしたがいます。

 

 

 

 左手の法則は「電流が磁場(磁力線)から受ける力の向きは、電流の向きを左手の中指、磁場の向きを人さし指とすると、親指になる」というものです。フレミングが、学生が理解しやすいように創案したルールですね。

 

 左手を鏡に写すと右手、右手を鏡に写すと左手の形になります。

 

 

 フレミングの力の実験結果を鏡に写すと、これと同様に、鏡の世界ではフレミングの「左手の法則」が「右手の法則」に変化するように見えます。

 

 

 物理法則が違うのですから、やはりパリティ対称性が破れているように見えますね。

 

 でも、これらの現象、つまり一般の電磁気現象について、「パリティ対称性が破られている」という物理学者はいません。

 

 これは、いったいどういうことなのか、というのが、さきほどの問題提起なわけです。

 

 これらの電磁気現象について、右左はさして重要な問題ではない、という人もいます。それはどういうことでしょうか。

 

 磁力線がN極から出てS極に入るというのは、ファラデーが磁石のまわりの鉄粉の模様から発想した磁場を表す方法として創案したものですが、磁力線の向きをS極から出てN極に入ると定義することもできます。もし、そのように定義していたとすれば、フレミングの左手の法則は「右手の法則」になり、直線電流の周りの磁力線は「左ネジ」の向きになります。

 

 人間がどう定義するかだけの問題であって、物理現象として「右左」が決まっているわけではない、ということですね。

 

 でも、問題の本質は、こういういい方では、ハッキリ見えてきません。

 

 もう少し、本質的なところを考えた方がよいでしょう。

 

 そもそも、電磁現象において、磁力線の定義は本当に必要なのでしょうか?

 

 同じ向きの平行電流は互いに引きあいます。これは、細い導線さえあれば、家庭でも実験することができます。(『いきいき物理わくわく実験1』の「電流磁場であそぼう」に実験方法の詳細があります)

 

 この様子を鏡に写してみましょう。

 

 

 鏡の世界でも「同じ向きの電流は引きあう」という物理法則が現実の世界と同様に成立するわけですね。

 

 この現象を見る限り、「磁場」つまり「磁力線」を見る必要はありませんが、一般には、この現象は、次の二段階で考えます。

 

 1.電流Aのまわりに「右ネジの法則」にしたがって、磁力線ができる。

 2.電流BはAの作る磁力線から「左手の法則」にしたがって、フレミングの力を受ける。

 

 

 A、Bをいれかえれば、電流Bがうける力も同様に説明できます。

 

 この説明には磁力線が登場するので、これを鏡に写すと、さきほどの「右左」の逆転現象が起こります。

 

 

 鏡の世界で「左ネジ」「右手」の法則を用いると、やはり電流間の力は互いに引き合うことになり、鏡に映った様子を説明できます。

 

 さて・・・

 

 これからが、本題。

 

 はたして、鏡の世界では「右ネジ」「左手」の法則が「左ネジ」「右手」の法則になるという理解で、本当に正しいのか?

 

 ためしに、鏡の世界でも現実世界と同様に同じ物理法則が成り立つとして、「右ネジ」「左手」の法則で、この現象を考えてみましょう。

 

 すると・・・

 

 

 やはり、2つの電流は互いに引き合うという結果になります!

 つまり、鏡世界では現実世界とまったく同じ物理法則が成り立つことになりますね。

 

 でも、最初に見た2つの例では、鏡の世界ではたしかに「右左」が逆転していました。

 

 この矛盾はどこからくるのでしょうか?

 

 じつは、この矛盾は、磁石のNSが、鏡の世界でもそのままNSになっているという、根拠のない発想から生まれたものです。

 

 さきほどの絵をもう一度みてください。

 

 

 鏡の世界の磁石のNSは、現実世界の磁石のNSをそのまま写したものとして描かれていますが、その物理的な根拠はなんでしょうか?

