こんにちわ。皆さんお元気ですか?コーネリアスです。
今回からシリーズものという事で、古今東西の色々な詩、短歌、俳句、名言等々をご紹介する企画を立ててみました。テーマタイトルは、自分がクリスチャンという事もあり、詩界文書→死海文書(1947年にヨルダン川西岸で発見された旧約聖書の写本)と掛け合わせてみました…
さて、初回は、旧約聖書の詩篇から、『詩篇62』、ダビデの詩を取り上げたいと思います。
★詩篇62 ダビデの詩
わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。
神にわたしの救いはある。
神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。
わたしは決して動揺しない。
お前たちはいつまで人に襲いかかるのか。
亡きものにしようとして一団となり
人を倒れる壁、崩れる石垣とし
人が身を起こせば、押し倒そうと謀る。
常に欺こうとして
口先で祝福し、腹の底で呪う。
わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。
神にのみ、わたしは希望をおいている。
神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。
わたしは動揺しない。
わたしの救いと栄えは神にかかっている。
力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。
民よ、どのような時にも神に信頼し
御前に心を注ぎ出せ。
神はわたしたちの避けどころ。
人の子らは空しいもの。
人の子らは欺くもの。
共に秤にかけても、息よりも軽い。
暴力に依存するな。
搾取を空しく誇るな。
力が力を生むことに心を奪われるな。
ひとつのことを神は語り
ふたつのことをわたしは聞いた
力は神のものであり
慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と
ひとりひとりに、その業に従って
あなたは人間に報いをお与えになる、と。
ダビデという人は、古代イスラエル王国の王だった人です。この人は、旧約聖書で有名で、その多くのページに彼の事が収められています。本詩は、彼の作品とされ、『詩篇62』というのがタイトルです。因みに、この詩篇というのは、全150篇で構成されているのですが、その約半分が、彼の作品だと言われています。彼は、王であると同時に、竪琴の名手でもあり、詩も多く残しているところから、かなり文才もあったと見られ、まあ、多才な人でした。また、彼は、絶えず神に祈りを捧げており、そのおかげか、とても神から恵みを受けた人として知られています。上記の詩は、そんな彼の晩年の作品です…
ダビデの人生を見渡した場合、その前半、若い時は、神に大いに祝福され満ち足りた人生だったと言えるでしょう。若くして敵国の巨人ゴリアテを一撃で倒し、名を上げ、以降戦に出れば、大活躍。やがて、出世し、将軍の立場に立つと、いよいよ本領発揮で、連戦連勝。イスラエル王国の領土拡大に尽力しました。そして遂には、国王の座も得る事となりました。一方で彼の後半の人生は、これと正反対で、悪い事の連続でした…自分の忠臣の妻と不倫し、酷いことに、その忠臣が邪魔になり、亡き者にしてしまいます。因みにこの女性(バトシェバ)との間に産まれるのが、次期国王、ソロモン王です。また、三男アブサロムが、父ダビデに謀叛を起こします。ダビデは殺されかかります。やっとの事、都エルサレムを逃れ、軍を立て直し、アブサロム反乱軍と戦い、最終的に息子を殺害してしまいました…
★僕がこの詩で心を動かされた箇所
①『…沈黙して、ただ神に向かえ』
最初は、『…神に向かう』でしたが、2度目には『神に向かえ』と、命令形で強く自分に言い聞かせています。『沈黙して』とは、神の御前において、口を開いて色々ベラベラ祈る必要はない。神はそもそも人間の心の中など、とっくにお見通しだ。なので、心を整えて静かに、自分の心を神の御前に隠さず曝け出せば良い…こう思っているのではないでしょうか?そして、最終的に自分が頼れるのは、人でなく、神であると…
②『暴力に依存するな』
戦争に明け暮れ、確かに国は領土拡大が叶い大きくなった。自分も国王の座を得られた。だが、敵味方共に多くの者を犠牲にしてきた。武力に頼って民を服従させてきたことは正しかったのだろうか?
③『搾取を空しく誇るな』
武力を背景にして、多くの富を奪ってきた。結果、国としては、そして国王としては富むことができた。また、国民から多くの税も取り立て国は大いに栄えた。がしかし、民はどうであろうか?民は幸せになれただろうか?
④『力が力を生むことに心を奪われるな』
権力の座に着くと、今まで叶わなかった事が面白いように可能になる。また、戦争に勝てば勝つほど、その権力の力は増し加えられていく。この世の中で、自分に出来ない事は何も無いのでは、と思うようになる…人間が神になろうとする究極の罪。
★詩篇62とキルケゴール
三滝グリーンチャペル教会(広島市)の堀川寛牧師という方が、以前の礼拝で語っておられたのですが、この詩篇62は、後年、デンマークの哲学者キルケゴールに影響を与えたのではないかとの見解を示しておられました。キルケゴールは、自著の中でこう述べています…
『汝は最も深い意味において汝自身を無とすべきであり、沈黙することを学ぶべきである。この沈黙することが発端であり、沈黙のうちに汝はまず神の国を求めるのである。』
『神を畏れることと共に知恵が始まるように、沈黙と共に神への畏れが始まる。』
『沈黙が意味するところは神に対する畏敬、すなわち、統べ給うているのは神であり、思慮分別を有するのは神お一人であることを表現しているのである。』
よって、『神の前における沈黙こそ、キリスト者のあるべき姿である』と説きました…AMEN!
cf セーレン・キルケゴール(デンマーク)→19世紀初頭の哲学者。実存主義の創始者と言われています。また、哲学と同時に神学研究者でもありました。多数の著書あり。