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ぷぷぷ日記

映画・マンガ・アニメ・小説・歴史・日々の雑記帳。

更新は思いついたとき。

ハドリアヌス帝の古代ローマ時代、浴場設計に悩むローマ人技師がいた。理想の風呂になやむうち、現代日本の銭湯にタイムスリップ。 目を覚ませばそこに富士山の大壁画があった。「これはベスビオ火山か?」  日本の風呂文化に驚愕・・・・! というお話。

マンガで読みたいなあとおもってたのですが、実写ドラマ版をさきに見ちゃいました。古代ローマの場面では白人を主とした外国人エキストラを使用、しかし主要なキャストは阿部寛を主役に北村一輝など容貌の濃い日本人でかため、日本語でセリフを通してます。これがなんかミョーにさまになってておかしかったっス。

日本の風呂文化とローマの風呂文化ってこうしてみると共通点もあるのですねぇ。世界中で湯船につかる文化の地域はそんなに多くないでしょう。 風呂だけじゃなくて多神教なところとか、大建築物の柱がもとは赤く塗ってあったのが後世には剥げて色がなくなってるあたりとか、ローマ:日本は他にもいろいろ共通なところがあるナ。 とか思ったりして楽しかったです。単純にコメディとして笑えましたが、マンガのほうにはもっとウンチク情報が満載らしいので、読んでみたいですね。

ただいま塩野七生の『ローマ人の物語』を読んでる最中ですが、ハドリアヌス帝の時代にたどりつくのが楽しみになってきました。
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新潮文庫 ローマ人の物語 ユリウス・カエサル
 ルビコン以前 8・9・10、ルビコン以後11・12・13
(単行本では ローマ人の物語 第4弾、第5弾)


いかめしい皇帝をイメージさせる「ユリウス・カエサル」という読み方はドイツ式発音らしい。英語でいうとジュリアス・シーザー。颯爽と若々しい英雄の姿が思い浮かぶ。しかし、イタリア式に読むとカエサルは「チェーザル」というのだそうだ。古代のことだからラテン語式の本当の読み方はわからないそうだが、イタリア式が近いのではないかと塩野氏は推測している。つまりカエサルは「チェーザル」だったのかもしれない。


この本でカエサルという人の生涯を初めて読んだ。重々しい皇帝というより、なんだか「チェーザル」というのががお似合いな人物だ。特に若い頃は何をやってもたいして成功せず、泣かず飛ばず・・・でも勢いはよくて借金を借金とも思わない大借金王になった。女たらしで陽気で、いつもユーモアを忘れない愛すべき男である。


40歳くらいからカエサルはようやく頭角をあらわしてくる。大借金王であることも利点にしてしまうこの人の頭の中はいったいどうなっていたのだろう? 国のトップにたつやガリア(現フランス)へ発ち、9年間ものあいだ転戦していたのだが、その間、闘いながら根回しを怠らず、冬の休戦期のたびに政治活動をして三頭政治の一頭で居続けることに成功している。一時にいくつものことを考え、直面する状況を判断し戦略を考え、なおかつ先の手も考えるという天才的な切れ者であったらしい。


塩野氏はカエサルの文章力も絶賛している。カエサルの伝記物語が少ないのは彼自身が書いた『ガリア戦記』などの文章があまりにもすばらしいので、うっかり書くと陳腐に落ちるからではないか・・・と書いている。彼の文章は教養の高さ、明快な性格をあらわした優れたものであったという。


実際カエサルは明るく愉快な人物だったのだろう。「ルビコン以後」の物語後半は、ローマ人を相手に戦う内乱の物語となる。負ければ国賊となるし、家族が敵味方に分かれて戦う悲惨な状況になる。にもかかわらずちっとも陰惨にならずに戦争が進められ、兵士たちもついていったのは、ひとえにこの人のカリスマ性、勝てばこちらが正当となるのだという明快さ、敵を抹殺しない寛大さによるものだ。やっていることを追ってみればよくよく策謀をめぐらせているのではと思うのだが、なぜか策士の暗さを感じさせない。


これはやはり、自分が皇帝に値する人物だから何をしても成功して当然、
という信念があったゆえなのだろうか?