 

 「磁石を鏡に写す」というのは、どういうことなのか。

 

 磁石の内部構造も含め、鏡に写すとなにがどう変わるのか、量子力学的な視点も含めないといけないので、これはむつかしい話になります。

 

 そこで、磁石のかわりになるもので考えることにしましょう。

 

 小学校高学年でまなぶ、電磁石です。これなら、電流の向きで電磁石のNSもわかりますから、考えやすいですね。

 

 電磁石の場合は、コイルに流れる電流が右ネジの向きに回るとき、コイルの進む方が磁石のN極になります。

 

 

 これを鏡に写すとどうなるでしょうか。コイルの巻き方は逆巻きになりますが、鏡の世界でも現実世界と同じ物理法則、つまり右ネジの法則が成立しているとすると・・・

 

 

 なんと、電磁石のNSは、鏡の世界では、逆転してしまうことがわかります。

 

 この場合、さきに見たフレミングの力は、どうなるのでしょうか。

 

 

 鏡の世界で電流が磁力線から受ける力を、この前提で見直してみると、鏡の世界でもフレミングの「左手の法則」が成立することがわかります!

 

 つまり、鏡の世界で物理法則の「右左」が逆転すると考えてしまったのは、鏡の世界で磁石のNSがどうなるかを、正しく理解しなかったことが原因だったのです。

 

 物理学者が、通常の電磁気現象は鏡の世界でも同じ法則になり、パリティ対称性が破られることはないと考えるのは、こうした事情によります。

 

 もちろん、今まで通り、鏡の世界では「右左」が逆転し、「左ネジ」「右手」の法則が成立すると考えても、上の実験で電流が受ける力の向きは同じになります。(磁石のNSは逆転しないとした場合の話ですが)

 

 

 でも、こちらの発想は、磁石のNSが鏡に映っても変化しないということをアプリオリに(つまり、勝手に、ということになるでしょうか)前提にしていますから、要注意です。

 

 通常の電磁気現象では、物理法則のパリティ対称性は保存されていると考える方が、すなおな理解になります。

 

 マンガ『さりと12のひみつ』では、小学生向けの内容ということもあり、フレミングの力をつかった説明ができませんでした。

 

 そのため、次善の策として、小学生にもわかる物理現象として、東西南北を選んだのですね。

 

 通常、東西南北を鏡に写すと次のようになると思いがちです。

 

 

 物理現象として東西南北を見直してみましょう。

 

 東西は地球の自転の向きで決まります。

 

 

 したがって、鏡に写すと、東西が逆になります。

 

 また、南北は地球の磁極によって決まります。

 

 

 

 鏡の世界で磁石のNSが逆転するのは電磁石と同じですので、東西南北を鏡に写した場合、地球磁石のNS極は、鏡の世界では逆になります。

 

 そうすると、鏡の世界の東西南北は・・・

 

 

 こうなります。

 

 東西だけでなく、南北も逆になるので、東西南北相互の位置関係は、現実世界でも鏡の世界でも同じになります。

 

 これは、自転と電磁石という物理現象を鏡に写して考えたのですから、東西南北の相互関係が変わらないという事は、物理法則が変わらないということの一例になるでしょう。

 

 マンガの方は、説明材料が少なくて苦しみましたが、東西南北については、以前、物理ノートの質問リレーで、生徒たちが大議論をした結果があり、(そのままでは使えないものの)それに助けられました。

 

 もういちど、電磁力実験の図に戻ります。

 

 

 現実世界と鏡世界で同じ物理法則が成立するという事は、いいかえれば、現実世界と鏡世界を区別することができないということでもあります。したがって、「右」「左」の区別を、物理現象を用いて説明できないということにもなります。

 

 ・・・このままならば・・・

 

 ところが、リーとヤンがβ崩壊でパリティ対称性が破れることを示したことで、これらの特別な物理現象を用いれば、右左を物理的に区別することができるようになりました。

 

 

 リーとヤンは、β崩壊現象では、磁場中に置いた放射性コバルトから放出されるβ線(高エネルギー電子)に指向性があり、磁石のN極のある方向に多数出ることが、パリティ対称性を破っている現象だと見抜いたのです。

 

 上の図を見てください。さきほどからいっているように、鏡世界での磁石はNSが逆転するので、もし、鏡世界でも同じ物理法則が成り立つのなら、鏡世界の放射性コバルトから出るβ線(電子)は、現実世界と同じN極に向かう方向に出なければなりません。

 

 しかし、そうすると、鏡に映った現象の様子が、現実世界と鏡世界で食い違うことになってしまいます!

