ガダルカナル戦書籍一覧
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
米軍上陸一日目 昭和十七年 八月七日
9月13日から14日にかけての川口支隊総攻撃は↓要図をご参照ください。
前記事では↓で総攻撃失敗を認めたところまででした。
川口支隊長
逐次、第一線の状況を承知し攻撃失敗は失敗したと判断した。
もとより9月13日14日は「敵の糧による」としていたので糧秣は尽き、14日午前十一時五分(現地時間14:05) 敵から一時離脱しルンガ河左岸で兵力を結集と再起するという決心をした。
中央左第一線第一大隊には14日午後一時三十分(現地時間16:05) 離脱命令が届き負傷者を収容しつつ逐次敵から離脱、15日夜明けまでにルンガ河を渡渉した。
中央右第一線第三大隊も支隊命令により負傷者を収容しつつ後退、支隊司令部位置へさがった。
中央第二線青葉大隊もまた支隊命令を受け取ったが敵陣深く突入した為、各所に散在しており離脱は困難を極めた。
尖兵として敵陣の一番奥まで突進した第六中隊に支隊命令が届いたのは16日になってからだった。
右翼隊熊大隊は突撃後支隊司令部と連絡が途絶えていたが、15日午前無線分隊に支隊命令が届き、十一時ルンガ左岸へ転進行動を開始した。
この時ルンガ河から集結地点のマタニカウ川までの間に「舞鶴道」と呼ばれる道が啓開されており、各隊は舞鶴道を通って糧なき行軍のすえマタニカウ川上流の岡部隊「狼陣地」を目指した。
何故「舞鶴道」というのか明確に説明されている資料を目にした事が無い。
しかし、岡部隊の歩兵第124連隊第二大隊が福岡市の舞鶴城に駐屯したことから「舞鶴大隊」と呼ばれていた。
舞鶴大隊が川口支隊司令部との連絡調整に使った獣道のような踏み跡が「舞鶴道」だと推察します。
そして、80年前の今日、昭和17年9月17日夕刻
川口支隊長以下支隊司令部がマタニカウ川に到達した日となります。
この時、一番遠い位置にいた熊大隊、敵陣深く突入した青葉大隊、砲兵隊の転進は著しく遅れルンガ河を渡渉で来たかも不明であります。
つづく
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全国ソロモン会では今年がガ島戦80年を記念しガダルカナル島のガイドブックを発刊しました。
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ご興味のある方はご蔵書下さい。
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過去の記事
第二師団歩兵第十六連隊 第三機関銃中隊長 亀岡日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊長 西山日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊 第十中隊長 若林日誌
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勇一三〇二
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉 長谷川榮作さまのホームページ
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。
新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。