しかし、最後はその寛大さが裏切りを起こさせてしまった。細心の注意をはらって自分は「皇帝」になりたいわけではなく共和政のトップなのだと皆に納得させていたカエサルであったから、身辺警護の者をいつも控えさせるといったことをしなかった。そこで後継者と思っていた人間を中心にあっけなく暗殺されてしまったのだ。


偉大なカエサルの生涯はいきなり終わる。不幸な最後ではあったが読後はやっぱり愉快だったという感想である。塩野氏は、いきいきと書けたのは政敵キケロやカエサル自身と側近による記録や手紙が多数あったからであると述べている。2千年も前のことなのに、豊富な第一史料からこれほど詳細な事実がわかるとは幸せなことだ。カエサルは、ひたいの後退を気にして常に月桂冠をかぶる権利を手に入れて喜ぶなど、愛すべき人なのだった。

ローマ人の物語 (4) ユリウス・カエサル-ルビコン以前/新潮社

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1975米 ジョン・ミリアス脚本・監督
<あらすじ・ネタバレ注意>
舞台は1904年のモロッコ。鎖国をとかれ列強の植民地闘争の最中、王政は崩壊寸前となっていた。列強に骨抜きにされたスルタンとタンジール太守が一応はモロッコを治めているが、その弱腰に我慢がならない人々がいた。日本でいうなら「攘夷派」にあたるだろう。タンジール太守の弟ながら反逆罪に問われ、ベルベル人(遊牧民)リフ族の首長となった男・ライズリである。イスラムの擁護者を名乗り、誇り高き族長として一大勢力を持っていた。

ある日、彼は部下をひきつれてタンジールの富裕な米国人邸宅を襲い、当主ペデカリス未亡人と子供たちを誘拐する。解放する条件は金とライフルとタンジール太守の首。ライズリの真の狙いは列強のいいなりのスルタンを失脚させるとともに、列強を追い払うことにあった。

一方、米国では大統領セオドア・ルーズベルトが次期再選のため選挙活動中であった。ルーズベルトはモロッコの誘拐事件に対し「ペデカリスは生還、ライズリに死を」をスローガンに国威発揚をはかる。大西洋艦隊をモロッコに派遣、米国民の安全を保障し強いアメリカをアピールして票を集めるのに格好の材料としたのだ。

米領事の解決交渉は不調となり、米海兵隊大尉の進言で、アメリカはタンジール太守邸襲撃を決行。事実上のモロッコ行政府である太守邸は占拠されアメリカ国旗が掲揚される。

誘拐されて共に過ごすうち、ペデカリス婦人と子供たちはライズリの人柄に魅かれていた。ライズリは約束通り人質を米海兵隊に返還する。ここでなぜかドイツ駐留軍が介入しライズリは囚われの身となるが、ペデカリス婦人の活躍で米・独・ベルベル人の混戦の末、ライズリは無事砂漠へ帰っていく。

ルーズベルトはライズリから手紙を受け取る。。「あなたは風のごとく、私はライオンのごとし。あなたは嵐をまきおこし、砂塵は私の眼を刺し、大地はかわききっている。私はライオンのごとくおのれの縄張りにとどまるが、あなたは風のごとく、とどまることを知らない」。

モロッコは政府を失い、完全に列強の支配下におかれることとなる。すべてを失ったと嘆く友人の族長に、ライズリは言う。「嘆くことはない。価値あるものは残っている」
<感想・解説>
1975年公開と古い映画です。中高生のころ大好きだった作品で、あのころはショーン・コネリーのかっこよさとキャンディス・バーゲンの美しさ、互いに喧嘩しながら惹かれあうコミカルな場面や活劇にワクワクしました。『シェーン』などウエスタンの系譜もひいているような感もあり、単純に楽しめる映画です。

