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米軍上陸一日目 昭和十七年 八月七日

       二日目 八月八日

      三日目 八月九日  

             十四日目 八月二十日

      十五日目 八月二十一日

       川口支隊左翼隊 岡部隊9/1~9/11

      川口支隊主力 8/29~9/11

      左翼増援 青葉大隊左翼隊 9/11

      四十四日目 九月十三日

 

 

昭和17年9月13日より、80年前の今日、昭和17年9月14日

 

右翼隊 川口支隊主力

昭和17年10月13日午前十時二十分(現地時間13:20)

川口支隊長は以下の命令を各隊に発した。

「第一線部隊は本夜二十時(現地時間23:00)を期して夜襲を決行し、敵を殲滅する」

※現地時間で06:00天明、18:00日没

 

左翼隊 岡部隊

左翼隊の岡部隊長は舟艇機動での残部隊と増援青葉第三大隊が13日夕刻マタニカウ川へ到着予定につき、夜襲を14日に延期されたいと意見具申したが容れられなかった。

午後四時十五分(現地時間19:15) マタニカウ川を渡渉しトラ高地へ前進。

午後八時十五分(現地時間22:15)  舞鶴大隊(歩124Ⅱ)へククムの高射砲陣地の攻撃を、増援青葉大隊(歩4Ⅲ) へ海岸線を護る敵陣へ攻撃するように命令した。舞鶴大隊は敵陣の一角を占領し次々と後続中隊を突入させ戦果の拡張に努めたが敵の集中砲火に前進を阻まれた。14日天明となり岡部隊命令により撤退した。

増援青葉大隊は14日午前二時三十分(現地時間.05:30)マタニカウ川右岸へ進出、午前四時三十分(現地時間07:30)尖兵が敵と遭遇、正面小川の挟み対峙する米軍に攻勢を掛けるが、米軍は海上の舟艇と連携した猛射を受け大隊の攻撃は全く進捗しなかった。

 

右翼隊 熊大隊

この日、午後四時半(現地時間19:30)までに将校斥候により敵状・大隊の進路を確認した。大隊は本部、第一中隊、第二中隊、機関銃小隊、速射砲中隊の順序で前進していた。熊大隊長・水野鋭士少佐は前進の遅延している重火器部隊の追及を急がせ、自らは前進し鉄条網を有する敵陣と衝突、攻撃は此処で頓挫し水野少佐は戦死した。

 

 

中央隊 川口支隊主力

央左第一線 第一大隊

13日午後三時(現地時間16:00) 攻撃準備地点を発進。ルンガ河右岸に沿って北上前進、ムカデ高地西側に二条にわたり設置されていた鉄条網を突破すべく攻撃を開始した。

第一線は突破したが第二線を抜く事は叶わず、敵の砲撃は激烈を極め、多数の戦死傷者を出した。14日天明を迎え敵の砲撃は益々旺盛となり占領した陣地も確保できず、やむなく撤退した。

 

中央右第一線 第三大隊

13日午後五時三十分(現地時間20:30) 攻撃準備位置まで前進。  

午後八時 (現地時間23:00) 行動を開始、警戒陣地を突破し敵第一線を突破したが、敵は重迫撃砲を伴う第二線陣地に遭遇、14日午前二時五十分(現地時間05:30) 遂に敵を撃退したが天明となり一個中隊を同地に残し確保した。

第三大隊長渡辺少佐は13日川口支隊司令部に行こうとしたが、敵迫撃砲の連続砲撃を受け、 司令部に辿り着けず、第一線に戻ろうとしたが満州での古傷が再発し第一線へも戻る事が出来なかった。

川口支隊長は大隊長行方不明の報告を受け、「腹を切れ」と激怒し後に渡辺少佐を予備役にした。

 

昭和17年九月十三日~十四日の川口支隊総攻撃時の鉄条網

 

中央隊第二線 青葉大隊

13日午後四時(現地時間19:00)攻撃準備位置へ進出し攻撃準備を完了した。

攻撃開始時間の午後八時(現地時間23:00)になると第一線の第一、第三大隊に砲撃が集中し次第に青葉大隊集結地に移動して来た。田村大隊長は支隊長の命令を待つことなく攻撃前進を下命。

第五中隊は第一線を突破し後退する敵の後を追って第二戦陣地に近迫、突撃を敢行第二線も突破した。しかし小隊長以下多数の戦死傷者を出した。第五小野寺中隊長は予備小隊とともに第一線へ前進、残存兵を集結し突撃を継続したが中隊長が斃れると忠地位の突進力は鈍った。

第一線の状況を知った田村大隊長は予備隊の第六中隊を投入、自ら第一線へ進出した。

第六中隊は第五中隊を超越し天明の頃には敵の幕舎群まで進出、米軍戦史によると此の地は第一海兵師団司令部の宿営地だった。

田村大隊長は14日天明となるも依然攻撃を続行を企図、各中隊の連絡に努めたが各所に分散しているため掌握は困難だった。そんな中、支隊長命令の攻撃中止命令が届き撤退することとなった。

 

川口支隊長

逐次、第一線の状況を承知し攻撃失敗は失敗したと判断した。

もとより9月13日14日は「敵の糧による」としていたので糧秣は尽き、14日午前十一時五分(現地時間14:05) 敵から一時離脱しルンガ河左岸で兵力を結集と再起するという決心をした。

 

                                                    つづく

 

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