こんにちわ。皆さんお変わりありませんか?コーネリアスです。今回は、ヨーロッパのとある古の賢者の言葉を集めてみました。彼の名はキケロ。共和制ローマ期の賢人の一人です。今聞いても、とてもシンプルながら、結構心に刺さる言葉が多いと思います…この人の事を取り上げたいと思ったきっかけは、TVニュースでウクライナ紛争映像を見ていてでした。そこにNATOの話が出て来た時、『ああそう言えば…』とふと思い出しこの人の名が浮かびました。ホント全くの偶然です…
ローマ期の政治家、思想家、文筆家、哲学者
キケロ…フルネームは、マルクス・テュッリウス・キケロと言います。共和制ローマ末期に生きた人です。とてもマルチで多才な人で、政治家であり哲学者、また文筆家であり弁護士でもあった人です。BC 106年〜BC 43年、63歳で亡くなった人です。哲学者としては、プラトン、アリストテレスに影響を受けたようです。また、後年彼(キケロ)の哲学に影響を受けた人として、あのエマニエル・カントがいます。更に当時政治家としても活躍していましたが、その政敵には、かのジュリアス・シーザーとマルクス・アントニウスがいたとの事。歴史的英雄たちと対峙していたわけですね。そしてその死は、何とその政敵アントニウスが放った刺客による暗殺でした…
こんなキケロですが、彼は、何冊か本も残しています。今日はその中から、特に『友情』について彼が語っている『名言』をご紹介したいと思います。
●『友情というのは、基本善良な人間の間でしか生まれない感情だ。』
→キケロは、先ず友情というものを定義します。その際に上記のように言っています。つまり、いわゆる悪い人間の間では発生し得ないものだとしています。
●『友情とは、最初は実に自然発生的に芽生える感情で、金や権力と言った、いわゆる利得とは無縁のものである。』
→例えば、相手が大金持ちだったり、大きな権力を有する者だったりした時、その金や社会的地位目当てで親しくなるのは、真の友情ではないとキケロはハッキリ言っています。同時に彼はそうして出来た関係性は、それ(金、地位)が無くなれば、あっさり失われるとも言っています。
●『友情を花咲かせる為には、先ず人は皆、善や徳を身に付けねばならない。その為には、人は善や徳について学ばなければならない。努力しなければならない。』
→此処は、冒頭の言葉とリンクします。友情というものが善なる人間同士の間で生まれるものなので、それなら、その『善』とは、また『徳』とはどういうものなのかをしっかり勉強し、学び、更にそれを身に付けろと語っています。そうポイントは、最終的に『身に付ける』という事です。単に『頭で理解しました』ではないのです。実践を伴うのです。此処で私が思い浮かべるのが、イエスキリストです。イエスキリストが福音書で語った有名な『良きサマリア人』の話です。数回前の私のbingでご紹介しましたが、つまり、善、徳を知識として幾ら習得していても、こうしたものは、実践して『なんぼ』…行動に移さなければ、価値はないよ…だから、『身に付け』ましょうという事ですね。
此処でちょっとだけ余談ですが、『徳』という言葉が出て来たので、本テーマ友情とは離れますが、彼の名言の中でとても素晴らしい名言があるので、ご紹介したいと思います…
★『感謝の心というのは、人間の最大の徳であるのみならず、全ての徳の源泉である。』
なので、皆さん!日頃から沢山の『ありがとう!』を言いませんか?その時、あなたの立つその空間は、きっと幸せに満たされる事でしょう…何故なら、(キリスト教)神学的には、そこには一時的に『神の国』が現出しているからです…
色々な顔を持ち、マルチに活躍した哲人キケロ
●『友情の根底を成すものは、フィリア(隣人愛、友愛)である。』
→要は、根底にあるものは、愛であると説いています。古代ギリシャ、キリスト教世界では、愛には4つの種類があるとします。アガペ(神の愛、真実の愛、最高の愛)、エロス(性愛)、ストルゲー(家族愛)、そしてフィリア(隣人愛)です。
●『友情においては、次の掟を守るべきだ。破廉恥なる事柄を決して相手に要求せず、また、仮に相手から要求されても、決して此れをしない事だ。』
→仮に友人ができ、親しい間柄になれたとしても、破廉恥なる事柄、要するに不道徳な事を互いに要求し合うような間柄になってしまえば、そこにはもう友情は存在していないと説きます。何故なら不道徳な行いの根底には善が存在していないからです。この為、真の友人で居たければ、そうした時には勇気を持って相手を悟す、若しくは相手からの悟しの言葉に真摯に耳を傾ける姿勢が大事だと語っています。つまり、真の友人関係を保ちたいのならば、時として相手に『手厳しい事も言えるような仲でないといけないよ』、と言っています。
道徳的に見て良くない事はダメ…駄目なものはダメ!
●『真の友情というものは、逆境の時にこそ、その姿を鮮明に現す。』
→これについては、英語圏で次のような諺がある事からも分かります…『A friend in need is a friend indeed.』です。訳すと、『まさかの時の友こそ真の友/困った時の友こそが真の友』です。互いが順調な時、良好な関係性が保たれるのは、ある意味で当然と言えます。ですが、どちらか一方に、若しくは双方にトラブル等、何某かの不幸が降って来た時、どうするか?どう行動するか?という事です。真の友の関係性にあるのならば、どうすべきかという事ですね。答えはシンプル。助けるべきですね。キケロはそう答えています。で、これを成さないのであれば、そこには真の友情は存在しないとしています…
実は、彼のこの思想は現代政治の世界、軍事同盟でも活用されているらしいのです。この話は数年前に、確か元アメリカ大統領であったオバマ氏が語っていた事ですが、あの集団的自衛権の思想の根底が、キケロのこの思想なのだそうです。例えばヨーロッパ西側の軍事同盟NATO(北大西洋条約機構)では、加盟国の何処か1国が、他国から侵略、武力攻撃されたならば、残りの国々は全てこの1国を救う義務が発生するのだそうです。義務付けられているので、参戦は絶対という事です。参戦しなければ、もう、友では無い。NATO離脱を余儀無くされるわけですね。いわば『友情サークル』から外される羽目になるわけです。『この薄情者、裏切り者!お前なんかもう真の友達じゃねーよ!とっとと出てけ!』って事ですね。
NATO『非加盟国』のウクライナは、今こういう状況かも…集団的自衛権発動出来ないからね、残念ながら…でもね、西側諸国はスネオみたいに傍観はしてないよ…軍事支援してるからね。日本🇯🇵場合は果たして大丈夫か?本当に、誰か助けてくれるのか?
友であるA国を救う為に、勇気を出してB国は立ち上がるわけです。でも、ここで大前提なのは、A国とB国の間に国家としての『真の友情』の関係が存在しているかです。全てはそれにかかっています…