『レイテ沖海戦』半藤一利  | ぷぷぷ日記

ぷぷぷ日記

旅が好き。建築や町並みを見るのも、歴史も好きです。そこから現代世界を眺めるのも面白い。
映画・マンガ・アニメ・小説・歴史・日々の雑記帳。
もともと完全インドア人間でしたが、コロナ以降は野に出るようになりました。

更新は思いついたとき。

PHP文庫 2001(初出1970年・オリオン出版の改編)

レイテ沖海戦。昭和19年(1944)10月に戦われた史上最大、かつ世界最後の艦隊決戦であったと言われている。本書は、日本海軍がかきあつめた四つの艦隊が広範囲にわたる海域で別々に戦った一連の海戦の様子を同時進行で図上演習のように再現した。この海戦については、議論が多い。焦点は、旗艦大和にて指揮していた主力・栗田艦隊が「なぜ主目的であるレイテ湾突入を行わずに撤退したのか」ということだ。戦史に残る謎いわゆる「栗田ターン」だ。


レイテ沖海戦すなわち「捷一号作戦」は、すでに航空戦力が欠乏し制空権を失った状態で、最初から勝ち目のない作戦だった。しかし、資源の補給線を死守するためにはこのフィリピンで米軍を阻止せねばならない。それを決行するため、艦載機を満足にもたないカラの空母ら機動部隊を囮とし、北方に敵の主力をひきつける。その間に他の3艦隊が同時にレイテ湾に突入、アメリカの輸送船団を叩く。いわば殴り込みによる捨て身の作戦であった。


しかし「作戦目的」の徹底がなされず、指揮系統もあいまいだった。栗田は敵機動部隊にあいまみえることに固執して進路を二転三転したあげく、主目的の「レイテ湾に突入」を果たさず撤退した。結果として小沢機動部隊が囮となり大打撃を受けたこと、神風特攻隊が艦隊のレイテ湾突入支援のために散ったこともまったくの無駄に終わった。主力と同時にレイテ突入するはずだった西村艦隊ははぐれて戦った結果全滅。残る志摩艦隊は栗田に従いマニラへ撤退した。会心の戦闘のないまま被害は甚大であった。武蔵をはじめとする戦艦以下34隻喪失。敵の損失はわずかに4隻だったという。


暗号電報がうまく解読できず、小沢の電報が届かなかったため栗田の「レイテ突入は不可」という判断になった可能性があるとも本書は一応述べている。しかし、電報を無視した栗田の判断ミスが作戦の失敗を招いたというのが著者の主張だ。


著者は1970年の本書初出以前に関係者に取材している。
栗田長官に面会した際、栗田さんは
「ほとんど弁解することなく、特に通信の欠落についてを、淡々と話していたが、いちばん最後に『とにかく疲れ切っていたから』と洩らしていたのが、非常に印象的であった。」また、「小沢さんはほとんど何も語らなかった。わたくしの執拗な問いかけに、ポツリと『命令を守ったのは西村君だけだったよ』と言われたのが、強く記憶に残る。」
これらは1999年のあとがきに追記されている。


私の感想としてはこの取材30年後の追記にすべてがあるのではないか・・・と思う。戦後54年を経過し中将や大将が亡くなった時点で、著者は熱い栗田批判をややゆるめたのかもしれないと感じた。この作戦を冷静に振り返ってみれば、「レイテ突入」が成功していたところで日本はやっぱり勝てなかったのだ、という検証本もでている。また、この突入を忠実に実行するということは、すなわちレイテ湾内で全艦隊全滅を意味する。当時のあの時点で、とっておきの最新鋭艦武蔵を失い、大和までも活躍のないまま沈めてよい・・・そんな作戦があるはずはない。それが栗田の正直な気持ちであったろう。連合艦隊司令は「全滅してよい、玉砕してこい」とはハッキリと言わなかったのだから。司令もそこまでは考えていなかったのかもしれない。それは海軍の壊滅ということなのだから。事実を検証するには、本書はやや研究不足という気がするが。


結局、「国破れて戦艦残る」ということでは格好が悪いという理由で、最後に大和は玉砕の旅に出されるだから、レイテで沈んだほうがまだ良かったのか。これもむなしい議論だ。


本書を書くにあたり、著者は当時兵学校を出て士官になったばかりの人々に多くの取材をし、戦闘の状況を彼ら若者の目から見て描いている。ひどく感情的な文章が多いのが読みづらかったが、本書の価値はむしろこちらにあるのかもしれない。航空戦艦に配属されて乗り組んでいる整備士が、飛行機が不足で搭載されていないからやることがない。戦闘が始まったら「まあゆっくり見学していなさい」と言われる。そんなこんなの驚くべき事実が素直に記録されているからである。


それにしても、私たちはなぜいまだに「戦記」を読むのだろうか。作戦の失敗は誰のせいだったのか。作戦自体が失敗ではなかったのか。その作戦を立てた責任は誰にあるのか。「あの戦争は悲惨だった」「二度と繰り返してはならない」などと言うけれど、いったいなぜ悲惨なことになったのか、具体的には「何を」二度と繰り返さないのか、そこが曖昧なままであるからだ。

戦時中は偽りの戦勝報道のせいもあってか失敗が検証されず、責任を明らかにしないまま次の作戦へ進んでいき、そのまま敗戦を迎えた。東京裁判は日本人のための裁判ではない。日本人は日本人による東京裁判をやり直さねばならないのではないだろうか。

レイテ沖海戦 (PHP文庫)/PHP研究所
¥780
Amazon.co.jp