ガダルカナル戦書籍一覧
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
米軍上陸一日目 昭和十七年 八月七日
八十年前の今日
米軍上陸 十五日目 昭和十七年八月二十一日
一木支隊第一梯団がルンガ飛行場奪回の為、前夜二十日より米軍と戦闘を開始し、本日二十一日が全滅した日となります。
※現地呼称 イル川 日本軍呼称 中川 米軍呼称 アリゲータークリーク
前夜二十日夜 中川右岸手前100㍍まで進出した一木支隊尖兵は米軍の前哨より射撃を受けた。撤収する敵兵を追尾し中川右岸まで進出。一木支隊長と大隊長蔵本少佐も同地点まで進出し擲弾筒の集中射撃を実施、尖兵に左岸突入を命じたが渡渉はかなわなかった。
中川の渡渉可能地点を捜索し渡渉できそうな砂州を発見し部隊を配置、突撃を開始したのは日付が二十一日になってからだった。
数次に渡る突撃は、一部鉄条網内に入る兵が居たものの敵陣を破る事はかなわなかった。
↓が突撃時の要図となります
昭和十七年八月二十一日
09:00 ↑要図の下側、南側より米軍の反撃が開始された。
午後になるとM3スチュワート軽戦車6輌も加わり一木支隊の背後を蹂躙し始める。
15:00 隊員の骸を蹂躙する戦車に、一木支隊長はこれまでと軍旗を奉焼し自決。
最初のガ島奪回作戦は一夜にして潰えた。
↓一木支隊が全滅した中川の河口 昭和十七年八月二十一日米軍撮影
中川の両岸に点在して見えるのは米兵と日本兵の遺体・・・ 合掌
一木支隊 戦死 777名 戦傷約 30名
戦場より離脱・後方で監視要員も含め 生存128名
生存者はタイボ岬で後続の部隊を待つ事となる。
つづく
過去の記事
第二師団歩兵第十六連隊 第三機関銃中隊長 亀岡日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊長 西山日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊 第十中隊長 若林日誌
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勇一三〇二
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉 長谷川榮作さまのホームページ
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。
新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。