しかし、今回あらためて見てみると、もう少しうがった見方をしたくなりました。まず、1904年といえば日露戦争の年ではありませんか。よく見ればセオドア・ルーズベルトの誕生パーティに日本人武官が出席している! 日露戦後交渉の根回しのため来ていた人物・・・という設定なのでしょうか。

歴史的事実について少し調べてみました。誘拐事件は実際にあったそうですが、誘拐されたのは美人の未亡人でなく御主人、「ペデカリス氏」です。事件当時は国籍離脱していてアメリカ市民ではなかった。ルーズベルトはその事実は隠して選挙戦に利用したというのが真相のようです。ペデカリス氏は本当にライズリと仲良くなって生還したのだとか。

映画にあるドイツ軍は実際には駐留していなかったし、米海兵による太守襲撃もフィクションです。北アフリカでリードしていたのは英仏で、モロッコはフランスの植民地となります。アメリカはさして活躍はしていなかったでしょう・・・。

この映画が作られた当時は米ソ対立、東西陣営でこりかたまっていた時代です。モロッコなんぞが注目されることはとんとありませんでした。しかし、9.11後のアメリカの「テロとの戦い」や「アラブの春」を経た今、この映画は重要な示唆をしているように思われます。

ひとつは、アメリカ大統領は常に世界中にいる米国民の安全を保障し、そのためには武力行使も辞さない姿勢でいなければならない、という伝統(?)があること。

もうひとつは、「私はライオンのごとく縄張りにとどまる」「嘆くことはない。価値あるものは残っている」というライズリのセリフ。そのとおり、遊牧民たちは現在まで砂漠に健在である。植民地時代も戦後独裁制も砂漠で生きてきた民は広い縄張りを移動しながら生きている。先日のアルジェリアの人質事件も、リビアから流出した武器がアルジェリアとマリにまたがる地域で活動する遊牧民が関係しているといわれている。彼らとどう折り合いをつけていくのか? 日本も含め、関わる者は問われている。

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新潮文庫 ローマ人の物語6・7(単行本では ローマ人の物語 第3弾)

ローマ人たちが小さな国で共和政を始めたのが前509年。本編『勝者の混迷』の年表はカルタゴを滅亡させた前146年から始まっている。ローマ人たちはここまでで共和政を350年間続けてきたことになる。

カルタゴの強敵に翻弄される中、政治の約束事にいろいろな特例を設けたり法を変えたりして戦時を乗り切ったローマ人たちだった。しかし、非常事態を乗り切った今、ローマは地中海全域に影響を及ぼす大国となり、内政問題が大事となる。政治のかたちも変革を迫られる時期に来た。

国の成長をつぶさに見ていくのがこの物語のおもしろさであるが、本編では政治の基本について、その原点を洗い出すようなエピソードの連続である。
●特権階級と貧困層の格差をどう解決すればよいか
●外国から安い食料が輸入されると自国の農民がたちゆかなくなる
●貧困層に福祉を与えても仕事がなければ解決にはならない
●選挙権は属州民にも与えるべきか

このような問題を解決すべく、平民代表のクラッスス兄弟や独裁権をもって元老院補強を試みたスッラなどの改革の闘いが興亡する。これを読んでいると政治の問題というのはいつの世も同じなんだなと実感させられる。改革者それぞれが信念を持ち、良かれと思って改革を断行しようとするが、損をする者の妨害にあったり多くの理解を得られなかったり、思惑どおりに事態が進展しなかったり・・・で無常に散っていく。ああ。筆者は良い信念がなくとも結果としてよい政治になることもある、などとも書いている。それもまた真理だ。

めずらしく政治について端的に、また素直に考えさせられるおもしろい一編でした。

ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上) (新潮文庫)/新潮社
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新潮文庫2012 (単行本2009年)

北朝鮮に拉致され24年後に帰還を果たした、あの蓮池 薫さんの著書。
はじめて韓国へ旅行したことにからめて、北朝鮮との比較や思い出を綴るのが半分。残りの半分は翻訳の仕事について、その始まりから現在(執筆時)までを語っている。


