ガダルカナル戦書籍一覧
*********************************************************************
ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
米軍上陸一日目 昭和十七年 八月七日
三日目...........................八月九日
八十年前の今日
米軍上陸 十四日目 昭和十七年八月二十日
旭川歩兵第二十八聯隊の第一大隊を主力とした一木支隊第一梯団が、ルンガ飛行場を奪回すべく夜襲攻撃を敢行した日となります。
七日の米軍上陸を受け、8月9日大本営は第十七軍に以下の意図を打電した。
カ号作戦(ソロモン奪回)の規模は第十七軍司令官において決定せらるべきものとし、中央としては、要すれば川口支隊、および青葉支隊をも使用し得る如く配船を考慮しあるも、現状においては、むしろ戦機を重視し、なし得れば一木支隊と海軍陸戦隊のみをもって、速やかに奪回するを可とせざるやと考えあり。
第十七軍参謀長 二見少将はガ島へ上陸した米軍兵力を7,000~8.000と判断していた。
奪回作戦へ投入された一木支隊長へは、第十七軍作戦参謀 松本 博 中佐より 「米兵力2,000名で目的はルンガ飛行場の攪乱で一部は撤収し始めている」という敵情が伝えられていた。
8月 9日 一木支隊ガ島飛行場奪回の新作戦の任務を受ける。
12日 トラック島到着
14日 第17軍作戦参謀松本中佐より新作戦命令伝達
18日 ガ島タイボ岬へ無血上陸
一木支隊第一梯団の兵力
支隊長 歩二十八聯隊長 一木 清直 大佐
支隊本部 163名
歩兵第二十八聯隊 大隊本部 23名
第一中隊~四中隊 各 105名
機関銃中隊 (重機械八銃) 110名
大隊砲小隊 (砲二門) 50名
工兵第七連隊の一中隊 150名
計 916名
19日 08:30 渋谷 好美 大尉 以下将校斥候隊38名コリ岬へ敵情偵察にテテレを出発
13:05 米軍の待ち伏せを受け全滅
15:00 将校斥候隊救援の為、樋口中隊出発するも敵と遭遇せず
20日 18:00 宿営地レンゴ出発
一木大佐は敵情不明のまま爾後の戦闘方策に悩んだ結果「行動即捜索即戦闘」
を決心した。
20:00 テナル川渡河
20:30 支隊尖兵、中川=イル川=アリゲータークリーク 右岸100㍍まで進出。
※現地呼称 イル川 日本軍呼称 中川 米軍呼称 アリゲータークリーク
前哨と思われる少数の敵兵から自動小銃の射撃を受けた。
中川対岸より信号弾が高々と撃ち上げられた。
つづく
過去の記事
第二師団歩兵第十六連隊 第三機関銃中隊長 亀岡日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊長 西山日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊 第十中隊長 若林日誌
**********************************お知らせ********************************
ソロモン諸島方面の戦い、現地情報、ガ島陸戦に於いて散華された御英霊についてのご質問は↓お気軽に軽にお問い合わせください。
tobu23butai@gmail.com
勇一三〇二
**********************************************************************
歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉 長谷川榮作さまのホームページ
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。
新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。