 

 右の現実世界で下向きに多く飛び出すβ線が、鏡の世界では上向きに多く飛び出すのです。

 

 つまり、β崩壊の現象を用いると、現実世界と鏡世界を区別できることになりますね。

 

 現実世界を鏡に写せば、コバルト原子から出る電子は下方向に出ないといけませんから。

 

 物理学者が長い間信じてきた物理法則のパリティ対称性は、この物理現象の発見によって崩れ去りました。

 

 冒頭の質問の答は、こうですね。

 

 通常の電磁気現象は、鏡世界の磁石について誤解なく考えるなら、パリティ対称性を破ってはいない。

 

 ・・・リーとヤンのパリティ非保存の発見がいかに例外的で驚異的なことだったか、ここまで考えてみるとわかると思います。

 

 最後に、少しオマケを・・・

 

 リーとヤンのパリティ非保存の例、β崩壊現象について、マンガではさすがに詳細は描けませんでしたので、ここで、少しだけ追加しておきます。

 

 パリティ(parity)だけでなく、電荷(charge)も逆転する鏡を考えると、β崩壊でも、鏡に映る物理現象が同じ結果になります。

 

 この場合の鏡は、CP鏡と呼ばれます。電荷(charge)とパリティ(parity)の両方が逆転する鏡だからです。CとPがともに逆転すれば物理法則が保たれるので、CP対称性が保存されるといいます。

 

 

 ここまで厳密に考えるためには、電流もそのまま鏡に映ると考えるのではなく、電流の実体から考え直さなくてはなりません。

 

 電荷が逆転する場合、鏡の世界ではコイルに流れるのは電子の反粒子、陽電子になります。また、コバルト原子も、原子内の素粒子がすべて反粒子になった反コバルト原子になります。反コバルト原子から飛び出すのはβ線電子の反粒子ですから、陽電子になります。

 

 現実世界の導線では電流と逆向きに負電荷の自由電子が動いています。

 したがって、鏡の世界の電荷を反転させると、導線の中を陽電子が電子を鏡に写した向きに流れることになって電流の向きが逆転され、上図の場合は、電磁石のNSがさらにかわり、現実世界と同じになります。

 

 反コバルト原子から出てくる反β線(陽電子)が、現実世界の電子と同様に、N極に向かう向きに飛びだすのは図の下向きになり、現実世界の実験結果と同様になります。

 

 この場合、β崩壊現象を用いても、現実世界と鏡世界の区別がつかないということになります。

 

 これがCP対称性の保存です。

 

 もっとも、別の現象では、このCP対称性すら破られますから、この宇宙はわれわれが期待するほど、対称性を保っているわけではないのかもしれません。

 

 ちなみに、CP対称性が破れる現象でも、さらに時間(time)を逆転させることで、CPT対称性が保存されるのではないかと考えられていますが・・・

 

 さて、どうなんでしょう・・・

 

 ここから先は、ぼくもよくわかりません。

 

 今回は、ここまでにしておきましょう。

 

 なお、マンガ『鏡の国のひみつ』はこちらのリンクからご覧ください。ウェブ日本評論への無料登録が必要です(簡単です)ので、よろしくお願いします。

 

 

追加:

<おもな参考文献>

『物理学の魔法の鏡』ディラック・ウィグナー他著 谷川安孝・中村誠太郎編・監修 講談社

『現代物理学と反物理学』A・ベイカー著 佐竹誠也訳 白揚社

 

※β崩壊の電子の飛び出す方向について、わかりやすい書き方に変更しました。

※主な参考文献を追加しました。本当はもっとたくさんの本や文献を見たのですが、この2冊がいちばん役にたったので。

 

 

 

 

 

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