このテの本は自分で手に取ることは、まずない。もらったから読んだだけなのだが、ときに新しい視野をもたらしてくれるから、人が選んだ本を読むのは楽しい。


蓮池さんの初の韓国旅行は苦い北の思い出と活き活きとした韓国の今を行ったり来たりする複雑な心情であったようだ。彼にはぜひとも韓国を訪れなければならない気持ちがあったと察する。北で暮らした生活の長さは24年。拉致されたときは大学生だったのだから、初めての仕事も結婚も子育てもすべて彼の地であって、本当に大人になったのはその生活の中でのことだったのだ。子供たちにも日本人であることは隠し、日本に帰ることは半ばあきらめていたのではないのだろうか。さまざまな配慮からか、北にいた頃の生活と心情については隠しながら書いているようなのだが、「憎き北」とひと言で済まされることではないと思うのだ。


韓国は北朝鮮のパラレルワールドと言える。同じ民族、半島の約半分ずつを分け、違う体制で暮らす人たちの国。第二の故国(とは言いたくないかも知れないけれど)朝鮮半島を見直すために韓国という国が救いになったかもしれない。あの北の人たちも、こっち側にいたならこんなに親しく好ましく付き合える人たちなのだ・・・と確認できただろう。著者はそこまでは言っていないのだけれど、私にはそのように思われた。


後半は、著者が公務員への道を捨て、翻訳の道に入ったことが書かれている。正職員になる可能性もあった公務員なら安泰だったろうに、あえて不安定な翻訳業に挑戦した。大学で教える職と、中途だった大学を卒業するという三足のわらじを履いてフル稼働の生活を送っていたのだ。著者はこれを奪われた時間、日本での生活を取り返したかったから・・・と理由を述べている。


私は少しショックを受け、またじわりと感動した。拉致から帰国した人が国の配慮で公務員として雇われるというあたりが妥当なところかと思っていた。それが、自力でこんなにも活躍する人になっているなんて、予想外だったのだ。しかも睡眠時間を削るほどに忙しく、精力的に回転している。失礼ながらおとなしそうな蓮池さんの容貌からは想像がつかなかった。これこそ、24年間蓄積してきたやるせない思いが原動力になっているのだろうか?


いずれにしても、私はやや恥ずかしく思った。人間は、もっと一生懸命生きなければならないのだ。やるべきことと感じたことをやらねばならないのだ。

とはいうものの、私の怠け者の性癖はなかなか変わらないと思うのだけれど・・・。人生これまでとあきらめてはいけない。それだけは考えさせられた。

半島へ、ふたたび/新潮社
¥1,470
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PHP文庫 2001(初出1970年・オリオン出版の改編)

レイテ沖海戦。昭和19年(1944)10月に戦われた史上最大、かつ世界最後の艦隊決戦であったと言われている。本書は、日本海軍がかきあつめた四つの艦隊が広範囲にわたる海域で別々に戦った一連の海戦の様子を同時進行で図上演習のように再現した。この海戦については、議論が多い。焦点は、旗艦大和にて指揮していた主力・栗田艦隊が「なぜ主目的であるレイテ湾突入を行わずに撤退したのか」ということだ。戦史に残る謎いわゆる「栗田ターン」だ。


レイテ沖海戦すなわち「捷一号作戦」は、すでに航空戦力が欠乏し制空権を失った状態で、最初から勝ち目のない作戦だった。しかし、資源の補給線を死守するためにはこのフィリピンで米軍を阻止せねばならない。それを決行するため、艦載機を満足にもたないカラの空母ら機動部隊を囮とし、北方に敵の主力をひきつける。その間に他の3艦隊が同時にレイテ湾に突入、アメリカの輸送船団を叩く。いわば殴り込みによる捨て身の作戦であった。


しかし「作戦目的」の徹底がなされず、指揮系統もあいまいだった。栗田は敵機動部隊にあいまみえることに固執して進路を二転三転したあげく、主目的の「レイテ湾に突入」を果たさず撤退した。結果として小沢機動部隊が囮となり大打撃を受けたこと、神風特攻隊が艦隊のレイテ湾突入支援のために散ったこともまったくの無駄に終わった。主力と同時にレイテ突入するはずだった西村艦隊ははぐれて戦った結果全滅。残る志摩艦隊は栗田に従いマニラへ撤退した。会心の戦闘のないまま被害は甚大であった。武蔵をはじめとする戦艦以下34隻喪失。敵の損失はわずかに4隻だったという。


