1975米 ジョン・ミリアス脚本・監督
<あらすじ・ネタバレ注意>
舞台は1904年のモロッコ。鎖国をとかれ列強の植民地闘争の最中、王政は崩壊寸前となっていた。列強に骨抜きにされたスルタンとタンジール太守が一応はモロッコを治めているが、その弱腰に我慢がならない人々がいた。日本でいうなら「攘夷派」にあたるだろう。タンジール太守の弟ながら反逆罪に問われ、ベルベル人(遊牧民)リフ族の首長となった男・ライズリである。イスラムの擁護者を名乗り、誇り高き族長として一大勢力を持っていた。
ある日、彼は部下をひきつれてタンジールの富裕な米国人邸宅を襲い、当主ペデカリス未亡人と子供たちを誘拐する。解放する条件は金とライフルとタンジール太守の首。ライズリの真の狙いは列強のいいなりのスルタンを失脚させるとともに、列強を追い払うことにあった。
一方、米国では大統領セオドア・ルーズベルトが次期再選のため選挙活動中であった。ルーズベルトはモロッコの誘拐事件に対し「ペデカリスは生還、ライズリに死を」をスローガンに国威発揚をはかる。大西洋艦隊をモロッコに派遣、米国民の安全を保障し強いアメリカをアピールして票を集めるのに格好の材料としたのだ。
米領事の解決交渉は不調となり、米海兵隊大尉の進言で、アメリカはタンジール太守邸襲撃を決行。事実上のモロッコ行政府である太守邸は占拠されアメリカ国旗が掲揚される。
誘拐されて共に過ごすうち、ペデカリス婦人と子供たちはライズリの人柄に魅かれていた。ライズリは約束通り人質を米海兵隊に返還する。ここでなぜかドイツ駐留軍が介入しライズリは囚われの身となるが、ペデカリス婦人の活躍で米・独・ベルベル人の混戦の末、ライズリは無事砂漠へ帰っていく。
ルーズベルトはライズリから手紙を受け取る。。「あなたは風のごとく、私はライオンのごとし。あなたは嵐をまきおこし、砂塵は私の眼を刺し、大地はかわききっている。私はライオンのごとくおのれの縄張りにとどまるが、あなたは風のごとく、とどまることを知らない」。
モロッコは政府を失い、完全に列強の支配下におかれることとなる。すべてを失ったと嘆く友人の族長に、ライズリは言う。「嘆くことはない。価値あるものは残っている」
<感想・解説>
1975年公開と古い映画です。中高生のころ大好きだった作品で、あのころはショーン・コネリーのかっこよさとキャンディス・バーゲンの美しさ、互いに喧嘩しながら惹かれあうコミカルな場面や活劇にワクワクしました。『シェーン』などウエスタンの系譜もひいているような感もあり、単純に楽しめる映画です。
しかし、今回あらためて見てみると、もう少しうがった見方をしたくなりました。まず、1904年といえば日露戦争の年ではありませんか。よく見ればセオドア・ルーズベルトの誕生パーティに日本人武官が出席している! 日露戦後交渉の根回しのため来ていた人物・・・という設定なのでしょうか。
歴史的事実について少し調べてみました。誘拐事件は実際にあったそうですが、誘拐されたのは美人の未亡人でなく御主人、「ペデカリス氏」です。事件当時は国籍離脱していてアメリカ市民ではなかった。ルーズベルトはその事実は隠して選挙戦に利用したというのが真相のようです。ペデカリス氏は本当にライズリと仲良くなって生還したのだとか。
映画にあるドイツ軍は実際には駐留していなかったし、米海兵による太守襲撃もフィクションです。北アフリカでリードしていたのは英仏で、モロッコはフランスの植民地となります。アメリカはさして活躍はしていなかったでしょう・・・。
この映画が作られた当時は米ソ対立、東西陣営でこりかたまっていた時代です。モロッコなんぞが注目されることはとんとありませんでした。しかし、9.11後のアメリカの「テロとの戦い」や「アラブの春」を経た今、この映画は重要な示唆をしているように思われます。
ひとつは、アメリカ大統領は常に世界中にいる米国民の安全を保障し、そのためには武力行使も辞さない姿勢でいなければならない、という伝統(?)があること。
もうひとつは、「私はライオンのごとく縄張りにとどまる」「嘆くことはない。価値あるものは残っている」というライズリのセリフ。そのとおり、遊牧民たちは現在まで砂漠に健在である。植民地時代も戦後独裁制も砂漠で生きてきた民は広い縄張りを移動しながら生きている。先日のアルジェリアの人質事件も、リビアから流出した武器がアルジェリアとマリにまたがる地域で活動する遊牧民が関係しているといわれている。彼らとどう折り合いをつけていくのか? 日本も含め、関わる者は問われている。
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