暗号電報がうまく解読できず、小沢の電報が届かなかったため栗田の「レイテ突入は不可」という判断になった可能性があるとも本書は一応述べている。しかし、電報を無視した栗田の判断ミスが作戦の失敗を招いたというのが著者の主張だ。


著者は1970年の本書初出以前に関係者に取材している。
栗田長官に面会した際、栗田さんは
「ほとんど弁解することなく、特に通信の欠落についてを、淡々と話していたが、いちばん最後に『とにかく疲れ切っていたから』と洩らしていたのが、非常に印象的であった。」また、「小沢さんはほとんど何も語らなかった。わたくしの執拗な問いかけに、ポツリと『命令を守ったのは西村君だけだったよ』と言われたのが、強く記憶に残る。」
これらは1999年のあとがきに追記されている。


私の感想としてはこの取材30年後の追記にすべてがあるのではないか・・・と思う。戦後54年を経過し中将や大将が亡くなった時点で、著者は熱い栗田批判をややゆるめたのかもしれないと感じた。この作戦を冷静に振り返ってみれば、「レイテ突入」が成功していたところで日本はやっぱり勝てなかったのだ、という検証本もでている。また、この突入を忠実に実行するということは、すなわちレイテ湾内で全艦隊全滅を意味する。当時のあの時点で、とっておきの最新鋭艦武蔵を失い、大和までも活躍のないまま沈めてよい・・・そんな作戦があるはずはない。それが栗田の正直な気持ちであったろう。連合艦隊司令は「全滅してよい、玉砕してこい」とはハッキリと言わなかったのだから。司令もそこまでは考えていなかったのかもしれない。それは海軍の壊滅ということなのだから。事実を検証するには、本書はやや研究不足という気がするが。


結局、「国破れて戦艦残る」ということでは格好が悪いという理由で、最後に大和は玉砕の旅に出されるだから、レイテで沈んだほうがまだ良かったのか。これもむなしい議論だ。


本書を書くにあたり、著者は当時兵学校を出て士官になったばかりの人々に多くの取材をし、戦闘の状況を彼ら若者の目から見て描いている。ひどく感情的な文章が多いのが読みづらかったが、本書の価値はむしろこちらにあるのかもしれない。航空戦艦に配属されて乗り組んでいる整備士が、飛行機が不足で搭載されていないからやることがない。戦闘が始まったら「まあゆっくり見学していなさい」と言われる。そんなこんなの驚くべき事実が素直に記録されているからである。


それにしても、私たちはなぜいまだに「戦記」を読むのだろうか。作戦の失敗は誰のせいだったのか。作戦自体が失敗ではなかったのか。その作戦を立てた責任は誰にあるのか。「あの戦争は悲惨だった」「二度と繰り返してはならない」などと言うけれど、いったいなぜ悲惨なことになったのか、具体的には「何を」二度と繰り返さないのか、そこが曖昧なままであるからだ。

戦時中は偽りの戦勝報道のせいもあってか失敗が検証されず、責任を明らかにしないまま次の作戦へ進んでいき、そのまま敗戦を迎えた。東京裁判は日本人のための裁判ではない。日本人は日本人による東京裁判をやり直さねばならないのではないだろうか。

レイテ沖海戦 (PHP文庫)/PHP研究所
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いままで知らなかったけど昨日ドラマ「鈴木先生」に出会いました。BSジャパンで年末一挙放送中。今日は夜9時からです。一話みてこれはハマった★
なんだか英国ドラマの「シャーロック」の進行に似ている・・・画面に思ったことが文字で出てくるところとか、じっくり謎に近づいていくところとか。

鈴木先生=長谷川博己ってきらいな役者だったのですが、これは好感度たかいです。
ドラマは青春学園ものでヒューマンな要素たっぷりながら、熱血でないところがいい、ですね。

ドラマはやっぱし漫画原作ものがおもしろいのかなぁ。
「鈴木先生」、映画になるそうです。
http://blog.tv-tokyo.co.jp/suzukisensei/

中公文庫 1995
11月に98歳で亡くなった政治学者・猪木正道の本。主題は戦争ではなく、日本が日露戦争以降、どのように軍国化していったか。その過程を政治経済・社会状況を解説しながら見ていき、太平洋戦争開始までを述べる。

こう書くと大学の講義ノートのようですね・・・大学で教えていた人なので、実際そうなのかもしれません。内容的には教養科目の「日本近代史概説」なんかに最適。とてもわかりやすかったです。日露あたりを語る最初のほうはあっさりしすぎていて教科書みたいでつまんない、と思いましたが、なかなかどうして。テロ事件が起こり軍部の勝手が押し通り・・・と軍国化が進むにつれ、解説にも力がこもっていきます。

この本、私が待望していた内容でした。なぜ軍国化が進み無謀な自爆戦争に至ったのか? という疑問について抽象的に解説する本が多い中、この本は非常に具体的です。主な事件について原因・結果の事実を述べ、そのときの首相や外交の方針、メディアと国民の様子など背景を示して解説してくれる。それをほぼ時系列に従ってやっていくという手法です。

この本のおかげで、いろいろなことがわかった気がします。事件と事件のつながりがやっとおぼろげながら見えて、正しく歴史の勉強ができました。また、陸軍は一枚岩で暴走していたわけではなかったこととか、満州はある意味、日本人にとっても独立国の気分があったらしいことなど。知らなかった事実も多々ありました。

概説は概説ですから詳しいことは書いてないですが、「これはまた詳しい本を読もう」と思ったり、著者が紙面の少ないなか、余談のように突っ込んだ意見を述べていて「おっ?」と気になったところに付箋を貼っていると、付箋だらけになってしまいました。それだけまた見る価値のある事実と見解がたくさん載っていたと言えます。

訃報の記事などを見ると著者には「安保問題の論客」などという評もあり、とんがった人だったのでしょうね。しかし、本書は晩年の著作でもあり、かなり公平な視点からまとめられていると思いました。テキストとして手元に置きたい一冊です。

軍国日本の興亡 日清戦争から日中戦争へ/猪木正道【RCP】
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もう12月ですね! 私は仕事の一部として経理もやってます。雇われの身ですが、自分で自分の給料を計算して支払うわけです。今年は大幅に手取り収入がダウンしそう。「総支給額」という名目は去年と同じ金額なのに、気分下がります・・・。

最大の原因は、子ども手当がやっぱり破綻して、児童手当に戻って減額された。にもかかわらず「年少扶養控除」という制度がなくなったため、所得税・住民税がずいぶん上がったことです。子ども手当制度発効のとき「こうなるのでは」と心配しましたが、予想的中というより 最初から知れたこと、という気持ちです。ばかばかしいですね。

もうひとつは、社会保険料が毎年上がっていくこと。健康保険料と厚生年金料が毎年4月・9月に交互に上がる。だから同じ給料なら手取りは減るってわけです。

ところで、健康保険って種類があるのを知ってましたか?
一般に「国民健康保険」と「会社の健康保険」と理解されてますが、「会社の健康保険」いわゆる「社保」はさらに大きく3つに分かれます。

手元に「協会けんぽのお知らせ」があるので参照しています。
1.協会けんぽ(全国健康保険協会)・・・主として中小企業のサラリーマン
2.健保組合               ・・・主として大企業のサラリーマン
3.共済組合               ・・・公務員、学校職員など

ここで「お知らせ」が訴えるのはその負担の不公平さです。
たとえば月給30万円なら、全国平均で
1.協会けんぽ(中小企業) 3万円     (10.00%)
2.健保組合(大企業)    2万4930円 (8.310%)
3.共済組合(公務員など) 2万3100円 (7.7%)


と、こんなにちがうのです。ボーナスも同様のパーセンテージで徴収されます。会社と折半するので自己負担は半額ですが、額が高くなれば会社は正社員を雇うのをためらいます。中小企業こそ負担を軽くして雇用促進すべきだと思うんですけどネェ。

さらに、平均年収を比較できる「標準報酬総額」を見ると、
1.協会けんぽ(中小企業) 370万円(22年度)
2.健保組合(大企業)    533万円( 同 )
3.共済組合(公務員など) 666万円(21年度)

仮に、中小企業でボーナスなしで月給25万なら自己負担月額1万2500円
公務員で年収600万、ボーナス込月平均収入は50万の場合自己負担は1万9250円。
と考えるとどうでしょう。生活ギリギリで1万2500円はイタイ。(もちろん、これプラス年金、雇用保険、所得税、住民税が引かれます。)余裕のある人とはお金の値打ちが違うのに、負担は大きいです。

大企業で「健保組合」を作っているところも、経営が苦しくなると解散して「協会けんぽ」へうつります。「協会けんぽ」はますます貧しくなっていくわけです。健保組合や共済は窓口負担の補助があったり、給付内容も手厚いです。
いっそのこと1.2.3は統合したらいいのにね。「厚生年金基金」廃止の方向だそうですが、健康保険も一律でいいじゃないですか。

ちなみに、サラリーマンの専業主婦は年金同様、健康保険料と介護保険料もやっぱり払っていません。年収の多い共済などでは養えるのでしょうが、協会けんぽではムリムリですね。政権がどう変わろうと、全体を見て改革が進みますように!!!!報道では社会保障改革の内容は断片的なのでまた人気取りに使われるだけかと心配です。上記のような格差も報道であまりみたことがありません。拡散希望します☆



墓はいらない説の宗教学者 「生者が死者に振り回されてる」
 核家族化、少子化、故郷と現在の居住地との距離……、お墓の問題に頭を悩ませている人は少なくない。孤独..........≪続きを読む≫母方の祖父の墓参りに行くという母を車に乗せてでかけた。母が亡くなる20年ほども前だったか。墓参が済むと、母が墓地公園内の別の区画へ車をまわせという。混雑してるこんな日に、なんで? と渋る私を追い立て、強引に母は指示を出す。行ってみると、そこは墓石のない区画だった。

「これが、うちのお墓やから。あんたには見ておいてもらわんと」
私は逆上した。前触れもなくだまし討ちのように連れきて、この場所を覚えておけという。あまり突然な話に腹がたった。それなら事前に「墓の区画を買った」と教えておいてくれれば良かったのに。「こんなこと、責任もてへんわ!」と若かった私は叫んでしまった。そもそも兄弟のなかで長男でも長女でもない私としては、縁遠いような話だったのだ。

あとで聞いたら、父も区画を買った事実を長い間知らなかったそうだ。母が独断でそこを買ったのは、50代で胃ガンをやったというのが大きかったのだろう。しかし、「祖父と同じ墓地公園で、実家方の親戚が来る場所」「今の家から近く、子供が参りやすい」ほかに、父の弟に父方の墓は譲り、自分たちは勝手に新しいところに入りたいという思惑があったと思われる。葬式は家族葬、戒名不要と決めていた母だが、墓には大枚はたいていたのであった。

ねらいどおり、母の亡くなったあと、叔父(母の弟)たちは母の墓にも参ってくれているようだ。しかし、子供である私や弟、配偶者の父も、そんなにしげしげとは墓参していない。正直、私としてはあまり墓参したくない。そこに母がいるような気がしないし、参っても気が休まるわけでもないからだ。とはいえ、「墓参していない」ことにはうしろめたさもある。なんだか「絶対来てね」といわんばかりの母と意地を張りあっているようでもある。

そんなわけで、その墓は長男である弟についでもらうのが妥当だろうと思っている。息子には先日、「散骨にしてね。太陽の塔の下とかがいいナー」と先のことをお願いしておいた。息子は「どこで拝めばいいの」と文句をいったが、どこでもよいのだ。
墓は不要である。


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